日本でブスに生まれてくるってキツい
今回は容姿の話です。容姿の話しかしません。いつもどおり私の主観でしかものは言いませんので、ご興味が無い方はいますぐこの記事を閉じてください。「気分を害するだろうな」と思うものをわざわざご自身の貴重な時間を使って読まなくていいです。ご自分のために。
また、「結局何が言いたかったの?」ってなると思うので、それでもいいやという人だけ読み進めてください。
鼻が低いことにコンプレックスがある友達
さて、私は残念なことに広島に住んでいる訳ですが(福岡が死ぬほど恋しい)(銀ダラみりん定食たべたい)、広島にはびっくりするほど友達がいません。1人しかいません。彼女は広島の昼職で同じポジションとして働いていて、同い年で、コミュニケーションスタイルが似ていて仲良くなりました。
けれど、私達のバックグラウンドは全く逆です。私がアメリカと日本のハーフでカリフォルニアでの在住歴があるのに対し、彼女は純広島産でパスポートを持っておらず、日本を出たことすらありません。
そんな彼女と先日飲みに行けたのです!
一軒目のパブで彼女は「英会話勉強したいな〜!旅行とか行けて、新しいものたくさん見れて、色んな人と出会えて楽しいやろうなと思う!」と言っていました。
パブにいる外国人客が目に入った彼女がふと「あー外人さんって良いな〜。私もほんまに鼻が高い方がよかったわ〜」と言いました。私は日本人にそう言われるのに慣れていたので受け流すこともできたのですが、広島で唯一の友人なので話をすることにしました。
「結局それって無いものねだりなんよ。背がめっちゃ高い人が低い方がいいって言ったり、逆に低い人がもっと身長高い方がいいっていうのと一緒で。やけんね、逆に、いいなあって思いよる外国人の人たちからしたら、アジア人の鼻の方が可愛くて、そんぐらい小さくしたいって思う人もおると思うよ」
そうすると彼女は「え!?うそじゃ!」と心底驚いた様子で、私はそれを見て逆に驚いたくらいでした。
二軒目には、以前私のアメリカ人のパートナーに連れて行ってもらったことがある外国人客の方が日本人客より多いバーを選びました。
そこで早速サンディエゴから来ているという二人組のアメリカ人男性と仲良くなりました。
そこでまたふと彼女が「いいなあ、鼻高い方がいいなあ。だって私のあだ名ヴォルデモートやったんよ!?整形したいわ〜」と笑いました。私もまた「ひっどいなそれは。ないものねだりやって。聞いてみたら分かるよ。まあでも私も整形したいけどね」と笑って返しました。
そこでアメリカ人男性二人組に彼女が言っていることを説明しました。彼女は自分の低い鼻がコンプレックスで、あなたたちのような高い鼻が羨ましくて、整形したいとすら思っていると。そうすると彼らは全力で表情筋を使い、身振り手振りでワーッと反論し始めました。
「なんで日本人の女の子はいっつもそんなこと言うの!?」
「ねえその鼻めちゃくちゃ可愛いよ分かってる!?」
「アメリカの鼻が俺みたいに大きい奴がどれだけその小さい鼻に憧れるか考えたことないでしょ!」
「もう全部が美しい!鼻とかじゃなくて顔面!顔面がセットで美しいよ!」
彼らが言っていることを彼女に通訳すると、彼女は「えー!素直に嬉しい!こういうこと言ってくれる人が周りにずっとおってくれたらいいのになー」と満面の笑顔で言いました。
うわあ、胸が痛くなるってこういうことか?と思いました。
ブスいじりは日本だけ?
アメリカに容姿を馬鹿にするような風潮が無いとは言いません。日本だけがこうなんだとも言いません。わりとどこに行っても容姿を馬鹿にする人たちは一定数います。
ただ、日本にはありのままを素敵だと言ってくれる人が少ないとは思います。そして容姿を馬鹿にすることがテレビ等のメディアでも良しとされてきました。最近は芸人さんなどテレビで活躍する人たちも「ブスいじりはもうウケない」と分かってきているようでなによりですが、そもそもアメリカであればテレビでブスいじりなんかした日には大炎上で、そんなことをした人は職を追われることになるでしょう。人の容姿についてコメントをすることは、それだけ品がないことということです。
こういった文化差は確かにそこにあり、それは事実で間違いないと私は思っています。
「ブス!」って言ってる側の方が、いやそれで言うたら自分もブスなんやないんか?みたいな顔してる時なんてザラで、いったい何が基準で、何が貶す側と貶される側を分けているんだ?といつも感じるんです。力のある人間が人をブスだと貶すこと、私も小さい頃は一緒に笑っていたのですが、歳をとるにつれて全く分からなくなりました。
大衆的な美人の基準に合わないだけで、こんなに人にコンプレックスを与えてしまう。悲しい。産まれた時からずっとそんな環境が当たり前で、不思議に思ったことすらない。私も日本育ちなので、こんなことを書いておきながら未だにそこそこの整形願望は捨てきれずにいます。
整形は自分のためだし、自分が好きな顔に近づきたいだけ。ほとんどの人がそう言うと思います。私もそうです。ただ、その「好き」ってどこからできたんだろう?と考えた時に、それは社会で生きていく中で植え付けられた大衆的な美の基準にどこかで従っているんだろうなと思うのです。
複雑ですよね。
容姿をイジらないのは簡単
最近日本で良しとされていたことが、次から次へとタブーであったこと明るみに出始め、日本社会にも伝わり始めました。「こんなんじゃ何も言えないじゃん」という人たちもいます。実はアメリカにもこういった感覚を持つ人は一定数いますし(Twitterでちょろって検索かければわんさか出てきます)、私も同じことを思うことがあります。
ただ、容姿についてコメントしないってそんなに難しいでしょうか?きちんとコミュニケーションを取れる人であれば、容姿について言及しないなんて簡単ですよね?
(ちなみに、別の記事でも言及しましたが、「背が高いね」「痩せてるね」「顔が小さいね」といった言葉も、日本を出れば褒め言葉にはならないことも多いです。)
確かに社会の中で決まっている「この人は美しい」「こういう顔は美しい」という基準に従って自分の美の基準を定めてもいいとは思います。どんな見た目が美しいと感じるのかを決めるのは自分だからです。
けれど、その他を貶す必要はありますか?私はそんなことをする意味は一切無いと思います。自分が美しいと思わないもの、特に産まれ持った顔を貶す人の方こそ私は醜い心の持ち主だと思います。
美しさってなんなの?
これも別の記事でメンションしたことがあるかもしれませんが、中身の美しさや自分磨きの結果って、その人の外面に出ると思うんです。見た目で重要なのは清潔感と溢れ出る自信であって、その他の人と違うところはすべて素敵な個性だと私は思います。
ファッションはまた別次元の話になるのでここでは触れませんが・・・。
結局どうすればいいの?
私の言っていることに矛盾を感じる人がいるかもしれません。それは、この問題には正解がないからです。
少なくとも、私は今回友人の様子を見ていて、容姿でもなんでも、褒めるところは褒めてイジッたりしないということを日本でも幼少期から家庭でしていってほしいなと強く思いました。
見た目をからかう必要性はどこにもないし、よくよく考えればそんなことをして本当に幸福感を得られると思う人はごく少数だと思います。人が傷つくようなことをしておいて「大丈夫こんなことで傷つかないでしょブスはブスだし」と笑うことの方が醜いです。他にも一緒に笑えることはたくさんあります。
これから日本を出たことのない日本人も、価値観がグイグイと変えられることと思いますが、これは悪い変化なのではなく、人を傷つけないように変化していっているのだと多くの人に早く気付いてほしいと願っています。
記事への直接のコメントにはお返事できませんので、ご意見ご感想ディスはこちらまで。
Phie Hardison (@phie_hardison) | Twitter
日常はこちら
Phie Hardison (@phie_hardison) • Instagram photos and videos
ご連絡はこちら
phiehardison@gmail.com
血迷った結果はこちら