入試を読む

大学入試の国語の問題をジャンル問わず読書していくブログです

今も昔もマナーは変わらない

2025年も3日が経過しました。

このブログも3回目の投稿になります。

毎日読んだものを記録していく、日記みたいな感じになってきました。

そんな今回は、前回の終わりでも触れましたが古文に挑戦しています。

 

【大学】北海道大学

【年度・期】2024年度・前期

【著書】『土佐日記』

【著者】 紀貫之 氏

 

古文の作家は「氏」ついてると違和感ありますが、リスペクトの度合いは変わらないのでつけておくことにします。

 

高校生の古典の時間に一度は勉強したことがあるであろう『土佐日記』。今回は1月7日の記録を読んでいきます。

 

土佐から都(京都)に帰る旅の途中、大湊というところに滞在します。

そのときにとある大人の人(おそらく男性)が、食べ物の差し入れにきます。

国司様ご一行だったので、こういうこともあったんでしょうか。

ところが、どうやらその男性、食べ物差し入れよりも自分の和歌を詠んで聞かせるのが目的だったようです。男の人が自信満々に詠んだ和歌がこちら…

 

「行く先に立つ白波の音よりもおくれて泣かむわれやまさらむ」

 

「あなたが行く先で立つ白波の音よりもここに残されて泣く私の声は大きいだろう」という意味(間違ってたらごめんなさい!指摘してください。)なんですけど、この歌誰にも返歌してもらえません。

 

なぜかというと、「立つ白波」というのが、これから船旅に出るご一行様に対して使うにはあまりにもマナーがよくないからです。

 

これから船旅する航路では白波が立ってますよー

しかも大きな音がするくらい立ってますよー

 

確かに旅する側からすればむっとなる言いまわしですね。

しかもこの時期、本当は1月2日に出発しようしていたにも関わらず、悪天候などが原因で出発できてない(予定よりも5日も待たされている)中での発言だったので「むっ」レベル高そうですよね。

 

というわけで大人はみんな返歌してあげなかったんですけど、その場に言わせた子ども(多分男の子)が、「ぼくできるよー」と言いいます。

 

周りの大人は面白がって、どう詠むのかを聞くのですが、その時に出た和歌がこちら。

 

「行く人もとまるも袖の涙川みぎはのみこそ濡れまさりけれ」

 

「行く人も留まる人もたくさん涙を流して川のようになっている、その水際だけで私の袖も濡れてしまう」という意味(こっちも違ってたらごめんなさい!)の和歌ですが、これがとても良い和歌で、国司さんが「絶対最初の和歌を詠んだ人(誰も返歌してくれなくて帰っちゃった)に伝えよう!」と言って終わります。

 

大人の人があらかじめ準備してたにも関わらず、無遠慮な和歌を詠んだのに対して、即興で読んだ子どもの和歌は全員の悲しみに寄り添うような素敵な和歌だったんです。

 

相手の状況をよく考えて、適切な言い回しを選ぶ。そんなマナーの大切さは昔も今も変わりませんね。

 

ちなみに男の子の和歌に出て来た「涙川」という表現。涙がたくさん流れて川になるという比喩表現で、今でいうと「滝のような涙」みたいな感じでしょうか。ちょっとした言い回しの違いも面白いですね。