遅刻よりタイムオーバーの方が嫌

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遅刻、という行為は、「たるんでる」「相手を尊重していない証拠」「自己コントロールができていない」など、忌み嫌われがち、というか親でも殺されたのか、他人の遅刻のせいで親の死に目に会えんかった思い出でもあるんか、というくらい憎まれているような気がする。

そりゃあ、よいことではないのは分かる。

だが、私は遅刻をそのように憎むことができない。それよりもタイムオーバー、定刻を過ぎても終わらない仕事や打ち合わせ、セミナーかなんかの講師の話、発表、等々に私は殺意を覚える。

 

遅刻とタイムオーバー、それが始まりか終わりかに来るだけであって同じく「時間が守られない」という事象なのに、遅刻の忌み嫌われっぷりと、タイムオーバーへの言及のなさ、この違いはなんなのだろう。

 

私が遅刻にそこまでムカつかないのは、基本的にぼっちゆえ金をかけずに時間をつぶすのが得意だということ、一時間以上待つことになれば置いていくか帰ると決めていること、このふたつの要素が大きい。

私自身は(田舎在住で早めに出ざるを得ないため)ほとんど遅刻することはないが、他人にそれを押し付けようとは思わないし、遅刻してきたからといって人格を判断することもない。むしろ空白の時間ができたら、本も読めるし妄想もできるしラッキーだと思う。連絡がなければさすがに心配するが、生存が確認できていればどれだけ遅刻されても全くイライラしない。

 

遅刻に関しては「お前ほんとに日本育ちか?」というゆるゆるさを見せながら(電車やバスの遅延も、5分や10分で謝る必要ないと思う)、しかし、タイムオーバーに関しては殺意を滲み出させてしまう。

 

こちらは「大体この時間に終わるな」と仕事や打ち合わせやセミナー(遊びも)に取り組んでいるのである。たとえそれが楽しいものであったとしても、家ほど神聖なものなどない人間にとっては、なかなか終了しないのは精神的に多大な我慢を強いられる。遅刻されたなら自分次第で時間を作り出せるが、「その場にいるのが私だけじゃなくて」「帰るという選択肢がなくて」「勝手に読書やTwitterを始めたらクソ怒られる」。ムリや。

 

要するに、遅刻されるより、タイムオーバーの方が、時間の使い方に対して自分の欲を優先できないからムカつくのである。遅刻にムカつく人は、タイムオーバーにも同じように、いや、さらにムカつくのであろうか。それとも「しかたない」と思って受け入れるのであろうか。ぜひ聞いてみたい。

 

 #遅刻 #タイムオーバー #時間の使い方 #オピニオン