空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

何故過剰とも思える不審者情報が度々流されるのか考えてみる

 最近、ネットを見ていると度々話題になるものに「過剰な不審者情報」というものがあり、それに対して意見が書き込まれる事が数多くあります。たとえば以下のようなもの。 

■不審者情報に振り回される社会 - ひとりごと ~障害・福祉・医療・子育てを考える~

■最近の不審者情報はおかしいです。 - Yahoo!知恵袋

■小学校付近の不審者の定義について。 不審者に関して大げさ、過剰すぎないですか?... - Yahoo!知恵袋

 

不審者情報というのは、昨今の子どもを狙った犯罪から守るべく、その地区の警察や自治体などが提供しているもので、メールとして登録している人に届く仕組みがメインのようですが、ホームページで公開されることもよくあります。内容は自治体毎に違いますが、不審者情報だけではなく気象情報や地震情報などを含む場合もあるようです。保護者の方で活用されている人も多いでしょうし、実際に子どもの安全確保に役に立った例も数多くあることと思われます。

しかしながら上記のように、「非常に過敏すぎる」「なんでこんなことで不審者扱いされるの?」というコメントが多数出されることがあります。もちろんこれら、というかネット上の意見は自作自演も可能ですから、広がりについては推測するしかないのですが、これらの情報事例を見て、「これはいくらなんでも…」と思う人は相当数いても不思議ではないように思えます。

たしかに近年、子どもを狙った犯罪というものは発生し、ニュースにもなります。しかしこれの例だけでも見る限り、ただ挨拶した人や道を尋ねた、ことによるとただ自転車で追い抜かしたなど、とても全部が全部悪意があるわけではないようなケースまでも不審者として通報事例に入ってしまっているので、これでは目が合っただけでも通報されるのではないかくらいの危惧を抱いても不思議とは言えません。

 何故こういう情況になっているのか、ということについて考えてみましょう。そして、この情況が罪のない大人、ひいては子どもにまで伴いかねない危険性についても。

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おそらく警察や自治体もそれを100%不審者とは思っていないのでは

まず、一般人から見れば明らかに過剰すぎるだろと思われる不審者情報に掲載される内容ですが、そもそも本当にこれを警察や自治体のこの情報発信担当者は真実と思っているのか。もちろんこれはその自治体もしくはその担当によって異なるでしょうが、おそらく全部が全部本当の不審者と思って発信しているわけではないと思われます。

まあ体感治安の悪化を理由にした規制をしているとは耳にすることもありますが、それでも現場で毎日町をパトロールしている人の実感などから、これら全てを信じるのは大げさだと感じているはずです。

じゃあ何故、そんな明らかに過剰なものまで発信するのか、となると、これはこの不審者情報発信のプロセスに問題があるからと考えます。

 

まず、一般的にこのような不審者情報の流れるまでのプロセスとしては、以下のものが考えられます。

・市民が不審者であるらしき人を見かける

→・自治体もしくは警察に通報する

→・その警察や自治体が判断して、不審者情報として発信する

→・メールやHPで広まる

大ざっぱですが、各所のプロセス説明を見る限りはだいたいこんな感じだと思います。

 

 

不審者情報の伝達プロセスにおける問題点

しかしここで問題になるところがあります。

「不審者」というのは、あくまでそれを発見(通報)した人の主観に委ねられる

「不審者」というものはどういう人か。それぞれの人がある程度のイメージを持っていると思いますが、その範囲は個人によって違います。その人の思考はもちろん、情況や視点、さらにはその発見した人の精神状態によっても、その人がどう映るかというのは常に変化します。となると、大半の人が不審者と思わない人でも、一人が思ってしまえば、その人は不審者になり得てしまうのです。

あと、伝言リレーで親が不審者と勘違いする例もあるようです。例えば親はよく知っている近所のおじさんや親戚が子どもに挨拶したけど、子どもは記憶になかった場合、「知らないオジサンに話しかけられた」となります。そして親が不審者と勘違いし通報、というケースもありえるでしょう。

 

不審者情報は万一を考えて誤報排除がしにくい

通報された情報は警察や自治体などに伝わりますが、ここで問題が生じます。 

ここでもし組織の担当の人がその情報を聞いて、「それ、不審者じゃないんじゃね?」と思ったとしても、仮に本当に不審者だった場合、それをスルーしてしまうと、不審者を見逃したということで、事件が起きる可能性があり、仮にそうなった場合は不審者の連絡があったにもかかわらず見逃したということで、責任問題にも繋がってしまいかねません。さらには何もなかったとしても、その通報当事者に「何故通報したのに情報に反映されないのか」というクレームがつく可能性があります。それを避けているのもあるかもしれません。

しかも、多くの場合不審者情報は速報性を要するものであるため、精査する時間がない、ということも大きな要因としてあります。

 

万一を防ぐために正確性が犠牲になる情況

すなわち、どんな不審者としての確率が低かろうと、通報を受けた以上、判断がしにくい情況では、万一に備えて発信するしかない、というのが今の現状ではないでしょうか。その結果、過敏な受け止めをした通報と大半の人(それは情報発信する自治体などの関係者を含む)と思っても、問題を避けるためにそのまま流れているのではないかと。

 

発信側もそこの問題はもちろん気付いているらしく、精査はしているようであり、また不審者情報においても、「悪意のない事案が含まれている可能性があります」と明記されていたりします(これも自治体によって違うでしょうが)。

■子どもに対する声かけ事案等

■これって不審者? 「声かけ事案」はどんなケースか - ライブドアニュース

しかし、上記のようにでそれを完全に精査するのは難しく、事実上正確性を欠いても受けた情報は発信せざるを得ないというのが現状ではないかと。

 

上に書いたように、実際にはたわいもないことであっても、とある一人がその人の主観で不審者と判断されてしまうと、それを不審者情報として公開するしかないプロセスになってしまっているのではないでしょうか。それが故にいくら指摘されても、このような過剰な情報が不審者情報として公開されるようになってしまっていると考えられます。あとあまり考えたくはありませんが、通報する側の人に悪意(いたずら心)を持つ人がいたとしたら、わざと過剰な通報をしている可能性も、上のようなシステムだと捨てきれません。

 

不審者情報の濫発でわき起こる冤罪の心配 

しかしこれには問題があります。すぐに思いつくのは、何もしていないのに不審者扱いされてしまうという、一般の人、そして多くは男性にありがちな心配。しかし実はそれだけではなく、これ以上この傾向が続くと、子どもの安全を守るどころか全くの逆効果になる可能性が考えられるのです。

 

まずよく言われる冤罪の問題。ただあいさつをしただけ、道を尋ねただけなのに、ことによっては近くを通りかかっただけで不審者扱いされてしまえば、ことによれば警察のお世話になる可能性が出て来て、最悪無実を証明出来なければ本当に逮捕されてしまう危険性まで出てきかねません。まあ実際逮捕までは現行犯以外複雑な手順が必要なのでそうそうはなりませんが、かつて埼玉で迷子の子どもを届けるために連れ回していて逮捕された事例もありましたので(これもネットで盛り上がりましたが、迷子捜しであっても長時間捜すのは適当だったかという反論も)。

■参考:「親切心」で迷子女児連れ回し それで逮捕は可哀そうなのか : J-CASTニュース

 

ともあれ個人としては少なくとも何もしてないのにそんなことをされれば、精神的ダメージ、ことによってはコミュニティでのダメージを喰らう可能性もあります。

類似のものとして、痴漢冤罪の構図があるでしょう。これもよく本当は何もしていないのに、また状況的にも明らかに痴漢をするのには不自然なのに、起訴され、下手すれば有罪になり、名誉も職も失ってしまったという例を聞きます(それでなくても無罪判決までに圧倒的な苦労を強いられるなど)。それと同じ危険性を想像している人も数多くいるのではないでしょうか。

 

間接的に子どもにも被害を及ぼしかねない情況

「狼少年効果」

そして、大人だけではありません。このような情況で、子どものほうにも結果として被害が及ぶ可能性があります。

さて、先の不審者情報の件で、多くの人が「これは過剰だ」と少なくともネット上では指摘しているものを出しましたが、実はこの状態は危険と言えます。というのはまずこのままだと、過剰な不審者情報が流布している情況に慣れてしまいます。だってそりゃ親御さんだって、多数流れる不審者情報を毎回気にしてぴりぴりしていれば神経が疲れてしまいますし。

しかしそんな折、本当に不審者が出て来たらどうでしょう。見る人も「ああ、例の過剰なやつか」とスルーしてしまう癖がついてしまうかもしれません。それはさも、童話の「狼少年」で、狼少年に騙され続けた村人のように。しかしそれが本当の狼だったときに、ダメージを喰らうのは誰か、ということです。

 

最も重要な問題、「本当に必要な保護の目がなくなる可能性」

そして最も重要な問題として、「本来子どもに必要な保護の手がなくなる可能性がある」ということです。

子どもを守るのは親や警察の役目と言いますが、世の中ではそれだけで行き届くはずはありません。実際には関係ない大人も、子どもが危険な目に巻き込まれる情況にないか、見守る必要があると思います。それは例えば危険なところで遊んでいないかとか、他の変なやつにつきまとわれていたり襲われたりしていないか等。

しかし、現状ではそのような監視の目でさえ、不審者として判断されてしまうという疑惑を、先の不審者情報などから持っている人が増えているのではないでしょうか。仮に子どもが困っていそうなときに善意で話しかけたりしても、自分が不審者と見なされてしまい、最初に書いたように面倒に巻き込まれかねないと。

 

つまるところ、不審者情報で善意の人まで不審者として流すような情況にしてしまうという傾向が、逆に善意の人が冤罪に巻き込まれるのを防止する為子どもから離れてしまい、結果として子どもを守る視線が減る、というものです。そしてその隙に悪意が入り込む、もしくは人ではなくても、事故など物理的危険が襲う可能性が高くなるという感じで。

以前「迷子の子供から助けを求められたのに無視して立ち去った」というスレが2chであったのですが、ネタか本当かはわからないにせよ、不審者である(子どもを連れ歩いている)という誤解を持たれ、最悪の場合冤罪をかけられてしまうリスクを考えると、そういう心理になってしまいがちなのも、非常に残念ながら否定できないでしょう(まあそれでも危機が及ぶ場合次善の方法をとれる場合もありますが)。

 

子どもを守るためにも情報の正確性を担保する仕組みが重要

各自治体や警察では、不審者情報を生かす仕組みが整えられてきているようですが、それ以前に上で書いて来たような過剰な不審者情報を排除して、それを多くの人が信頼できるレベルにしないと、意味がないどころか、結果的には子どもの保護に対して危険な方向に行ってしまうのではないかと心配しています。

■参考:不審者情報のエリアに入るとお知らせ、iコンシェルと広島県警 - ケータイ Watch

 

たしかに今の世の中には、先日起きた誘拐未遂事件、ひどいのになると以前起こった通学児童を狙った通り魔事件などといった、子どもを狙う危険な犯罪は存在します。そしてそれらはもちろん憎むべきで、なくすべきでしょう。

 ですが、犯罪を憎むあまり、何もしてない人もただ自分の推測だけで犯人、もしくは犯人予備軍扱いしてしまう現象は、結果として社会で子どもに関心をはらい、保護してくれる味方を減らし、かえって子どもに危害を及ぼすことにもつながりかねないと考えます。

 

要は、このような不審者情報において子どもを守る為の存在の一人となるような人まで不審者扱いしないようなさじ加減を調整した判断基準を、本来の危険情報を捨てないように気をつけつつ、持たせるべきではないかと思うのです。速報性が求められる中でその情報選択が難しいのは承知の上で。そうしないと、一般の人は不審者扱いされていい思いしないし、ことによると冤罪に巻き込まれる、そして守るべき子どもは、本来守ってくれる一般の人の目が不審者と勘違いされることを恐れて遠くなってしまい、逆に本当の悪意を持つ人が犯罪を行いやすい環境になってしまうとも限りません。

 

連絡の重大性、速報性が混じる中、その仕組み作りは難しいと思われます。しかし今後を考えると取り組まなければいけないことでしょう。

少なくとも手始めに、不審者情報が誤報(勘違い)であったと証明出来た場合、それを修正する情報を流すくらいは手始めにできるはずなのでやるべきではないかと思うのです。修正情報は恥でも信頼性を落とすものでもなく、修正によりその正確性を増すものと思うので。

 

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■関連:見知らぬ人すべて「不審者」扱い これじゃ誰も子ども助けない教育評論家の尾木直樹さんに聞く - ライブドアニュース

 ……2009年の文ですが、教育評論家尾木さんの指摘。こちらも読まれることをおすすめします。

■参考:「不審者」をつくり出す「いかのおすし」: いかのおすし対策協議会

■参考:不審者情報 - Wikipedia