2020年 9月19日 山形県尾花沢市の芭蕉・清風歴史資料館

2020年10月14日
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山形県
大石田町の最上川千本だんごで,だんごと豆腐を購入して,今度は尾花沢市にある「芭蕉・清風歴史資料館」へと参りました。



江戸時代の俳人 松尾芭蕉は奥の細道で,平泉を訪問して後,関所の厳しい詮議やら,悪天候の足止めやら,山賊が出るという昼でも暗いという山刀伐峠を越えてようやく尾花沢にたどり着きます。
そこまで大変な思いをして,この地に立ち寄ったのは江戸で親交が深かった鈴木清風の家があったからなのです。
鈴木清風について尾花沢市のHPからコピペします。

鈴木清風は、芭蕉とも親交のあった俳人であるが、本業は「島田屋」という商家の三代目で”紅花大尽”と呼ばれる程の豪商でもあった。元禄11年の夏、紅花の商いに江戸に上った清風を、江戸の商人たちは、清風を田舎商人と甘く見て”不買同盟”を結んで妨害した。それに対し清風は智略でこれを突破、三万両の利益を得た。「尋常の商売で得た金ではない、きれいさっぱり使い切る。」と言って、吉原の大門を3日3晩閉め切って遊女達に休養を与えた-----。と言う豪気な逸話等が残されている。

化粧品の材料になる稀少な紅花を扱っていたのですね。
芭蕉は清風の家に立ち寄り,10日間にも及ぶ長逗留をします。
忙しい清風に慮ってか,近くのお寺を拠り所にしていたようです。
でもよほど居心地が良かったのかこんな句を残しています。
「涼しさを我宿にしてねまる也」
「ねまる」というのは座る,くつろぐという意味があります。
厳しい旅を続けるためには強靱な体力と精神力が必要でしょうから,よほどここは心地良く鋭気を養えたのかもしれませんね。

尾花沢市ではその鈴木清風の自宅が保存され,芭蕉・清風歴史資料館として開放されています。
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奥の細道についての行程や立ち寄った場所,詠んだ俳句など様々な資料があります。
最上町から尾花沢市に抜ける途中にあった難所,山刀伐峠(なたぎりとうげ)についての解説もありました。
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尾花沢市では民芸品としてジオラマ風に仕立てる豆人形というのがあって,奥の細道を表現した展示がありました。
ジオラマといってもリアルとは違った箱庭風の表現で面白いです。
撮影できるのは土間の部分のみということで,座敷の所は撮影できなかったのですが,この日は近辺で発見された経塚の展示をしていました。
他に鈴木家で代々使われた家具や大福帳など,往時を偲ばせる物が多数展示されています。
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受付の方が大変親切で今日はあそこでイベントがあるとか,尾花沢の見所をいろいろ教えてくれ,パンフレットまでいただきました。
こんな人情味のある温かい土地柄が芭蕉を長逗留させたのでしょうねぇ(^^*)
withコロナの時代ではありますが,感染予防とソーシャルディスタンスはとっても,工夫すれば温かいコミュニケーションがとれるのですね。

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次に参ります~
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Snufkin
Posted by Snufkin
ご訪問ありがとうございます。
気に入ったところは何度でも行っちゃうんです。
どうぞよろしくお願いします。

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