「ラノベ」の認識


ゼロ年代電撃文庫の隆盛の時代、専門店の平台を舞台に出版・流通・読者の三位一体ラノベシステムが成立し一種の確変状態となり数多くの作品を生み出してきた。
そのころはラノベラノベレーベル(電撃、富士見F、MFJ、靴、GA、ファミ通、それにHJや一迅社など)プラス西尾維新という状態だった。



オンライン小説の隆盛と「ライト文芸」の成立で「ライトノベルレーベル」の独自性は失われ、プレゼンスは低下しているが「オンライン小説」出版レーベルは活発に作品を刊行しており、割と一般的にこれも「ラノベ」と呼ばれている。


ライトノベルレーベル」自体はオンライン小説の刊行でそれなりの規模は維持しているようだ。
しかし、「ライトノベルレーベル書下ろし小説」という極めて狭い意味でのラノベは縮小し、電撃文庫の奮闘にもかかわらず新人賞作品はアニメ化まではこぎつけても「覇権を取る」に至ってはいない。「若い人向けの、マンガアニメゲームの想像力を活用した小説」全体から見ると大分縮小している、そんな認識。
ただ、新人賞などからデビューし文庫書下ろしで活躍した作家もライト文芸に以降したりゲームのシナリオ書いたりなろう!で連載しアニメ化したりと「ライトノベルレーベル書下ろし」というシステム自体に拘る必要はどんなもんだろう。