昨夜のこと遅い入浴を済ませ、さあそろそろ横になろうかという頃たまたま英国からのツイートで今日(つまり昨日)がケン・ラッセルの誕生日だと知った。健在だったら監督が八十七歳になるというその当日、それと知らずに今野雄二の映画論集を手に取った偶然に我ながら驚いた。やはりこれは天啓というほかあるまい。
寝床に入ると早速その本を読み始めた。B5変形判で二段組、四百頁以上もある大著だ。おいそれと通読できる代物ではない。玩味しながらじっくり読み進める。
今野雄二
今野雄二 映画評論集成
"Oysters and Snails"
洋泉社
2014 →カヴァー・デザイン云うまでもなく、今野雄二は早くからケン・ラッセルの熱烈な擁護者だった。
今も鮮明に憶えているが、1987年に監督が最初で最後の来日を果たし、そのほぼ全作品の連続上映が「ぴあフィルムフェスティバル」の一環として渋谷で催された際、ガイドブックとして刊行された『
ケン・ラッセル フィルムブック』に、今野さんは瞠目すべきケン・ラッセル論を寄稿していた。その洞察力の漲る秀逸な文章も、今回の「映画評論集成」にはちゃんと全文が再録されている。
ただし小生は今野さんの熱心な読者とはいえず、折に触れて『キネマ旬報』や『ミュージック・マガジン』誌上で彼の文章を目にしてはいたものの、大半が店頭での立ち読みであり、必ずしも趣味が近いといえないこともあって、むしろ敬して遠ざける気味があった。一冊に纏まった形で通読するのは勿論これが初めてである。生前にこうした批評文集が編まれる機会のなかったのは惜しまれる次第だ。
数十年に及ぶ文筆活動の集大成なので、どこからどう評したらよいのか途方に暮れるが、まずなんといってもケン・ラッセル、それにロバート・アルトマン(彼の表記は途中から「オルトマン」となる)、そしてブライアン・デ・パルマ(これまた彼は「デ・パーマ」と表記した)──今野さんが生涯をかけて愛してやまなかった三監督とその作品を評した文章がことのほか素晴らしい。
ケン・ラッセルに関しては上述の論考が執筆時(1987)までの監督の歩みをものの見事に総括しているし、個々の作品については、1971年の公開時に書かれた《
肉体の悪魔》論、翌72年の《
恋人たちの曲 悲愴》論がいずれ劣らぬ卓越した出来映えである。リアルタイムでこの監督の本質を把握し、作品の細部を踏まえて具体的に叙述した筆致はまさに圧巻といえるだろう。そして勿論、あのロック・オペラ映画の怪作《
トミー》を「100%ロックそのもの」と断じた75年の紹介文(これには大いに異論があるが)もここに収録されている。
アルトマンについては、彼の出世作たる《
M★A★S★H》を快刀乱麻に論じきった1970年の評論を皮切りに、「この新作はアルトマンの『サテリコン』なのである」と喝破した71年の《
BIRD★SHT》論、主要登場人物二十四人(!)という破天荒な集団劇《
ナッシュビル》における「アルトマン・タッチ」を鮮やかに指摘したエッセイ(1976)、主要登場人物四十八人(!!)という更に破天荒な作品を手際よく論じた《
ウエディング》論(1979)、飛び抜けた秀作ながら日本公開が遅れた《
三人の女》の劇場用パンフ用に書かれたオマージュ的な文章(1985)、「並外れた労作」だが「肝心のマジックだけは明らかに欠落している」と失望を隠さない《
ショート・カッツ》批評(1994)、そして「オルトマンの遺作」として愛惜の念を滲ませながら《
今宵、フィッツジェラルド劇場で》を称讃した「スワン・ソング」なる一文(2007)まで、主要作品の殆どについて委細を語り尽くしている。
そしてブライアン・デ・パルマに関しては・・・いい加減もうやめておこう。紹介しているだけで紙数(そんなものはないのだが)が尽きてしまう。
本書ではこのほか、今野雄二と聞くと誰もが想像するであろうホモ・セクシュアリティの観点からの洞察も、とりわけ初期の批評文に顕著にみられる。
それも《
真夜中のパーティー》のように題材的にそうした考察が必要不可欠な作品に限らず、広くアメリカン・ニュー・シネマ全般に彼はホモ・セクシュアルな傾向を認めようとする。本書の冒頭に置かれた最初期(1968)の短文で、今野さんは「一般大衆(多数派)の目には入らず、特別のフィルターを通してスクリーンを眺めたときにのみ発見される重要な秘密」がそれらの作品群に潜んでいるとし、それこそがホモ・セクシュアリティなのだと喝破する。
このフィルターを通して『俺たちに明日はない』を見たとき、ボニーとクライドはもう女と男というよりは、かたい男同士(傍点つき)の精神的な愛で結ばれた悲しみのカップルのアフォリズムとなり、『冷血』のペリーとディックも、『ある戦慄』のヤクザなふたりの男も、凶悪なギャングから、不毛なセックスに傷ついた繊細な魂に変身するのだ。成程これは確かに卓見である。ボニーとクライドは「男同士」なのだと。その伝でいくならば、我が鍾愛のアメリカン・ニュー・シネマの秀作《ひとりぼっちの青春》(シドニー・ポラック監督)の主人公グロリアとロバートもまた、「精神的な愛で結ばれた悲しみのカップル」であるが故に、優れてホモ・セクシュアルな存在ということになろう。この視点で当時のアメリカ映画のあれこれを再点検したくなるような、なんとも刺激的な指摘である。
本書にはこのほかイェジー・スコリモフスキ監督の《
早春》、スタンリー・キューブリック監督の《
シャイニング》、ペドロ・アルモドバル監督の《
神経衰弱ぎりぎりの女たち》といった、いかにも「今野好み」な映画に対する批評が時系列でいくつも収められているほか、大森一樹の《
風の歌を聴け》とか竹中直人の《
119》といった地味な邦画作品への思いがけず好意的な紹介文も掲載されていて、このスタイリッシュな審美家が意外にも懐の深い批評眼の持ち主だったことを証している。
もうひとつ最後に附言しておきたいのは、映画批評家としての今野雄二はむしろ短文の作品評よりも長文の作家論のほうに、遙かによく本領を発揮しているという、書き手としての資質の問題である。
仮に新作紹介であっても、先に例示したラッセル、アルトマン、デ・パルマのような鍾愛の作家が対象となる場合、今野さんの文章はしばしば作品の要となる細部への執拗なこだわりをみせ、なおかつ過去の監督作品との比較検証を綿密に行おうとする。そうした姿勢から必然的に文章は長くなり、通常の作品評の枠を大きくはみ出す結果となるのだ。
そうした今野さんの物書きとしての特性を十分に呑み込み、彼に思う存分に才筆を揮わせた『キネマ旬報』の鷹揚さに感謝しない訳にいかない。逆に云うならば、そうした理解ある媒体が減少するにつれ、彼は活動の場を次第に狭めていったのだとおぼしい。伝え聞くところでは、最晩年には『ミュージック・マガジン』誌の短い映画評のほか、連載をひとつももたなかったという。
今野さんは2000年代の初め(?)、スタンリー・キューブリック(彼はクーブリックと記している)監督の作品論を中核に据えた書き下ろし評論集を構想していたといい、その冒頭のイントロダクション試作(未発表)が本書に収められている。ごく短いものだが鋭い洞察を含んでおり、これが滔々と流れるような長篇へと発展したならば、どれほど目覚ましい成果となったろうかと歯噛みする思いである。しかしながら、今野さんのような経験豊富で博覧強記なヴェテランにとって、情況は余りにも劣悪非道だった。21世紀のニッポンには彼の居場所はなかったのである。
生身の今野雄二に遭遇したことは一度もない。ただし、2008年から09年にかけて小生は『家庭画報』なる月刊誌で美術コラムの連載を任されたことがあり、その直前頁の映画コラムの執筆者の一人がほかならぬ今野さんだったのだ。
目次に名前が並ぶのをみて、嬉しさと気恥ずかしさと緊張感とがこみ上げたのを憶えている。その連載も編集部の都合とやらで唐突に終わりを迎えた。それから一年もしないうちに今野さんの無惨な死がやってくる。
訃報を伝え聞いた当日の拙文「スタイリッシュな文筆家の死」を再録しよう。
今野雄二さんが亡くなられた。自殺だという。痛ましいことだ。
直接お目にかかったことはないが、1970年代このかた今野さんの映画批評には頻繁に接していた。ロックと英国映画に並々ならぬ造詣と愛情を寄せ、とりわけケン・ラッセル監督の熱烈な擁護者として夙に知られていた。1987年に催された「ぴあ・フィルムフェスティバル」ケン・ラッセル回顧上映パンフレットに秀逸なエッセイを寄せていたことを懐かしく思い出す。
より直近の記憶としては昨年まで月刊誌『家庭画報』の映画評を大森さわこさんと共に担当をされていて、平明で流暢な健筆を揮われていた。そのすぐ後ろの美術欄に連載していた小生なぞは憧れの文筆家おふたり(偶然だが大森さんもまたロックとケン・ラッセルの筋金入りの愛好家である)と踵を接する緊張と光栄にいつも身が引き締まる思いだったものだ。
あれだけの見識と経験と語学力をもち、ダンディでスタイリッシュな人生を歩んでこられた今野さんのような方が天寿を全うできない今という時代はどこか狂っている。同じような自由人でやはり自死を選んだ加藤和彦のときも感じたのだが、過去を蔑ろにし先人を敬わない当節の幼稚なニッポン文化が彼らを絶望させ、居場所を失わせ死に追いやったのではないのか。亨年六十六。あまりにも早過ぎる。ここに吐露した無念の思いは四年近く経った今も全く変わることがない。この不世出の批評家の早世を慨嘆するとともに、本書の上梓によって今野雄二の映画批評が辛うじて後世に伝えられた一事をせめてもの慰めとしたい。