一心不乱に進むのはいいなと思うけど、私は日常を見るのが大好き

8月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『フツーに方丈記』を読んだ。私は大原扁理の新作を楽しみにしている。コロナ渦は図書館が閉まり、買うなら図書館にない本ということでBL漫画を読んでいたそうだ。実家の話もあった。古市憲寿の記事を読んだときに思ったのだが、なぜそう考えるようになったかを理解するのに、育った家の話は大事だ。

 

続けてこうも呟いている。

 

(続き、メモ)将来の安心のために今この瞬間を腐らせ本人不在の人生にならないように、残された時間は長くて半年とする。方丈記の終わりは「ここまで、誰のためでもない自分だけの楽しみを書き綴ってきたが、残された貴重な時間を無為に過ごしてしまったように思われてならない。」

 

大原扁理はこれまで
『20代で隠居 週休5日の快適生活』
『年収90万円でハッピーライフ』
『いま、台湾で隠居してます』
といった本を出していて、私が新作をチェックしている作家の一人だ。

 

私はできるだけたくさんのことをしたいと思って生きている。この先になぜはない。なぜそう思うのかと言われても、答えはそう思うからになる。積み重ねて同じものが違うように見えるようにならないと嫌だが、どんどん上にというよりどんどん広くと思っている。1万個の経験をしようとは思っていない。7千でも、8千でも、できるだけ多く。私は公園にも行きたいし、寝たい。一心不乱は幸せだと思うけど、日々をすごく見ていたい。1万個でも何でも目標があった方が早く進めると思うけど、早く進みたいにも関わらず、スーパーを巡れないと嫌だ。先日、アメリカや日本の水道を救っているベンチャー企業、フラクタの本を読んだ。起業して社会課題に挑戦している人を羨ましく思う。私が毎週『カンブリア宮殿』を見ていることに対して妹がいいなと言う。私が、見たらいいじゃんと言っても妹は見るわけではない。それと一緒だ。いいなと思うけどやらない。

私は長く大学にいる。人類の知を増やせると嬉しい。成果が出ないと迷うが道は分かりやすく見えていた。結果が出るということはいいことで結果を出すのみ。道が分かりやすい分苦しいけれど。ところが社会に出ると何を積めているのだろうと思った。行為としては楽だけど、限りある人生に何を詰めたらいいんだ。

博士課程でその後アメリカに戻ろうと思っていたとき、もっと他に楽しいことがある気がすると思っていた。今またそれを思うようになってきた。やるなら今度も全く違うことをしたい。