『エコール・ド・パリ殺人事件』(深水黎一郎/講談社ノベルス)

 デビュー作の『ウルチモ・トルッコ』は堂々たる変化球でしたが、それだけに2作目としてどのような作品を発表してくるのか興味津々でしたがとても面白かったです。
 不可解な密室の謎と、被害者である画商の遺したエコール・ド・パリについての美術書とが平行して語られます。作中で発生した密室殺人の謎をめぐる捜査のパートは最初かなり地味です。謎解きの手前には「読者への挑戦状」といったお約束もあったりしますが、その裏には奇抜な仕掛けが隠されていまして、そのバランスが絶妙です。美術書のパートにしても、単にエコール・ド・パリについての知識を補強するだけのものではなくて*1、事件の真相に二重三重に関わっているのが出色の出来です。人間的にはどうかと思いますが(笑)、ミステリ的には傑作だと思います。
(以下、既読者限定で)
 作中に織り込まれている美術書『呪われた芸術家たち(レザルティスト・モウディ)』。この美術書は読者のみならず主要な登場人物たちも目を通している書物です。私の知識では真犯人のトリックは分かりませんでしたが(涙)。だからといってアンフェアだとかいうつもりは全然なくて、とても面白い趣向だと思います。アクロバティックな展開ではありますが、こんなに見事な伏線を張られていてはぐうの音も出ません。脱帽です。
 また、この本について、真にエコール・ド・パリを愛する人物が書いた本と評価される一方で、自らが所有するエコール・ド・パリの作品の値を吊り上げる目的で書いた本だとする評価もあります。いったいどちらの評価が正しいのか。その答えは事件の真相とともに明らかになります。妻を迫害しながらも愛していた被害者。矛盾しているとも取れる人物像が答えなわけですし、逆にそれを裏付けるものでもあります。
 善と悪かを単純に決めてしまわない物事の相対性の受容。それが本書の通奏低音です。
 探偵役の瞬一郎は為替で身銭を稼いでいますが、それで生計を立てることについては「何一つ固有の価値を生産していない」という理由から否定的です。しかしながら、本書の被害者の職業は画商・画廊主です。何一つ固有の価値を生産することなく、画廊の絵の評価を高めることで生計を立てています。しかし、そうした職業がなければ画家の才能も作品も埋もれたままになってしまいます。また、絵の評価を高めるために書かれた美術書もまた、作品論あるいは作家論としてそれは固有の価値を有する作品たりえます。そんな屈折してるところが面白いです。
 絵の価値を評価する場合に、それを描いた画家の要素が絵の価値を大きく左右します。本来ならば絵を評価する場合には絵と画家とは切り離して考えるべきだと作中の美術書では提唱されています。その一方で、画家を知ることで見えてくる絵の姿というものもあります。作品論と作家論の関係は永遠のテーマなのでしょう。また、本書で行われている殺人事件の捜査は密室の謎だけ解けば良いというものではなくて、誰がやったのか? 動機は何なのか? という結果と行為者との関係が当然のことながら重要視されます。そうした対比も面白いです。
 密室事件について、作中でカーの『三つの棺』を引き合いに出しての密室の分類が簡単に紹介されて、本書の密室はそのどれにも当てはまらない、今までになかったものだとしています。これは個人的には疑問です。作中でも述べられていますが〈被害者が自分で施錠したパターン〉の変形として理解するべきでしょう*2。確かに細かな点を挙げれば新手かもしれませんが、そんなことを言い出したら分類など意味をなさなくなります。もっとも、本書でクローズアップされているエコール・ド・パリの画家の作品は一人一派と呼べる程で定義ができないものとされていますが、それでも、エコール・ド・パリというひとつの枠に分類されています。分類をめぐるこうした対比もまた面白いです。
 とにかく、いろんなことがいろんなことの伏線になっています。最後まで読むとその計算された構成に感心させられるのですが、それだけでなく、大癋見警部という意味不明なキャラクタを配置することで、そうした構成が歪められた形で読者のもとに届けられます。情報を羅列したパズルから読ませる小説への橋渡しとして、彼のような道化役のキャラクタは重要だと思います。作者の周到な計算を感じます。とても面白かったので次回作にも期待したいです。

*1:というより、エコール・ド・パリに関する美術史書として普通に面白いです。巻末の参考文献を見ると作者もかなり調べて書いたみたいなので内容的にも信用していいんじゃないかと思います。

*2:通り魔事件など作中で黄色が要所要所で鍵を握っているのは密室のトリックを暗示するものとして機能させているのかもしれませんね。