東北大学知のフォーラム関連で、2007年のノーベル生理学医学賞受賞者である
オリヴァー・スミティーズ先生が再び本学を訪問されました。奥様であり、ご自身も研究者である
前田信代先生(ノースキャロライナ州立大学教授)にとって、東北大学は母校であり、仙台は生誕地で妹さんもお住まいであるため、今回もスミティーズ先生とともに帰国され、薬学研究科や医学系研究科でご講演をされました。
さらにせっかくの機会なので、直前になって前田先生にご連絡申し上げ、
東北大学男女共同参画推進センター(愛称TUMUG)をご訪問頂けることになり、もれなくスミティーズ先生もご一緒されました。東北大学サイエンス・エンジェル(SA)や女性研究者のMLを使ってお声がけしたところ、急な連絡にも関わらず10名ほどが集まりました。
気の張らない会でしたので、前田先生もスミティーズ先生もリラックスされた雰囲気で、いろいろなお話をして下さいました。修士のSAたちには、いきなり英語での自己紹介となって、ハードルが高かったかもしれませんが、それはスミティーズ先生がもれなく付いて来られ、前田先生が基本的に英語モードだったので仕方ありません(笑)。コミュニケーションは相手に合わせることが必要なので。もちろん「日本語でもOKですよ」と伝えましたが。
前田先生は、実はお父様が本学の
第14代総長、前田四郎先生であり、お母様も薬学を勉強されたのですが、ご結婚によりキャリアは続けず、3人のお嬢さんを育て上げられました。前田信代先生は理学部に入学され、化学を専攻されましたが、大学院進学を希望することをお父上に伝えたときに、実は難色を示されたといいます。さらに学位取得後、恩師の先生のご紹介でウィスコンシン大学での研究員のポスト(当時は国内には職が無かったとのこと)に就きたいことを話すと、「2日間、口をきいてくれませんでした。2日後に父は<私は娘たちにDo your best!と説いてきたが、それは間違いだった>という言葉とともに許してくれたのです」と笑って私たちにお話しになりました。
もちろん、そのウィスコンシン大学でスミティーズ先生に出会う訳です。その経緯はというと、最初のボスのところの研究費が切れて、さらにNIHに行くという話も出たのですが、結局、近くのラボで独立したてのスミティーズ先生のところの研究員として受け入れられたのでした。「信代先生に、どんな印象を持たれましたか?」とスミティーズ先生に伺うと、「Nobuyoは素晴らしい研究者で、私には無い才能を持っていた。私はどちらかと言えば大雑把だが、彼女はとてもこまやかだ」と仰っておられました。「Nobuyoのもっとも有名な仕事は動脈硬化のモデルマウス作製なのだけど、その論文に私の名前が入っていないということが私の誇りです」とも。
さらに、ノッてきたスミティーズ先生からは、若いSAたちに「将来のパートナーを誰にするのかはとても重要」とのアドバイスを。「貴女のやりたいことを制限する人はダメ」と言われると横から前田先生が「あのエピソードを話すといいんじゃない?」と間の手を。「実は、以前に<私の成績評価を変更して下さい>と言ってきた女子学生がいた。<A評価をB評価にしてほしい>というんだ。<私のボーイフレンドがB評価なので……>という理由で! もちろん却下したけどね」
これは実に「ありがち」な話であると思います。たぶん日本中にも、同様に自分の才能をスポイルしてしまっている女性はたくさんいて、それは本当にもったいないことです。
前田先生からは「母のアドバイスなのですが<最初になんでもできると言わない方が良い>ですね。お料理も上手、お掃除も得意……と言ってしまうと、<じゃぁ、やってね>になるから。母はそれで失敗したと言ってました(笑)」と。
助教をされている方から「主人も研究者なのですが、とてもハードワーカーで、帰宅するのは夜中です。必然的に家事は私がしなければなりません」というお話が出ると、スミティーズ先生は「<良いアイディアのためには睡眠が重要! 疲れてしまっては良い研究はできない>ってことをわかってもらった方が良いのでは?」とアドバイス。「僕は朝食を用意するのと、皿洗いを担当しているよ!」とも。前田先生からも「次回こういう機会があれば、男性も一緒に話をしましょう」と提案されました。来年10月くらいに機会が巡ってくるはずです!
(スミティーズ先生の「ひらめきのヒント」は、改めて別エントリーにします♬)