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本シリーズ記事では、所有している写真用の交換 レンズの発売年代別で対戦を行っている。 前回第2回MF成熟期編では、1984年迄に発売された レンズを紹介したが、今回第3回記事においては 1985年~1992年の期間に発売されたレンズ群 計8本(比較の為、さらに1本追加)での対戦を行う。 この期間は、「αショック」(1985年、MINOLTAが 世界初の実用的AF一眼レフ/システムを発売した) を受けて、各社が一斉に、銀塩一眼レフ、および 交換レンズの「AF化」に追従した時代である。 ただし、残念ながら、AF化が上手くいかなかった カメラメーカーもあり、又、交換レンズも、全てが AF化された訳では無い。 本記事では、この時代のAFレンズ、MFレンズを適宜 混ぜて紹介(対戦)していく事とする。 ---- では、まずは今回最初の、AF初期レンズ。 レンズは、MINOLTA AF Macro 50mm/F2.8 (初期型) (中古購入価格 15,000円) カメラは、SONY α99 (フルサイズ機) 1985年の「αショック」の際に、「α-7000」等と 同時期にラインナップされたと思われる、AF等倍 標準マクロレンズ。 「αショック」においては、α-7000(主力機)や、 同時期のα-9000(上級機)、α-5000(初級機) といった、銀塩AF一眼レフカメラの本体の事ばかりが 取り沙汰される(話題になる)のだが・・ αには、単焦点AFレンズのラインナップがズラりと 揃っていた事が、むしろ当時の実用派ユーザー層の 注目を浴びていたと思われる。 MINOLTAの戦略上では、まだこの時代では単焦点の ラインナップが中心ではあるが、翌1986年迄の間に 20mmから600mmまでの焦点距離を隙間無く揃え、 その中には、AF等倍マクロもあるし、AFサンニッパ (300mm/F2.8)まで存在していた。 「その全てのレンズがAFで使える」とあれば、これは 一般層に限らず、NIKON F3やCANON New F-1を 使っているような職業写真家クラスまでもが、 MINOLTA αに乗り換えても不思議では無い。 (注:1990年代では、NIKON F3やCANON New F-1 は、マニア層やハイアマチュア層の「御用達」の 機材となった。だが1980年代、それらの機種の発売 直後では、そうしたシステムは高価すぎて、業務用途 以外での(アマチュア層の)使用は、まず考えられない という世情だ。ちなみに、1990年代中頃では、逆に 「α」は、不人気カメラとなってしまった・・汗) これらのαレンズの正式型番は「AF・・」であり、 αが、この時点で唯一無二の実用化AFシステムで ある事を、より印象づける名称であろう。 注1:αショック以前、1980年代前半からNIKONや PENTAX等ではAF一眼レフを発売してはいたが、 対応AF交換レンズは、専用品が1~3本しか発売 されておらず、そのAF速度・精度も発展途上で、 消費者層はこれらを「試作機(的)」と見なし 買い控えをした為、そうした初期AF一眼レフは 商業的には成功した訳では無い。 注2:「AF型番」は、そのままの2文字では商標識別力 は無いと思われ、MINOLTAの独占では無い。 だが、他のカメラメーカーでは、MINOLTAと同じ 型番は、まず使えず、それぞれAiAF、EF、F(FA) 等となった。 また、SIGAMA、TAMRON、TOKINA、COSINA 等のレンズメーカー(サードパーティ)では、 この後の1980年代後半からの新規発売レンズが AF動作をする事(AF対応)をアピールしたいが為、 レンズ上に、デカデカと「AF」と記載したものが 極めて多い。 ただしMINOLTAのAF型番がある為、これらのレンズ 型番は、正規に「AFなにがし」とは名乗り難い。 したがって、この時代のサードパーティ製レンズの 正式型番は曖昧であり、レンズ上での表記からは 類推できず、現代では資料も殆ど残っていない為、 不明瞭である状況だ。 (例:SIGMA AF 50mm/F2.8 Macroなのか否か?) さて、そうしたα単焦点ラインナップの中での 本AF50/2.8レンズであるが・・ まず、本レンズ以前に「等倍」の最大撮影倍率を持つ 標準(40~60mm級)マクロは、殆ど存在して いなかった。 MF時代の標準マクロは、そのほぼ全てがレンズ単体 では、最大1/2倍のハーフマクロである。 (注:ベローズ、等倍アダプター、接写リング等の 付属品を用いて撮影倍率を上げる事は行われていた) あえて例外を探せばCONTAX S-Planar T* 60mm/F2.8 (1978年頃? RTSマウントだが西独設計製造) があるとは思う、これは後に国内生産に切り替わり Makro-Planar T* 60/2.8と、ハーフマクロタイプ の60/2.8Cに分化する。 私は銀塩時代にハーフマクロの60/2.8C型を一時期 使用していたが、大柄で、描写傾向が好みではなく コスパが悪く感じ、短期間で譲渡してしまっていた。 S-Planar系を除き、等倍標準マクロは、他に無かった と記憶しているし、ましてやAFの等倍標準マクロは 本AF50/2.8が史上初であろう。 そのように、歴史的価値が高い本レンズではあるが その後の後継レンズ(N型、D型、SONY型。1990年代~ 2000年代)においても、どうやら、光学系は共通の ままで、外装やピントリングの改良等が行われていた のみの模様だ。 そう(光学系変更無し)であれば、「初期型から十分 に完成度が高かった」と見なす事が出来るし、事実、 本レンズにおいては、あまり描写力上の不満を持つ事 が無かった。 おまけに安価である。初期型ならば銀塩時代の終わる 頃には、およそ1万円程度の中古相場で推移し、現代で あれば数千円という価格だ。 (→この為、銀塩時代末期には周囲のビギナー層等に、 MINOLTA α-7(2000年、銀塩AF一眼レフの最高傑作機。 銀塩一眼第29回記事参照)と、本AF50/2.8Macroの セットを推奨した。その数は10セットを超える) 高い描写力で安価な価格、となれば、コスパが極めて 良いと見なせ、旧ブログ「ハイコスパレンズBEST40」 では、堂々の総合1位(優勝)の栄冠を得ている。 本AF50/2.8初期型は、ピントリングの幅が極めて狭い 仕様であるので(注:MINOLTAが、αでAFに移行する事 をアピールする為、意図的にMFを軽視した仕様である) 現代の感覚では、MFの操作性に、やや劣る。 基本的には、本レンズの中古を探すならば、初期型と N型は避け、D型、SONY型の方がMF操作性に優れるだろう。 ただまあ、慣れの要素もあり、個人的には、初期型の 約4mm幅の狭いピントリングでも、あまり不便を感じる 事は無い。 現代ではSONY α Aマウント機は新機種の発売が無く、 (→勿論、α Eマウント機が主軸となった為である) 既に、Aマウントのカメラ本体およびAマウントレンズ も含めて生産完了となってしまっている。 生産完了前、中古市場ではMINOLTA/SONY α Aシステム は不人気で、カメラやレンズの中古相場が下落してたが、 コロナ禍以降、α Aマウント機の中古相場の下落が停止、 および生産完了後では、流通量が激減している。 これは場合により、「投機」、つまり入手困難なものを 買占め、後年に高く売る為の措置かもしれず、中古市場 での流通数や相場等の状況は、要注意(要Watch)だ。 (→必要なものを適価で買いそびれると、後年になって 極めて高額な投機的相場になってしまう恐れがある) ---- では、次のレンズ。 レンズは、SIGMA AF ZOOM 75-300mm/F4-5.6 APO (中古購入価格 1,000円)(以下、APO75-300) カメラは、NIKON D70 (APS-C機) 発売年不明。恐らくは、AF最初期の1980年代末か 1990年頃にかけて発売されたAF望遠ズームと思われる。 APO仕様は「アポクロマート」の略であり、異常低 分散ガラス等の特殊硝材を用いて、望遠レンズで良く 発生する「色収差」を低減した設計で、高描写力を 意図した仕様である。 SIGMAの場合、このクラスの普及版望遠ズームでは、 AF初期からデジタル初期に至る20年間程で、APOの 有り無しによる同一仕様の望遠ズームが併売されていた。 APO銘は、一般消費者層において、その意味や効能が わかりにくい名称だ。だから全メーカーがそのAPO銘を 使っていた訳では無く、SIGMAの他は、MINOLTAや、 CONTAX(ツァイス)の一部、LEICAのごく一部、近代の フォクトレンダー、近代の中国製レンズの一部、等の 限られたメーカーでしかAPO銘は使っていない。 他のメーカーのレンズでは、同様に色収差を低減した 高画質仕様であっても、いちいち、レンズ名に「APO」 とは書かない場合も多い状況だ。 (→書いても理解されにくい=付加価値にならない) で、SIGMAの「APO」の実力の程はどうか?と言えば、 私は、1980年代末頃の本APO75-300mm/F4-f5.6 1990年代と思われる、70-300mm/F4-5.6 APO 2005年発売の、70-300mm(D)/F4-5.6 APO DG の時代の異なる3本のAPO望遠ズームを所有していて、 (レンズマニアックス第77回で、これらを紹介) さらに比較研究用に、APO無しの類似スペックの SIGMA製望遠ズームも所有しているのだが・・ APO銘のついた製品は、どの時代のものであっても 描写力上の大きな不満は感じた事が無い。 (注:時代により、AFが遅い等の別の課題はある) まあ、それもその筈、APOの有無で製品ラインナップ を差別化するのであれば、値段の高いAPO版の方は、 ちゃんとユーザーが納得する高性能(高描写力)で ある必然性がある訳だ。相当に気合を入れて性能を 高めておかないと(あるいは異常低分散ガラス等の 高価な部材を使わないと)「APO銘」は見かけ倒しに なってしまうし、他の、より高価なAPO銘レンズの ブランドイメージの低下も招いてしまう。 つまり、APO銘が入っていれば、まず描写力上での 大きな不満は無い事は確かだ。 で、注目するべきは、これらの普及版APO望遠ズーム は、1990年代版までの製品では、現代の中古相場は、 1000~3000円と、それこそ二束三文の、準ジャンク 状態の低価格となっている事だ。 おまけに、APOの有無での中古相場の差も全く無い、 APO銘があろうが、なかろうが、中古店のワゴン等の ジャンクコーナー等に、ひっそりと1000円等の 捨て値の値札シールが貼られて売られている。 これはもう、見つけたら「買い」であろう。 AFが遅いとかなんとかは、MFで使えば何も問題は 無い訳だ。(注:今回の記事での母艦はNIKON D70 2004年。と、かなり古い骨董品を使っているのは、 どうせAF利用が効率的なレンズでは無いからで、 MFでの使用を前提とする為である) まあ、コスパは、まさしく最強レベルであろう。 1点注意点だが、SIGMA製の1980年代~1990年代の レンズの多くは、経年劣化により、後玉表面等に 白いカビのようなものが繁殖し、描写力(逆光耐性 やコントラスト特性)を著しく落としてしまう場合が ある(私の所有レンズでも数本がその状態となった) その場合、後玉の表面だけであれば、自力で清掃する (レンズクリーニング液やレンズペーパー使用)事で 描写力は復活する。しかし、同様の劣化がレンズ内部 で起こっている場合は、レンズを分解清掃しないと ならない。単体レンズならばともかく、貼り合わせの 部分で接着材が劣化しているケースもあるかもしれず、 そうした場合、ユーザーが自力で分解清掃を行う事は 困難であるし、修理に出したら、購入金額(安価だ)を 遥かに超える修理代が必要となるので、それも苦しい。 つまり、レンズ内部劣化は、もう、どうしようも無い 状態となる為、中古レンズ購入時における「見立て /目利き」のスキルが必要となる事と、購入後の保管 状態にも、それなりに注意しなければならない。 そこにさえ注意すれば、SIGMA製APO望遠ズームの 銀塩時代版は、非常に高コスパのレンズとして、 現代においてなお、実用価値は高いであろう。 ---- では、3本目のAF初期レンズ。 レンズは、CANON EF 50mm/F1.8 初期型(Ⅰ型) (中古購入価格 11,000円) カメラは、CANON EOS D30 (APS-C機) 1987年に発売された、銀塩EOS用では初の AF(小口径)標準レンズ。 高性能(高描写力)であり、銀塩MF時代からの 各社の完成度の高い小口径(開放F1.7~F2級) 標準レンズと同等の5群6枚構成を踏襲している。 (注:CANONにおいては、小口径標準レンズで 5群6枚構成を用いたのは、本レンズが初だ) また、MF小口径標準の多くは、大口径(F1.4級) 標準レンズ(=MF一眼レフ用のキットレンズと して主力の製品である)との仕様的差別化で、 最短撮影距離の性能を50~60cm迄に低められて しまっているものが大半ではあるが、本レンズの 発売時点では、CANON EOS用には、F1.4級標準 レンズは存在していなかった為か、本レンズの 最短撮影距離は45cmと、仕様的差別化が無い。 結果、ほぼ理想的なAF小口径標準レンズとなって いて、コスパがかなり良い。 さて、CANON EOS初期(1987年~)においては、 AF化においてMINOLTAの後塵を拝した訳であり・・ (参考:MINOLTA「αショック」の1985年に CANONからもAF初号機「T80」が発売されていた。 しかし、専用のAFレンズが必要であったりと、 前述のように完璧なレンズラインナップを誇った MINOLTA αに対しての勝機は全く無かった。 消費者層からも「またAF試作機か?」と注目されず、 CANONでは、この「T80」を「無かった事」とし、 「黒歴史」として闇に葬り、続くT90(1986年、 現在未所有)では、一旦MFに戻った歴史がある) それから、EOSにおけるマウント変更(旧来のFD系 マウントとは互換性が無い)の課題もあった為、 最初期より、EOS用交換レンズ(EF)はズームレンズ が主体であった。 注1:MINOLTA αが単焦点レンズをズラりと ラインナップした事との差別化戦略だろう。 注2:旧FD系レンズユーザー(単焦点が主体)の マウント変更の不満を緩和する為、ズームを 主体とし、そちらに目を行かせる戦略だ。 そんな訳で、初期EOS用のAF単焦点レンズの発売は 非常に限られていて、1987年時点においては、 EF28/2.8(未所有) EF50/1.8(初期型、本レンズ) EF135/2.8 SOFT(現在未所有) EF300/2.8 L USM(未所有) ・・位しか、存在しなかったかも知れない。 まあその状況であると、本EF50/1.8は、初期EOSの ユーザーで、かつ、それまでの銀塩MF時代での感覚 による「単焦点派」のニーズを満たす、ほぼ唯一の レンズである。初期EOSは、MINOLTA αに追いつく 事が出来るのか?その重責を担ったのが本レンズ であった、と言っても過言では無い。 が、その状況は、勿論CANON側でも把握している。 最初期のEOS機(1987~1989年。EOS 650,EOS 620 EOS 750,EOS 850,EOS 630)は、クラス (ランク)のわかり難い、無味乾燥な型番であり、 安価な標準ズーム(EF35-70/3.5-4.5等)がキット レンズとなっていて、そうであっても、やや高価で あり、加えて、旧来のFDマウントとの互換性も無い (FDレンズが使えない) まあ、あまり人気のあった機種群では無いであろう。 このままでは、αへの追従は難しい状況だ。 だが、1989年には、EOS RTやEOS-1といった、 特殊機や本格的旗艦機が市場に投入された。 (銀塩一眼レフ第14回、同第16回記事参照) まあ、バブル経済期のこの時代には、市場からは 「とにかく凄いモノ」が要望されていた。 この時代(1989年前後)のEFレンズ群では、 EF50mm/F1.0 L USM EF85mm/F1.2 L USM(特殊レンズ第25回記事等) EF200mm/F1.8 L USM EF600mm/F4.0 L USM EF20-35mm/F2.8L ・・等の、化け物じみたスペックを持つ高付加価値型 レンズが勢ぞろいした。(注:殆どが未所有だ。 高価すぎて、まず一般的に入手できるものでは無い。 「ともかく凄いモノ!」が、市場で強く求められた 「バブル時代」の価値感覚そのものであろう・・) だが、特殊あるいは高価な製品ばかりでは、EOSの 市場シェアの向上は難しいと踏んだのか? ここで、 CANONは史上初とも言える「エントリーレンズ戦略」 を実施する。 それについては、続く補足レンズの項目で解説する。 さてここで、次に紹介(対戦)する補足レンズとの 比較の為、レンズをEF50/1.8のままで、母艦を とても古いCANON EOS D30(2000年、APS-C機) から、CANON EOS 8000D (2015年、APS-C機)に 交替する。このシステムで1枚だけ試写しておこう。 では、次のレンズだが、リファレンス(比較用) としての補足だ。 上に挙げたEF50/1.8の、後継型のEF50/1.8Ⅱの そのまたコピー品である。 レンズは、YONGNUO(ヨンヌオ) YN 50mm/F1.8 (中古購入価格 4,000円)(以下、YN50/1.8) カメラは、CANON EOS 8000D (APS-C機) 2014年頃? に発売、国内流通は2017~2018年頃 から始まったと思われる、中国製格安AFレンズ。 中身、あるいは外観は、ほぼEF50/1.8Ⅱ(1990年) であり、両者の差異は、絞り羽根部品(絞り枚数)、 電気通信プロトコルと、記載されたメーカー名 程度でしか無いと思われる。 だが、現代の複雑な電子機器は、そう簡単に真似て コピーをする事は困難な為、何らかの裏事情により、 ほぼ完全に同一の製品が出来たのだろう。 すなわち、CANON EF50/1.8(Ⅰ)、EF50/1.8(Ⅱ)、 そして本YN50/1.8は、全て同一の光学系であり、 それらの描写力も、全てほぼ同等である。 さて、前述のCANONの歴史の続きだが・・ 初期EOS(1987年~1989年)の、市場における ポジションを磐石とし、MINOLTA αに奪われた 市場シェアを奪回する為に、CANONが取った戦略 の1つが、史上初の「エントリーレンズ」である。 「エントリーレンズ」とは、いわば「お試し版」的 な交換レンズであり、安価でかつ高性能である場合 が全てだ。何故ならば、「安価だから」と、それを 購入したユーザーが、その高性能に驚き、メーカー への信頼度や親近感を高めてもらい、ファン層に なってもらう(=囲い込む) 続いて、より高価な 自社の製品を買って貰う為の呼び水となるべき、 戦略的なレンズであるから、高コスパな訳だ。 他の市場分野、あるいは他の時代であれば、常識的 な市場戦略だ。(例:化粧品の試供版、携帯電話の 低廉な導入価格、PCのフリー(機能限定)ソフト、 セキセイインコの飼育キット、等、いくらでもある) でも、カメラ(レンズ)の世界では、前例は無い、 その初のレンズが、CANON EF50mm/F1.8Ⅱ (1990年)である。 このレンズは、外装の簡略化、一部の機能の省略 (例:距離指標なし)、海外生産への移行、等で 徹底的なコストダウンを施し、前述のEF50/1.8(Ⅰ) と同一の光学系ながら、半額以下の定価となった。 (Ⅰ型25,300円→Ⅱ型12,000円+消費税) まあつまり、実売価格では新品1万円以下で買える 格安なエントリーレンズが出来上がった訳だ。 これを「安いから」と言う理由で購入した初級中級 EOSユーザーは、驚きを隠せない 初「安かったから試しに買ってみたが、なんて写り が良いレンズなのだ。この分であれば、Lが付く 高級レンズは、とんでもなく良く写るのでは? よし、お金を貯めて、いつかLレンズを買うぞ」 と、まんまと乗せられてしまい、CANONの市場戦略は 見事に成功した。 (注:各社の小口径(F1.8級)標準レンズの描写力 は、ほぼ同等で、かつ、どれも高描写力である。 当時の(現代でもか?)ユーザー層は、単にその 事実(他社製品も同じ)を知らないだけであろう) この「エントリーレンズ」の神通力は、1990年代 を通じて続き、続く2000年代のデジタル時代に なってもなお、EF50/1.8ⅡはEOS初級ユーザー層 において「安くて良く写る」と「神格化」された。 結果、25年間の超ロングセラーレンズとなったの だが・・ 2015年に、CANONはEF50/1.8STMを 新規発売、現代では、それが新世代の一眼レフ用 エントリー標準レンズとなっている(未所有) (参考:2020年には、ミラーレス機用の CANON RF50mm/F1.8 STMも、同じくエントリー レンズ戦略用製品として発売されている) しかし、それと同時期に、EF50/1.8Ⅱは、海外の 市場を中心に模造品が出回り(CANONと書いてあり 外観も同一、光学系も同一で殆ど見分けが付かない) CANONも、Web等で、その旨の注意喚起を行った。 さらに数年後の2017年頃となって、今回紹介の YONGNUO YN 50mm/F1.8が、実売6000円弱程度の 安価な価格で、国内市場での流通が始まった訳だ。 これもまた、YONGNUOと書いてある他は、CANONの EF50/1.8Ⅱと、そっくりである。 まあ、その理由は詮索するまい、ここまでの事実を 集約すれば、水面下で何が起こっていたかは、 だいたい想像が付く。 ユーザーとしては、コスパの良い商品(レンズ)を 入手できるのであれば、それで良い訳だ。 (注:YONGNUOのレンズは、カメラ店および量販店 では販売されていない。全てが通販だと思われる。 「何故、カメラ店が取り扱わないのか?」は、その 理由を推測してみると良いであろう) 個人的には、EF50/1.8Ⅱは確かに著名な高コスパ レンズではあるが、マニアック度が皆無なため、 これの入手を躊躇い、3年間しか発売されなかった 初期型を、およそ15年も探してやっと入手した次第 であった。又、本YN50/1.8は、EF50/1.8(系)と、 どこがどう違うのか?の検証(比較研究)の目的で 入手したものである。 まあ、両者は、恐らくは同じルーツのレンズだ、 どちらも良く写り、どちらも安価である。 なんらかの裏事情があったとしても、まあ良いでは ないか・・ という風に、今では考えている。 ---- では、5本目のレンズだが、MFレンズである。 レンズは、TAMRON SP 90mm/F2.5 (Model 52BB) (中古購入価格 20,000円)(以下、SP90/2.5) カメラは、NIKON Df (フルサイズ機) 1988年に発売されたMF中望遠1/2倍マクロレンズ。 著名な「90マクロ」であるが、この時代の製品では、 まだ「MACRO」等の記載は無い。 (注:最大撮影倍率が1/2倍迄なのと、近接撮影に 重点を置いた設計思想のレンズでは無かったので、 「MACRO」とは呼ばなかったと推測される) AF時代に入っても、まだ、MFレンズが新発売される 事は良くあった。 理由の1つは、一眼レフのAF化に、事実上失敗して しまったカメラメーカーもいくつかあり、その ケースでは、1990年代を通じて、MFレンズが (新)発売される事もあった訳だ。 又、サードパーティー製レンズの一部では、MFレンズ として既に実績のあった機種の場合、継続してMFの まま(新)発売される事もあった。 特に、本SP90/2.5の場合は、初代の製品(1979年、 Model 52B。本レンズと同じスペック・光学系)が 人気であり、また、MF撮影が主体となるマクロレンズ でもあったので、なおさらであろう。 さらに言えば、本SP90/2.5は「アダプトール2」仕様 である。つまり、マウントをユーザーが自力交換出来、 各社のMFマウントのカメラで同一のレンズを共用できる。 この時代、まだMF一眼レフを現役で使用するユーザーは 多かった。それと、AF一眼レフ用マウントは、なかなか 複数のマウントでレンズを共有する事は出来ない。 例えば、CANON EOS銀塩一眼レフでは、機械式のマウント アダプターを用い、NIKON Fマウント、PENTAX Kマウント CONTAX Y/C(RTS)マウント等のレンズを装着する事は、 一応可能なのだが、そうした用法ではAFレンズがMFで しか使えない。せっかく世の中(市場)は、一眼レフが AF化した事で盛り上がっているのに、そんな最中に、 わざわざ新鋭のAFレンズを他社機でMFで使う人は居ない だろうし、そもそも、この時代ではマウントアダプター 自体が、殆ど一般的では無かった。(まず売ってない) だからまあ、この時代(AF初期)であったとしても まだまだ本SP90/2.5(MFレンズ)は、アダプトール2 による高いマウント汎用性で、存在意義が十分に あった訳である。 無理にAF化すると、その(AF)マウント専用レンズと なってしまう。せっかくの高い描写力と、市場での 実績と信頼を持つTAMRON 90マクロ(52B系)だ。 MFレンズのままで新発売した事は、今から考えれば 正しい判断だったと思えるし、事実、銀塩時代の 1990年代を通じ、本SP90/2.5は、様々なマウント の銀塩一眼レフに装着し、極めて重宝していた次第だ。 ---- さて、6本目のレンズも、MFレンズである。 レンズは、CONTAX Planar T* 100mm/F2 MMJ (新品購入価格 106,000円)(以下、P100/2) カメラは、CANON EOS 6D (フルサイズ機) 1986年頃に発売された、MF中望遠レンズ。 (参考:本レンズの前期型(AE型)が発売された のは、1980年頃の模様だ) Y/C(ヤシコン、又はRTSとも)マウント版である。 CONTAX機(RTSマウント。1975年~2000年頃)では、 特殊な擬似AF機(CONTAX AX 1996年。銀塩一眼レフ 第20回記事参照)を除き、全てがMF機である。 CONTAX機(RTS機)のAF化が出来なかったのは、京セラ の技術力の問題では無く、その多くは市場側の課題だ。 つまり「CONTAX」(カール・ツァイス)という、 世界に冠たるブランドにおいて、「無闇にそれを 変えるべきでは無い」という考え方が、市場全般 (メーカーにも、流通にも、評論家にも、マニアにも 一般消費者層にも・・ 全て)に蔓延していたからで あろう。 CONTAX機のAF化が見送られた事は残念な話ではあるが、 それほどまでに「CONTAX」や「ツァイス」という名は 「アンタッチャブル」(不可触)な領域であった訳だ。 ・・まあ、そういう訳で、本レンズP100/2(MM)も、 AF時代に突入していながら、依然MFレンズである。 特にそれで違和感は生じないし、1990年代後半での 中古カメラブームの際では、マニア層においては、 「AF一眼レフよりも、MF一眼レフを使う頻度の方が 多いのではなかろうか?」という時代であったので、 CONTAX機(や、OLYMPUS OM機、NIKON F3、 CANON New F-1、PENTAX LX等)がMF機である 事に、皆、何の違和感も感じていなかった。 本P100/2であるが、描写力上の不満は殆ど無い。 個人的には、RTSマウント系のレンズ群の中では (自身の所有範囲において)最も実用的だと思って いるレンズである。 ただ、発売時定価が恐ろしく高価(1990年代で、 17万8,000円+税)であった為、あまり売れて いなかったと見られ、現代に至るまで、中古流通は さほど潤沢ではない。 しかし、幸いにして「投機相場」にはなっていない ので、中古品は「納得がいかないほどに高価」と いう訳では無い。5万円程度までで入手できるので あれば、コスパはさほど悪い状態でも無いと思う。 (追記:近年においては、中古流通は、皆無と言う 程に減少している) ---- さて、7本目のレンズは、AFレンズに戻る。 レンズは、NIKON AiAF (Zoom) NIKKOR ED 80-200mm/F2.8S (中古購入価格 8,000円)(以下、AiAF80-200/2.8) カメラは、NIKON D500(APS-C機) 1988年に発売された開放F値固定型AF望遠ズーム。 今時の初級中級層の俗称で言えば「大三元ズーム」の 元祖のようなレンズであるが・・・ まず第一に、「大三元」という俗語は、開放F2.8固定 の、広角ズーム、標準ズーム、望遠ズームの、全3本を 「コンプリート」(全て所有する)事であって、 個々のF2.8固定ズームを1本だけ持っていても、それを 「大三元」と言う事は出来ない。 (元々の麻雀用語でも、「白發中」の3つの翻牌が全て 刻子で揃って、初めて「大三元」になる訳だ) もう1つ、私は、個人的には現代の開放F2.8固定ズーム は好まない。コスパが悪く、三重苦レンズだからだ。 で、職業写真家層等において、高い被写体汎用性から、 業務撮影において、「大三元ズーム」を使うのであれば なんら問題は無いのだが、ビギナー層においては用途が 無いだろうし、使いこなせないのではなかろうか? さて、現代での状況はともかく、この時代(αショック の1985年~本レンズ発売の1988年)のカメラ(レンズ) 市場について、少し考察してみよう。 MINOLTAの状況(1985~1988年) →前述のように、単焦点中心のラインナップ。 CANONの状況(1987年~1988年) →ズームレンズが中心で、単焦点は少ない。 ただし、そのズームレンズの一部は、MF時代末期 (1980年代前半)の既存のMF(New FD)ズームを、 AF化して焼きなおしたものだ。 個人的には、New FDの時代の望遠ズームの中には 高く評価しているものもあり、またこの時代の EF初期の望遠ズームの中にも、悪くないものも何本か あると認識している。しかし、それらの望遠ズームの 開放F値はF4止まりであり、F2.8級ズームは 広角で一機種しか存在していなかった。 まあ、そういう状況であるから、NIKONとしては、 やや出遅れているAF一眼レフ(NIKON F-501(1986) F-401(1987)、F-801(1988)、F4/F4S(1988)) において、交換レンズ群は、従来のAi(~S)単焦点 レンズをAi AF化するとともに、「ズームレンズの ラインナップに弱点があると思われる他社」への 牽制の意味で、高性能(高付加価値化)ズームレンズ の企画が生じたのだと思われる。 その代表的なものが、他社には無い大口径(F2.8通し) の標準ズームと望遠ズームであろう。 Ai AF (Zoom) NIKKOR 35-70mm/F2.8S (1987年) Ai AF (Zoom) NIKKOR 80-200mm/F2.8S (本レンズ) 本レンズの場合、想定しているユーザー層は、勿論 NIKON F4系旗艦機を使う職業写真家、または上級者層 である。 ただまあ・・ 私もまだF4を動態保存で所有しては いるが(銀塩一眼第15回記事)、F4に本レンズを 装着すると、装備重量は3kg近くとなる(汗) これは重すぎてハンドリングが悪いし、手持ちでの 長時間撮影は無理があるだろう、三脚使用前提での 機動力に欠けるシステムになってしまう。 現代において、本レンズを使う場合には、これは 内蔵モーターを持たないNIKKOR初期のAFレンズで あるから、AF駆動力に優れた上級機~旗艦機級の NIKON製一眼レフを用いるか(例:今回のD500) または、一眼レフ+AFでは、セミオールドレンズ故に 無理があると判断し、任意の軽量ミラーレス機に マウントアダプター経由で装着し、MFに特化した 撮影の方が効率的であろう。 重量が重い(実測 1292g)レンズではあるが、 幸いにしてワンハンド方式であるから、MFでの使用は さほど課題では無い。多少アンバランスすぎる位に カメラ重量が軽量のものを選び、ワンハンド操作系に 重心位置が来るようなものを選べば良いであろう。 (参考:SONY NEX-7 装備重量350g、あたりとの 組み合わせで、レンズ側が約4倍重いが、トータル のバランスは悪くない。ワンハンド機構が重心位置に 来る為、ズーミングとMF操作での負担は少ないのだが、 ただし、絞り環の操作で大幅にバランスが崩れる為、 絞り値は、ほとんどF2.8固定等で使う、といった 工夫が必要だ) まあ、現代において、本レンズを指名買いする必要は 無いであろう、後継の高性能望遠ズームが、いくらでも 発売されているからだ。 私の場合での本レンズの購入目的は、本レンズの発売 当時の市場状況を研究する為の資料機材となっている。 まあつまり、実用用途では無い訳だ・・・ ---- では、次は今回ラストのAF初期レンズ。 レンズは、smc PENTAX-FA ★ 85mm/F1.4 (中古購入価格 43,000円)(以下、FA★85/1.4) カメラは、PENTAX KP (APS-C機) 1992年頃に発売のAF大口径中望遠レンズ。 PENTAXだが、他社と比べて目立たないながらも 銀塩一眼レフのAF化を成功させている。 AF初代のSFシリーズ(1987年~1988年頃)に 続いて発売されたのは、バブル経済期の企画だと 思われるZシリーズ(例:Z-1 1991年、銀塩一眼 第17回記事)であり、これらは高性能(多機能) な機体だ。 そのPENTAX Z-1に合わせて発売されたと 思われるのが、本FA★85/1.4である。 (旧来のF型番レンズだが、Zシリーズにおける 新規プロトコル(例:MTF優先モードへの対応等) により、FA型番となった) FAシリーズの新レンズ群(1992年前後)は、 初期のMINOLTA αと同様に、20mmから600mmまで ズラリと並んだ単焦点AFレンズ群が主力であり 一部のレンズでは、高性能を表す「★」(スター) 印が付与されている(★は、MF末期のA型レンズ より、1980年代前半頃から使われている) 対して、FA初期のズームレンズも機種数が多く、 この時代(1990年代)では各社とも、ズームレンズ の開発を優先していた事が伺える。 ただし、MINOLTAもPENTAXもNIKONも、AF単焦点 レンズのラインナップ数は多いが、良く良く見ると それらは、銀塩MF時代のレンズの光学系をそのまま に、AF化されただけの物も非常に多い。 まあつまり、各社、ズームレンズの方の開発を優先 してしまった訳だし、市場(消費者)が望むものも 高性能な新鋭ズームレンズであったから、単焦点 レンズの改良や新規開発は後回しにされてしまった 訳であろう。だが、それだけ銀塩MF時代の単焦点は 完成度が高かった訳でもあり、ズームがこの時代に 多少進化したところで、実態は、まだまだ単焦点に 描写表現力の優位性があった。 しかし、その後、2000年代に入った時点であっても 各社はカメラのデジタル化やレンズのデジタル対応 を優先し、そこでも単焦点AF(デジタルでも利用可) レンズは、またほったらかしであった。 この時点で、単焦点レンズの設計は、もう30年以上 も昔の物も多々あり、もはや描写力的にも新鋭ズーム に負けてしまっている。 単焦点レンズの改良を各社が行うのは、カメラ市場 が縮退した(→すなわち、レンズも売れなくなった) 2010年代以降の話だ。しかしながら、それは、もう 目新しい新鋭ズームすら発売されていない状況に おいて、単焦点を復興させ、「一周回って新しい」 という消費者ニーズを喚起させる為の施策であろう。 コンピューター光学設計と、非球面レンズや異常低 分散ガラスを贅沢に使った新世代の単焦点レンズは 大きく重く高価な三重苦レンズと化し、その価格は 銀塩AF時代の標準レンズが3~5万円の定価であった のが、新時代の標準レンズでは、10万円~20万円 (あるいはそれ以上)と、数倍の価格まで跳ね上がって しまっている(まあ、高く売りたいから、そうなる訳だ。 もう、安い標準レンズを売っていても誰も儲からない) さて、少し余談が長くなった。 本FA★85/1.4だが、1990年代を通じては、あまり 人気のあるレンズではなかった。何故ならば、この 時代は、前半はバブル経済の崩壊、中期は阪神淡路 大震災による消費の冷え込み、後期は新規APSカメラ や高級コンパクトの人気、そして並行して大規模な 「第一次中古カメラブーム」により、一般的な 新鋭AF一眼レフは、ほぼ全滅(売れていない)状況 であった訳だ。孤軍奮闘していたのは、CANON EOS Kissシリーズ(1993年~)のみであり、後年に 見返しても、この時代(1990年代)に、個人的にも 欲しいと思ったり、現代でなお、大事に保管して いる銀塩AF一眼レフの数は、あまり多くは無い。 (銀塩一眼レフ第14回~第23回、第三世代編) カメラ(銀塩AF一眼レフ)がその調子だったので、 AF交換レンズも、あまり売れていなかった訳だ。 本FA★85/1.4も、まあ悪い性能のレンズでは 無かったのだが、時代の変化により、2000年頃に 「新世代のレンズ」として登場した、超名玉とも 言える「smc PENTAX-FA 77mm/F1.8 Limited」と 置き換わるように姿を消している。 (両者の当時の定価は、いずれも約10万円弱で 同等であったと記憶している) その後、すぐにデジタル時代に入ったのだが、 当初のAPS-C機ばかり(PENTAX *istDシリーズや、 Kシリーズ初期)の状況では、85mmレンズの必要性 は少ない(=世間では、85mmレンズとは、銀塩機 やフルサイズ・デジタル機で人物撮影を行う為の、 いわゆる「ポートレートレンズ」だ、という認識や 思い込みが極めて強いからだ。APS-C機で85mm の画角が得られなければ、あまりそれは売れない) なので、新型の85mmレンズは発売される事は無く、 後年、2009年には本FA★85/1.4を3分の2程度 に「スケール・ダウン」して設計したと思われる 「smc PENTAX-DA★55mm/F1.4」が、「デジタル機 用のFA★85/1.4」として発売されたのだが・・ 消費者層側でAPS-C機を良く思わない風潮(つまり この時代から、「フルサイズ機は良いカメラだ」 という情報がメーカーや市場から繰り返し与えられ そうした認識を植え付けられてしまったからだ) ・・があった為、DA★55/1.4は注目されず、逆に 品薄であった本FA★85/1.4が「投機的相場」に なってしまい、発売時定価を上回る「プレミアム 相場」で売買されるという不条理な状態になった。 ただ、それは「高く売りたいから高額相場とする」 様相もあった為、FA★85/1.4の中古はあまり売れず 相場は年々下落、現代でもやや高値だが、不条理な 程では無い。まあ、PENTAX機そのものが、2010年代 末期においては、殆ど新機種が無く、売れてもいな かった事も理由であっただろう。 2020年にはPENTAXでは約30年ぶりの85mmの新製品 「HD PENTAX-D FA★85mm/F1.4 ED SDM AW」 が発売されたが、定価30万円超えの高付加価値 (=高価すぎる)レンズとなってしまっている。 今となっては、本FA★85/1.4は、オールドレンズ であるし、用途もあまり無い事であろう。 現代のフルサイズPENTAX機(K-1系)を使うユーザー でも、新鋭の85mmの方に興味が向くと思われる。 ただまあ、銀塩時代では、本レンズは各社における 85/1.4級レンズの中では、悪い部類の描写力では なかったし、入手価格もさほど高価ではなかった。 よって、なかなかコスパが良いレンズだったのだ。 まあ、デザイン(外観の意匠)が、30年前の感覚 で大きな違和感があるし、そもそも当時としても あまり良いセンスではなかった、と思われるので、 正直言えば、格好悪くて、あまり外に持ち出したく ないレンズであった事は確かである。 --- 最後に、「AF初期」編での最優秀(優勝)レンズを 独断で決めておく。 同点(暫定)優勝: *MINOLTA AF Macro 50mm/F2.8 *CONTAX Planar T* 100mm/F2 評価: まあ、MINOLTAの標準マクロは、多方面からの 評価においても死角が殆ど無い為、高順位に なるのは当然であろう。 本ブログの他のランキング系記事でも、いつも 高順位をマークしてしまうので、「殿堂入り」 させても良いとは思っている。 Planar100/2は、MFレンズながら、このAF時代に おいても、依然、やはり名玉ではあると思う。 ただ、価格が高価すぎる(すぎた)し、現代での 入手性も、あまり良くないのが大きな課題だ。 でも、30年も前の時代であるから、どのレンズに しても現代での入手性は、あまり高くは無いのは 確かではある。 そして、あまりこの時代に、個人的にも思い入れの 強いレンズはなく「優勝(最優秀)レンズは無し!」 にしようか?とも一瞬考えた位だ・・ ---- では、次回の本シリーズ記事は、 「年代別レンズ選手権~アフターバブル期編」を 予定している。
by pchansblog2
| 2022-08-06 07:40
| 完了:年代別レンズ選手権
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