NHKのハーバード白熱教室が面白い! - 知的な面白さという物に飢えている人々は多いじゃないかな〜?

http://www.nhk.or.jp/harvard/about.html

http://athome.harvard.edu/programs/jmr/

Hundreds of students pack Harvard's Sanders Theater for Michael Sandel's "Justice" course—an introduction to moral and political philosophy. They come to hear Sandel lecture about great philosophers of the past—from Aristotle to John Stuart Mill—but also to debate contemporary issues that raise philosophical questions—about individual rights and the claims of community, equality and inequality, morality and law.
Despite the size of the course, Sandel engages students in lively discussion on topics including affirmative action, income distribution, and same-sex marriage, showing that even the most hotly contested issues of the day can be the subject of reasoned moral argument. This film, which contains excerpts of several classes, is part of a project to make this legendary course an educational resource that reaches beyond the Harvard classroom

創立1636年、アメリカ建国よりも古いハーバード大学の歴史上、履修学生の数が最高記録を更新した授業がある。政治哲学のマイケル・サンデル教授の授業「Justice(正義)」である。大学の劇場でもある大教室は、毎回1000人を超える学生がぎっしり埋まる。あまりの人気ぶりにハーバード大学では、授業非公開という原則を覆し、この授業の公開に踏み切った。ハーバード大学の授業が一般の目に触れるのは、史上初めてのことである。

サンデル教授は、私たちが日々の生活の中で直面する難問において、「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と、学生に投げかけ、活発な議論を引き出し、その判断の倫理的正当性を問うていく。マイケル・ジョーダンやビル・ゲイツはその仕事で、すでに社会に貢献しているのになぜ税金を納めなければならないのか。また代理出産、同性愛結婚、人権など最近のアメリカ社会を揺るがす倫理問題も題材となる。絶対的な答えがないこのような問題に、世界から選りすぐられた、さまざまな人種、社会的背景を持った学生が大教室で意見を戦わせる授業は、ソクラテス方式(講義ではなく、教員と学生との闊達な対話で進められる授業形式)の教育の最高の実例と言われている。

世界の若き頭脳たちの堂々たるディベート能力、知的探求心、考える力など、世界最高レベルの知的エリートの能力は、私たちに強烈な知的刺激を与える。さらには、宗教、人種、貧富など複雑に入り組んだアメリカ社会の構図を読み解く糸口にもなる。また副音声による英語放送によって、今のアメリカの生きた英語を学ぶ絶好の教材ともなるはずである。

マイケル・サンデル教授
ハーバード大学の政治哲学の教授であり、1980年から同大学で教鞭をとる。ブランダイス大学卒業後、ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学に学び、博士号取得。1953年生まれ。
個人のバックボーンとなる共同体を重視する共同体主義(コミュニタリアニズム)の中心的論者で、国内外で民主主義、リベラリズム、生命倫理、グローバリズム、正義について講義を行う。2002年から2005年にわたり、大統領生命倫理評議会の委員を務める。2009年には、イギリスでもっとも権威ある公の講義といわれるBBCラジオのリース・レクチャーの講師を務め、『新しいシチズンシップ』のテーマで講演を行った。
著作は11か国語に翻訳されており、主要著書は、『自由主義と正義の限界』(菊池 理夫訳、三嶺書房、1992年)、『リベラリズムと正義の限界』(菊池 理夫訳、勁草書房、2009年)など。最新作は、『Justice: What's the Right Thing to Do? 』(2009年)。

■ハーバード白熱教室が面白い!〜知的な面白さという物に飢えている人々は多い

毎週とても楽しみにしているのですが、ハーバード大学発の授業の公開と言われるマイケル・サンデル教授の政治哲学の授業が最高に面白いです。みんな見ましょう!。こういう素晴らしい番組を見ると、いやーNHKって素晴らしいなーと思います。民法ではなかなか流せないよねーこういうの。

さてさて、大学の授業では、どこのエンターテイメントもこれはかなわないんじゃないか!と思うような、異様に面白い授業が時々生まれて伝説になったりすることがあります。それが、非公開である、というのが時におしくなってしまうような、、、、なぜアーカイブに残さないんだ!と思うような素晴らしい講義というものが時々生まれます。大学生は勉強しないなんていうのがウソのような、大人数の生徒が集まり、物凄い難しいテストにもめげず全力でその授業に取り組む、それも何百人もの生徒が、という現象が起きます。物凄く稀ではあるのですが。

こういうのを体験すると(僕も大学時代に伝説と言われる授業にいくつか出会いましたが、その盛況ぶりは凄まじいものでした)結局は、教師の質によっては、これだけ勉強意欲のある学生は沢山いるのだ、本当の意味で知的な面白さに飢えている人は、この授業でいえば「高級な喜び」を求める人はたくさんいるのだが、「それ」を用意できていないだけなんだ、と思いが頭をよぎります。なぜならば、これほどの質をこなせる教師というのは、実はそれなりに沢山いると思うからです。このマイケルサンデル教授の授業はその好例です。


■複雑で不透明な現代を考える方法を学ぶ

このサンデル教授の授業は「政治哲学」の授業なのですが、もうとんでもなく面白くて、知的に興奮するんです。大学の授業で一番好きだったもののひとつに、経済思想史と政治哲学の授業があったが、それを思い出しました。 何が面白いのか?といえば、この「よくわからない不透明な現代」という時代に、それでもその全体の構造を説明してしまおう、答えの出ない答えに、実践的に答えを出すべく考え続けようという意思を感じるからだと思います。

というのは、大学の授業(僕は経済学部出身です)でアダムスミスの『国富論(諸国民の富)』『道徳感情論』を輪読していた時に、教授が、


「アダムスミスをちゃんと全部読むと面白いだろう?。なぜ面白いのか?------それは、この人が生きた17世紀ごろは、まだ現代に移る少し前の時期で、現在ほど国家や資本主義が複雑怪奇な不透明で巨大なモノになっていなかったからなんだ。だけど、近代を成り立たせるシステムは駆動している。「それ」をおおざっぱに、荒っぽくではあるが、すべてを透明に見渡して全体像を描こうとして、それに何とか成功しているからなんだ。我々は、「いま自分たちがどこに立っているか?」ということが、よくわからない不透明な時代に生きている。不透明というのは、イコール巨大で複雑すぎて全体像が分からないということだ。けど、それを見渡すための大雑把な地図を、見せてくれるんだ。この地図無くして、我々の複雑怪奇な「現代」という物は見渡せない・・・・」

といっていたんですが、政治哲学や社会思想史は、「この」全体像をよく我々に見通すための「地図」をくれるものなんです。

国富論〈1〉 (岩波文庫)
国富論〈1〉 (岩波文庫)

道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)
道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)


ベンサム、ミル、ホッブス、ジョン・ロック、そして現代のノージック、サンデルらの近代国家を成り立たせる「原理」を考察していくのは、素晴らしく楽しい。もういっちょ、それがなぜか?といえば、さまざまな学問の中で、特に、これらの思想家が、マクロの全体像を、描き出して見せよう!、それが我々の身近な日常の疑問点にこたえるための補助線にしよう!というマクロを描く空理空論の理論と、実践的に生きる部分の交わる線が、とても濃厚だからなんだと思う。

特に、ベンサム、ミル、ホッブス、ジョン・ロックは必須で、ジョンロックは、ましてやアメリカ人であれば、そもそもアメリカ建国の絵を描いたのがロックであって彼の理想と理論を実践した国家がアメリカであることを考えれば、アメリカ人としては学ばなければならないものというのはよくわかります。アメリカ人にとっての、基礎教養(=オーソドックス)なんだと思います。翻って、日本人である僕にとっても同じように感じるのは、これらの社会思想が、国家や社会契約といった現代の社会を構成する「仕組み」の根本原理について考えている書物であるからで、言い換えれば、「我々が今生きている社会はなんなのか?、なぜこういうふうであるのか?、これからどこへ行くのか?」といった、人間存在の根本的疑問点に、答えるためのスタート地点だからなんだと思います。「この基礎教養」がないと、近代国家に住む「市民(=シチズン)として、国家と共同体と世界とどうかかわっていくかということが全然分からなくなってしまう。「わからない」ということは、生きることの不毛感とイコールだと僕は思います。

統治二論
統治二論

ちなみに僕のブログでいつも書く「マクロとは何か?」という問いの原点は、こういった社会思想史の考え方がいつもベースにあるような気がします。だって、「我々の生きる社会を描写するのに」道具がそろいまくっているんだもん。芥川龍之介とかがいってた「漠然たる不安」というのは、理性ある我々は、不透明で全体が見渡せないことにフラストレーションがたまってしまうという「本来の性質」に根ざしているんだと思う。まぁだれもが気になることではないかもしれないが、何か人生の壁に当たった時に、こういう世界の仕組みみたいなものを知っていると、いろいろな手掛かりになっていいと思うし、なによりも、少し不安を減らすことができると思うんだよね。



■つまりは公共の物事を語る上での基礎教養!?〜日本人の若者は複雑な抽象概念はエンタメで学ぶとよい!?

倫理とか道徳とか、なんでもいいんですが、どうしてそういう基準があるんですか?という問いを発した時に、そもそも基礎教養としてこの辺の、たとえば自然権由来の「自己所有の原則」とかの概念とか、それに反対する政府による制限の問題(=集合的同意による社会契約とか・・・)によるとかを知らないと、議論にすらならないと思うんですよね。だって、僕らが「いま生きている環境の構造」ってのは、これによって規定されているシステムなんだから。

政治に関わる人や発言する人にとっては、基礎教養すぎて、知らないで発言する人って全く信用できない(そういう議論が巷に溢れすぎている)。・・・とか少し考えると、日本の言論状況っていのは、やっぱり基礎教養が凄く抜け落ちたところで為されるんで、なんだかんーと思ったりもします。まぁ自分もめちゃめちゃ詳しいわけではないので、偉そうに言えないけどねー。公共政策を語る人がこのへんの知識なくしゃべるのは、恥ずかしくないのかな?とか思います。主に政治家とメディアの人。。。こういう概念を、広く、わかりやすく、おもしろくっ!人々に伝える義務がある気がするんですがねー。


あっと、いろんな入門編があるんですが、僕が分かりやすくて面白いなーと思うのは、稲葉振一郎さんの本です。特に下の二つ。このマイケルサンデル先生の授業を聞きながら、下の本を読むとかなり理解が進むと思うんですよね。特に、このブログは、ヲタクのアニメとか物語を分析しているんで、そういう題材があった方がいいとすれば、僕は『ナウシカ解読―ユートピアの臨界』という著作がお薦めです。ロバート・ノージックなどを基調に、漫画版の『風の谷のナウシカ』(これは日本のエンタメ史上の頂点ともいえる大傑作!)や『未来少年コナン』で描かれている思想的な実験が、非常によくわかって、秀逸です。宮崎駿さんは、ウルトラピュアなコミュニスト(笑)なので、思想的な背景がありまくりの人です。それを情念が上回るという狂った人なんですが、こうした背景の問題点が分かると、おおっ!!あれって実はそういう意味なのか!!!と目からうろこが落ちること間違いなしです。無くても面白いんですがねー。

いやーマンガとかアニメなんか!という人はいるでしょうが、僕は、隣接する国境や殺し合いの現実をあまり体験しにくい日本人の若者にとって、物語体験は非常に有用な「現実とのアクセスポイント」の一つであると思うのです。こういった、そもそも殺し合いの現実は極端は貧富の差による須凄まじい差別などが表立っては体験できない(なんと幸運な!)日本人の若者(もう我々と言えない年齢だなー僕は(苦笑))にとって、こうしたギリギリの現実から生まれてきたヨーロッパ・アメリカで練られている「概念」を理解するのに、そういった物語を通すことは、悪いことだとは思いません。アメリカの映画史における教育装置効果を議論するロバートスクラーの議論もあるわけだし。なるべく身近にある「現実」を利用して、さまざまに複雑な概念を理解して、内面に織り込んで基礎教養を高めていくことは、重要なモノだと思います。そこにあるツールは何でも使え!と思います。だって、これが今の日本人の若者の平均的現実なんだもの。

「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)
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ナウシカ解読―ユートピアの臨界
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風の谷のナウシカ 7
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未来少年コナン 1 [DVD]
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アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界
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アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)
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■ツイッターで実況中継?〜参加しないと理解は進まないよ

さてさて、最近僕は、Twitterをかなり楽しんでいますが、たとえば、岡田斗司夫さんが、毎週土曜日にリアルタイムで実況中継?というかなんというか、していますよね。Twitterの楽しみ方って、ustreamもそうだけど、こういうところにあって、インタラクティヴ性が進むので、こういうの探して参加してみたり、自分で主催してみるともっと面白さが広がるともいます。ちなみに、「人と話す」というアウトプットが伴わないと、理解って深くならないもんですよ。ちなみに、ツイッターで毎週ソフトバンクの孫正義さんが、愛する竜馬のNHKドラマを正座してみている実況中継があるんですが(笑)あれとかもおもしろいですよねー。いやーtwitterっていろいろな可能性があります。


■リバタリアニズムVSコミュニリタニアリズム〜現代政治哲学の最先端

えーと、授業は基礎編ですが、主張したいことの核心は、最先端ですよね。だから、コミュリタニズムの旗手として有名なマイケルサンデル教授ですが、現代の根幹をなしているともいえるリバタリアニズムのロバート・ノージックらの見解を、その根本である「自然権」のジョンロックに遡って解説する部分は、たまらない。僕自身も、私有財産の原則(=自己が自己を所有する絶対原則)の自然権の問題はいつも念頭にあることで、それと、再分配の問題の否定(リバタリアンは基本的に課税を否定する)話が、自分の実感と合わなくて、、、、むむんむ、、、と思っていたんですが、ジョンロックの細かい説明でこれを解きほぐしていくくだりは、最高でした。

Justice: What's the Right Thing to Do?
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リベラリズムと正義の限界
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