"劇場版 Fate/kaleid linerプリズマ☆イリヤ 雪下の誓い"を見に行った。
イリヤが出てこね〜
この感覚、
いつになったら杉下右京が出てくるのかと思っていたら、十数秒紅茶飲んでいただけの
"相棒シリーズ X DAY"とか、
いつになったらSWORDの連中、山王連合会・白ラスカル・鬼邪高校・RB・達磨一家が出てくるのかと思っていたら、雨宮三兄弟以外はチョイ役だった
"HiGH&LOW THE RED RAIN"みたいな印象であった。
話とするとまあ、プリヤのスタート地点に繋がる、UBWってところ。Fate S/NのUBWは、凛と士郎の話で、そんで結構長いんだけど、映画の視聴者はそれ知ってて当然とばかりにダイジェスト版を製作した感じ。
複雑怪奇な英霊システムは、UBWで明かされるアーチャーの正体を実現するためのもので、あと、「枠」と「中身」の分離は、スピンオフとかゲーム制作に大いに役立ったと思うんだけど、それはそれとして、それをプレイヤーに納得させるために、"Fate" 終了後にUBWをプレイさせる構成になっていて、初見だと厳しいかも?
さて、この話の転回点は「正義の味方」を目指し、一度は世界の救済と引き換えに妹を生贄にする切嗣に従った士郎が、妹を選び、「それを悪だというのなら、俺は悪で良い」と言い切るところだろう。この開き直りで印象に残っているのが、"Die Energie 5.2☆11.8"である(またかよ)。少なくない作品で、主人公は「世界か、愛する人か」という究極の選択を迫られ、そして、「愛する人」を選び、最終的にその選択は作品によって支持され、読者によって支持される。"コンピュータ・テラ"を停止させたキース・アニアンだか、ジョミー・マーキス・シンだかを、「天災を巻き起こし沢山の人を死なせた!」と避難する感想を見たことがない。が。
テロリスト、袂を分かった元従業員たち、環境保護活動家、顔の見えないただ電気を喰らうだけの群衆。物語終盤でルドルフは吐き出すように口にする。「彼らは犠牲者だった。その立場にいれば、何をしても許される」。そして彼は最後に断言する。「俺は加害者でいい。ただの加害者でいい」。
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/book/book02.html
これは結構非難を浴びていたな。