西郷隆盛  死にたがる大巨人

『西郷隆盛と幕末維新の政局 体調不良問題から見た薩長同盟・征韓論争』を読んだ。面白かった。


西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)
家近 良樹

ミネルヴァ書房
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西郷隆盛像というものがある。上野の西郷像ではないよ。西郷にまつわるイメージという意味での西郷像である。著者の家近さんは「ステレオタイプ化された西郷隆盛像」を次のように描く。

豪放磊落で小事に拘泥せず、寡黙でたくましい肉体と精神をあわせ持ち、かつ茫漠・茫洋とした風格を漂わせ、廉潔で決断力に富む大人物としての西郷隆盛像である。


確かに西郷どんと言えば私もそういうイメージを抱きます。もう少し具体的に言うとCMに出たとしても「チョコモナカジャーンボ!」とか歌わなそうな感じです。しかし、著者は、こうした西郷像をバッサバッサと辻斬りにしていくので痛快です。

西郷に関しては、研究者の中にも大変包容力があり、東洋豪傑風の清濁併せ呑む人物であったとの評があるが、これは西郷という人物を理解していない評である。


われわれが西郷に付与する「仁者」的な人物像というのは、あくまでも「後年のこと」であり、しかも「その対象は著しく限られる」という。本書が追う「西郷のありのままの姿」というのは非常に興味深い。ちなみに、「西郷のありのままの姿」と聞いて西郷の全裸姿を思い浮かべてしまった方もおられるかもしれないが、おそらくそれは「ありのままの姿」ではなく、「産まれたままの姿」であろう。全裸の西郷どんを思い浮かべてしまった方は充分に反省して欲しい。


話が逸れた。


それでは、ありのままの西郷とはどのような人物だったのか。西郷という男は実は「もともとストレスをためやすい個性・資質の持ち主であったこと」が第二章の前半で説明されている。詳細については本書に直接あたっていただきたいのだが、そこで描かれる西郷は、相手の心理をこまかく分析して色々と策を巡らすのだ実際に蓋を開けてみるとその目論見があっさり外れてしまうという「馬鹿な考え休むに似たりボーイ」的な一面も持ち合わせていることがわかって面白い。そして、このストレスを受けやすいという「本来」の西郷の個性・資質というものが、彼の「極度の体調不良状態」と少なからず関係しているのではないかというのが著者の主張のポイントのひとつとなる。


西郷の資質に加えて、彼を取り巻く環境が尋常ならざるほどにストレスフルであったことも丁寧に解説されている。これも詳細は本書に譲りたいと思うが、やはり大嫌いな久光に仕えなければならない星のもとに産まれたことが西郷の最大の不幸であったということになろうか。


また、西郷の資質という意味では、やはり西郷の死との距離感というのも注目に値しようか。本書においては次のような記述がある。

西郷の生涯を振り返った時、まず目に付くのは、彼の生涯が死の臭いに満ちていることである。ただし、それは強烈な臭いではない。というか、有体に書けば、西郷には生と死の境が元々それほどハッキリしていないような所がある。


さらに本書が面白いのは、西郷が死を意識したであろうイベントを丹念に追って行くことで、西郷の行動原理と言ってもいいようなものを炙り出している点にある。その行動原理とは「あえて死地におもむくことで、問題の根本的な解決を図るという行動パターン」である。そして、この行動原理をフリッツ・フォン・エリックのアイアンクローでギューっと絞り上げて濃厚なエッセンスだけにしたものが、いわゆる征韓論争での朝鮮使節志願時の西郷の一連の主張に現れているのだという。さらに重要な点は、この行動パターンは何も明治六年に突然出てきたものではなく、西郷の人生の節目節目に繰り返し表出するパターンであることが明らかにされている点である。


西郷の人物像、死生観ときて、本書のメインディッシュである西郷の体調不良問題に移ろう。ちなみに、本題に入ったかと思うといきなり脱線して恐縮だが、西郷の健康問題というと、中学か高校の歴史の先生が「西郷さんは、病気で金玉が腫れ上がってしまったせいで馬に乗ることができなかった」と言っていたことを思い出してしまうのだが、本書にその話は出てこなかった。


話が逸れた。


さて、最初に紹介した西郷の人物像とも関連するのだが、西郷どんと言うとエネルギーの塊のようなイメージがあって、病弱な印象はあまりないのではないだろうか。ところが、本書は「西郷が意外なほど病気がちであったという事実に着目」している。これについても詳細は読んでのお楽しみにしておきたいと思うが、本書で紹介されていた「病欠」の事例をざっといくつかあげてみる。


1855年 消化器系の異常により数十回もトイレに駆け込む。
1858年 入水自殺を試みる。奄美大島で流罪人同様の扱い。この間体調不良。
1862年 徳之島、沖永良部島での流島生活。過酷な環境でヘロヘロに。1864年に赦免。
1865年 禁門の変の後に、鹿児島に戻ると病に伏せる。
後藤象二郎との薩土盟約に関する重要な会合を体調不良で欠席。
1868年 体調不良のため北越出征軍の司令官として新潟に向かう日程が延期。
1869年 これまでの下痢に加えて下血を訴えるようになる。
1873年 明治天皇が西郷の体調を心配して自らの侍医を西郷のもとに遣わす。
    引き続く体調不良により朝鮮使節派遣に関する閣議などを欠席。


これだけでも充分に意外な感があるのだが、本書はさらに踏み込んで、西郷の極度の体調不良がもたらした心身の変化が、明治六年の征韓論政変において彼が異常なほどの熱意で朝鮮使節就任にこだわった背景にあると主張している。


確かに、本書で提示された資料に基づいて当時の西郷の行動が常軌を逸するものであったと主張することについては一定の説得力があるのは否定できないとも思うのだが、ここで悩ましい点もある。もしこの時の西郷が「著しく身心のバランスを欠く状態」にあったのが確かだとして、この時の行動パターンが年来のそれから大きく逸脱してものであったとしたら分かりやすい。しかしながら、西郷が明治六年に示した行動は、(著者自身が示してみせたように) 西郷が生涯に渡って示していた行動原理からいささかも逸脱していなかったのだ。となると、西郷があの段階で体調不良によって正常な判断ができない状態にあったのかどうかは判断を下すのは難しいという気もする。


さて、それはそれとして、本書の「はじめに」の中の「これまで日本の歴史があまりにも健常者中心の視点で叙述されてきた」という指摘はなるほどと頷かざるをえない。西郷の体調不良問題も面白かったのだが、第四章で少しだけ出てくる島津久光の体調不良問題の方がむしろ歴史的には重要な気がしないでもない。とにかく、「健常者中心の視点」から一歩抜け出ると本当に様々な歴史に新しい光が当てられることになるのではないかとワクワクしてくる。


著者の家近さんが、本書のテーマである体調不良問題に気づいたのは、ご自身が体調を崩されたのがきっかけだったという。あとがきによると、現代医学の力では根治が難しい大腸の疾患だということで、一ファンとしては心配でならない。せめて病状がコントロール可能な状態が維持されて、家近さんのお仕事が今後も進められて我々を楽しませてくれることを願っています。