女性声優と持続可能性

について考えている。どこかで女性声優が引退して降板し炎上し、まあとにかく色々起きている。だがそれでもコンテンツやグループは続く。降板も引退も悲しいが、それを機に畳むコンテンツを見たことがない。あるのかもしれないが。この人しかいないと思っていても、思いのほか代わりは見つかる。代わりをやれているかの判断は人によって違うと思うが、代わりがいないことを理由に畳むコンテンツがなさそうなので(少なくとも続行の判断をする人は)代わりをやれている(と認識しているはず)。代替の不可能性は個性から生まれる。個性は要素の掛け合わせから生まれる。東京在住なら山ほどいる。東京在住かつ男性、だと数が減る。東京在住かつ男性かつ10代から30代、とすれば更に減る。演技ができる。女性。10代から30代。ダンスができる。歌が歌える。喋りが上手い。独自の技能がある。要素を増やせば個性が濃くなり、代替可能性が下がる。持続可能性が下がる。個性を薄くし、代替可能性を上げることが持続可能性に繋がる(のではないか?)。会社や自治体、ひいては国などの組織に置き換えるとわかりやすい。創始者が死んだから畳みます、では持続可能とはいえない。技術を共有し継承し権限を委譲し人員を標準化することにより組織は持続可能になる。アイドルやバンド、というかアーティストはこの点で相性が悪い。人間の寿命はいいとこ100年だが世代交代ができれば会社も自治体も国も1000年単位の持続が見えてくる。テセウスの船問題などは些事である。創設当初の構成員がいないからといって国や会社を別物だと宣う人はいるのだろうか? いるだろうが無視していい。構成員になった時点で団体そのものであるといえる。船だって物質が存在した瞬間からずっと船だったわけでなく、原料を加工して船になったはずだ。人間にそれが当てはまらないとどうして言えよう。大脱線したがそういうことで、コンテンツに関わる人間が船の部品と同じように交換可能であることが持続可能性に繋がる。まあこの持続可能性っていうのも厄介な言葉だと思っていて、ゴールがないのがその要因だ。今生きている我々が死ぬまで持続すればいいのか、次の世代(と言っても今の何歳から何歳が当てはまるのか曖昧だが)まで持続すればいいのか、それとも人類が続く限り持続すべきなのか。日本のSDGs公式サイトを見てみたところとりあえず2030年まででいいっぽいので、意外と短い。さらに脱線すると次の世代まで持続つってもその次の世代が物理的にモリモリ減ってるのが問題なんだからそこをなんとかしなきゃならんのでは、と思う。まあリプロダクティブライツと正面衝突するだろうし、要請・強制したところでどれだけ効果があるかは曖昧だけど。でも費用対効果とか気にしてる場合じゃなくない? 大幅に脱線したが女性声優は、いや女性声優に限らず持続可能性のために人員は交換可能性を上げる必要があり、そのためには個性を表出しない・個性に依存しない仕組みを作る必要がある。かけがえのないたったひとつになっちゃダメです。それは単一障害点です。レッツ冗長化。