ハロウィンパーティー/ひとりで考えるということ、雑念を振り払うということ




昨年も参加したパーティーなのだが、
週末は知人とその身内だけのハロウィンパーティーに参加してきた。


前回は確かソロナンでハロウィンの女の子を捕まえてパーティーに搬送したのだが、
今年は現在かなり頻繁に会っている女性とふたりでパーティーに参加した。
参加者の男性は顔見知りばかりだし、大丈夫かと思いそうした。


自分もちょっとした仮装をした。で、彼女の仮装内容は直前まで知らされていなかったのだけれども、
それがあまりにも綺麗で、改めて度肝を抜かれてしまった。
もともとあんまりナンパ要素のない身内なパーティーなので気にはしなかったが、さすがに評判になってしまった。
そういう形でドヤったり、マウンティングしたりするつもりは一切なかったので、逆にあたふたしてしまった。
それで若干変な動きをしてしまった。今思えば少し自意識過剰だったかもしれない。


主催者のツテらしく、豪華で広い広いリビングにはDJセットがあり、簡単なクラブみたいになっていた。
でもナンパっぽさは全然ない。
来てる女の子もそういうのを目的としていない。
仲が良い人が仲が良い人だけを集めたような会で、
とても居心地が良かったし、充足感があった。


0時過ぎになったので、このまま残る組(いっつも朝までグダグダ語ってるタイプ、そういうのが好きなタイプ)と、ささっと帰る組に別れ始めたので、
自分と彼女は帰る組に混じって帰宅した。

※朝まで語るタイプを批判している訳ではない。自分もグダグダ語るのは好き


彼女とうちまで帰って、
じゃあちょっと飲もっか、なんて言ってワイン開けて。
3時くらいまで彼女と語り合った。
久しぶりにとても居心地よく話せた。
その後もちろんやることはやったが、
もはや後戯というか、メインディッシュはその前の彼女との対話だったと思える。



日曜日は他にやることがあったので、ざーっとこなして今に至る。


で、考えたこと。


ひとりの時間を大切にすること。
雑念を振り払うこと。




ひとりの時間というのは、家でひとりでいる時間のことではない。


それは物理的にひとりでいるだけ。
どういうことかと言うと、自分に対する評判のことを考えたり、
上司のことを考えたり、人に批判されてしまったとあることを考えたり、
ネットの公開チャットを眺めることであったり、
自分の相対的な立ち位置を気にしたりすることであったり、


つまり、他人と絡めた自分のことを考えてしまっていることだ。


そうではない。
ひとりの時間とは、純粋に自分が自分のことを考えることだ。


自分はどんなことがしたいのか。
それについて、「自分は」どう思うのか。
それができないとどうして「自分は」思うのか。
現在の自分を「自分は」どう思っているのか。



他人目線を一切排除して自分のことを考えることだ。
その時間をひとりの時間と呼ぶのだ。


スマホを裏返しにして、天井をひとりで眺めるのだ。
そして、ふーっ、とため息をつく。
鼻から深く息を吸う。息を吐く。
そのまま深呼吸する。


「で、最近どうなの?」
と、自分に訊いてみる。


この時間が本当に大切だ。
情報が簡単に手に入り、その取捨選択が非常に難しいこの時代に、
一旦情報を絶ち、情報デトックスを行い、
自分と対話をする時間が必要になっているのだ。


「満足してるの?」
「ある部分は」
「どの部分?」
「これについて」
「していない部分は」
「あれについて」
「それに対してどうする?」
「こうしようと思っている」



これを頭の中でぐるぐると回す。
何度も何度も回す。
この時間だけは他人は登場させない。
自分が自分をどう評価するか、どう思うかに、
全神経を集中させる。


世間一般的には、自分のことだけを考えることは、
批判の対象とされている。


自己中だとか、もっと他人のことを考えろとか、
公共の利益になるようなことをしろとか、
そういう発言がマジョリティとなる。


だが、考えるだけであればそれは批判の対象とはならない。
人の思考はどこまでも自由だからだ。
究極の自由がそこにあると言ってもいい。


自己中だと思われてしまうのは、
それは社会へのチューニングが下手なだけだ。
結果的に自己中なふるまいや発言や投稿をしてしまって、誰かを不快にさせてしまっていたり、
自己の利益だけを追求しているような印象を与えてしまっているだけだ。



社会で生きていく以上、そこのチューニングは課せられた義務だ。
そこはうまくこなせばいい。
だが、そればかりにとらわれてしまってはいけない。
人生の醍醐味を決めるのは自我だ。
自分自身である自己であり、その思考こそがすべてを司っている。


社会や他人に流され続けてはいけない。
自我を強く保たなければいけない。
そのために必要になることがひとりの時間だ。
それも物理的なものではない。
上記したような、純粋な自己との対話、自己以外をすべて隔絶した空間・時間のことだ。



ハロウィンは楽しいのだが、自分のようなソロのストリートナンパ師にとっては
多少やりづらい期間ではある。


ハロウィンの期間は年間でも一週間ほどの盛り上がりだが、
ソロスト師にとってのベースは、365日のうちのなんでもない日のことだ。


主戦場が「イベントのない日」なのだ。
なんの変哲もないただの日常こそが、主戦場であり得意なフィールドなのだ。


単純にハロウィンは女性が複数だということでやりづらいのもあるが、
仮装している場合は、仮装のクオリティというものが評価基準のひとつに追加されてしまうため、通常とは別の戦略・作戦が必要になってくる。



もちろんハロウィンに特化したやり方は数多あるし、
自分も数々経験してきたのだが、
今年は正直に通常通りの運行だけで過ごすと決めた。


自分で自分の楽しいことを正直に考えた結果、
自分はなんの変哲もない日常から、自分でもびっくりするようなドラマを生み出すのが好きだし、よりそっちを極めていく方向に改めて注力しようと決めた。



自己との対話は難しい。
なぜなら雑念が多いから。


もともとぐるぐる考える癖があるので、
雑念も人より多いタイプかもしれないと思っている。
だからこそ、雑念を意識して振り払おうとしてきた。
出来るだけ自己との純粋思考が出来るように注力してきた。



人と居ることは楽しいし、もちろん女性と一緒に居ることは本当に癒やされるし、知人とワイワイ話すのも楽しい。


だが、それ以上に、自分とだけ話す時間も本当に大事だと思う。
少なくとも自分にとってはとても大切だし、
そのバランスが崩れるのをかなり嫌がってしまうタイプかもしれない。


ここまで書いてきて、ああ自分はなんて面倒くさい人間なんだと多少思ってしまったりする。


昔某SNSか何かのコミュニティで、寂しがりやのひとり好き、とかいう名称があった気がする。


自分が入ってたかどうか完全に忘れてしまったが、客観視すると痛すぎて若干見てられない気持ちになる。


もはや黒歴史。