入試を読む

大学入試の国語の問題をジャンル問わず読書していくブログです

音楽の「本来の姿」とは?

昨日の投稿に続いて今回も北海道大学の出題からになります。

 

【大学】北海道大学

【年度・期】2024年度・前期

【著書】『サウンドとメディアの文化資源学 境界線上の音楽』

【著者】 渡辺裕 氏

 

こちらの文章、その道の方なら当然なのかもしれませんが、この年の大学入学共通テストの出題と出展が被ったんですよね。

使われている箇所は違うんですが、こんなこともあるんですね。どっちが先に問題完成してたのか気になります笑

 

投稿のタイトルにもしましたが、音楽の「本来の姿」ってなんだと思いますか?

その音楽がつくられた当時の状態を極限まで再現したものが「本来の姿」だとすると、特定の形を持たない音楽にとっては、どうしても演奏する人や使用する楽器など、たくさんのメディアを媒介させることになります。

そうすると、当時演奏した人を連れてくるのは無理ですし、同じ楽器を同じ奏法で再現するのも至難の業です。

 

「本来の姿」でなくなるような使い方は、その音楽への冒涜だ!みたいな話になってしまうと、もうその音楽は二度と演奏されることはなくなってしまいますね。

 

筆者は「音楽をはじめ、文化というのは時代とともに社会の様々な事情と関わり合いながら変容してくもので、『本来の姿』というものは一つに決められるものではない」と述べています。

 

小学校のころに「ケチャ」というのを音楽の時間で聴いたのが結構今でも思い出に残ってるんですけど、この「ケチャ」というものは本来は宗教的な儀式に使われるものなんだそうです。

「本当は宗教的に大切な儀礼の曲なのに…」という考え方と「音楽としてこれからも残していこう」という考え方。どっちも間違ってはないんだと思います。でも同時には成り立たない。

なので、考え方を「時代とともに変わっていくものだから、こういう見方もあるし、こういう見方もある」みたいにできるときっと音楽をはじめとした芸術作品に対する考え方も豊かになるんだろうなと思いました。

 

2作品読ましてもらいましたけど、こんないい文章どこから探してきてるんでしょう?

 

次回からは古典作品になります。まず読めるのか…不安です笑