📉23】─2─日本は人口激減と貧困層増加で低学歴化して学力が低下し社会は衰退して行く。~No.49 

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 貧富の格差が教育の格差となり、貧しい者には進学の機会が失われ貧困からの脱出が不可能となり、貧困は子や孫にも受け継がれていく。
 貧困家庭には、高額な大学の授業料などは払えず、進学の機会が奪われる。
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 2025年3月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本の低学歴化」が止まらない…その「ヤバすぎる実態」
 なぜ日本は停滞からなかなか抜け出せないのか? その背景には、日本社会を支配する「暗黙のルール」があったーー。
 【写真】「日本の低学歴化」が止まらない…その「ヤバすぎる実態」
 社会学者・小熊英二さんが、硬直化した日本社会の原因を鋭く分析します。
 ※本記事は小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書、2019年)から抜粋・編集したものです。
 伸びない大学院進学
 団塊世代の青年期には高校進学率が伸び、団塊ジュニア世代の青年期には大学進学率が伸びた。それでは、その後は大学院進学率が伸びたろうか。
 大学院修士卒の就職者も増えてはいる。しかし国際的にみると、日本は大学院とくに博士課程の進学が伸びず、博士号取得者数も伸びなやんでいる。国際比較でいえば、「日本の低学歴化」が起きているともいえる。
 じつは日本は、高校・大学の進学率が伸びたところまでは、西欧諸国とくらべても早かった。しかしそれ以上の高学歴化、つまり大学院レベルの高学歴化はおきていない。そのため日本は、1980年代までは相対的に高学歴な国だったが、現在では相対的に低学歴な国になりつつある。
 その最大の理由は、日本では「どの大学の入試に通過したか」は重視されても、「大学で何を学んだか」が評価されにくいことである。専門の学位が評価されるのではなく、入試に通過したという「能力」が評価されるのだ。
 海老原嗣生によれば、企業は新卒採用者の選抜にあたり、卒業大学のランクを重視している。企業がそれによって評価しているのは、「地頭のよさ」「要領のよさ」「地道に継続して学習する力」といった「ポテンシャル(潜在能力)」だという。この3つの能力があれば、どの部署に配置してもまじめに努力し、早く仕事を覚え、適応することが期待できるからだ。
 仕事で求められているよりも学歴が高い?
 日本企業が求めているのはこうした潜在能力であって、大学などで学んだ専門知識ではない。経団連(日本経済団体連合会)は、1997年から毎年、加盟企業に「新卒一括採用についてのアンケート」を行ない、「選考にあたって特に重視した点」を複数選択で5つ挙げさせている。
 2018年調査の上位5位は、「コミュニケーション能力」「主体性」「チャレンジ精神」「協調性」「誠実性」だった。複数選択にもかかわらず、「語学力」を挙げた企業は6.2%(17位)、「履修履歴・学業成績」は4.4%(18位)、「留学経験」は0.5%(19位)にすぎない。こうした傾向は、調査開始から大きく変わっていない。
 そのため日本は、国際的にみれば「低学歴化」しているにもかかわらず、仕事で求められているよりも学歴が高いと感じている人が多い。求められているのが大学入試突破までの実績であって、大学で何を学んだかではないからだろう。
 2013年の新聞には、「日本人、学歴高すぎ? 仕事上の必要以上に『ある』3割」という記事が載った。OECD(経済開発協力機構)が発表した国際成人力調査(PIAAC)で、調査対象の23の参加国・地域のうち、仕事に必要な学歴よりも自分の学歴のほうが高いという回答が最多だったのだ。日本はその回答が31.1%で、OECD平均の21.4%を大きく上回って1位だった。なおドイツは23.2%、韓国は21.2%、アメリカは19.7%だった。
 この調査結果は、回答者が自分の主観で答えたものである。これでは、大学院の進学率は高まらない。また大学生が学業に励んだり、語学を習得したり、留学に行くといった行動も期待できないだろう。
 それでは、なぜ日本では、専門的な学位が評価されないのか。それは、日本の雇用慣行と深くかかわっている。これを述べるのは、第2章以降としよう。
 さらに連載記事<なぜ日本は「停滞」から抜け出せないのか…その「根本的な原因」>では、日本社会を支配する「暗黙のルール」の正体に迫っていきます。ぜひご覧ください。
 小熊 英二(社会学者)
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🌌62}─5─日本をこれから襲う「インフラ崩壊」…深刻な人口減少社会で「建設業界」に起きる事。~No.296 

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 2025年3月15日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本をこれから襲う「インフラ崩壊」…深刻な人口減少社会で「建設業界」に起きること
 この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。
 【写真】日本人は「絶滅」するのか…2030年に百貨店や銀行が消える「未来」
 そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。
 100万部ベストセラーシリーズの最新作『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
 ※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
 この30年で建設投資は20兆円減少
 建物や建築物というのは完成したら終わりとはいかない。完成後にこそ真価が問われる。だが、どこまで人口減少による将来的な需要減を織り込んでいるのかと心配になるビルや商業施設、道路などが少なくない。
 国交省によれば、建物や建築物の生産高である建設投資は1992年度の約84兆円がピークだ。2021年度は58兆4000億円となる見通しで、ピーク時より30.5%減である。生産年齢人口(15歳~64歳)がピークを迎えたのが1995年なので、おおむね生産年齢人口の減少に歩調を合わせるように縮小を続けてきたということになる。
 一般財団法人建設経済研究所の「建設経済レポート」(2022年3月)によれば、建築工事受注高も長らく減少傾向にあった。2012年度以降は景気回復に伴って増加傾向に転じたが、2018年度で再び頭打ちとなっている。土木工事も2018年度以降は準大手や中堅の受注高が減っている。
 本格的な人口減少社会を前にしてすでに縮小傾向を示し始めている建設業だが、生産年齢人口は今後急カーブを描きながら減少していく。普通に考えれば、建設需要が現行水準を維持することは考えづらい。
 老朽化による政府投資の拡大
 しかしながら、建設業の場合には明るい材料がある。政府投資の拡大が見込まれるのだ。社会インフラの多くが高度経済成長期以降に整備されており、老朽化が目立つようになってきた。更新が喫緊の課題となっている。
 例えば、全国に約72万ヵ所ある道路橋梁の場合、建設後50年を経過する施設の割合は、2019年3月時点の27%から、2029年3月には52%へと跳ね上がる。
 トンネルや港湾岸壁、水門といった河川管理施設なども大規模に手を入れなければならない時期を迎えている。いずれも国民の安全・安心確保や社会経済活動の基盤となっている。人口が減るからといって朽ちるに任せるわけにはいかない。
 社会インフラの更新には相当な時間と膨大な予算を要するので、民間投資の縮小を幾分かはカバーするだろう。
 つづく「日本人はこのまま絶滅するのか…2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」」では、「ポツンと5軒家はやめるべき」「ショッピングモールの閉店ラッシュ」などこれから日本を襲う大変化を掘り下げて解説する。
 河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
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💫8}─1・E─ミトコンドリア・イブは全人類の母ではなかった!?共通祖先は数万人以上。~No.68 

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 2025年3月14日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「ミトコンドリア・イブは全人類の母ではなかった!?ゲノム解析から明らかになっている、ヒトの遺伝子の共通祖先・イブやアダムは数万人以上いるという事実
 更科 功(分子古生物学者)
 ミトコンドリア・イブは全人類の母ではなかった!?ゲノム解析から明らかになっている、ヒトの遺伝子の共通祖先・イブやアダムは数万人以上いるという事実
 「生物は進化することによって進歩していく」「進化には長大な時間がかかるので、進化を目の当たりにすることは不可能である」……とかく誤解されやすい「進化論」について、楽しく、わかりやすく語り尽くした『世界一シンプルな進化論講義 生命・ヒト・生物――進化をめぐる6つの問い』。今回は、全人類の母とよばれる『ミトコンドリア・イヴ』について、詳しく考えてみることにします。
 *本記事は『世界一シンプルな進化論講義』(ブルーバックス)を再編集したものです。
 ミトコンドリア・イブは誰だったのか?
 約16万年前のアフリカに、一人の女性が住んでいた。彼女の細胞の中にあったミトコンドリアは、子供からさらにその子供へと伝えられていった。そして、彼女のミトコンドリアは、ついにすべての人類に広がった。つまり、現在の地球上に住んでいるすべてのヒトのミトコンドリアは、彼女一人のミトコンドリアに由来するのである。
 この話は魅力的なだけでなく、事実である。ミトコンドリア・イブという洒落たニックネームがつけられたこともあって、この16万年前にアフリカにいた女性は、世界的な有名人になった。そして、このミトコンドリア・イブの存在が、私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)がアフリカ起源である証拠だと、いろいろなところで述べられるようになった。
 でも、本当に、そうだろうか。ミトコンドリア・イブと呼ばれる女性が約16万年前にアフリカにいたことはよいとして、それってヒトがアフリカ起源であることの証拠になるのだろうか。本当に彼女は、現在生きているすべてのヒトの母なのだろうか。
 ミトコンドリアは母系遺伝をする
 少しだけ、ミトコンドリアの説明をしよう。ミトコンドリアは細胞の中にある器官で、酸素を使って呼吸を行い、エネルギーを生み出す。呼吸というと、鼻や口から酸素を吸ったり二酸化炭素を吐いたりするイメージが強いが、それは呼吸という現象の一番端っこだ。酸素呼吸をする本体は、ミトコンドリアなのだ。
 さて、ヒトの細胞の中で、DNAがある場所は2つである。核とミトコンドリアだ。とはいえ、ミトコンドリアにあるDNAは、核にあるDNAに比べれば、ほんのわずかだ。ミトコンドリアDNAは核DNAの約20万分の1にすぎない。
 だが、ミトコンドリアDNAには、変わった特徴がある。それは、母系遺伝をすることだ。核DNAは父親と母親から、ほぼ半分ずつ子供に伝わる。しかしミトコンドリアDNAは、父親からは子供に伝わらず、母親からだけ子供に伝わる。こういう遺伝の仕方を母系遺伝という。
 だから、あなたのミトコンドリアDNAは、あなたの母親から伝わったものだ。そして、あなたの母親のミトコンドリアDNAは、母親の母親、つまりあなたの母方の祖母から伝わったものだ。つまり、あなたのミトコンドリアDNAは、あなたの母方の祖母のミトコンドリアDNAと同じになる。そうやって、ずっと先祖を遡★っていけば……あなたの母親の母親の母親の(これを6500回ぐらい繰り返す)……母親の母親は、アフリカに住んでいたミトコンドリア・イブなのだ。
 そして、これが、現在生きている80億人のすべてのヒトに当てはまる。すべてのヒトの母親の母親の……母親の母親は、アフリカに住んでいたミトコンドリア・イブなのである。
 あれ? これなら、ミトコンドリア・イブがアフリカにいたのなら、ヒトの起源がアフリカであることの証拠になりそうな気がするけれど……。どこが、おかしいのだろうか。
 世界にヒトが4人しかいなかったら
話を簡単にするために、世界にヒトは夫婦が2組、つまり4人しかいなかったとしよう。
 まず、第1世代で考える。それぞれの夫婦は、アフリカとアジアに住んでいた。そして、アフリカの夫婦(A、B)には2人の女の子(E、F)がいた。アジアの夫婦(C、D)には2人の男の子(G、H)がいた。この合計4人の子供が第2世代になる。
 次に、第2世代を考える。アフリカの次女(F)はアジアに移住して、アジアの長男(G)と結婚した。そして、2人の子供(K、L)ができた。アジアの次男(H)はアフリカに移住して、アフリカの長女(E)と結婚した。そして、2人の子供ができた(I、J)。
 さて、第3世代を考えよう。第3世代の人口も4人で、アフリカとアジアに住んでいる。この4人のミトコンドリアDNAはすべて、アフリカに住んでいた第1世代の女性Aに由来する。したがって、このAが、第3世代4人にとってのミトコンドリア・イブである。
 ところで、ミトコンドリアDNAは母系遺伝をするけれど、父系遺伝をするDNAもある。Y染色体だ。
 ヒトの性染色体には、X染色体とY染色体の2種類がある。そして、女性はX染色体を2本持ち、男性はX染色体とY染色体を1本ずつ持っている。だから、もし、あなたが女性なら、Y染色体を持っていないけれど、もし、あなたが男性なら、Y染色体を持っている。そのY染色体は、あなたの父親から伝わったものだ。そして、あなたの父親のY染色体は、父親の父親、つまりあなたの父方の祖父から伝わったものだ。
 つまり、あなたのY染色体は、あなたの父方の祖父のY染色体と同じになる。そうやって、ずっと祖先を遡(さかのぼ)っていけば、ついにはY染色体アダムに到達する。そして、これが、現在生きている80億人のほぼ半分の、すべての男性に当てはまる。すべての男性の父親の父親の……父親の父親は、Y染色体アダムなのだ。
 何万人ものアダムとイブ
 私たちヒトの、実際のY染色体アダムは、アフリカに住んでいたと考えられている。しかし、今は、さきほどの図を架空の世界で考えよう。
 第3世代のY染色体はすべて、アジアに住んでいた第1世代の男性Dに由来している。したがって、このDが、第3世代にとってのY染色体アダムである。しかし、そう考えると、何か変だ。現在生きているすべてのヒトの母であるミトコンドリア・イブがアフリカにいたのに、すべてのヒトの父であるY染色体アダムがアジアに住んでいたなんて。
 でも、よく考えてみれば、何もおかしいことはないのである。おかしいのは「すべてのヒトの母」とか「すべてのヒトの父」とか「イブ」とか「アダム」とかいう言葉であって、現象としては何の不思議もない、まったく当たり前のことなのだ。
 ミトコンドリア・イブやY染色体アダムとは?
 ミトコンドリア・イブやY染色体アダムは、「現在のすべてのヒトの共通祖先」ではなくて、「現在のすべてのヒトのDNAの一部の共通祖先」だ。DNAの「一部」の共通祖先なのだ。
 ミトコンドリアDNAやY染色体は、ヒトのDNAのほんの一部にすぎない。だから、DNAの他の部分にも、それぞれ共通祖先がいたはずだ。
 もう一度、さきほどの図を見てみよう。
 たとえば、第3世代から見れば、母親の母親であるAはミトコンドリア・イブだ。そして父親の父親であるDはY染色体アダムだ。でも、母親の父親であるBだって、父親の母親であるCだって、第3世代の全員に、自分のDNAのどこか一部分を伝えている。
 したがって、確率的に考えれば、AもBもCもDもだいたい同じくらいのDNAを第3世代に伝えているはずだ。だから、いわばAもBもCもDも、みんなイブやアダムなのだ。
 これは現実の世界にも、そのまま当てはまる。たしかに、すべてのヒトの母親の母親の……母親の母親はミトコンドリア・イブだ。父親の父親の……父親の父親はY染色体アダムだ。でも、父親の母親の……母親の父親を通って伝えられたDNAだってあるだろうし、母親の母親の……父親の母親を通って伝えられたDNAだってあるだろう。
 そういう、すべてのヒトの遺伝子の共通祖先をイブやアダムと呼べば、イブやアダムは数万人以上いる。それらのたくさんのイブやアダムが数十万年前から数百万年前に生きていたことが、現在のヒトゲノム解析の結果から、明らかになっている。
 ヒトの起源は本当にアフリカなのか
 私たちの受け継いだDNAは数万人以上の祖先から、それぞれ受け継いだ短いDNAの集合体なのだ。ミトコンドリア・イブやY染色体アダムは、その中のたった2人にすぎないのである。まあ、言葉や好みの問題かもしれないけれど、数万人以上の祖先がいるときに、その中の2人だけを、すべてのヒトの母とか父とか呼ぶのは、おかしくないだろうか。
 というわけで、ミトコンドリア・イブがアフリカにいたからといって、ヒトの起源がアフリカである証拠にはまったくならない。とはいえ、ヒトの起源がアフリカであることは、ほぼ確実だ。でも、それは、化石などから得られた知見であって、ミトコンドリア・イブとは何の関係もない話である。
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🦋27〗─1─なぜ九州は子どもが多いのか。出生率が「西高東低」。~No.148No.149No.150 

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 2025年3月13日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「出生率 なぜ九州は子どもが多いのか…出生率が「西高東低」を示すのは気持ちの問題かもしれない
 SNS上で話題になっている「さす九」というワード。「さすが九州」の略語で、男尊女卑の文化や価値観が根強く残っているとされる九州を皮肉交じりに批判するものだ。
 ネットユーザーは「さす九」に乗っかる形で、自身が体験したエピソードや聞いた話を披露し、九州、おもに九州男児を批判するコメントを数多く投稿している。
 中には、男尊女卑の意識と九州の幸福度や出生率の高さにも関連付けて意見するものも少なくない。
 しかし、出生率に関してはその関連性は妥当なものではないとされている。実は、九州に比べ東北のほうが、いわゆる「家父長制」に基づいた家族観を持っているというのだ。
 出生率に影響するのは一体何なのか。「週刊現代」2024年12月21日号より一部抜粋・再構成して解説する。
 前編記事【日本の出生数が30年でなんと半減…!】その中でなぜ「九州の出生率」がこんなに高い…家族構造に大きな理由があったより続く。
 思い込みが出生率を上げる
 西日本、特に九州で出生率は高い。女性がたくさんの子供を産む理由は複雑だ。
 第一生命経済研究所の首席エコノミスト、熊野英生氏は「物価の安さが子育てのしやすい環境をつくり、出生率の高さに貢献しているのではないか」と指摘する。
 「出生率には、所得よりも物価の高低のほうが影響が大きいと考えられます。西日本に比べ、東日本は物価が高く、特に家賃や食費、教育費などの子育てに関係するコストが高い。子供一人を育てるのであれば、物価は高くても所得も高い東京でも問題はないかもしれません。しかし、2人、3人と増えていけば、物価が安い西日本のほうが圧倒的に子供を育てやすいと言えます」
 こうした経済的な環境が、子育てに積極的な風土を生んでいる可能性は高い。加えて中村学園大学特任講師の益田仁氏は西日本、特に九州の「子育てに対する楽観的な意識」を指摘する。
 「九州の人たちは、自分たちが住む場所を『子育てしやすい環境だ』と考えていることが調査でわかっています。しかし、九州が他地域と比べて大幅に子育ての公的サポートが充実しているとか、親族の協力が得られやすいといったわけではありません。住民が『わが街は子育てがしやすい』と思っていることが出生率に良い影響を及ぼしていると考えられるのです」
 出生率「西高東低」の背後には何があるのか。この難題を解くことができれば、日本は少子高齢化のスパイラルから抜け出せるのかもしれない。
・・・・・
 【詳しくはコチラ】『「さす九」に便乗する「男尊女卑だから子どもが多い」は間違い…出生率に影響する本当の要因』
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 3月13日7:31 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「さす九」に便乗する「男尊女卑だから子どもが多い」は間違い…出生率に影響する本当の要因
 SNS上で話題になっている「さす九」というワード。「さすが九州」の略語で、男尊女卑の文化や価値観が根強く残っているとされる九州を皮肉交じりに批判するものだ。
 【画像】「平凡な28歳」と「美人の33歳」、結婚できるのはどっち?
 ネットユーザーは「さす九」に乗っかる形で、自身が体験したエピソードや聞いた話を披露し、九州、おもに九州男児を批判するコメントを数多く投稿している。
 中には、男尊女卑の意識と九州の幸福度や出生率の高さにも関連付けて意見するものも少なくない。
 しかし、出生率に関してはその関連性は妥当なものではないとされている。「週刊現代」2024年12月21日号より一部抜粋・再構成して解説する。
 何でも「男尊女卑」に結び付けるのは的外れ
 日本総合研究所は12月3日、'24年の日本の出生数が前年比で5.8%減の68.5万人になるとの試算を公表した。30年前、'94年の出生数が123万人だったことを考えると、ほぼ半減だ。一人の女性が生涯に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」(以下、出生率)も、'94年の1.50から大きく落ち込み1.15を割り込む見通しとなった。
 少子化はまさに待ったなしの状況だが、じつは出生率には、都道府県によって大きな差がある。
 最も高いのは沖縄県の1.60。続いて長崎県、宮崎県の1.49、鹿児島県の1.48、熊本県の1.47となる。対して低い地域は、最下位が東京都の0.99で、次に北海道の1.06、宮城県の1.07、秋田県の1.10、京都府の1.11となっている。
 つまり、上位を西日本、とりわけ九州と沖縄が独占し、下位は東日本、特に東北や北海道が占める「西高東低」の傾向を示しているのだ。
 ネット上では、さまざまな憶測が飛び交っている。たとえば「西日本は温暖だから」とか「九州には『男が外で働いて、女は家事をする』という古い家族観が残っていて、それが出生率に影響している」といったものだ。ところが、こうした俗説に関して、子育てや教育を専門に研究している中村学園大学特任講師の益田仁氏は注意を促す。
 「今でこそ出生率は西高東低ですが、高度成長期以前は『東高西低』だったので、気候が影響するという説は誤りと言えます。また、『九州は男尊女卑の文化が根強く残っている』などのステレオタイプを安易に当てはめるのも、的外れです」
 東西の「家族構造」の違い
 近年では、出生率を左右するのはその前段階の「婚姻率」であるという説が有力とされている。結婚する男女が増えなければ、子供も増えないという理屈だ。
 実際に'20年の統計では、男性の生涯未婚率は関東・東北で高く、四国や九州で低くなっていることが見てとれる。益田氏がその理由として着目するのは、東西の「家族構造」の違いだという。どういうことか。
 「東北では長男が家を継ぐ慣習があり、サザエさんのような3世代同居率が高い。こうした家庭では、老親の世話は長男の嫁が担うことが多く、娘にはその期待が寄せられない。結果、若年女性が他地域に流出し、結婚のハードルが高くなると考えられます。
 一方、西日本では昔から親とその子だけが生活する『核家族』が多く、親と息子夫婦が同居することが少ない。なので、老親の世話は近くに住む子供がすればいい、となり、女性が地元を離れることが少なくなります。
 特に九州では、就職で地元を離れても福岡に留まる人が多いため、地元の人同士で結婚しやすい土壌があると考えられます」
 では、九州の女性が子ども多く出産するのは何が影響しているのだろうか。
 後編記事『なぜ九州は子どもが多いのか…出生率が「西高東低」を示すのは気持ちの問題かもしれない』へ続く。
 週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)
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📉15】─1・C─褒めて伸びる子供の脳とダメになる子供の脳。子供の脳は8タイプある。~No.32 

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   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 「贔屓が役者を誉め殺しにする」
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 2025年3月12日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン
「褒めて伸ばす」が逆効果になる…「子供の脳は8タイプある」脳内科医が指摘する"子供の才能を潰す親"の盲点
 子供の才能を引き出すには、どうしたらいいのか。脳内科医の加藤俊徳さんは「子供の脳には8つのタイプがある。正しく把握できれば、子供の能力を開花させることができる」という――。(第1回)
 【図表】ひとりひとりの「すごい個性」がわかる!脳特性診断テストはこちら
 ※本稿は、加藤俊徳『子どもの脳は8タイプ 最新脳科学が教える才能の伸ばし方』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■右脳が失われたら、左脳が大きくなる
 私たちの脳は大まかに右脳と左脳に分かれているというのは、皆さんご存じのことと思います。では、ここで1つ極端な例を挙げましょう。仮に右脳が失われたら、何が起こるでしょうか?
 右脳は左半身、左脳は右半身の運動を司っているので、右脳が失われたら、左半身がまったく動かなくなってしまうと想像するかもしれません。これは半分正解ですが、もう半分は不正解と言えます。
 たしかに左半身はかなりの機能不全に陥ります。しかし、そうなるだけではなく、右半身の機能が格段に高まります。なぜなら、脳には全体の機能を賄うために、残っている脳の質量を最大化しようとする作用があるからです。
 実際、右脳が失われたら、その分を埋め合わせるかのように左脳が大きくなります。誤解のないように付け加えますと、右脳が損傷を受けたとしても、右脳が担っていたすべての機能を失うことは容易ではありません。脳には、損傷を最小限に抑えようとする仕組みが備わっているからです。
 結果として、右脳が司る左半身の出力が失われる代わりに、左脳が司る右半身の出力が上がります。右半身の出力が倍増して、全体としてプラスマイナスゼロになるとまでは言えないのですが、年齢や機能の種類によって異なるものの、大半の機能は回復する経過をたどります。特に、脳の重量が成人に達していない21歳以下、とりわけ5歳以下では、未損傷の脳領域が損傷を受けた脳領域を補うように成長していきます。
■親は「できること」に目を向けたほうがいい
 生きとし生けるものは、皆「今ある脳」の特性を精一杯、発揮しながら生きています。
 すべての脳は、「今、できること」を表現しているだけ。そこに、その人の個性なり才能なり、何かしらの「真価」が秘められているのです。そしてそれは、いかようにも変わりえます。たとえ脳の右半分が失われても、左半分が増大するように。この点において、いわゆる障がいのある人の脳も、障がいのない人の脳も、実は同じと言えるのです。
 子を持つ親としては、我が子が心配なあまり、つい「できないこと」にばかりフォーカスし、何とか克服させようと手を尽くすのが常なのかもしれません。私自身父親でもありますから、その気持ちはよくわかります。でも、実は、「すでに脳が表現していること」の中に、かけがえのない宝物がある、ということをぜひとも皆さんに覚えておいていただきたいです。
 さらに脳の発達状態(各部位が担う機能ごとの発達度合いのバランス)は固定的なものではなく、どんどん変化しうるものですから、可能性は未知数と言えます。本書で皆さんにお伝えしたい一番重要なメッセージは、こうした脳の仕組みへの認知を持って「あるがままの脳」と向き合うようになると、その脳の能力が向上するということです。
■「わが子の脳」を正しく知る
 単純に言うと、お子さんの脳を「できないことがある脳」ではなく「あるがままの姿で、その特性を精一杯、発揮している脳」と知ったうえで、お子さんと付き合うと、お子さんの能力向上につながるのです。不思議に思われるかもしれませんが、これは脳科学的に説明ができる話なのです。
 脳は外部からの刺激によってどんどん変化します。我が子に「できないことがある」という前提で付き合うのと、「あるがままの姿で、その特性を精一杯、発揮している」という認知のもとで付き合うのとでは、子どもの脳に送られる刺激は、当然大きく変わってきます。
 つまり、「正しい認知」が「その脳にふさわしい刺激の源」となり、それが能力向上、才能の開花につながるというわけです。
 これは、子どもの脳にとってメリットになるだけではありません。我が子は、一体、どのような脳の特性を精一杯発揮しながら生きているのか。それを知ることは、子どもに対する最大の理解と言っても過言ではありません。そして的確な理解は、相手との関係性の向上に直結します。
■脳には8タイプある
 子どもの脳特性を的確に認知できれば、自然と子どもの「あるがまま」を受け入れられるようになり、付き合い方に悩むことも少なくなるでしょう。また、子どもとしても「親にちゃんと認知され、受け入れられている」というのは安心感と信頼につながります。子どもの脳を知ると、こうして親も子も格段に楽になり、絆が深まるのです。
 思春期を迎えると、子どもは徐々に親から離れていくものです。それが自然なことだとわかってはいても、寂しく感じる親は多いに違いありません。
 でも、「あるがままの子どもの脳」を認知することができたら、仮に一緒に過ごす時間は幼少期よりずっと少なくなろうとも、より良好で健全な親子関係を築いていく道が開かれるでしょう。
 本書では、どのような脳も、今、あるがままの特性を精一杯発揮していると述べました。それは周りから見て「優れた能力」としてその機能が出力される場合もあれば、周りには「困ったな」と受け取られる形で出力されることもあります。
 たとえば本書でご紹介する「8タイプ」の1つである「クリエイティブタイプ」の子には、その名の通り創造性が豊かという特性があります(ここで言う「創造性」とは芸術的なセンスとは限らないのですが、詳しくは本書の第3章で解説します)。
 お子さんがどのタイプに該当するのか、ぜひ次のテストを行ってみてください。(図表1、2、3)
 ※編集部注:外部配信先ではハイパーリンクや図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際はPRESIDENT Online内でご確認ください。
■“空気が読めない子”を叱ると、才能が摘まれる
 ところが、クリエイティブタイプには「場の空気が読めない」という一面もあり、世の中の常識とは少し場違いなところで持ち前の創造性を発揮することが多い。それが周囲の目には「たびたび問題行動を取る、困った子」と映ってしまうケースがよく見られるのです。
 ここでの本当の課題は、クリエイティブタイプの創造性あふれる行動そのものではなく、その行動を取る「時と場合」が適切でないことでしょう。しかし多くの場合、周りの人たちがクリエイティブタイプの脳特性を理解していないばかりに、創造的な行動そのものを頭ごなしに叱ってしまいます。
 すると、子どもの頭には「こういうことをすると叱られるんだ」とすり込まれます。そして叱られるのは誰だって嫌ですから、せっかくの創造性の出力が弱くなってしまうのです。本当は創造的な行動を抑えるのではなく、「創造性を発揮する『時と場合』を選ぶ」という社会的なスキルを身につけられればいいだけなのにもかかわらず……。
 しかしここで、周りの人たちが「このタイプの子は創造性がとても高い。ただし、ちょっと空気が読めないところがあるから、場違いなことをしてしまうことがある」と理解していれば、こんなことにはならないはずです。
■“愛されキャラ”に自己主張を求めるのはNG
 もう1つ例を挙げると、「癒やしタイプ」の子は、常に優しく従順で、ほとんど自己主張をしませんし、自分が考えていることを言語化して相手に伝えることが苦手です。それはそれで、「こんなことで、将来、大丈夫だろうか? 厳しい社会を生き抜いていけるだろうか?」なんて心配になるのが親の性(さが)というものでしょう。
 でも、この癒やしタイプには、自分が受け身である分、周辺の情報の受信力が高いという強みがあります。多くの情報を受信することで周囲を癒やし、尊重することができるという点は、8タイプ中トップであり、そのために友達も多い「愛されキャラ」です。
 このように、癒やしタイプの場合、「自己主張をしない」「言語化が苦手」という点が親の目には「困った子だな」というふうに映ったとしても、その裏側には「受信力が高いために人を尊重し、その結果として人から愛される」という素晴らしい価値があるわけです。
 その点を理解せずに、「もっと自己主張をしなさい!」「あなたには自分の意見というものがないの?」などといった言葉をかけるのは酷です。そのように接するうちに、やがてその子は周囲を尊重するという脳特性が出力されづらくなってしまうでしょう。
 こうした例からも、それぞれのタイプの脳特性を理解することの重要性がおわかりいただけるかと思います。理解が欠けていることで、その子の脳特性、持ち前の才能が失われることにもなりかねないのです。
■「褒める」でも「叱る」でもなく、「正しい理解」から
 親の目に「困ったな」としか映らなければ、脳に何らかの課題があるように思えても無理はありません。当クリニックにも、問題行動を起こす我が子を理解できず、「この子の脳はどこかおかしいのでは?」と不安を抱えている親御さんが多くいらっしゃいます。
 でも、本質的には「欠陥のある脳」は存在しません。子どもはみんな個性的で、脳が表現している個性はさまざまです。親からすると「困ったな」と感じるような事柄であっても、ほとんどの場合において、子どもには親や周囲の人たちを困らせるつもりなどなく、ただ自分の脳特性を精一杯、発揮しながら生きているだけなのです。
 そしてその子の問題行動の裏にある才能が見つかれば、もうよその子と我が子を比べている暇などありません。
 自(おの)ずと子どもに対する接し方や言葉がけなどが変わり、すると子どもは、よりのびのびと自由に育ちます。何より子どもに関する悩みや不安、フラストレーションが少なくなり、親子ともに楽になるはずです。すべては「正しい理解」から始まります。子どもの素質を深く理解し、才能を伸ばしていきましょう。

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 加藤 俊徳(かとう・としのり)
 脳内科医
 昭和大学客員教授。医学博士。加藤プラチナクリニック院長。株式会社「脳の学校」代表。MRI脳画像診断・発達脳科学の専門家で、脳を機能別領域に分類した脳番地トレーニングや脳科学音読法の提唱者。1991年に、現在世界700カ所以上の施設で使われる脳活動計測「fNIRS(エフニルス)」法を発見。1995年から2001年まで米ミネソタ大学放射線科でアルツハイマー病やMRI脳画像の研究に従事。ADHD、コミュニケーション障害など発達障害と関係する「海馬回旋遅滞症」を発見。著書に『1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き』(ダイヤモンド社)、『アタマがみるみるシャープになる!! 脳の強化書』(あさ出版)、『一生頭がよくなり続ける すごい脳の使い方』(サンマーク出版)など多数。

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🗡47〗─5・④─中国大陸での戦いやマレー作戦で活躍した日本軍鉄道連隊の実力。〜No.154 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   

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 日本の鉄道技術は戦前から世界トップレベルで、欧米の鉄道技術に負けてはいなかった。
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 2025年3月11日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「中国大陸での戦いやマレー作戦で活躍した 鉄道連隊の実力【鉄道と戦争の歴史】
 1931年採用の「九一式広軌牽引車」。タイヤでの走行だけでなく、鉄輪に交換すれば線路上を走行できる構造となっていた、鉄道連隊用の装輪装甲車。ガソリンエンジンを搭載し、非武装であったが機関銃を着脱式できた。
 昭和を迎えると、日本軍による大陸への進出により、アメリカとの関係が急激に悪化。もともとアメリカは日露戦争終結時、満州における鉄道の利権を手に入れ、大陸進出への足掛かりにしようと考えていた。だがそれを小村寿太郎(こむらじゅたろう)に看破され目論見が外れて以来、日本はアメリカ最大の仮想敵国となっていた。
 遅れて近代国家の仲間入りを果たした当時の日本にとって、中国大陸への進出は自国の発展に不可欠なものとなっていた。そして日本政府も諸外国同様、広大な大陸を開発するには鉄道網を整備するしかないと考えていた。
 日本陸軍にはじめて鉄道隊が編成されたのは、日清戦争が終わった翌年の明治29年(1896)11月であった。清と戦ってる最中の日本では、鉄道は国内における兵力輸送だけが念頭に置かれていた。だがこの戦いで陸軍は、戦場での輸送に苦しんだ。そうした経験から、国外の戦場で輸送を担う鉄道の存在に着目。現地で接収した鉄道を修理して利用することや、自前で軽便鉄道を敷設する事が検討され、その結果、東京市ヶ谷台にあった陸軍士官学校の敷地内で鉄道隊が発足したのである。
 発足当初は工兵の一部であったが、翌年に中野に移転し、本格的な活動を開始。明治33年(1900)に起きた義和団の乱で、臨時鉄道隊に編成された要員が、現地で鉄道の修理だけでなく列車の運行も担当。これが初めての実戦活動となった。その後、日露戦争では臨時鉄道大隊が活躍し、朝鮮半島のソウル以北に鉄道を敷設。さらに鴨緑江岸から奉天までは軽便鉄道を通している。
 日露戦争後の明治40年(1907)、実戦での活躍が認められ大隊編成から昇格し、鉄道連隊となった。そして第1次世界大戦での青島(チンタオ)出兵でさらに鍛えられ、大正7年(1918)5月、第2連隊が編成された。その直後に行われたシベリア出兵では、鉄道兵が敵から奪った装甲列車に乗り、敵と交戦している。
 実戦を重ねることにより、人員の練度や装備が充実していった鉄道連隊は、満州事変にも出兵。鉄道兵は装甲車の運転要員となり、91式広軌牽引車(装甲軌道車)を走らせている。これはガソリンエンジンを搭載した資材運搬用の車両で、タイヤとの切り替えができるトラック型のものであった。昭和7年(1932)には、鉄道第1連隊の主力も大陸に渡り、線路の修復や新たな線路の敷設、さらに装甲列車や装甲軌道車による警備などを行った。
 こうした活躍が認められ、昭和9年(1934)にはさらに一個連隊が増設された。この鉄道第3連隊はハルビンに駐屯。交戦中の中国軍に加え、ソ連軍に対しての備えも担った。その後も連隊数は増え続け、終戦の年である昭和20年(1945)5月にも第18連隊、第19連隊、第20連隊が編成されている。
 大東亜戦争(鉄道連隊を含む大陸での戦いに、太平洋戦争の名称を使うのは違和感があるため、あえて当時の日本政府の呼称を使用)における鉄道連隊は、緒戦のマレー作戦における奮闘ぶりが特筆ものである。海軍の真珠湾攻撃よりも1時間以上早くに、英領マレーのコタバルと、その北のタイ領シンゴラ・パタニ方面に上陸した山下奉文(ともゆき)中将率いる第25軍がイギリス軍と交戦、大東亜戦争の火蓋が切られた。
 第25軍は一路、シンガポールに向かい南下を開始するのだが、鉄道が通っているマレー半島の西側を進軍したのは第5師団であった。タイと英領マレーの国境から300kmほど南下した所に、ペラク河が流れている。この河に架かっている橋を破壊される前に確保するため、鉄道第9連隊のうちの二個中隊が列車を動かす鉄道突進隊となり、歩兵一個大隊を乗せペラク河に進撃する計画を立てていた。
 だがタイ国政府との連絡不備のために進軍が遅れ、多くの橋や鉄道路線が破壊されてしまう。そこで鉄道第9連隊は、第5師団がスムーズに移動、補給できるように、橋や鉄道路線を修復しながら列車による輸送を支え続けている。
 続いて仏印(ベトナム)のハノイから鉄道を使いマレー半島に進軍してきた近衛師団には、鉄道第5連隊が帯同、輸送の支援を行っていた。マレー半島に入ると、こちらの部隊も鉄道の復旧作業を行いつつ進軍。さらに装甲軌道車による偵察や戦闘も行われている。
 マレー作戦というと、日本陸軍内の最精鋭であった戦車部隊の活躍が目立っていたが、実際は鉄道連隊の力がなかったら、短期間でマレー半島の制圧、シンガポール陥落は成しえなかったのではないかと思われる。まさに縁の下の力持ちであった。
 野田 伊豆守
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 2005年6月4日(土)「しんぶん赤旗」
 「戦場にかける橋」 実際の犠牲者は?
 〈問い〉 かつて、映画「戦場にかける橋」で、連合軍捕虜を虐待した鉄道建設が描かれていた記憶があります。実際はどんなことだったのですか?(神奈川・一読者)
 〈答え〉 東南アジアで日本が犯した戦争犯罪で忘れていけない一つが、映画「戦場にかける橋」(主題音楽「クワイ河マーチ」)に描かれた「泰緬(たいめん)鉄道」建設です。モデルの鉄橋は、ビルマ(ミャンマー)との国境に近いタイ・カーンチャナブリー市街を流れるクウェー川(クワイ河)にかかっています。同地は、第2次世界大戦末の1942年、日本軍がタイ―ビルマ間につくった泰緬鉄道の建設基地でした。
 この工事には、東南アジア一帯から連合軍捕虜約6万5千人、各地から狩り集めた「ロームシャ(労務者)」20~30万人以上が動員されました。
 処刑、虐待、過労、食糧不足、病気での犠牲者は、遺骨収集され共同墓地に埋葬された連合軍捕虜だけで1万2487人。「ロームシャ」は半数が命を奪われたといわれます(英国調査で7万4025人、日本側主張4万2214人)。マラリア、チフスなど手当てがあれば助かる疾患も放置され、「枕木一本、人一人」の「死の鉄路」と表現されました。
 ミッドウェー海戦に敗北し、ビルマへの海上補給が困難になった日本軍がビルマ経由の中国・重慶の蒋介石国民党政権への補給ルート切断と、インドへの侵攻の橋頭堡(ほ)づくりをねらった、インパール(インド国境近くのビルマの都市名)作戦への戦略的補給路が「使命」でした。
 しかし、インパール作戦の敗北で所期の目的は果たせず皮肉にも、日本軍がビルマから敗走する経路になりました。手当ても受けず半死半生のまま貨車で運ばれてくる日本兵の姿に工事を生きのびた捕虜すら、哀れみ、食糧を与えたと、現地では語られています。
 カーンチャナブリーには77年に建設された「JEATH戦争博物館」〈日本(J)、タイ(T)と連合軍捕虜の出身国=イギリス(E)、オーストラリア(A)とアメリカ(A)、オランダ(H)の頭文字を並べ、JをDに変えると「DEATH(死)」を連想できるように命名〉があり、日本軍の戦争犯罪の跡を伝えています。(高)
 〔2005・6・4(土)〕
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 プレステージ・フィルムズ
 『戦場にかける橋』は実話なのか?映画の嘘と史実、日本人の関与まで徹底解説 🎥
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 作品賞
 1957年に公開された『戦場にかける橋』(原題:The Bridge on the River Kwai)は、第二次世界大戦中の東南アジアを舞台にした名作映画です。
 監督はデヴィッド・リーン、主演はウィリアム・ホールデンやアレック・ギネス。アカデミー賞7部門を受賞し、映画史に残る名作として今なお語り継がれています。
 物語の舞台は、日本軍が連合軍捕虜を使って建設を進める「クワイ川鉄橋」。
 イギリス軍の捕虜であるニコルソン大佐(アレック・ギネス)は、最初こそ日本軍に反発しますが、次第に「橋の建設こそイギリス人の誇り」と考えるようになり、捕虜たちを率いて橋を完成させます。
 しかし、その橋は連合軍による破壊工作の標的となり、最後には壮絶な結末を迎えます。
 このストーリーがどこまで史実に基づいているのか?
 また、映画のどこに誇張や創作があるのか?日本人はどのように関与していたのか?これらの疑問を解き明かしていきます。
『戦場にかける橋』は実話なのか?史実との関係 🔍
 『戦場にかける橋』の物語のベースとなったのは、実際に存在した「泰緬(たいめん)鉄道」の建設です。
 この鉄道は、日本軍がビルマ(現ミャンマー)への物資輸送を目的として、1942年から1943年にかけて建設しました。
 その過程で約13万人の捕虜と20万人のアジア人労働者が動員され、うち9万人以上が死亡したとされています。
 映画の舞台となった「クワイ川鉄橋」も実在します。
 現在のタイ・カンチャナブリーにある「クウェー・ヤイ橋」がそれに該当し、今でも観光名所として残っています。
 しかし、実際の鉄橋は映画のように爆破されたわけではなく、1945年にアメリカ軍の空爆によって破壊されました。
 もう一つのポイントは、映画で描かれるような「イギリス軍の捕虜が自主的に橋を建設した」という部分です。
 実際には、捕虜たちは可能な限り手抜きをして工事を遅らせようとし、日本軍の厳しい監視のもとで過酷な労働を強いられていました。
 この点からも、『戦場にかける橋』は史実をベースにしつつ、大きな脚色が加えられた作品であると言えます。
 『戦場にかける橋』の嘘と映画ならではの脚色🎬
 映画と史実を比較すると、いくつかの「嘘」が明らかになります。
1. ニコルソン大佐のキャラクターは史実と異なる
 映画では、ニコルソン大佐が「誇りを持って橋を建設する」姿が描かれます。
 しかし、実際の捕虜たちはできるだけ手を抜き、 sabotage(妨害工作)を行うことで、日本軍に協力しない姿勢を示していました。
 ニコルソン大佐のように「日本軍に協力的だった指揮官」は存在せず、むしろ捕虜たちは抵抗の意思を持っていたのです。
 さらに、捕虜たちは意図的に建設の遅延を図るだけでなく、橋の強度を落とす工夫をしていたとも言われています。
 これにより、日本軍の計画を妨害する形で抵抗していました。
 ニコルソン大佐のような「職人気質の指揮官」は映画的な演出であり、実際の捕虜たちの行動とは異なるものでした。
2. 橋の爆破シーンは創作
 映画のクライマックスで、ニコルソン大佐は「橋の破壊工作」に気づき、最後の瞬間に「しまった…!」と悟るシーンがあります。
 しかし、実際には連合軍の特殊部隊が橋を爆破したという記録はなく、空爆によって破壊されたのが事実です。
 また、映画では爆破のシーンが劇的に描かれますが、実際の戦闘では長期間にわたる空爆作戦が行われ、最終的に橋が使用不能になったとされています。
 爆薬を仕掛けて破壊するような直接的な工作ではなく、連合軍による持続的な攻撃の結果、橋が機能しなくなったのです。
3. 日本軍の描かれ方がマイルドになっている
 映画では、日本軍の司令官である斎藤大佐(早川雪洲)が登場します。
 彼は厳格でありながらも、最終的にはニコルソン大佐に敬意を払う姿勢を見せます。
 しかし、実際の日本軍の捕虜管理ははるかに厳しく、暴力や過酷な労働環境によって多くの死者を出しました。
 この点も、映画が戦後の国際関係を考慮して日本軍をややソフトに描いたのではないかと考えられます。
 実際の泰緬鉄道の建設においては、捕虜たちは長時間の労働に加え、病気や栄養不足に苦しんでいました。
 特にマラリアや赤痢などの病気が蔓延し、適切な医療が受けられなかったために多くの命が失われました。
 また、日本軍の監視は非常に厳しく、規律を乱した捕虜に対しては暴力が振るわれることもあったとされています。
 映画では、斎藤大佐が最後にある程度の良心を見せる形になっていますが、実際の日本軍の司令官が同じような態度を取ったという証拠はありません。
 むしろ、彼らは軍の命令に忠実に従い、鉄道建設の遂行を最優先していました。
 この点からも、映画は日本軍の描写をある程度マイルドにし、ドラマ性を重視した作品であることが分かります。
 このように、『戦場にかける橋』は史実を元にしつつも、映画としてのエンターテイメント性を高めるために、いくつかの重要なポイントで史実とは異なる描写を採用しています。
 映画を鑑賞する際には、これらの違いを理解したうえで、そのドラマ性や人間心理の描写を楽しむことが重要だと言えるでしょう。
 『戦場にかける橋』における日本人の関与
 映画には、日本軍の司令官として斎藤大佐が登場します。
 彼は架空の人物であり、実際に橋の建設を指揮した日本軍の将校ではありません。
 実際に泰緬鉄道の建設に関与したのは、日本軍第9方面軍の将校たちであり、戦後彼らの一部は戦犯として裁かれました。
 また、日本軍がどのように捕虜を管理していたのか、その実態についても様々な証言が残されています。
 泰緬鉄道の建設において、日本軍は捕虜や現地労働者に対し過酷な労働を強いたとされています。
 特に、物資や医療が不足する中での強制労働は、多くの死者を生みました。
 一方で、一部の日本軍将校の中には、捕虜に対して比較的寛容な態度を取った者もいたという証言もあります。
 このように、日本軍内でも対応に差があったことがうかがえます。
 また、戦後の日本人の視点から見ると、『戦場にかける橋』は少々違和感のある映画でもあります。
 日本では「泰緬鉄道の建設は捕虜に過酷な労働を強いた」という事実が広く知られており、映画の「日本軍とイギリス軍の捕虜が協力して橋を建設する」という描写には疑問を抱く人も多いでしょう。
 実際に泰緬鉄道の建設に関与した元日本兵の証言では、「捕虜の協力を得るというよりも、厳しい管理のもとで労働を強いていた」との声が多く聞かれます。
 さらに、日本国内におけるこの映画の受け止め方も興味深いものがあります。
 公開当初、日本国内では『戦場にかける橋』に対する批判の声もありました。
 「日本軍の描写が過度に美化されている」との指摘や、「実際の捕虜たちの苦しみを十分に反映していない」という意見があったためです。
 しかしながら、時が経つにつれ、映画が単なる戦争映画ではなく、人間ドラマとして高く評価されるようになりました。
 現在では、この映画は戦争の悲惨さを伝える作品として、国境を超えて多くの人々に受け入れられています。
 戦後の日本においても、泰緬鉄道に関する研究や証言の発掘が進められ、実際の歴史を知る手がかりが増えてきました。
 映画を通じて関心を持ち、より深く歴史を知ることは、今後も重要なテーマであると言えるでしょう。
 まとめ|『戦場にかける橋』はフィクションだが、戦争の悲劇を伝える作品
 『戦場にかける橋』は、実話をベースにしつつも、多くのフィクション要素を加えた映画です。
 実際の泰緬鉄道の建設は、映画よりもはるかに過酷で悲惨な歴史を持ち、捕虜たちは決して誇りを持って橋を建設したわけではありません。
 しかし、映画は「戦争の中での誇りや矛盾」を描き、人間ドラマとして高く評価されています。
 個人的に最も印象的だったのは、ニコルソン大佐が最後の瞬間に「自分の信じていたものが間違っていた」と悟る場面です。
 これは単なる戦争映画ではなく、人間の心理や戦争の本質を考えさせる作品だからこそ、長年にわたり語り継がれているのかもしれません。
 史実を知ったうえで改めて映画を見ると、その奥深さがより一層感じられることでしょう。😊
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 世界の土木遺産
 泰緬鉄道の光と影の象徴「クワイ川鉄橋」
 岩盤と列車のあいだは10cmほどしかないところもあるタムクラッセ付
■ 岩盤と列車のあいだは10cmほどしかない
 ところもあるタムクラッセ付近
 タイ国鉄ナムトック線にバンコクから乗り、農村地帯を走ると3時間ほどでクワイ川鉄道駅に到着する。目の前には映画「戦場に架ける橋」で有名なクワイ川鉄橋が姿を現す。この橋は第二次世界大戦中に建設されたものであるが、今では週末になると多くの人が訪れる人気の観光スポットとなっている。
 この鉄道は、当時占領下にあったビルマへの補給ルートとして、日本軍によって建設された。それまで建設が不可能と言われた難工事であったが、わずか1年4ケ月で完成された。タイとビルマを繋ぐことからタイを意味する「泰」とビルマを意味する「緬甸」(メンデン)の一文字をとり、「泰緬(タイメン)鉄道」あるいは「泰緬連接鉄道」と呼ばれたが、皮肉にも当時ビルマに駐在していた日本軍の撤退に利用されることとなった。工事を急ぐあまり、不幸にも動員された捕虜や労働者に多くの犠牲者を出した。
 クワイ川鉄橋は全長約333m、橋脚と橋脚の間に小さい曲線のアーチを連ねて組み上げている。1945年4月と6月、空爆で鉄橋中央部の3スパンが陥落し、鉄道機能は停止した。終戦後、ビルマ側の鉄道は撤去されたがタイ側は補修され、タイ国鉄に引き継がれた。そして、損壊したクワイ川鉄橋は日本の戦後賠償によっていち早く修復され、現在でも再建された箇所以外は建設当時の橋脚と橋梁がそのままの姿で残っている。
【アクセス】
 トンブリ駅よりタイ国鉄ナムトック線でカンチャナブリ駅を経て「クワイ川鉄橋駅」で下車。
【地図】
 googleマップでクワイ川鉄橋の位置を確認する
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🗡22〗─3─B29爆撃機撃墜用「和製地対空誘導弾」。日本海軍の秘密ロケット兵器・奮龍。~No.70 

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 2025年3月7日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス 潮書房光人新社「太平洋戦争に”間に合わなかった”日本軍の「秘密ロケット兵器・奮龍」、元海軍技術少佐の「手記」が明かすB29爆撃機撃墜用「和製地対空誘導弾」の”知られざる開発秘話”…!
 太平洋戦争に”間に合わなかった”日本軍の「秘密ロケット兵器・奮龍」、元海軍技術少佐の「手記」が明かすB29爆撃機撃墜用「和製地対空誘導弾」の”知られざる開発秘話”…!
 太平洋戦争終結から80年。各種メディアで特集記事が出される中、戦争に間に合わなかった日本軍の秘密兵器として、日本本土に襲来するB29爆撃機撃墜用の切り札「奮龍」が注目されている。電波でマーキングしたB29を自動追尾可能とする和製地対空誘導弾だ。老舗軍事雑誌「丸」4月号がこの秘密兵器を特集したところ、人気を博しているという。元海軍技術少佐・吉田隆が1957年に寄稿した長文手記「極秘ロケット兵器『奮龍』成功せり」から、実験成功までの秘話を一部抜粋・再構成してお届けする。
 次々と散る特攻隊員、技術屋の不甲斐なさと奮起
 戦局の切迫化に伴い、起死回生の望みをかけられたロケット戦闘機「秋水」のほか、ロケット機「桜花」、敵艦に体当たりする「震洋」艇、人間魚雷「回天」などが研究されていた。この中で人間の乗らない機械を考えるということが、どんなに間抜けに見えたことか。機械に頭脳を与えるなんて単なる技術屋の寝言だとさえ言う人があった。
 だが、その技術屋として、私は次々と散っていく特攻隊の若い生命を見て、誇張ではなく、いてもたってもいられないような辛さにさいなまれた。人の生命を捨てなくても、そのくらいのことならば、機械でもできるはずである。できる機械を造らずに、人間の崇高な献身にオンブするのは、いかにも技術屋として不甲斐ない限りである。
 浅間山で極秘実験、発射日には登山口を通行止め
試験発射を行う場所は、どうしても人里離れた広大なところでなければならなかった。海岸から海に撃ち込めば簡単だが、記録が取りにくい。どうしても山の裾野という条件になる。それに撃ったものはできるだけ壊してしまわないように記録を取り出したいので、できれば砂のような、やわらない火山灰のところが望ましい。もちろん、人が滅多に近寄らないところでなければならない。結局、浅間山に決まった。
 「気をつけろよ。B29が浅間の偵察を続けているらしい兆候があるぞ」。ある中佐から注意を受け、万一の危機に備えて発射の日は登山口を通行止めにしていた。それでもロケットの凄まじい轟音はどうすることもできなかった。
 実験は成功、目標落下地点からわずか20mのずれ
 いよいよ誘導弾総合発射の日が来た。ジャイロが起動され、無線のスイッチが入り、「奮龍」は完全な作動状態になる。
 10秒前、5秒前。用意、撃て―。
 一瞬固唾をのむうち、尾部から白煙が勢いよく噴き出すと、轟然たる音と一緒に、「奮龍」はスルスルと発射台を上った。
 ものすごい煙の尾を曳きながら浅間の頂上をはるかに越えて吸い込まれ、ごうごうたる轟きが全山を震わせるうちに、瞬く間に小さい点となり、やがて視界から消え去った。右旋回、つづいて左旋回。やがて舵中央と電波が誘導する。「奮龍」はその都度、応答のシグナルを自動的に打ち返してくる。「目標地点落下――」。無線で入った報告に方々から「万歳」の声が沸き起こった。
 落下地点は予定の地点から20メートルは離れていなかった。時に1945年7月末のことだった。そして8月15日、全ては終わった。
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