メガネフェチと欲望されない主体、そしてその謎を探るべく我々は密林の奥地へ…Queer

 ルカ・グァダニーノ監督の新作Queerを見た。ウィリアム・バロウズの小説『おかま』の映画化である。

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 舞台は1950年代のメキシコシティである。中年のリッチなゲイのインテリ男性であるリー(ダニエル・クレイグ)は町で見かけたメガネのアメリカ人青年ユージーン(ドルー・スターキー)に惹かれる。つかみどころのないユージーンと一緒に過ごしたいリーは、ユージーンを南米旅行に連れて行くことにする。リーはテレパシー能力を高めてくれるという噂のある南米の植物ヤヘを試したいと思っており、ユージーンとともに奥地に住む科学者コッター博士(レスリー・マンヴィル)を訪ねる。

 そもそも原作者のバロウズ自身が実験的で変わったものを書く作家なので、この映画もだいぶへんてこりんな作品である。三部構成で、最初の二部くらいはいったいどこに向かうのかよくわからないゆっくりしたロマンスものみたいな感じ…なのだが、ゲイの恋愛にかこつけて(?)えんえんとメガネフェチ(+たまに帽子フェチ)映像みたいなのが続くので、グァダニーノってこんなにメガネ好きだったっけか…と思ってしまった。とにかくメガネと帽子をしつこく撮っており、リーはメガネっ子が大好きみたいだし、本人も中年メガネっ子だ。リーがユージーンを口説こうとするプロセスの中で、「いくらメガネっ子が好きだからと言ってもセックスする時はメガネを外さないといけない」とか「メガネをかけずに酔っ払うと危険である」みたいなメガネっ子あるある(?)シチュエーションが、非常にリアルなのにオフビートなフェティシズムに溢れた撮り方で提示されており、正直何の映画だかわからなくなりそうだった…のだが、一応このメガネフェチはリーの心境ときちんと呼応はしている。途中でリーが何度か夢(幻覚というべきか)みたいなのを見るところがあるのだが、そのうちのひとつで、裸眼の人たちはわりと表情がわかりやすいのに、メガネっ子のユージーンは表情がわかりにくくてとらえどころがなく、だからこそミステリアスな魅力があってリーは惹かれてしまう…というようなことが示唆される夢がある。そんなにコミュニケーションスキルがすごく高いわけではないのに人とつながりたくてテレパシーに関心を持っているリーにとって、メガネはなんとなくコミュニケーションの障壁を上げる一方で神秘の源でもある。初めてユージーンとセックスする時にメガネを外す様子やその後のユージーンの表情がやたらリアルに撮られているのだが、これはリーにとってユージーンとの間の壁が低くなったことの象徴だ。

 そしてこの映画は全体としてダニエル・クレイグがリー役だということにだいぶ寄りかかっている作品である。クレイグは誰でも知っている007で、またおそらくはシリーズで初めて、その磨き抜かれた身体があからさまに女性やゲイ男性の欲望の対象となるように提示された007である(別にそれまでのボンドもかっこよかったし欲望されてはいたはずだが、クレイグボンド時代は役者もスタッフも「この人は欲望の対象です」ということに開き直って映画を作っていた)。クレイグボンドの身体はみんなの欲望を集めるものであり、そこに個性的な面白さがあった…というか、クレイグボンドは欲望する主体ではなく欲望される客体となることで主体性が作られるみたいな、非常にねじれた形で性的魅力が男らしい自信と強さに接続されるキャラクターだった。そんなクレイグが007を引退して、この映画では若者の気を惹きたくてたまらない中年のおじちゃま役で出てくる。なんとなくくたびれた色気はあるのだが、若者には全然ウケないタイプの色気なので、ちょっと面白いがウザいおじちゃんとしてしか見てもらえないことのほうが多い。そんなわけで、かつては欲望される主体だったクレイグが、この映画では欲望されないが欲望する主体として出てきて、一生懸命自分を欲望してもらおうとして頑張るという裏返しがなんとなく涙ぐましいしカワイイ…というか、たぶんこの映画のメタな面白さを作っている。リー役はほとんどの役者だと単なる困ったおっちゃんにしかならなそうな気がするのだが、ダニエル・クレイグが元ボンドで、しかもミョーな存在感がある役者だということにこの映画の全てがかかっていると言っていいと思う。

 というわけで第二部くらいまでは妙なフェチとメタ構造で進む映画だったと思うのだが、第三部は突然、女マッドサイエンティストとかわいいナマケモノ(あれ、ナマケモノだよね?)とテレパシードラッグが跋扈する密林秘境探検ものになる。マッドサイエンティストのコッター博士を演じるレスリー・マンヴィルがまったくいつものレスリーとは思えないような変身ぶりで、非常に迫力がある。どこに行くのかわからない、奇妙でそれこそ非常にクィアな映画である。