ブログの下書きだらけで全然書けていない。
ふとした時にTO DOアプリに下書きの断片を書くのだが、おそらく95%は記事にならずボツになっている。
古いものは自分でも何のメモか分からなくなっている。
で、本題へ。
昔から患ってる持病(全然大したことない)があり、定期的に大きな病院に通っているのだが、
ご存知の通り、新宿には大学病院を含めて大きな病院が本当に多く存在し、ひしめき合っている。
そして新宿に何年も住み、何年も日常的にナンパをしていると、当たり前のように医療系の女性と知り合うことが多く、
それこそほとんど全部なんじゃないかってくらいの種類の医療系女子と、今まで関係を持ってきた。
ナース、検査技師、放射線技師、女医、受付スタッフ、事務の子、医療秘書、薬剤師、助産師、
あとは歯学の分野で歯科衛生士、歯科医、歯科専門学校生、
看護専門学生、医大生、、
ナースの中にも科によってかなり仕事内容が違って、
消化器科、循環器内科(ジュンナイって言ってたのを聞き直して覚えた)、呼吸器系はつらい、
ICUのナースはかなり大変だ、とか、
そういえばナースの種類はかなり経験あるが、
女医さんになると種類が一気に減って、麻酔科志望だった研修医の女医さんとか、ベテランの循環器内科の女医さん、小児科の女医さん、
自分的に一番珍しかったのは脳外科医の女医さん(新宿のとあるバーでひとりで飲んでいるところで知り合った。残念ながら口説けず負けた)。
自分はだいたい決まって仕事の話をよく聞くし、たとえ知ってることだったとしても「あーそれ知ってる!」とは言わず、
「へえ」と相づちを打つ程度なので、
医療系の知識を何度も何度も聞くし、あるあるを何度も聞くし、ピロートークでは深い話を沢山聞いてきた。
そうやって彼女たちと多く触れ合ってきて、たくさん会話を重ねてきたからか、もともとそうなのかは分からないけれども、
とにかく医療系の子とは本当に話が合うし、なんとなく相性がいいんじゃないかとずっと思っていた。
で、先日、冒頭で書いたいつもの病院に行って、徒歩で帰宅してる最中に、
スラッとした高身長のマスクした女性とすれ違った。
もはや街を歩いていても、この子は出勤前の医療従事者だとか、この子は夜勤明け、この子は日勤終わって帰宅してる子、、なんて分かってしまうのだが、
(たいていマスクをしているし、たいてい履きつぶしたようなスニーカーを履いている)
いつものようにナンパをして、ラインを交換して、
アポを組んで、新宿のいつもの店で飲んでいた。
彼女はとあるがんの患者を多く受け持つ科で働いていた。
もちろん重い話は最初にするべきじゃないから、
その話題は避けて、恋愛の話だったり、医療系あるあるの話で大いに盛り上がった。
(最近医療系の芸人が面白いらしい)
彼女はとある地方出身で、地方の専門学校を卒業して、その地元の病院で働いていたが、
転職して、去年の春に現在の病院に移ってきたらしい。
ちょっとなまってるのが可愛いし、やはり地方の子特有のまったりした雰囲気があって、
話も合うし心地の良いなごみができた。
で、二軒目のバーで深い話、雰囲気のでる口説きモードで口説いて、
自宅へと連れ出して準即。
ここからが本番。
ピロートークで病院のことを聞いた。
つらい出来事がやはり多いとのことだった。
終末期の医療、看取りは最初は衝撃的だという。
耐えられない子もいるという。
患者の方々は、多くが強制的に死と向き合うことになる。
一気に死を意識しなくてはならなくなる。
その時の対応は人それぞれで、誰もが素直に受け入れられるものではない。
それでも看護師は必ずそばに寄り添わなくてはならない。
多くの患者がいて、時が経てば、亡くなる患者に出会っていく。
だが忙しすぎるため、その出来事もどんどん流れていく。
冗談を言っていつも笑わせてくる患者さんも。
気難しいし言葉遣いは荒いけれど、本当は愛情深い患者さんも。
全部関係なく。
昨日まで雑談していた人がいなくなる。
そして次の日には新しい人がやってくる。
色々なことがどんどん麻痺していく。
自分は、死について、死生観については昔からずっと変に考える癖があって、
ふとした時とかによく死ぬことについて考えてしまってきた。
※ちょうど2年ほど前にもブログ記事にしてる
死について
nanpawars-blog.net/post-1384
今もそうなのだが、死について考えると怖くなる。
死んだらどうなるんだろう、とか、
なんでこの意識は、自分にだけ宿っているんだろう、とか、
なぜAさんではなく自分に意識があるのか、なぜBさんではないのか、
意識が途切れたら永遠の無になるのか、
永遠の無とは何なのか、そもそも意識が始まる前は何だったのか、、
なんて止まらなくなる。
もちろん、こんな問いに答えはないし、
死後については生きている人間は知ることが出来ないため、
死後が楽しいのか、つらいのか、何なのかは構造的に知り得ることが出来ない。
知れないことについて考えるのは無駄だから、考えないでおく。
これが正解なのはよく分かっている。
だが、自分は結構な頻度で死について考えてしまうので、
この無駄な思考、無駄な恐怖心を頻繁に感じてしまっている。
そして、死の恐怖を感じると、セッ○スがしたくなってしまう。
これがなぜなのかは自分でもさっぱり分からない。
ただ怖いから人肌恋しくなるのかもしれないが、
誰かと抱き合うとか、抱きしめてほしいとか、そういうのではなく、
セッ○スがしたくなる。
自分の生存本能がそうさせているのか、種を残すための何か遺伝子的なものなのか、それは分からないが、
とにかくセッ○スがしたくなる。
死という概念の対局となる生。その生を象徴する行為であるセッ○ス。
死を強く意識するからこその行為なのかもしれない。
はっきり言って全然分からない。
だがナースもそうなのではないか?
日々死と寄り添って仕事をしており、死を意識せざるを得ない日常を送っている。
それは計り知れないストレスだと思うし、たとえそれに慣れていたり、忙しくて全然意識しない、と言っていたとしても、
心の奥では、深層心理では、死ははっきりと意識の中にあり、大きく根を張っているのではないだろうか。
死を考えると怖くなる。死は闇として心に大きな影を作る。
だからこそ体を重ねることが必要になるし、繋がる必要が生まれてくる。
死は究極の孤独だから。
死を考えると、誰かと繋がりたくなるから。
人が死ぬところを毎回見ていたら、そうでもしないと耐えられない。
どうやったって耐えられない。
生なんてほんとうにあっけなくて、病は無慈悲に人の生を奪っていく。
そしてすぐに次の日が訪れる。
ずっと彼女と夜中まで話していて、途中、彼女は泣いてしまった。
慰めていながら、自分も泣いてしまった。
彼女の受け持っていた患者とあったこともないし、
最近親族が死んだとか、近しい人が亡くなったとかそういうことも無いけれど、
分からないけど、その夜は一緒に泣いてしまった。
とはいえ、それでも一緒に寝た次の日は一緒に朝ごはんを食べたし、
おいしいね、おいしいねなんて言いながら、
一緒に作ったフレンチトーストをパクパク食べた。
自分はいつもどおり出社して鬼のように画面を凝視しながらキーボードを叩いていたし、
彼女は友達と表参道のパンケーキ屋の行列に並びに行ってた。
前の晩にふたりで大泣きしたくせに、次の日にはケロッと仕事して、
ケロッと休日を満喫してパンケーキ食べてる。
それが人間だし、それが人間の強さでもあると思う。
自分が刹那的な恋愛ばかりを好んだり、
刹那的な関係ばかりをこなす理由も、こういう死生観にあるのかもしれない。
ナンパ師がそういう関係を好むのにも、理由があるかもしれない。
何だろう。自分のような死生観とは少し違うのかもしれないが。
ただ、医療関係の子、(歯医者関連は除く)、
とくに終末医療と密接な子と自分の相性の良さは、
もしかしたらこういう点にあるのかもしれない。
もちろんナース全員が死といつも向き合ってるわけじゃないし、
そんなの関係なしにただセッ○スするのが好きな子もいる。
ただ流されやすい子もいるし、マゾっけがあるだけの子もいるし、
単純に出会いがないからナンパに応じてくれる子もいる。
ゲーム感覚の子もいる。
一概には言えない。
だが、自分というフィルターを通して出会ってきた医療関係の子は、
自分と多少死生観が合う子が多かった気がする。
そういうハードな環境に居た子が多かった気がする。
日の当たる場所のほうが気持ちがいいし、
気分が晴れやかになるし、
晴れの日は多いほうがいい。
だが、雨の日が続いたあとの晴れの日は、
また違った良さを感じることが出来る。
明るい場所にいる方がいいけど、
暗い場所から見える光は本当にきれいに見えるし、希望を感じる。
自分はそういうものに趣を感じるタイプだし、
そういう考えを持つ人と、心の部分のどこかで繋がってきたのかもしれない。
こういう趣向みたいなものは意図して築き上げたものでは恐らくなく、
日々を過ごしてきたり、考えたりしてきた中で浮かび上がってきたもののように思える。
もともと自分の中にあったのだけれども、
それが奥の方にあったり、もしくは余計なものが周りを覆っていて、
そのように見えなかったりしたとかで。
そういうものを掘り出したり浮かび上がらせたりするものが対話だったり、
人と人との関係だったり、
それがきっかけで生まれる思考だったりする。
確かに生きるために必要なものかと言われたらそうではないし、
考えすぎって言われたらそれまでなのだけれども。
コメント
FF8のリノアがラグナロクに着いた時の、
触れていたいよ、生きてるって実感したいよ
に通じるものがある記事ですね
>カイロレンさん
今読み返すと若干恥ずかしくなってます。
ヘイヘイドクター、ヘイドクターというネタをさんまさんが出ているお笑い向上委員会というテレビで見たことがあります。お金持ちでない医大生と接点をもとうとしているときにこの話がでて、過去記事ですがコメントしました。
フロイトもエロス(生)とタナトス(死)を対比させて語っていますよね。
死へのカウンターパンチとして、生をつくり出す行為である「セックス」に邁進してしまうのでしょうか。
ベッドで一緒に泣いた、カラダを重ねて、心も触れ合った結果と思いました。
>冬ウサギさん
まさにそれです。話題になっているようです。
共通の話題があるとパッと会話の雰囲気が明るくなりますので、小ネタは日頃からストックしておくと便利です。
>寄せ植えさん
自分が体験してる・思考していることがすでにフロイトによって語られてるということが驚きです。
過去の偉人の洞察力にはただ驚くのみです。
以下の部分、とても共感します。
私も小さな頃から、ふと考えてしまいます。
答えはよくわらないですが、前よりは少し得体の知れないことから脱却してきた気がします。
物事を深く考えているチバさんが考える、今の考えみたいなところはありますか?
>>
今もそうなのだが、死について考えると怖くなる。
死んだらどうなるんだろう、とか、
なんでこの意識は、自分にだけ宿っているんだろう、とか、
>Sさん
死はいくら考えてもどうなるか分からないものであるので、
これはその他のどうなるか分からないもの、例えば未来のことなどと同列に考えるべきだと考えています。
未来のことはどうなるか分からないので、現在できることをやりきったらあとは天に任せる。
死に対する態度も、これらと同様の態度で挑もうという心積もりです。
チバさん
ご返信ありがとうございます。
言語化するのがとても上手いですね。
スピリチュアルな感じは好きではないのですが、ながい眠りにつく前に現在やることをやりきって、
人に何か残していきたいですね。
これからも、ブログ楽しみにしております!
疲れたり死を意識すると、腫の保存、せっくすを意識する様に遺伝子に組み込まれておりホルモンの働きもその様にはたらくようです