おじさん世代が「ジェンダー系の話題」に触れるときは、ものすごく慎重にならねばならない

ジェンダーにまつわる話題での炎上がものすごく増えている。

毎日のように新しい話題で炎上し、何かしら大きな怒りが生まれている。

つい先日も、NGTメンバーの暴行事件(?)についてコメントした指原さんに対する松本人志さんのコメントがツイッターで炎上していた。



この騒動はツイッター上で多くの人に拡散され、フジテレビへの抗議運動につながっている。

同じようにNGTに言及したじゅどさんも軽く炎上した。


ちなみに僕のアカウントもNGT事件とは関係ないが、性に関して軽率なツイートをして炎上したことがある。




僕も含め「おじさん世代」の人たちが不用意に発したコメントが人々を怒らせ、炎上につながっている。

この手の炎上傾向は、2017年から2018年頃に大きな話題を呼んだ「#MeToo運動」あたりから、ものすごく強くなってきたように感じる。


これは僕の勝手な想像ではあるが、ゴールデンタイムに放送された「バカ殿」で当たり前のように人々が服を脱いでいた1990年代であれば、松本人志さんの発言がここまで話題になることはなかったと思う。


お茶の間で誰かが怒っていたとしても、その怒りは「他の家庭」には伝わらない。

せいぜい家族みんなで怒るくらいだった。

1990年〜2000年代は「個々人の怒り」が分断されていた時代だったのだ。

松本人志さんが全盛期を過ごしたのはそういう時代だった。



なぜ最近は、これほどまでジェンダーの話題が炎上するようになったのか。


インターネットは怒りの増幅装置として機能する。

ツイッターによってこれまで個人が内に秘めていた怒りは簡単に世に発信できるようになった。

その怒りは「リツイート」という形で多くの人に伝わり、ツイッター上の「怒りの空気」が他の人々の潜在的な怒りをも喚起し、さらなる大きな怒りを呼び、大炎上につながる。

また「怒っている人」はフォロー&フォロワーという絆でつながり、大きな力を作り出しやすい。

テレビから一方的に情報を発信していた時代と違って、「個人のつながり」が力を持つようになった。

その結果、不用意な発言が大きな怒りを生み出し、人々を動かし、とんでもない炎上につながってしまうのだ。


炎上はワイドショーのコメントに限らない。

そごうの元旦新聞広告も「不快な行為のメタファーだ」と炎上していた気がするが、広告を作って発信するクリエイターもジェンダーをテーマにするときは極力注意しなければならない。


おじさん世代は世の中の常識が変わったことを自覚しなければならない

僕は最近まで、「ネットの人はジェンダーの話題に怒り過ぎではないか?」と考えていた。

目の前に現れた何者かに自分が侮辱された場合は大いに怒り、闘うべきだと思う。


しかし、ネットやテレビで発信されている情報はあくまで自分の人生と関係のない他人の話題だ。

それを全部「自分事」として噛みつき、怒るのは精神的にも良くない。

「はいはい、そうですね」で済まされる範囲が極端に狭くなり、とにかく正義を行使しなければ気が済まない人々が増えた結果、ガソリンのように燃えやすい「ネットの空気」が出来上がってしまったのではないかと思っていた。


だがそのような認識は改めなければ、これからの「個人がネットによってつながった時代」を生きていくことはできない。

価値観は変化している。

これからはより一層、ポリティカル・コレクトネスが求められ、差別的な発言をしてしまう人間は、生き残るのが難しくなってくるはずだ。

インターネットの力で簡単に社会的に抹殺されてしまうからだ。


もちろんネットがどんなに炎上しようと、容姿による格差や性差は存在するし、知能は遺伝する。

とはいえ、たとえそれが事実だとしても、「俺が真実を教えてやるぜぇ」的なノリはできるだけ慎み、何かを発信するときは慎重に、エビデンスを元にして伝えなければならない。

主観で差別的な発言をするのはもう許されないのだ。


特にリアルである程度「許される立場」にいる人は注意が必要だ。

たとえば会社である程度の立場にまで出世したおじさん。

偉い人は会社の飲み会で多少不愉快な発言をしても許されることも多い。

松本人志さんは芸能界でいうと会長・島耕作レベルの重鎮だろう。

「ネットの外の世界」で多少パワハラ発言、セクハラ発言をしても誰も咎めることなんてできなかったはずだ。

でもインターネットにはリアルの権力は持ち込めない。

そこに社会的なつながりがないからだ。


同じように、「昔モテていて、ある程度適当な発言をしても許されてきた人」も注意が必要だ。

揺るぎない事実として、10代から20代前半でモテてきた男はものすごく女性に甘やかされて生きてきている。

女の子は優しく、自分のことを特別扱いしてくれて、多少雑に扱っても怒られず、尽くしてくれるものだと思いながら大人になっている。


そんな価値観は、25歳を境に捨てなければならない。

若かりし頃の栄光は帰ってこないし、インターネットの人々は誰も「君が特別だった時代」を知らないのだ。

かつての甘やかされていた頃のノリで不用意に発言してたら、それは当然叩かれる。

ネットの他人はリアルの知人ほど優しくないし、リアルの知人だって20代の価値観をそのまま引きずったおっさんには厳しくなってくるはずだ。


個人が分断されていた1990年代は返ってこない。

怒れる人々はつながっている。


既に「これくらいええやん」が通じない時代になっていることを自覚しなければならない。

そしてツイッターやブログを含めた「他人に見える場所」でジェンダーに関する話題を発するときは、ものすごく慎重に、「言ってはいけない」発言をしていないかをよく考えなければならない。


表現が規制されつつある今の風潮を「つまらない世の中だ」と評価する人もいるが、発信者にとってはむしろ新しい表現を模索するチャンスだろう。

時代は変わっている。



世の中の価値観が変化してきたからこそ、「昔はよかった」と懐かしむのではなく、今の時代に受け入れられる表現方法を模索し、工夫していかなければならない。

そういう意味では、かつて「お笑いの神」と呼ばれた松本人志さんでさえ、現代の価値観の変化に対応できていない。

どんなに偉大な功績を残した人にも、世代交代は等しく訪れるものなのだ。