銀座の王子ホールで素晴らしいコンサートがあった。今日はこれについて書こう。波多野睦美さんの近代イギリス歌曲の夕べ。ピアノは作曲家でもある野平一郎さんだ。
波多野睦美 歌曲の変容シリーズ 第2回
子守歌のおまじない~ブリテン島からの響き
2006年6月7日 午後7時~
波多野睦美(メゾ・ソプラノ)
野平一郎(ピアノ)
そもそも英国歌曲のリサイタルなんて(本国以外では)滅多にないし、ルネサンス・バロックのスペシャリスト波多野さんがこうしたレパートリーを歌うのも珍しいのではないか。個人的には、わがfavouriteであるエルガーの歌曲集「海の絵 Sea Pictures」が演目に含まれており、これは聴き逃がせないと思ったのだ。
タイトルの「子守歌のおまじない A Charm of Lullabies」とは、ベンジャミン・ブリテンの歌曲集の呼称であるとともに、今夜のリサイタル全体のコンセプトをも表す。19世紀末以降つくられた「ララバイ」や「クレイドル・ソング」を随所に散りばめつつ、イギリス歌曲ならではの懐かしさや人なつこい魅力を伝えようというものだ。
前半にどちらかというと古風な、エリザベス朝以来の伝統を感じさせる歌(スタンフォード、エルガー、ガーニー、クィルターetc)を集め、休憩後ではモダンな語法を取り入れた20世紀歌曲(ウォーロック、ウォルトン、ブリテン)を配するという構成がとにかく秀逸。これらの作曲家が共有する「イギリスらしさ」とともに、英国音楽の近代化の流れをも感じさせる選曲と配列の妙が素晴らしい。
波多野さんはこれらの歌が本当に好きなんだな――聴いていて、それがひしひしと感じられる。どの曲も丹念に歌いこまれ、命を吹き込まれて「彼女自身の歌」になっていることに感心。まとめて披露されるのはこれが初めてとは、とても信じられぬほどだ。終始リラックスし、笑顔を絶やさぬ余裕のステージマナーも好ましかった。配布されたブックレットの楽曲解説と日本語訳詞も、すべて波多野さん自身の手になる。
初めて聴くものも含めて、どの曲も存分に愉しめたが、とりわけ後半のウォルトンやブリテンでの多彩な声の表現、変幻自在ぶりには驚かされた。お目当てのエルガーの「海の絵」も、全5曲のうち3曲のみだったのが残念だが、野平さんの巧緻なピアノに支えられ、管弦楽伴奏で聴く本来の姿に劣らぬ、みごとに雄弁な演奏だったのが嬉しい。聴きに来てよかった!
アンコールでは、ブリテンのfunnyなキャバレー・ソング(「カリプソ」)やガーシュウィン(「バイ・シュトラウス」)まで繰り出される大盤振舞。こちらも嬉しさの余りついブラヴォを連発して、隣りの家人の顰蹙を買ったのだった。
(昨日の続き)
その内容の暗さゆえに、「ひとりぼっちの青春」は日本の配給会社から継子扱いされ、ロードショー抜き、いきなり二番館でE・テイラー主演の「クレオパトラ」(リバイバル)との併映(!)という、あまりにも不幸な公開のされ方をした。1970年12月のことだ。ろくに宣伝もされず、プログラム冊子すらつくられなかった。
その後は何度か名画座で再見する機会があったものの、70年代後半にはそれも途絶えてしまう。銀座の並木座で買ったポスターと、苦労して集めた数枚のスチル写真。小生にとってはそれだけがこの映画を偲ぶ手段となった。いつだったか、アメ横の中古レコード屋で「They Shoot Horses, Don't They?」のサントラ輸入盤を手に入れたときは、文字どおり欣喜雀躍したものである。
ありがたいことに、この映画の原作小説を角川文庫で読むことができた。ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』(1970年5月刊)がそれである。原題を直訳したような拙いタイトルだが、常盤新平の訳文そのものは、余分な感傷を排し、緊迫感に貫かれた秀逸な出来ばえだ。ラスト近く、「私」(ロバート)の見ている前で、グロリアがバッグから拳銃を取り出すくだりを少しだけ書き写してみよう。
「これ──」そう言って、私にわたしてよこした。
「いらないよ。しまってくれ」と私は言った。「さあ、なかにもどろう。寒いよ──」
「これでもって、神さまのかわりにピンチ・ヒッターに立ってちょうだい」彼女はそう言って、私の手に押しつけた。「わたしを撃って。それしかないのよ、わたしを不幸から連れだしてくれる道は」
マッコイの創り出したこの「神様のピンチヒッター」という独創的なフレーズは、映画のシナリオには採用されていない。しかしながら、1981年に大森一樹が村上春樹の『風の歌を聴け』を映画化したとき、主人公(小林薫)が彼女と一緒に自室のTVで「ひとりぼっちの青春」を観る、という原作にはないシーンをわざわざ挿入し、このとおりの台詞を「吹き替えの声」に語らせていた(ただし映画そのものは映らない)のを、今でもありありと思い出す。
もう一つ、ごく初期の矢作俊彦の小説に『神様のピンチヒッター』というのがあるが、これなどもホレス・マッコイの原作(とそれに基づく映画)に捧げられたオマージュであることが明らかだろう。
(今日も結末まで行きつかなかった。続きは明後日に!)
「ひとりぼっちの青春」(シドニー・ポラック監督/1969)という忘れがたい映画がある。大学一年のとき(1971年)、高田馬場パール座(東京にいくつもあった名画座の一つ)にイザドラ・ダンカンの伝記映画を観に行って、二本立ての片割れとして偶然めぐりあった。アメリカン・ニューシネマの知られざる傑作である。
大恐慌直後の1932年、ハリウッドにほど近い西海岸には、仕事にあぶれた老若男女が数知れずたむろしていた。これに目をつけた興行主が途方もないショーを企てる。はぐれ者の男女にカップルを組ませ、マラソンダンスを競わせる。文字どおり不眠不休で、夜となく昼となく、ひたすら踊り続けさせるのだ。一週間、十日、一か月…。疲労困憊し、精も根も尽き果てた参加者は、くず折れるようにつぎつぎ脱落していく。
【以下は結末】行きずりの主人公たち(ロバートとグロリア)はたまたまここで出会ってカップルを組み、過酷な状況のなかで互いに励ましあい、惹かれあっていく。だが、この興行のからくり(勝利者にも賞金が出ない)を知るに及んで、二人は悄然と会場を後にする。すべての望みを失ったグロリアはバッグから短銃を取り出し、自らを撃とうとするが、どうしても引金が引けない。傍らのロバートは懇願されるまま、彼女の頭に銃口を向ける…。
駆けつけた警官が呆れ顔で詰問する。「お節介者め、なんでこんなことをしでかしたんだ」。するとロバートはこう呟くのだ。「馬だったら撃つでしょう?(They shoot horses, don't they?)」。
どうにも救いのない結末である。にもかかわらず、18歳の小生はすっかりこの映画の虜になった。人生とはそもそもマラソンダンスなのではないか。傷ついた馬は苦しませず、撃ち殺してやるがよい…。グロリアを演じたのはジェーン・フォンダ。「バーバレラ」とはまるで別人のよう。人生に闘い疲れた女を完璧に演じきり、長くわが最愛の女優となる。
「ひとりぼっちの青春」(原題はずばり They Shoot Horses, Don't They?)は、その後ずっと幻の作品だったが、今ではDVDで容易に観られる。
http://movie.goo.ne.jp/dvd/detail/D111159104.html
と、ここまでが実は前置き。このあと本題に入ろうと思ったが、いささか疲れた。続きは明日にしよう。
東京へ出る用事があったので、帰りに書店に立ち寄ったら、西野嘉章さんの新しい著書が目立つところに積んである。かねてから刊行を待ち望んでいた本なので早速購入してみた。
『チェコ・アヴァンギャルド ブックデザインにみる文芸運動小史』
西野嘉章 著 平凡社 3,400円(税別)
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=833032
著者の西野さんは東京大学総合研究博物館に勤務し、廃棄寸前の研究資料や実験器具、戦前の古新聞など、大学内の「ゴミ資源」を丹念に拾い集め、新しい視点から展示してみせる展覧会で、来館者をアッと驚かせたことで知られている。
中世末期のフランス美術が本来のご専門ながら、20世紀美術にも造詣が深く、いってみれば博覧強記を地で行ったようなお人だ。彼はまた隠れもない蒐書家であり、近年はチェコを始めとする東欧アヴァンギャルド書籍を熱心に集めてこられた。数年前「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド」という展覧会を鎌倉でご覧になった方は、その後半部分で彼のコレクションの一端を目のあたりにしたはずだ。
今回の本ではまず巻頭100ページで綺羅星のごとき稀少な書物・雑誌(すべて著者のコレクション)に目を奪われるが、それにもまして素晴らしいのは、彼の視点がプラハ(チェコ)にとどまることなく、ベルリン、パリ、ミラノ、モスクワ、ブダペスト…と全欧に張り巡らされた芸術家のネットワークをつねに意識し、20世紀前半のデザイン運動をつとめて横断的・越境的に捉えようとしているところだ。
それに加えて、いつもながら感心するのは西野さんの文章の明晰さ、読みやすさ。複雑に入り組んだアヴァンギャルド運動の経緯が、手に取るようにわかってしまう。全く大した才能だ、と感嘆する。今日も池袋からの車中で読み始めたら、千葉に着くまでに読み終わってしまったほどだ。
最後の「あとがき」を読んでいたら、心臓が止まりそうになった。「貴重な情報と有益な示唆」の提供者として、小生の名が挙げられていたからだ。とんでもないことだ。西野さんとは何度か本郷の古本屋で出くわし、そのまま研究室にお邪魔して、珈琲をご馳走になりながら雑談しただけだ。いつの日か、彼のために本当の貢献ができればいいのだが。
忘れずに付け加えておくと、これまた「いつもながら」だが、西野さんの著書の装丁は端正そのもの、ほれぼれするほど美しい。これがデザイナー・浅井潔さんの最後のお仕事になってしまったのは残念でならない。