東ちづる「母からの高すぎる要求を<愛>だと勘違いして、<いい子>をずっと演じ続けてきた。40歳、母娘2人で受けたカウンセリングで、自分らしさを取り戻して」
2024年12月20日(金)12時30分 婦人公論.jp
「自分が長年抱えてきた生きづらさは、実は母からの過剰な期待と精神的な支配が大きな要因だったのだと気づいたんです」(撮影:宮崎貢司)
幼い頃から「いい子」を演じ、自分の気持ちを押し殺してきたという東ちづるさん。40歳のとき母と一緒にカウンセリングを受けたことで、それぞれが自分らしく生きられるようになったと言います(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司)
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過剰な期待を寄せられ続けて
母が21歳で私を産んだとき、「子どもが子どもを産んだ」と言われたそうです。その言葉をはねかえすべく、母は育児書や教育書を何冊も読んで「良妻賢母」を目指し、「世間がどう思うか」を何よりも重んじながら、私と妹を育ててきました。
もともと、母はとても頑張り屋さんなんですよ。子どもの頃、私は母のすっぴんを見たことがなくて。毎朝、家族が起きる前に化粧をして身だしなみを整えてから朝ご飯を用意し、完璧な見た目のお弁当を作るんです。
父を見送ると自分も仕事に行き、夕方帰宅したらまた家事をする。お風呂に入った後に薄化粧までして……。
そんな母でしたから、娘の私に対しても要求するレベルは高かったのでしょう。「勉強も運動も頑張りなさい」「一番がいいのよ」「愛される人、優しい人になりなさい」と、口癖のように言っていました。
そんな母の思いを「愛」だと勘違いした私は、幼い頃からずっと頑張り続けたのです。学校のテストはほぼ毎回100点、毎年学級委員にも選ばれる優等生でした。
母の喜ぶ顔を見るとホッとする一方、《いい子》でい続けねばと、無意識のうちに「本当の自分」を押し殺して生きてきたのです。
ところが、37歳のときに、アダルトチルドレンとして育った女性のエッセイが私を変えてくれました。自分が長年抱えてきた生きづらさは、実は母からの過剰な期待と精神的な支配が大きな要因だったのだと気づいたんです。
それを機に《いい子》をやめようと思えるようになり、とてもラクになりました。自分の心に素直な生き方があることを、母にも知ってもらいたい。彼女が自分に課してしまっている呪縛から解放したい。それがカウンセリングを受けた一番大きな理由です。
そしてもうひとつ、私自身が母から解放されたかったという思いがありました。芸能界に入ってからも相変わらず母の期待は大きく、心のどこかで重く感じていたからです。
母は私の活躍を自分のことのように喜び、「これは私の娘なの」と、周囲に自慢したがる。私が「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」に選ばれたときはさぞ嬉しかったと思います。
2人で喫茶店に入っても、「見られているから、ちゃんとしなさい」と言い、みんなが期待する「東ちづる」を常に求めてきていました。そのたびに、私は真綿で首を絞められるように苦しく、母のことを以前のようには愛せなくなっていた。
でも、実母にネガティブな思いを抱き続けているのはしんどい。だから、一緒にカウンセリングを受けることで、2人とも解放されれば、と思ったのです。
不安がったり泣いたり
とはいえ、最初から「カウンセリング」という方法を提案したわけではありません。まずは自分の力で母を変えようとしました。
その頃、60代にして夫を亡くしていた母は、2人の子どもをシングルマザーとして育てる妹と同居していて。孫たちに対しても「一番になりなさい」「愛される人になりなさい」と説く姿を見た私は、危機感を覚えました。
「お母さんの考え方はおかしい」「いつも『頑張れ』と言われて育った私はずっとつらかった」と訴えてみたのです。
母にとっては寝耳に水。これまでそんな反抗はされたことがないのにいきなり否定されたので、「この歳でそんなことを言われるとは思わなかった」「今さら私をあなたの理想の母親像にあてはめようとしているの?」と、たちまちケンカになっちゃって。
気づけば私も、昔、母に言われて嫌だった「あなたのためなんだから!」というセリフを投げつけてしまうありさまでした。
そんなとき、たまたま仕事を通じて、カウンセラーの長谷川先生と知り合い、力を借りることにしたのです。
しかし、「カウンセリングを受けよう」と言っても母は戸惑うばかり。そもそも、母自身に具体的な悩みがあるわけではないのです。
「もっと自分らしく生きてほしいの」と説明しても、「私は好きなように生きているわよ」と言い張ります。挙句、「催眠術のようなもの?」などと不安がったり、「私はおかしい人じゃない!」と泣いたり……。胸が痛みましたが、扉を開けてしまった以上、もう後には引けません。
ようやく、「会ってみるだけなら」と同意を得て、2人で長谷川先生に会いに行くことができました。すると、どんな話でも受け入れてくれる先生の人柄に安心し、以降のカウンセリングも承諾してくれたのです。
<後編につづく>
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