幼なじみヒロインは永遠に負けフラグを背負っててください

強いゆえに弱い、幼なじみヒロイン


一体いつから───────幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた? - 藤四郎のひつまぶし
を読んで、思ったこと――というより、多分に僕の好みと、そのむりやりな理由付け――を書き連ねてみる。

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『ふたつのスピカ』は、僕の心の最も柔らかいところに触れてきて、何度読んでも涙が止まらなくなるのだけど(今こうして思い出しながら文字打ってるだけで泣きそうになってる、というか泣いてる)、最初からわかりきっていたものの唯一…、唯一不満だったのが、アスミは幼なじみの府中野とひっつくだろうことが暗示されていることだった。まあ、登場人物的にアスミとひっつけそうなのは、最後は府中野しかいなかったんで、しょうがないといえば、しょうがないんだけど。

『宙のまにまに』は、プロットも登場人物も魅力的で、自分のやまなしオチなし意味なしの青春と対比させつつニマニマしていた(『まにまに』だけにね)のだけれど、最終巻だけは読んでいない。どうせ朔ちゃんときたら、最後は幼なじみの年増センパイとひっついちゃうんだろ?姫は振っちゃうんだろ?と予想できてしまったから。

『君と僕。』は、青春というモラトリアムを、時にふんわりと、時にちくっと刺すように描写した佳作だと思うけれど、途中で読むのをやめてしまった。メリーちゃんの、春への恋心は、春を含めた幼なじみグループの、子どものころから培ってきた厚く硬いバリアを打ち破れず、どうも同じく部外者の千鶴*1とひっついてしまうだろうことが予想できてしまったから。

3作品とも共通しているのは、主人公と幼なじみという、設定上与えられた強いつながりに、外から来た人間は敗北していること。
つまり、幼なじみというポジションは、前提として、強すぎるのだ。
その強すぎるキャラクターが、ワンサイドゲームで勝利する――。端的にいえば、「幼なじみヒロインと主人公がひっついてしまう」ことの本質はここではないだろうか。

スポーツ物でも、強豪チームと弱小チーム(それも、奇策を繰り出してくるわけでなく、普通に弱いチーム)が戦い、普通に弱小チームが負ける試合は、適当に端折られてしまうのが常だ。なぜなら、盛り上がらないから。つまらないから。
このことを置き換えれば、幼なじみが負けフラグになりやすい理由は一目瞭然。誤解を恐れずにいうと、幼なじみと主人公がひっつくというストーリーは、話の着地点としてちっとも盛り上がらないからだ。
もちろん、恋愛だけが話の推進力ではないし、たとえさまざまな起伏や障害を用意し、そこで右往左往する登場人物の描写を楽しむこともできる。しかし、最終的な着地点だけでいえば「あー、そうだよね、そうなるよね」という感じで終わってしまい、作者としてもオイシくないのだ。

それに――。
僕には「仲のいい、異性の幼なじみ」なんてものが存在しないので、よりそう感じるんだけど、なんていうか、「仲のいい幼なじみヒロインとひっつく」ってシチュエーション、外にいる人間からしたらノーチャンスすぎるよね。とりつく島もないというか。夢も希望もないというか。
「ショートカットがよく似合う、好奇心強げなまん丸の目がチャームポイントの、かなり真面目でちょっとおちゃめな学級委員長に恋をしたら、彼女にはずっと一緒の学校に通っている、家が隣同士の幼なじみがいて、時々ケンカしながらも基本的にはイチャイチャ、ラブラブでした」って、ケンカ売ってるとしか思えない。

だから、幼なじみヒロインは永遠に負けフラグを背負っててください。

『ななか6/17』に見る「幼なじみヒロイン」の負けっぷり

以下は余談みたいなものである。

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一方で、幼なじみという属性を持たないヒロインは、特に幼なじみヒロインがいる場合に顕著だが、作者から与えられたポジションの不利を覆すべく、努力する。持たざる者の意地と矜持をかけて。けなげに。痛々しいまでに。
その姿は、時に読者のみならず、作者の心まで動かしてしまう。そして、その最たる例が、『ななか6/17』である。

詳しくは天元突破!雨宮ゆり子!を読んでいただくのが手っ取り早いし、面白いのだが、「幼なじみのメインヒロイン」霧里七華に、「持たざるサブヒロイン」雨宮さんが勝利してしまうのだ*2。

僕の勝手な想像だが、作者の八神健という人は、本当に「いい人」なのだと思う。『密・リターンズ』でもそうだったけれど、いい人ゆえ、優しい人ゆえ、本当の悪人を描けないし、努力しているキャラクターは報わせてあげたいと願ってしまう(それゆえに、「勧善懲悪」的な物語の推進力を生み出すことができず、途中で失速してしまいがちなんだけど)。


そんな八神健だからこそ、稔二を振り向かせるために、時にみっともないまでに努力する「持たざる者」雨宮さんを報わせてあげたくなった。約束されていた「幼なじみヒロイン」の勝利の旗を奪い取ってまで――。

『ななか6/17』において、メインヒロインの霧里七華が歴史的敗北を喫した理由は、一つに作者の性格が深く関与していたと確信しているけれど、そのように筆を滑らせた背景には「幼なじみヒロイン」という構造的な強さと、その裏返しの弱さがあったからではないだろうか。

おわりに

ただし、ここでいう「幼なじみヒロイン」の弱さとか永遠に負けフラグを背負っててくださいというのは、あくまで一本道の物語である漫画や小説などの話であり、フラグさえ立てればよりどりみどり食べ放題のギャルゲーはまた別である。

僕はたぶん、ギャルゲーは『トゥルー・ラブストーリー』しかやったことがないはずだけど――、水谷さんや天野さんも好きだけど、やっぱり広瀬さんが最高です。僕も広瀬さんみたいな幼なじみと一緒に下校して気の利かない会話を続けながら金にあかせて購入したプレゼントを好みなどお構いなしに貢ぎまくり公園で拾ったヘビの抜け殻をラッピングして渡して嫌な顔をされた挙げ句おもむろに手を握って「えっ…!?」とか驚かれて逃げ出されたかった。

*1:一応、幼少時に浅羽兄弟と関わりがあったという設定らしいけれど、「幼なじみ」ではない

*2:雨宮さんにも、「幼稚園児のころ、いじめられていたところを稔二に助けてもらった」という設定があるのだけど、「幼"なじみ"」ではない