楽聖ベートーヴェンと天才クズ野郎ベートホーフェン



ご無沙汰しております。こちら4年に1度だけ亢進する読書ブログです。今回は『ベートーヴェンとベートホーフェン 神話の終り』を読みましたので紹介したいと思います。さて、悪趣味ではありますが、こんな問いに答えられるでしょうか。「モーツァルトの葬儀とベートーヴェンの葬儀では、どちらの参列者が多かったか?」 本書の第一章にはモーツァルトとベートホーフェンというふたりの天才の葬儀の場面が描かれていますが、そのあまりの違いに驚かされる。びっくりぽんや。


なんでもないです。


本書によると、モーツァルトの葬儀はウィーンのシュテファン大聖堂の一隅で行われた。親族のみが参列した簡素なもので、葬儀が終わると遺体は聖マルクス墓地に向かったが、遺族は誰も付き添わなかったという。一方、ベートホーフェンの棺側に付き添った人の中にはシューベルト、チェルニー、フンメルら当時の著名な音楽家がおり、八人もの楽長クラスの音楽家が棺をかついだという。また最後に墓地で読まれた弔辞はウィーン生まれの劇作家グリルパルツァーが書いたものだった。一説には、ベートーヴェンの葬儀に2万人もの人が集まったとも言われており「国葬」級の盛儀であったという。


モーツァルトが亡くなったのは1791年、ベートホーフェンのが亡くなったのは1827年。年数にするとわずか36年の違いでしかないが、年代を見比べると分かるように、ちょうどこの時期はヨーロッパで絶対王政が揺らぎ、市民のエネルギーが爆発し始めた時代と重なっている。モーツァルトがいかに天才と謳われていても、18世紀末のその死が旧体制下の一楽士の死に過ぎなかったのに対して、ベートーヴェンはドイツ精神を代表する「偉大な芸術家」としての死を迎えることになったのである。


本書によると、ベートーヴェンは1814年の"戦争交響曲"によって「一夜にして爆発的な名声を獲得して社交界の花形」となったという。しかし本書の著者に言わせるとそれは「悲しい名声であった」という。

一生を愚直で真摯に"芸術"と格闘した男が得た成功報酬はこの男の最低の作品、劇画のような"戦争交響曲"のもたらしたものだった。ウェリントン将軍の率いるイギリス軍がスペインのビトーリアでフランス軍を撃破した戦争の模写音楽(中略)は勝利に酔っぱらった各国代表の貴顕の人たちの耳には稀代の名曲として響いた。おかげでベートホーフェンはピエロのような"時の人"となった。


戦争交響曲がベートーヴェンの最低の作品だったかどうかは私には分からないが、とにかくこの「成功」によって彼の名は市民の間にも知れわたるようになる。これが葬儀の際の2万人の参列者(著者によると「野次馬」)につながるのだ。こうした時代背景によって、楽聖ベートーヴェンという神話(難聴という困難にもめげず、強靭な意志の力で愚直に真の芸術を追求した偉大な愛国的音楽家云々)が作り上げられていったという。


本書は、こうして形成された「ベートーヴェン神話」を解体して等身大のベートーヴェンを描こうとしている。いわゆるこの「ベートーヴェン神話」の虚構性については、断片的な形ではあるが、私も何度か耳にしたことがあった。皆さんの小学校の音楽の授業でも、ベートーヴェンの第九をみんなで聴いた後で、音楽の先生の声がやおら小さくなったかと思うと「いや、このベートーヴェンという人なんだけれども、実はね・・・」と語り出したという経験があるのではないだろうか。しかし、本書を読むと、この等身大のベートーヴェンのあまりのクズっぷりに腰を抜かしてしまう。本書の第6章には「愚行」という豪速球な章題がついているのだが、この章を読み進めていくうちに、3回ほど声を出して「嘘だろ!」と言ってしまったよ。ゲスの極みだ。育休泥棒だ。


なんでもないです。


この第6章ではベートーヴェンと彼の甥のカール君との関係が描かれている。私が子どもの時に読んだベートーヴェンの伝記では、このカール君こそがベートーヴェン先生の音楽道への邁進を妨げるクズ野郎として描写されていて、わたしはそれを信じて疑わなかったのですが、本書を読み終わった今、このカール君に心からの謝罪をしたい。カール君、君は天才ではなかったけれども決してクズではなかったんだね。天才だけどクズ野郎の伯父を持ってしまったのがあなたの悲劇でしたね。


全体の構成は以下の通り
第1章:盛名
第2章:有名人の肖像
第3章:ゲーテとベートフォーフェン
第4章:女たちの影
第5章:”不滅の恋人”
第6章:愚行
第7章:革命的な音楽家
第8章:栄冠
第9章:終章・フェニックスの歌
[巻末付録]"不滅の恋人"への手紙


第2章の「有名人の肖像」では、神格化されたベートーヴェンの肖像画と「等身大」のベートーヴェンの肖像画とが出てきますが、抱かれたい男No1と抱かれたくない男No1くらい違っていてビビります。


第3章ではゲーテとの関係が出てきますが、このゲーテ関係の逸話もほとんど解体されちゃってて清々しいです。


第4章と第5章はベートーヴェンの女性関係が扱われています。モーツァルトと違って真面目は真面目なので不倫とかはしたくなかったみたいなので、国会議員とかに向いてそうですが、なんせ人としてクズなのでちゃんとした恋人とかつくるのは難しいです。と纏めたら怒られそうですが、大体あっていると思います。


第6章は前述のとおり。清々しいクズです。


第7章からはベートーヴェンの音楽とその評価に焦点があてられていて、著者がもっとも力を入れている部分でしょうか。ロマン・ロランが「傑作の森」と評した中期の作品群がベートーヴェンの存命時にはほとんど評価されていなかった事実にまず驚かされますが、同時に、前述のとおり、後世の人々からは駄作と評されている戦争交響曲によって世間からの絶賛を浴びるという皮肉がベートーヴェンの身に降りかかります。このことでベートーヴェンは完全に「聴衆」を失ったというのが著者の主張です。では「聴衆」を失い「天涯孤独」となったベートーヴェンに残された聴き手とは誰なのかということが第9章で語られています。「人類の生んだ音楽の最高峰ともいうべき五曲の弦楽四重奏曲」と著者が評するベートーヴェンの「後期」の作品群は、彼が「聴衆」を失ったことによって生み出されたものだという。第6章までに出てくる人間としてのクズっぷりと、この音楽家としての天才性とのコントラストが鮮やかでした。正直音楽のことはよく分からないのですが、本書を読むと絶対にベートーヴェンをもう一度聴きなおしてみたくなると思います。