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丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2

【自分から見て左側を応援するBlog】 (速報性無し) 肩の力を抜いてハナホジしながら読むのが『礼儀』です。

 
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「国会・慰安婦質問」で、
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@管理人

241006 【フィリピン】 独立は何回でも

【Wedge】 フィリピンの国民的英雄から始まる日本との友好の絆 [10/6]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1728187030/

1 名前:@仮面ウニダー ★[] 投稿日:2024/10/06(日) 12:57:10.40 ID:f7c8USPI [1/2]

ー前略ー

・セブ島の高校生が作成していた国民的英雄の物語

4月24日。
セブ・シティのサン・ペドロ要塞公園を歩いていたら短編映画を作成していた高校生グループに会った。

フィリピン独立の英雄“ホセ・リサール”が現代にタイムスリップして現代フィリピン社会を観察するというようなストーリーらしい。
彼らの話しぶりからホセ・リサールがいかに国民から崇拝・敬愛されているか伝わって来た。

日本では一般に知られていないが、ホセ・リサールはフィリピン人なら誰でも知っている断トツ・ナンバーワンの国民的英雄である。
マニラ中心部には壮大なホセ・リサール記念公園がある。

どこの町にも必ず“ホセ・リサール通り”“ホセ・リサール公園”があり至る所にホセ・リサールの銅像が立っている。幼稚園から大学まで学校には必ず彼の銅像がある。
調べると1956年に「ホセ・リサール法」が制定され全ての学校でホセ・リサールの生涯、著述を教えることが義務づけられている。

・国民的英雄の35年の短い生涯
筆者は2年前に見学したマニラのホセ・リサール記念館(Rizal Shrine)を見学した。
記念館は英雄の生涯を数多くの展示物で丁寧に紹介していた。

ホセは1861年6月19日にルソン島カランバで生まれ、1896年12月30日にスペインからの独立を扇動した罪でマニラのサンチアゴ要塞で処刑された。
その処刑場跡地にホセ・リサール記念館が建てられている。

ホセの家系は父方に中国人、母方に日本人もいるスペインとフィリピーノの混血(mestizo)。
白皙眉目秀麗学究肌の肖像が残っている。

マニラのアテネオ学院で農業・測量を学びサント・トマス大学で医学を修了、21歳でマドリード大学医学部と哲文学部へ。
この間に18歳でスペイン語の詩のコンテストで優勝。
24歳で哲文学博士・医学学士。

その後パリ大学で仏語と眼科を修め26歳からハイデルベグル大学、ライプティヒ大学、ベルリン大学で医学と社会学を学ぶ。

ホセは同時に語学の天才で英・仏・独・西・蘭・葡・露・中国など主要言語かラテン・ヘブライ・サンスクリットなど22カ国語を習得。

ホセは独立運動の精神的リーダーであるが同時に医師、著述家、詩人、学者、画家という博学多才ぶり。
辛亥革命の孫文、魯迅、日本では平賀源内、南方熊楠を併せたような稀有な才人である。

フィリピン高校生必読の国民的叙事詩を出版

1887年2月、26歳の時に『ノリ・メ・タンヘレ』という小説をドイツで出版してフィリピン社会を描きスペイン支配やカトリック教会を批判。
タガログ語版もフィリピンで出版されフィリピン人の国民意識を覚醒し後の独立闘争につながる。

その後30歳で『ノリ・メ・タンヘレ』の続編『エル・フィルブステリシモ』(題名は19世紀初めのラテンアメリカのスペイン植民地解放運動を意味する)をベルギーで出版。
この2つの小説はフィリピンで高校の必読書に指定されている。

1887年6月フィリピンに帰国するも小説発禁と国外追放命令により翌年2月に米国経由で欧州に再留学すべく出国。


寄港地横浜で日本女性に運命の邂逅

2月28日に船の乗継のため横浜港に到着。

翌日元旗本の貿易商の娘“臼井勢以子”(おせいさん)に偶然出会い恋に落ち、2日間の日本滞在予定が一か月半にも及んだ。

ホセ27歳、おせいさん22歳。
おせいさんは英語とフランス語を少し話せる教養ある女性だった。

ホセ・リサール記念館には“おせいさん”の大きな肖像写真とホセが描いた似顔絵が展示されている。
そして彼女から習った日本語をホセが筆記したノートには端正な漢字とひらがなで書かれた単語や例文が並んでいる。

ホセは日比谷にあった東京ホテルに逗留しておせいさんと東京見物し早春の日光や箱根も楽しんでいる。
現在日比谷公園の東京ホテル跡地にはホセの銅像が立っている。

セはスペイン人からも敬愛され、
身の上を案じたスペイン公使館から
日本に残り在留外国人のために
診療所を開業するように勧められたが

「フィリピンや世界各地にフィリピン独立のため自分を待っている同志がいる」と申し出を断って4月13日に米国へ向け出航した。

ホセは日記におせいさんへの思いを切々と綴っている。

その後ホセは3年間欧州での亡命生活を経てフィリピンに帰国して独立運動に挺身、ミンダナオ島への流刑を経て35歳で処刑された。
ホセは『日本でおせいさんと過ごした1カ月半は青春の至福の一章であった』と手記に残している。


おせいさんの後半生と墓地

22歳でホセを見送ってからおせいさんは長らく独り身で過ごした。
1897年に30歳で大学教師の英国人と結婚。
当時としてはかなりの晩婚である。

前年度にホセがマニラで処刑されたことは日本でも新聞報道されており、ホセの死を知ったおせいさんは結婚を決意したのであろうか。

おせいさんは1947年80歳で亡くなり、英国人の夫とともに雑司が谷の墓地に埋葬されている。
墓地には毎年ホセの誕生日にフィリピン大使館が献花している。


フィリピンの対米独立闘争と日本人義勇兵

ドゥマゲティの民間戦争博物館のオーナーのカタル氏
(『「生きてこそ大和櫻」太平洋戦争、ネグロス島東部の戦い』ご参照)
が語った米西戦争以来のフィリピン人の反米感情と明治の日本の独立支援の話を思い出した。

ホセ・リサールが銃殺されて2年後の1898年米西戦争が勃発。
混乱に乗じてホセ・リサールの薫陶を受けていた独立闘争リーダーのアギナルドが独立を宣言(第一共和国)し初代大統領に就任するも新たに米国がフィリピンを植民地化。

アギナルドの革命政府は1898年日本に支援要請。

日本政府は対米配慮より支援できず、代わりに民間有志から武器弾薬が送られ陸軍予備役士官5人と在フィリピン邦人300人が義勇兵として革命政府軍の対米闘争に参加。
しかし革命軍は破れアギナルドの盟友リカルテ将軍は日本に亡命した。


日本軍占領下でのフィリピン独立

太平洋戦争で日本軍が米軍を駆逐してフィリピンを占領すると75歳のリカルテ将軍はフィリピンに帰国。
1943年10月に日本は軍政を廃し対日協力派のラウレルが大統領に就き独立を宣言(第二共和国)。

国会議長はベニグノ・アキノ。
彼の息子がマルコス大統領配下に暗殺されたベニグノ・アキノ二世。
その妻がコラソン・アキノ元大統領、さらにその息子がベニグノ・アキノ三世元大統領である。

ラウレル大統領は1943年東京で開催された大東亜会議にインド、満州、ビルマ、タイなどの代表と共に出席している。
日本の敗色が濃厚になると駐比大使であった村田省三は懇意にしていたラウレル大統領、アキノ国会議長家族を日本に亡命させた。

ラウレルは戦後しばらくして政界に復帰、日本との賠償交渉の首席となったが日本の代表は奇しくも村田省三であった。お互いを信頼する双方の代表により交渉は進められた。


戦後初のフィリピン共和国の大統領となったロハスを救った日本軍人

ロハスは太平洋戦争緒戦でフィリピンに上陸してきた日本軍に対してフィリピン軍を率いて戦ったが破れて日本軍の捕虜となった。

マニラの日本軍司令部は危険分子として処刑命令を出したが、取調べで面談した神保信彦中佐はロハスが反日分子ではなく純粋にフィリピン独立を望む愛国の志士であることを見抜き司令部を説得し処刑を撤回させた。

戦後1946年7月にロハスは大統領に就任してフィリピンの3回目の独立を宣言した(第三共和国)。
神保は戦争末期に北支戦線に転属。
敗戦により国民党軍は戦犯として拘束。

神保の夫人が窮余の一策でロハス大統領に助力嘆願の手紙を送った。
ロハス大統領は蒋介石主席に神保中佐の人柄と人道的行為を綿々と綴った助命嘆願親書を送った。
まもなく蒋介石の指示で釈放された神保は1947年無事帰国。

品川駅で報道陣に囲まれた神保は「地上の権力はいつか滅びるが、真の友情は永遠に続く」と名言を残した。



・1962年の皇太子夫妻のフィリピン訪問とホセ・リサールの遺産

現在の上皇ご夫妻は皇太子時代にまだまだ反日感情がくすぶるフィリピンを親善訪問。

空港到着時の挨拶でフィリピン人なら誰でも知っているホセ・リサールの有名な辞世の詩を引用して
「貴国の英雄の言葉に従えば『東洋の海の真珠』(フィリピンを指す)を自分自身の目で見るのが宿願でした」と切り出した。

さらに歓迎晩餐会では
「昨年(1961年)のホセ・リーガル博士の生誕百年を祝して東京の中心(日比谷公園)に博士の記念碑が建てられました。
この記念碑は自由と独立の大義に一命を捧げた博士の……に対して日本国民の心からの尊敬をあらわすものです」
とスピーチ。

こうした皇太子の言葉がメディアで伝えられるとフィリピン国民の間に皇太子夫妻を歓迎するムードが広がって行ったという。

当時ホセの遺稿が発見され日本滞在の様子やホセの見た古き良き日本を人々が知ることで更に好意的感情が生まれたようだ。

ホセは日本滞在中に手紙や日記で
「日本人は温順・平和・勤勉な将来性のある国民である」
「日比両国は緊密な関係を持たねばならぬ」と記していた。

さらに皇太子夫妻は病気静養中の当時92歳のフィリピン初代大統領アギナルドを自宅に見舞っている。
アギナルドは19世紀末の対米独立戦争で日本から受けた支援に感謝を表明した。

当時のフィリピンのメディアによると皇太子夫妻の親善訪問は予想外の好意的反響を呼び友好親善ムードが広がったとある。

高野凌
全文はソースから
10/6(日) 5:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/76efe0f01d6587383a410a35dbb8974a599f4ee8



2 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2024/10/06(日) 12:57:41.10 ID:f7c8USPI [2/2]
<丶`∀´> 長いけどいい話ニダ



25 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[we] 投稿日:2024/10/06(日) 15:29:10.17 ID:3xCBhmvk
ボルテスVの話じゃないのか…

28 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2024/10/06(日) 15:57:19.36 ID:kcgpgh/s
>>25
俺もそう思った






※一昔前の「頭のおかしい日本人」たち/

●100806 【人】 大沢努/野武士
【話題】フィリピンの刑務所で頂点に立った日本人
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1280902779/

異国の地で突然の逮捕、そして死刑判決。2万人を超える囚人が収容された刑務所で19年にわたり服役し、プリズン・ギャング(刑務所内のギャング組織)の頂点に立った日本人。

こんな、嘘のような本当の話があるのをご存知でしょうか? 

その人の名は大沢努さん。フィリピンで営利誘拐、不法監禁の罪で逮捕、死刑判決を受け、1986年に同国最大の規模を持つモンテンルパ刑務所に収容されました。



72 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 15:54:55 ID:jcwBv/kp0
>>23
そのメキシコで畏れられてる
韓国マフィアは相当なもんだなw
何年か前に、あんまり酷くて
韓国-メキシコ間の直行便廃止
(アメリカ経由以外の入国拒否)と、
国会での韓国への非難決議
までやってたよな。

軍さえ虐殺するメキシコで、
更にそれよりヤバい韓国マフィア・・


93 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/08/04(水) 16:01:32 ID:T/NpFXC30
>>72
どうヤバいの?ウザがられているだけじゃね?
中南米でも女子供に手を挙げるって印象しかないな。

104 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 16:06:37 ID:jcwBv/kp0
>>93
偽造パスポートでやってきて、
密輸入をして、韓国人街を形成し、
その町では韓国語しか使えないという
異常な犯罪ゲットーが作られて、社会問題になり、
周辺都市からも排斥デモが出るくらい。

空港で摘発できた偽造パスポートだけでも、
39件中37件が韓国人。

世界中からやってくる中で、
あまりに韓国人だけ
偽造が突出しすぎていて、
アメリカの旅券確認システムを経ないと
韓国人は入国してはいけない
という規則が作られた。




19 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/08/04(水) 15:28:55 ID:5WEC/j2n0
単身中国に渡り、
捕虜から「中国全土の馬族」の総頭目になった
「小白竜シャオパイロン」の異名を持つ、
日本人 小日向白朗をご存知でしょうか?>>1



80 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 15:57:55 ID:w0sieAjv0
伊達順之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
伊達 順之助(だて じゅんのすけ、1892年(明治25年)- 1948年(昭和23年)6月1日)は満蒙独立運
動や山東自治聯軍に参加した大陸浪人・馬賊。戦国武将伊達政宗の直系子孫。
父は仙台藩知事・伊達宗敦(順之助は宗敦の六男)。中国名は張宗援。



120 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 16:12:13 ID:jcwBv/kp0
>>99
フィリピンの歴史:
スペイン人に搾取されまくる

アメリカに救いを求める
:アメリカはスペインを追い出す

アメリカの搾取開始
:スペインより酷い搾取で暴動に

日本に救いを求める
:日本敗戦

再びアメリカの支配
:成長産業は全てアメリカ企業が買収する(憲法違反だけど)

大統領選挙では日本軍を呼び寄せたゲリラが圧勝
・・・の筈がなぜか事前人気に反して敗退

直後にCIAが選挙に不正工作をしたのがバレて暴動

CIAのせいなのに、
大統領に治安維持能力がないとして米軍が出動して暴徒鎮圧

産業がボロボロのまま米軍支配が続き、
数十年経ってようやく反対活動が功を奏して米軍出て行く

引き上げで資本もごっそり持っていき、
フィリピン産業ズタボロ。←イマココ




226 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 21:00:17 ID:4panOvaZ0
アメリカの西海岸みれば分かるだろ。
同じ移民でも日系は、すぐに頭角を現し上に立つようになった。
いつまでたっても黒人やラティーノは底辺。
何の自慢にもならん。




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