ハルヒの作者がやりたかったことって何なのかなと思った話。(原作未読だけれど多分ネタバレあり)
原作未読、アニメ版は初回とMADと最終回くらいしか見てないおれでございまして、今から書くことは大ハズレでマトハズレ、あるいはファンの間では既出も既出、大既出のことかもしれないのですけど、書きます。ハルヒの作者がやりたかったことって何なのかなと思った話。
キャラクター小説の目的の一つに「読者の消費効率UP」があり、そのためにオヤクソクのキャラクター、オヤクソクの設定、オヤクソクの展開を頻出させ、読者の理解障壁を極限まで下げるのが常套手段とされているかと思うのですけど*1、そんなオヤクソクだらけのキャラクター小説界に一石投じたかったのかしら、ハルヒの作者は?
売れるためには、オヤクソクギミック溢れてなきゃいけない*2。でも意味もなくオヤクソクに溢れてたら他の作品と変わりない。じゃあオヤクソクに必然性を与えればいいじゃんか。こうしてハルヒ設定「ハルヒが望んだとおりに世界が作られる」という設定を用意したのかなと思った。これで無口美少女や巨乳ロリにも必然性が与えられたのだ、的な。読者のツッコミに先回りする形でモノローグ少年に「話がうますぎる」と言わせる。でも、そんなふうに物語内部から物語批判をさせても痛くも痒くもない設定、それがハルヒ設定なのだ、的な。
この設定はオヤクソクにオスミツキを与えた。どんだけベタなオヤクソクを出してもおかしくない世界なのです。どんなにベタなことも、ありえないことも、あっていい世界。その設定を読者が理解した後であれば、どんなネタもベタもラブもコメもあってかまわない。読者は安心してオヤクソクの渦に身を投じられる。
ハルヒの作者がやりたかったことはこういうことなんじゃないか、と思った。未読のおれが思った。未読のくせに思うなよ。まったくもってこれはひどい。
あとこのハルヒ設定を聞いたとき、「宇宙英雄物語」を思い出した。「ビューティフル・ドリーマー」じゃなくて。
補足:メールで「ハルヒはメタ小説」なのですよ、とアドバイスいただきました! そしたらあと気になるのは《小説》ではなく《メタ小説》がバカ受けした理由・時代背景・読者層の成熟(成熟?)・メタ小説がウケると見越した作者(編集者?)の洞察力・タイミング力というのは気になるなぁと思ったのと、いやそれより問題なのはおれがメタ小説って何なのかわかってないじゃんっていう。メタ小説って何なんだろう?
さしあたってwikiったりググったりして勉強します。