所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)
の MINOLTA XD(1977年)を紹介する。

装着レンズは、MINOLTA MD Macro ROKKOR 50mm/f3.5
(ミラーレス・マニアックス第7回記事で紹介)
本シリーズでは、例によって紹介銀塩機でのフィルム撮影は
行わず、デジタル実写シミュレータ機を使用する。
今回は、マイクロフォーサーズ・ミラーレス機PANASONIC
DMC-G6(2013年)を使用する。

当時の写真撮影のスタイルやレンズの雰囲気を検証する為には、
シミュレーターは可能な限りフルサイズ機が望ましいと思うが、
いつも同じような機体ばかりでは飽きてしまうし、今回使用の
マクロレンズによる近接撮影においてはレンズ画角の差は
あまり重要では無いのでμ4/3機でも問題は無いであろう。
それに特定の機種ばかり使っているのも良く無い、
できるだけ所有カメラを平均的に使うという意味もある。
以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機XDの機能紹介
写真を交えて記事を進める。
それと、本機の時代(1977年)は、すでにカラーフィルムが
一般的に普及していたであろうから実写はカラーを主とする。
DMC-G6には多彩なフィルムシミュレーション機能やエフェクト、
そして優れたデジタル拡大機能と操作系があるが、それら近年の
デジタル機能を使ってしまうと記事の主旨に沿わなくなる為、
本シリーズ記事では、デジタルズームやエフェクト等の
極端に描写を変えてしまうデジタル機能は使わないようにする。
そして、当時のカラーフィルムは発色が悪いと思われるので、
今回の記事でも、そのような状態に近い設定で写真を撮って
いるが、シリーズ記事が進み、時代が新しくなりフィルムが
進化して行く事に応じ、少しづつシミュレーター機の発色も
高めていく事にする。
それと、MINOLTA MC/MD系レンズはフランジバックが短く、
デジタルにおいては基本的にはミラーレス機でないと使用
できない。

ミンルタのMF一眼レフ「Xシリーズ」に至るまでの歴史に
ついては、本シリーズ第4回「X-1」の記事で詳しく紹介して
いるので、本記事では、そのあたりは割愛する。
さて、Xシリーズは1973年のX-1でミノルタ初の絞り優先
AEを実現したのだが、重厚長大なX-1に対し、一般向けの
カメラとしては、次いでXE(1974年)をリリースした。
このXEは、ライカR3のベースとなったカメラで「感触性能」
が極めて高く、愛用するマニアも多かった機体なのだが、
残念ながら私は所有する機会に恵まれなかった。というか
このXEの前後の時代のXシリーズ機をいくつか所有していた
ので、そこまでは不要であった、とも言える。
私は、コレクター志向ではなく、実際にカメラにフィルムを
入れて撮る実用派だったので、概ね各メーカーの同時代の
シリーズ(つまり同一マウント仕様機)はメイン機とサブ機で、
2機種、あるいは多くても3機種もあれば十分であったのだ。
XEは、小改良によりXEb(1976年)となったが、コストダウン
製品であったので、マニアには人気が無かったと思う。
さて、この時代は、AE(自動露出)化の時代であったが、
電子制御方式のシャッターは技術的実現が難しく、メーカー
によっては、シャッター優先(絞りを自動化)と、絞り優先
(シャッター速度を自動化)の2つの方式が入り乱れていた。
例えば、本シリーズ第3回記事の、KONICA AUTORELFEX T3
(1973年)はシャッター優先機であり、CANON AE-1
(1976年、現在は未所有)もシャッター優先方式であった。
ミノルタは、X-1(1973年)から絞り優先を採用していたが、
このカメラは本シリーズ第4回記事でも書いたが、重厚長大で
高価な「バケモノ的」カメラであった。こういった状況から
この当時のカメラ界やユーザー層においては、
「絞り優先と、シャッター優先と、どちらが優れているか?」
について、真剣に論争が行われていた模様だ。
しかし、その論争自体に意味があったかどうかは、個人的には
大いに疑問である。その事については「デジタル一眼レフ
クラッシック第4回NIKON D70」の記事において、M露出モード
にISO感度が追従する機能方式の説明の予備解説として、詳しく
書いてあるので、興味があれば、そちらを参照されたし。
ただし「結局のところ、そんなのどちらでも良い」という
結論にまとめてあるので、どちらかの方式の優位性を期待
してしまう読者に関しては、当該記事を参照する必要は無い。
まあでも、実際には「絞り優先・シャッター優先論争」は
ほんの数年間で終焉した、その最大の理由は、本機XDの
発売(1977年)である。

本機XDは、世界初の「両優先」AEカメラである。
つまり、絞り優先もシャッター優先も両方搭載していたので、
これまでの論争のように、「どちらが優れているか?」等は、
もう考える必要が無くなったのだ。
なにせ、本機を購入してしまえば、両方入っているので、
好きな方式の方をメインとし、必要に応じて他の方式も
使ってみれば良いだけである。

このトレンド(流行、風潮)は、すぐに他社にも飛び火し、
CANON A-1(1978年、過去所有していが現在未所有)も発売された
事から「絞り優先・シャッター優先論争」は完全に沈黙した。
その後の時代のカメラは、マルチ(露出)モード化が
推進され、今度は絞りもシャッター速度も設定する必要の
無い「プログラム露出化」を、どの機種が実現するか?に
市場の興味の対象は移ってしまっていたのだ。
ちなみに、ニコンにおいては両優先機は当初からは
無かったと思われ、1982年のNIKON FGでの絞り優先に
プログラムAEの追加、そして1983年のNIKON FAでの、
さらにシャッター優先モードの追加など、どちらかと言えば
両優先よりも、絞り優先をベースとしたプログラムAE化が
開発対象だったと思われる。両機種は所有していて気に入って
いた為、銀塩末期まで使用したが、その頃に譲渡してしまった
ので残念ながら現在は未所有だ、もしかすると初期の本ブログ
で紹介していたかも知れないが、詳しくは記憶に無い・・(汗)

さて、本機MINOLTA XDの話に戻るが、両優先に対応するには
これまでのTTL測光方式および絞り優先機能に対応していた
MC(メーター連動)型レンズでは難しい。
つまり、シャッター優先では絞りを電子制御する為、
絞り値を自動とするATUOモード(A位置、EE位置など色々な
表記あり)の絞り値設定が必要になるからだ。
この為、MCレンズは、本機XDの発売と同時にMDロッコール
レンズにリニューアルされた。
MDレンズのDは、Dual、つまり「両優先」を意味する、
本機 XDのDも、同様の意味であろう。
しかし、MDレンズには、他社シャッター優先系レンズのように
AやEEといった絞り位置は無く、レンズの最小絞り値が、
緑色で記載されていて、絞り値をここに合わせて、
露出モードを変えるとシャッター優先露出が実現される。

なお、シャッター優先モード以外では最小絞り値が使えるし、
X-1等の旧来のMCレンズ用の絞り優先カメラに装着時にも
問題無く使える筈なのだが、実際には、X-1とMDレンズとの
組み合わせでは、絞り値の伝達が上手くいかず、測光が開放の
ままで、絞り優先モードが動作しない場合もある。
それと、MDレンズは後年New MDレンズにリニューアルされたが
その話については、また別の記事に譲ろう。
MDレンズで「緑色の指標」に合わせると「自動化する」という
話だが、これを概念的に、さらにわかりやすくする為、本機XD
においては、露出モードダイヤルのシャッター優先モードと
シャッターダイヤルでも、1/125秒などのシンクロ速度を緑色
指標で記載していて、これらの3つの緑色を合わせると、
プログラムAEと同等の露出モードが得られる為、ミノルタでは
これを「グリーン・グリーン・グリーン」システムと呼んでいた。
(注:初期のXDにはシャッター側に緑色指標が無い、よって
「GGGシステム」という呼び名も当初は使われていなかった。
X接点(シンクロ)速度も、初期型と後期型では違うと思う)
なお、このGGGシステムでは、設定した絞り値又はシャッター
速度から意図的に変更するとシャッター優先や絞り優先類似
の露出形態に即時変更できるのだが、これは後年、PENTAXが
推進した「ハイパー操作系」に近い露出概念である。

また、GGGシステムを使わない状態で、絞り優先やシャッター
優先を用いる際、露出連動範囲やカメラの性能を超えた極端な
露出値が得られると、シャッター速度を自動的に調整し、
適正露出が得られるようにしていた。
これを「サイバネーション・システム」とミノルタでは呼び、
先進的な露出安全機構である。
この仕組みは、本機XDより数年後の、マミヤZE-X(1981年)
でも採用され、それは「クロスオーバー・システム」と名づけ
られた。私はZE-Xの所有の方がXDの所有より早かったのと、
マミヤのこのシステムが実に印象的であった為、本ブログの
過去記事では「露出安全機構はマミヤZE-Xが最初」と書いた
事もあったかも知れない。が、本機XDの方が4年程速く同様の
機構を搭載していたので、過去記事に、もしそういう記述が
あったならば、ここで訂正しておく。
しかし、前述のデジタル一眼クラッシックス第4回NIKON D70
の記事中でも述べているが、この時代(1970年代後半)では、
両優先モードを実現していたとしても、使用可能な露出段数
が極めて少なく、特に最高シャッター速度1/1000秒では、
絞り優先では簡単にシャッター速度オーバーとなる。

このあたり、晴天時等での、絞り値、シャッター速度と
フィルム感度の関係については、本シリーズ第一回CANON F-1
の記事中にも書いてあるので興味があれば参照していただきたい
が、まあ簡単に言えば、ISO(ASA)100のフィルムを使って
快晴時には、1/1000秒シャッターでの絞り値はf5.6に相当し、
それ以上絞りを開けようとするとカメラ側のシャッター速度
オーバーとなる。
すなわち、ミノルタの「サイバネーション・システム」で
あろうが、マミヤの「クロスオーバー・システム」であろうが、
最速1/1000秒シャッターでは、日中の絞り値の自由度は極端に
制限されてしまうケースも多々発生する為、あまり有効な
露出安全機構には成り得ないのだ。
この為、f1.4等の大口径レンズを日中使用時においては
できるだけ低感度のフィルムと、ND(減光)フィルターを
併用するのが望ましいが、フィルムの低感度には入手可能な
製品ラインナップの限界があり、加えて、日陰や室内撮影や
日没後等では、低感度フィルムではシャッター速度が遅くなり
手持ち撮影不可となってしまうケースもある。又、NDフィルター
の使用は、当時はあまり一般的では無かった事であろう。

なお、現代のデジタル一眼レフやミラーレス機においても、
主流は1/4000秒シャッターであり、ISO低感度設定の方も
ISO160や200といった風にベース感度が高めな機種も多く、
基本的に日中の使用で絞りを開けるとシャッター速度オーバー
となる状況はあまり改善されていない。
例えば、SONY α7等ではISO50と最高1/8000秒シャッターが
使える為、f2級程度の大口径レンズの使用には耐えうるのだが、
他の機種においては、日中ではNDフィルター(ND4またはND8)
を装着する方が大口径レンズでの絞り値の自由度が高くなり、
望ましい。
それから、NDフィルターの減光度は、一般にはフィルター毎で
固定である。まあ現代では「可変NDフィルター」という光量
調整が自在な便利な製品も存在するが、極めて高価であり、
とても一般的では無い事であろう。

さて、ここで本機XDの仕様(基本性能)について述べておく、
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/1000秒(電子式)
金属フォーカルプレーン縦走り
シャッターダイヤル:倍数系列1段刻み、X,B位置あり
電池切れ等の非常時用に、機械式シャッターの○位置あり
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/100秒 X接点
注、後期型では1/125秒だったか?
ホットシュー:ペンタプリズム上部に固定式で有り
ファインダー:固定式、スプリット・マイクロ式固定スクリーン
アキュートマット方式(初採用)
倍率0.87倍 視野率94%
使用可能レンズ:ミノルタSRマウント MC/MD系
露出制御:絞り優先、シャッター優先、マニュアル、
GGGモード(擬似プログラムAE)
測光方式:TTL中央重点(従来のCLC分割測光方式は廃止)
露出補正:専用ダイヤルあり(±2EV)
露出インジケーター:LED方式、ただし絞り優先時とシャッター
優先時で、露出目盛りを自動切換え
露出メーター電源:SR44 2個使用 (LR44使用可)
電池チェック:シャッターボタンによる
フィルム感度調整:ASA12~3200(1/3段ステップ)
フィルム巻き上げレバー角:130度(分割巻上げ不可)
セルフタイマー:有り(機械式)
本体重量:560g
発売時定価:78,000円

本機XDの長所だが、
まずは、両優先機能を初搭載した点だ。しかし、その事の
技術的な優位点とか、市場での「優先論争」に決着をつけた
事はまあ、作る立場とかマニア間の話なので、ある意味
どうでも良い事であると思う。
ユーザー側から見た最大のメリットだが、擬似プログラムAE化
により、「露出の概念を持たないビギナーでも、一眼レフで
写真が撮れるようになった」という点である。
この為、XDの取扱説明書には「誰もが写せる超自動露出撮影」
という言葉が書かれている。
まあ確かにその通りであり、一眼レフの一般層(初級層)への
普及を推進した、という意味で、本機の意義は大きい。
そして、初級層に対する一眼レフ撮影のもう1つの課題は、
ピント合わせであり、勿論この時代から、各社は一眼レフの
AF化の研究を進めていた。本機XDの発売年と同じ1977年には
コニカより初のAFコンパクト機C35AF(ジャスピンコニカ)
が発売されていて、一眼レフへの技術移転は、もう時間の問題
であった。実際にそれを成功させたのは、ミノルタα-7000
(1985年)であるが、その話はまた、その時代のカメラの
紹介記事に譲ろう。

本機XDでは、さすがにまだAFを搭載する事はできなかった、
しかし、ファインダースクリーンに、本機ではミノルタ初の
「アキュートマット」(先鋭・鮮烈で精密なマット、という
意味の造語だろうか?)を搭載していた。
これは、それまでの一眼レフの暗いスクリーンとは一線を画す
性能のものであり、一説には従来品よりも明るさが50%も
向上したとの事だ。
これにより、MF機ながらピント合わせに対するビギナー層の
負担を少し軽減したと思われ、この点においても、本機XDが
一般ユーザーへの一眼レフの普及を開発・販売コンセプトの
中で重要視しただろう事がうかがえる。
この「アキュートマット」は、後年のミノルタ一眼レフにも
引き継がれ、AF時代のα-9(1998年、いずれ紹介予定)では
AF一眼レフ中、最高のファインダーMF性能を誇るように
まで進化した。またデジタル時代になってもコニカミノルタ
の時代(2000~2005年)を経由し、SONY時代(2006年~)
の初期のαデジタル一眼(α700等)にもアキュートマットの
技術は受け継がれている。
ただし後年のアキュートマットは、明るさを優先するタイプと
ピント合わせのやりやすさを優先するタイプがあり、これらを
ユーザーのカメラ使用目的に合わせて選択して交換できた。
なお、本機XDの時代では、アキュートマットは明るいタイプの
1種類のみであり、かつ本機ではスクリーン交換はできない。

さて、一般ユーザーへの一眼レフの普及には、もう1つ大きな
課題があった。それは一眼レフの重さと大きさであり、
例えば本シリーズ第4回記事のミノルタX-1は(付属品仕様に
よるが)重量が900g前後と、極めて重たいカメラであり、
一般ユーザーが使えるシロモノでは無い。
本機XDの重量は560gと、X-1に比べて2/3程度の重さしか
なく、ビギナー層に向けたカメラの小型軽量化も進行していた。
しかしながら、市場にはすでにOLYMPUS OM-1(1973年)や
PENTAX MX(1976年)といった、小型化に命をかけた機種群が
存在していて、1mmでも小さく、1gでも軽くしようと熾烈な
小型化競争が行われていた為、ミノルタ等の他社においても
小型化を進めざるを得なくなっていた世情もある。
ちなみにPENTAX MXの本体重量は495gであり、相当に軽い。
(OM-1もMXも過去所有していたが、残念ながら現在は未所有
の為、本シリーズ記事では紹介できなかった)

さて、本機XDの弱点であるが、
まずは、システム性の無さ、であろうか。
ファインダー交換が出来ない点等は、まあしかたない、
それは、フラッグシップ機の特性であるからだ。
が、前述のようにスクリーン交換が出来ない事は、利用者に
よってはやや問題となる、つまり本機XDのアキュートマット
は、明るさを優先したタイプであり、MFでのピント合わせには
あまり適さないからだ。
しかし、システム性の無さは、この時代のカメラであれば
前述のように一般ユーザー層への普及を意図した設計である為、
あまりあれこれとオプションパーツを準備したところで、
それらを購入する初級ユーザー層はまず居ない事であろう。
必要なものは、せいぜいが外付けフラッシュ程度であり、
他はカメラ単体のみであらゆる状況に対応できるというのも、
一眼レフの一般層への普及という意味では重要な要素だ。

それから、発売時では問題が無かったが、本機XDが、
電気・電子部品を多用した「電子カメラ」である事が、
後年におけるメインテナンス性について問題が出てくる。
つまり、あまりに長期に使用する際、電気部品等の経年劣化
により故障リスクが増大して行く事と、故障しても、もう対応
部品が無く修理不能になってしまう事だ。
本機XD(1977)は、既に発売後40年を経過した製品であり、
例えば、これを電化製品と見なすと、1970年代には、
カシオミニ(電卓)や、PCの元祖に近い「Apple Ⅱ」(1977)
そして、初代ウォークマン(1979)等があるが、これらの
超クラッシックな製品を今時修理するのは到底不可能だ。
本機XDも故障リスクは常に念頭に置いておく必要がある。
余談だが、本機の翌年1978年に発売されたCANON A-1は、
両優先でコンピューター化された高度な電子カメラである。
しかし、1つだけ不可解な状況が発生する場合があり、
特定の条件で「絞り込み操作」をすると、ファインダー内に
「EEEE EE」というエラー表示が出て(本来ならば、シャッター
速度と絞り値が表示されるLED部)その解除が難しくなる。
また、このA-1のエラーは電源を切っても回復しない為、
「EEEE EE」の表示のまま、中古市場で「故障機」扱いで
安価に取引されていた事があった。
私も1990年代の中古カメラブーム時に、この「故障機」扱い
のA-1を見かけ、安価に入手した事がある(結局A-1が2台に
なってしまった、まあ一種の「ナンピン買い」である・笑)
なお、このエラーからの復帰は、シャッターダイヤル周辺の
多重露出レバーを操作する事で、無事、通常状態に戻る。
だから故障機でも何でも無く、制御ソフトウェアのバグの類
なのだろうが、上級マニアの間では、この復活方法は後に
広く知られてしまった為、A-1の故障機扱いのジャンク品は、
後年では無くなってしまった(残念・笑)

ちなみに、さらに余談だが、本機XDの翌年1978年には
アーケードケームとして「スペース・インベーダー」が登場、
社会現象となるまでの大ブームとなったのだが、
このソフトウェアには、いくつかのバグがあり、そのバグを
逆用する攻略法がマニアにより開発された事で、さらに利用者
層が熱狂してブームが加速した事にも繋がった。
具体的なバグ逆用技法としては「名古屋撃ち」が著名であり、
これはインベーダーが最下段に到達すると、ミサイルが
当たらなくなるバグであり、これを利用して長時間UFOの
登場を待ち、高得点を得るというテクニックだ。
また、上部インベーダーを先に撃ち、下部インベーダーを
残すと、画面の書き換えにバグが出て、インベーダーの軌跡が
残るという「レインボー」が発生する。初期のインベーダーでは、
これは得点には貢献しないが、続編の「インベーダーⅡ」に
おいては、これに成功するとボーナス得点が得られたようだ。
この時代のインベーダーを始めとするアーケードケームの
大人気により、続く1980年代に「家庭でもゲームをやりたい」
というニーズが強く発生、1980年代のパソコンの第一次ブーム
や、1983年発売の任天堂ファミコンの大ヒットに繋がった。
余談はともかく、本機XDでは、そうしたソフトウェア的な
バグや擬似エラーは起こらない。
ただし勿論電子カメラである為、電気的に故障した場合は、
修理は極めて困難(まず不可能)であろうから注意する必要
がある。
修理可能品、という事や、完動品カメラに拘るのであれば、
この時代第二世代のAEカメラ(電子カメラ)は購入や使用を
避け、むしろ以前の第一世代の機械式一眼レフの方が安全
である。それらは電子部品が故障しても露出計のみで留まり
写真撮影を継続する事は可能だし、機械故障であれば
(高価にはなるが)現在でも修理する事は可能であろう。

それから、本機XDには電池切れなどの非常時用に、
シャッターダイヤルを○位置にすると、機械式シャッターが
切れるようになる安全機能がある。これのシャッター速度は
単一で、初期型では1/100秒だが、もしかすると後期型では
1/125秒に上がっていたかも知れない(X接点速度と同じ?)
なお、本機XDは現在でも、まだかろうじて正常動作している。

さて、最後に本機XDの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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MINOLTA XD (1977年)
【基本・付加性能】★★★★
【操作性・操作系】★★★☆
【ファインダー 】★★★☆
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★☆
【マニアック度 】★★☆
【エンジョイ度 】★★☆
【購入時コスパ 】★★★ (中古購入価格:30,000円)
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.2点
概ね好評価である。
両優先を世界初搭載し、基本性能は高いのだが、優等生的で
若干面白味が無く、やや安っぽい作りや感触性能等も標準的で、
評価点にもクセや個性が無くマニアックさに欠けるカメラだ。
本機は知人から購入したもので、価格はまあ、中古相場を
意識して決めたのだが、あまり安価なカメラでは無い。
前記事でのミノルタ機X-1と同様に、歴史的価値は極めて高い
カメラであるが、電子部品が耐用年数をとうに過ぎている為、
壊れたら終わりであると言う点で、現代での実用価値はゼロに
等しく、どちらかと言えばコレクターズアイテム的なカメラだ。
私の場合、デジタル移行時に本機を処分しなかったのは、
その歴史的価値の高さからであり、デジタル時代に入って
からは、本機にフィルムを入れて撮影する事は無かった。

次回記事では、引き続き第二世代の銀塩一眼レフを紹介する。