はてなブックマークのコメント欄は観客席のざわめきである
なんか今週のお題は、「はてなブックマークのコメント欄について」らしいので、例によってテキトーな事を書き飛ばしてみる。
はてなブックマークのコメント欄は観客席のざわめきである。
以下はとてもとても長い蛇足。
はてなブックマークの以前の状況において、ブログを舞台、読者を観客と仮定してみる。
この仮定の舞台に立って、観客席を見下ろしてみると、実際の舞台とは違う、おかしなことがわかる。
観客のざわめきが聞こえない。
舞台に立っても、観客のざわめきが聞こえない。観客の反応が読めない。そもそも観客がいるのかどうかすらわからない。そんな沈黙の中で黙々と演技を続けるのは辛い。
もちろんざわめき以外にも読者の反応を知る方法はある。カウンター、アクセスログ、しかしこれは所詮数字だ。観客の反応をチケットの売れた枚数や席種、売り上げなどで測るようなものだ。
コメントやトラックバック、これは確かに読者の反応ではある。しかし熱心なファンレターや楽屋に押しかけてくるファンのようなもので、そんな熱心なファンに恵まれているブログはそう多くはない。大抵のブロガーの読者はカウンターやアクセスログ、リフェラに足跡を残していく人達、沈黙のオーディエンス*1ばかりである。
それにしてもなぜ沈黙する人達が多いのだろう。なぜみんな自分の反応を表に出さないのか。なぜ黙ったままブログを見つめているのか。
その理由の一つも観客のざわめきが聞こえないからだ。
つまり人を通じているわけです。舞台からいきなり個々の観客に伝わっていくのではなくて、前の方から人から人へと伝わっていく。たとえば昔の舞台でもかぶりつきというのがあって、ここには熱狂的なファンが座ったものらしいですが、これがまず湧いて、その熱気が後ろへ伝わってゆく。それが何回か繰り返されることによって、舞台に対する目が共有されてくる。共有感覚が生まれてくる。共有感覚が生まれるためには、いきなり舞台がパッと放射的に伝わるということはほぼない。
……
目を共有することによって、舞台で行われたということが、人から人へ伝わる。一人が笑うと、つられてみんなが笑い出すというのもそのためです。笑いが人から人へ伝染するんです。だから、笑わせなければいけない舞台だと、笑いの早い人、笑いの敏感な人がいた方がいい。
別役実が書いているように舞台を見る観客は観客個々に反応しているわけではない。他者と目を共有する事により、他者の反応、他者の熱気が伝わって、それにつられて反応するのである。
人が何かに反応するには、他者と視線と反応を共有できる場が必要なのだ。それが観客席だ。
ところがブログの場合、ブログと個々の読者の関係は一対一である。個々の読者のところには他の読者の熱気や反応が伝わってこない。笑いの早い人、敏感な人がいても、その笑い声は他の人には聞こえないのである。
このブログと読者の関係は、テレビと視聴者の関係に似ているかもしれない。テレビと視聴者の関係も独身者なら1対1、家族持ちでも1対N程度である。
しかしテレビの場合、テレビの中に観客がいるのである。お笑い系、バラエティなどの番組ではスタジオに観客席がある。テレビの視聴者はこのテレビの中の観客と目と反応を共有している。だからテレビの中の観客のゲラゲラ笑いにつられて孤独な六畳一間でも人は笑えるのである。
もちろんブログの中にも観客席が出現する場合がある。一部の人気ブログにはコメントやトラックバックが大量につくが、あれはまさにテレビの中に観客席と同じ役割を果たしている。またサイドバーに最新のコメントやトラックバックを誇らしげに飾っているブログも多いが、あれもテレビの中の観客席である。そうしたトラックバックやコメントにつられてさらに多くのコメントやトラックバックがつくのだが、先に書いたようにそうした環境に恵まれるブロガーはそう多くない。
それにコメントやトラックバックという反応は実は結構敷居が高い。
あなたが舞台上の演技に感動して、拍手なり声援なりを舞台上の演技者に贈りたいとする。実際の観客席なら、あなたは観客席に座ったままパチパチなりブラボーなりをやればよい。しかしブログを舞台、読者を観客とする仮定の演劇空間ではそうはいかない。
この仮定の空間で観客が演技者に自分の声を伝える手段は二つしかない。ひとつはそのブログにコメントを書きこむ。あるいは自分のブログにエントリを起こして言及をする。どちらにしてもこれは舞台の上に上がることである。そして一度舞台の上に上がった以上は、パチパチやブラボーだけではすまない、何か気の利いたセリフを言わなければいけないという圧力がかかる。この圧力に耐えられない人間は舞台の上には上がれない。
そして今あなたがいる仮定の演劇空間では、観客が観客席に座ったまま自分の反応を伝える手段がない。よって舞台度胸のない人間は沈黙のオーディエンスに甘んずるしかない。さもなければ勇気を持って舞台に上がる。この世界にはこの二者択一しかない。
だから世の中には沈黙のオーディエンスがいっぱい居るのだ。
そして舞台の上に上がったら上がったで、さらにやっかいな問題が生ずる。舞台の上に上がった観客が演技者に呼びかけた瞬間、呼びかけられた演技者には、呼びかけに答える責任が生じてしまう。コメントやトラックバックを無視するのは義理を欠く行為である。
「靖国問題 (ちくま新書)」や「国家と犠牲 (NHKブックス)」の著者、高橋哲哉氏によると、応答責任を果たさない人間は、社会的責任を放棄したとみなされ、究極的には人間として生きることをやめざるをえないらしい。*3
しかしたかが拍手や勝手なつぶやき程度のものに、答えないならどうのこうのというという事態になるのは、声をかけるほうにとっても、声をかけられる方にとってもいささか億劫な状況である。演技者に気軽に声を送るためには、こっちは勝手に拍手なりブラボーなりブーイングなりはしますが、あなたはいちいちそれに答える責任はありませんよという領域、応答責任が免除された空間が欲しくなる。そんな空間がまさに観客席である。観客席で観客が拍手しようが、ブーたれようが、舞台上の演技者はいちいち答える義務はない。*4
しかしそんな空間、観客が観客の立場のまま舞台の上に声を送れる観客席はブログ界には存在しなかったのだ。はてなブックマークができるまでは。*5
はてなブックマークは観客席である。観客席らしい観客席である。他者と視線と反応を共有できる場である。観客が観客のまま舞台の上にあがらなくても自分の反応を伝えることを可能にする。
そしてはてなブックマークは応答責任が免除された空間でもある。舞台から離れたところでぶつぶつと呟いているだけなのだから、そこでのつぶやきは無視してもよいし、無視されてもしょうがないのである。*6
実際、はてブのコメント欄は観客席によく似ている。舞台に人気役者が出てくると観客席から「杉さまー!」、「播磨屋!」などの声がかかるが、はてブでも人気ブロガーには「栗先生!」、「ekken!」などの声がかかる。逆に「ふーん」などのブーイングがかかることもある。また隣り合った観客同士がなにやら会話を交わすように、隣り合ったコメント欄で会話がなされることもある。人生で起こることは、 すべて、皿の上でも起こる*7ように、観客席で起こることは、やはりはてブのコメント欄でも起こるのである。
そういうわけで結論。
これだけのことを言うのに、なんでこんなに書かなきゃいかんのだろう。ああ疲れた。