「視る」シリーズをここまで読んでくださってありがとうございました。
ここからは、おれの考察のようなものを添えさせていただきたいと思います。
場所は某アルプスのアニメを想像していただくと良いと思います。ヨーロッパのとある山岳地帯。
2人の少年少女は、父親同士が仲が悪いので、牧場の片隅でこっそり遊んでいました。
しかし、一度見つかって怒られてから会う頻度が減ってゆき、とうとうそのまま少女は街へ嫁いで行ってしまいます。
少年は後でそのことを知り、背骨を抜かれたようにぼんやりと生きていました。そのうち、相棒だった犬も亡くなり、すっかり憔悴しているところに、心配した仲間からその孫だという子犬をもらいます。
そこで、少年は「めぐり会う」と言う、小さな希望を持つのでした。
そして、長い年月を経たある日、幼い日の少女にそっくりな少女に出逢います。その子に呼ばれてやってきた年老いた女性は、紛れもなく少女でした。連れ立ってきたもう1人の女性は娘であることがわかります。
数十年ぶりの再会に彼女は、少し緊張したように笑います。おそらくですが、父親や夫が亡くなった後で、もう彼に会うことを止める人間がいなくなったのでしょう。
しかし、彼は違います。いつか必ずまた巡り会えると言う希望を持っていた彼は、牧場の隅で遊んでいたのがまるで昨日のことのように、「元気だった?」と聞くのでした。
半身の神話は、洋が学生の頃に少しだけ学んだものです。
もし本当に、人が離れた半身を見つけるために生きているのだとしたら、それが達成されている人というのはこういうことなのかと、今回の「視る」では感じました。
必ずしも、その半身と今世で出会えるとは限りません。パートナーになるのか、きょうだいになるのか、ゆうじんになるのかも分かりません。でも、人生の目的のひとつがそれだと分かっていると、なんだか少しワクワクするような気持ちになります。
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