大きな文脈を共有して、文脈読みができないとその場のせつなだけになってしまう。

レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)

僕のブログは長文だし、話が飛ぶので読みにくいし、コツコツ読んでいないと、さっぱりわからないかもしれないので、その代わりといってはなんですが、ラジオやオフ会、twitter、必須図書の指定(笑)などとなるべく、長く読んでいると大きな文脈を共有できるように書いています。

・・・いや、書いているというよりは、僕がストレスなく、低いコストで口語体でだらだら思考を書く形式でないと、そもそもブログが続けられないので、こう書くしかないんですが、、、、、。なので、大きな文脈を共有できるようにフレームワークのやキーワードの提供をしています。ほんとうは、オフ会でやったような、数時間ぶっ通しての講義形式で、系譜の流れなどを共有できると相当わかりやすくなるのですが、、、まだ、ここは人数限定になっているので、なかなか公開できる形式ではないですね。どっかで、youtubeとかにでもあげれたらなーとか思っているのですが・・・。ラジオの仕組みがもう少し進化したら、そういうのもできるようになるのではないかな、と思っています。

ここ最近でペトロニウスさんから必読書として挙げられているのは、藻谷浩介『里山資本主義』、『デフレの正体』、佐々木俊尚『レイヤー化する世界』、ちきりん『未来の働き方を考えよう』、大泉啓一郎『老いてゆくアジア』、リンダ・グラットン『ワーク・シフト』あたり。


 ぼくはまだ全部は読んでいません。一日あれば読める程度の冊数なんですけれどね。どうも読書量が減っていていかん。


 ここにラノベの『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』最新刊、映画の『ダークナイト』、『ダークナイト・ライジング』、アニメの『翠星のガルガンティア』、『はたらく魔王さま!』あたりを加えると文脈的にいま消化しておかなければならない作品を網羅したことになるかな。http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar324103
海燕のゆるオタ残念教養講座
インプットとアウトプットの正しいバランスとは。(1830文字)

海燕さんがブロマガで上げているのですが、このへんが最近、読みやすくて(=読む敷居がそれほど高くない)かつ物語三昧の思考履歴のキーとなる本ですので、ぜひとも読んでおいてください。逆に読んでいないと、全く説明していないので、何いっているかわからなくなると思います。どれも、個人的に中学か高校生ぐらいであればがんばれば十分読める本だと(新書だし)思うし、大学から社会人くらいだと一冊2−3時間で読めないとちょっと知的にはやばいじゃないの?というレベルなので、お薦めです。そして、それでいて、物凄く濃く未来を予測している。


この「文脈を読む」というのは、凄い重要なスキルです。


というのは、知恵がないとか頭が悪いと言われるのは、たいてい、この文脈が理解できていない時に言われるものなので、常に相手がいっていることを聞いたときどのような背景文脈があるのか?という相手の視点に立って話を聞かないと、相手から「ああ、こいつは何もわかっていないんだ」と評価されるようになります。同時に、自分が何かをしゃべるときに、大きな文脈背景を構築していないと、ただその場その場をせつな的に反射しているコメントだと思われて、飽きられて消費されて、興味を失われます。つーか、そういう人は、話が凄くつまらない。


また、上記の僕のめんどくさい仕掛けを考えれば、背景文脈というのは、非常に伝わりずらいものである、というのをわかると思います。僕はコミュニケーションコストと呼んでいますが、相手と大きな文脈を共有するのは、物凄いコストがかかる作業なのです。なので、それを非常にやりやすくしてくれている仕組みとして、Facebook、twitter、Lineなどのインターネットを利用した情報テクノロジーツールの変化は、非常に役に立ちます。


既読確認がプレッシャー?「LINE疲れ」の若者に物申す
http://kawazoezoe.com/evernote-rules.html?fb_ref=recommendations-bar


と思っていたところで、この記事を読んで、、、この通信テクノロジーの新しいものの広がりには定型のような記事(イケダさんのではなくその前のヤツ)なんですが、僕はスキマ時間ばかりの利用ではありますが、相当のヘビーユーザーです。毎日1時間以上は不健康です!という。。。。


うーむ、海燕さんらのビオトープ(佐々木俊尚さんの下記の『キュレーションの時代』の)のメンバーと、LINEで四六時中話しているし、余裕があれば記事書いているし、、、ネットは本当にヘビーユーザーです。けど、どうなんだろう?。コミュニケーションに疲れたことって、僕は全然ない。あと、現実の比率のバランスが崩れたこともぜんぜんない。そもそも、ほとんど全く時間がない社蓄人生(ジャパニーズサラリーマン!)なので、むしろこうした効率的に、稀少なメンバーと常時接続できるツールの登場は、ほんとうにありがたい。そもそも、現実が圧倒的すぎて、全然時間ないんだもん。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)


ただ、たしかに、「ただ戯れる」だけだと、時間の無駄かもな?という気はします。


まぁ、コミュニケーションは、目的ではないので、関係性自体を楽しむ「関係」が構築できていないと、ストレスがたまるだけです。ようは、常時接続でいるような人とは、相当仲良く関係性を構築すべきだし…ただだべっているだけでも楽しいようなね、、、。


それが疲れる、というのは、たぶんコミュニケ―ションの距離を、媒体別、目的別、関係性別、コミュニティ別に選別して適切な距離で管理をマネジメントできていないからだろうなーって思うんですよ。


ようは、学校や会社なんかが特徴ですが、別に好きでもない奴と無理やり一緒にいるわけです。そういう、自分が自力で構築して場を選択して選んだ関係性では「ない」、自然発生的なコミュニティーにロイヤリティーを捧げて、がんばって関係性を維持したら、、、しかも、「それ」しかないような狭い世界に生きていたら、こんな常時接続は地獄ですよ(苦笑)。日本社会は、そういう同調圧力の伝統があるので、その制御下のコミュニティとの接続が常時されたら、地獄ですよ(苦笑)。もちろん、そこまでではないんでしょうが、大事にすべき人と、関係性の維持というか、、、なんというのかなぁ、「世間」のバランスとして、付き合っている人との区別がついていないんじゃないの?って思います。


そして、区別だけつけても駄目。


自分の生きやすいように、場を、コミュニティを、絆を、関係性を、友達をすべてリデザイン(=再構築)し続けて育成していないとダメです。そこは努力が必要ですもん。たぶん、そういう再帰的な意識なく、こういう常時接続メディアなんかに触れようなもんならば、、、しんどいよ、そりゃ。


さて、さらにステップアップする(というか、違う使い方をすると)と、佐々木俊尚さんが、ああブログメディアをよく使っているジャーナリストというか、、、なんというか、まだ定義がないので何とも言い難いですが、彼のメルマガとか、意見とか、いろいろずーっと追っていると、ある期間彼がいろいろ発信し続けて、インタラクティヴに考え続けていることが、定期的に↓こういうような本にまとまるんですよね。かなり時限的なものが多いので、10年後に見直せるかというと、そんなこともない。けれども、時代の半歩1歩先を常に感じられるんですが、これって、間違いなく、ネットでのやり取りのなかかから生まれてきているんだよね。意見を出してその反応を見て、これって、とても目的意識のあるネットの情報の海の使い方だなーと思うんですよね。古き形の記者というよりは、情報のオーガナイザーみたいなものに感じます。編集者的な感じなんだろうけれども、、、、。


ある時代の文脈の最先端を切り取ったりクラウズ(集合的な意識)の部分からやりとしてビオトープを作り上げていくとか、そういうのと絆の構築・・・要は友達などのつながりの形成って、とても関連すると思うんだよね、、、と思う今日この頃。


などなど、テキトーなことを思いました。


キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)