梁昭明太子墓

2012年から南京市博物館考古隊の手で発掘が行われていた南京市栖霞区燕子磯鎮太平村の獅子衝南朝陵墓ですが、これがどうも梁昭明太子墓だったようです。昭明太子は梁の武帝の長男で、『文選』の編者として知られている人です。
陵墓からは「普通七年」、「中大通貳年五月廿七」といった南朝梁の年号の入った磚(レンガ)が出土しており、陳文帝永寧陵説が否定されて、昭明太子墓説が浮上したという経緯のようです。

南京發現梁昭明太子蕭統陵墓 其中有磚拼壁画(中国社会科学网)
http://www.cssn.cn/kgx/kgdt/201504/t20150427_1602852.shtml
栖霞南朝陵墓確認為梁昭明太子墓 曾編“昭明文選”(中国社会科学网)
http://sub.cssn.cn/kgx/kgdt/201505/t20150522_1988283.shtml

以前、藤井康隆先生のブログでも、昭明太子墓説は紹介されておりましたが、これが当たりだったということですね。
南京獅子沖南朝陵墓の調査動向(中国江南の扉)
http://fkoryuliuchao.blog.so-net.ne.jp/2013-06-18
「南朝陳文帝陳蒨永寧陵」の調査(中国江南の扉)
http://fkoryuliuchao.blog.so-net.ne.jp/2013-03-16