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つんくの新刊『だから、生きる。』について #hps_jp

「だから、生きる。」

「だから、生きる。」

 2015年、ハロプロファンにとって最も衝撃だったニュースは、10月29日に発表された鞘師里保のモーニング娘。卒業予告だ。2015年12月31日に鞘師はモーニング娘。としての活動を終了する。公表から2ヵ月後の卒業は最近のハロプロでは珍しい(道重さゆみの卒業が半年前に発表されたように、ある程度の期間を持たせるのが慣例となっている)。現在のモーニング娘。のセンターであり、人気ナンバーワン。そんな彼女は得意でもあるダンスを極めるために海外への留学を考えているのだという。とにかく、モーニング娘。ファンを含む全てのハロプロファンが、驚き、動揺した。
 この突然の知らせがなければ間違いなく2015年のトップニュースだったのは、つんくが声帯を摘出していたこと、そして、ハロプロのプロデューサーを「卒業」していたことだった。
 2014年10月につんくは、喉頭癌治療のため、声帯を摘出した。そうしなければ死んでしまうかもしれない。しかしシャ乱Qのボーカルのつんくにとって、声帯摘出とは歌手の引退を意味する。つんく本人はもちろん、ファンにとっても、絶対に想像したくないことだった。2015年9月10日に発売されたつんくの本『だから、生きる。』には、いかに悩み、迷い、それでも、生きることを選んだ彼の決断と思いが詰まっている。
 喉の不調を感じていた。2005年に声帯ポリープ摘出手術を受けた。それでも違和感が残っていた。まとまった休みを取って、治療と休養に当てるべきだった。しかしつんくは、自分が休むことでハロプロや自らが経営する会社が止まってしまうだろうことを恐れて、休むことをしなかった。スケジュールが詰まっていたので、体調不良であっても、点滴や注射などのような、その場しのぎの治療で済ます。あの時点でしっかりと休んでいれば、治療に専念すればというタイミングが何度もあった。つんくは、声を失って、そのようなことばかりを考えていたのだという。まさか自分が声を失うとは考えもしなかったと、この本には繰り返し書かれている。こんなはずではなかったと、つんくは繰り返す。
 その繰り返しは、あまり格好の良いものではない。この本には、かっこいいことはほとんど書かれていない。つんくという歌手のファンや、ハロプロのプロデューサーを偉大だと尊敬しているハロプロファンに対して、意外な印象を与えたのかもしれない。Berryz工房、℃-ute、そしてモーニング娘。などのグループ名から始まり、歌詞やサウンドのユニークさ、メンバー増員や卒業など選考やそのタイミング。ハロプロが画期的だという印象はつんくの発想と決定の大胆さに寄るところが大きい。しかし、ハロプロの多くを決定してきたつんくであっても、いざ自分のことについては、悩み続けてきた。
 この本でつんくは、ある問いに答えている。声を失うことで彼自身、落胆したが、これまでの、ハロプロのプロデュースを含む膨大な仕事が生活の中心だった考え方が、家族とともに生きていくように変わったのだという。それでは、つんくはハロプロを捨てたのかと。
 そうではない。アップフロントグループの会長からハロプロのプロデューサーを降りたらどうかと言われていたのだと、この本には書かれている。それは2013年の秋だったという。
 以前から喉の調子が変だと感じていたつんくだったが、ハロプロのプロデュースを手抜きにすることはなかった。歌手でもあるつんくは、シャ乱Qとして再びステージに立つことも夢見ていた。2013年に行われたシャ乱Qの25周年ライブでは、良くないと感じてきた喉の調子が、たまたま良かったのだという。もう以前のようには歌えないのかもしれないと、喉について不安を感じたのは、その5年前あたりからだった。
 アップフロントの会長がつんくに休めと言ったのだという2013年の時点では、まだ癌ではなかった。しかし、その、先を見通していたのかもしれない会長の言葉がきっかけで、つんくはハロプロから降りることを考え始め、決断した。2014年に入り、癌の治療を始めた頃には、もう以前のように歌える状態では、なかったのだろう。
 ファンにとっては知られていることだが、ハロプロの楽曲には作曲したつんく自身による仮歌があり、ハロプロメンバーはその仮歌を真似るように歌い、レコーディングを行う。つんくが作るハロプロ楽曲は年に百を超える。その7割の仮歌をつんくは実際に歌う。つんくの仕事はそれだけではない。作詞、作曲、コンサートの構成から、グループのメンバー選考など、つんくの仕事がいかに多岐に渡っていたか、この本には書かれている。
 ハロプロファンにとって何が衝撃だったのか。それはやはり、つんくがハロプロのプロデュースから離れていたことが明言されたことだ。そして、つんくのハロプロ卒業は、どうしようもない、仕方のないことだった。それがショックだった。
 これまでであれば、ハロプロの事件とは、主につんく発信だった。モーニング娘。のコンサートに予告なくつんくが登場するとき、それはメンバーの増員の知らせであったりした。
 喉頭癌を患い、テレビやコンサートに姿を見せることがなくなった。2014年にスマイレージがアンジュルムに名称を変更したが、それはつんくのアイデアではなかった。ハロプロのグループ名についてつんくが関わっていないということが異例だった。2014年後半、つんくの姿が見えなくなっていた。ハロプロ楽曲につんく以外のクリエイターが参加することが多くなってきて、2015年の楽曲すべてに「Produced by つんく♂」のクレジットが表記されていない。そのことからファンは、もしかしたらと予想はしていた。しかし、つんく本人からのアナウンスはなかった。
 シャ乱Qの頃は派手なメイクをしていたつんく。斜に構えるのではなく、アホでもいいから目立つことをやる。それはハロプロにおいての無数のアイデアでも健在だった。とにかく何か面白いことをやってやる。挑戦的だった。そんなつんくが、何かを隠しているとは誰も考えていなかった。
 そうであって欲しくはないが、もしかしたら。つんくはすでにハロプロのプロデュースを辞めていた。しかし、それを納得しないファンは、いなかった。ハロプロのプロデュースが激務だということが、この本からはっきりと読み取れたからだ。
 以下、この本に書かれている、つんくとハロプロの関わりについてのまとめ。

■モーニング娘。初期
レコーディングには4~5日が必要。
つんくはレコーディングの全ての工程(歌録り、パソコンでの歌や楽器の音などの編集、コーラス録音、トラックダウンなど)に関わっていた。もちろん、メンバーへの歌唱指導も行う。
トラックダウン作業では24時を超えるのは当たり前。
空き時間に新曲の作詞作曲や仮歌のレコーディングを行う。
作曲を行う日を決めて、必ず一曲は作る。
最初は誰もモーニング娘。が売れると思っていなかったので、作詞、作曲、ダンス、衣装、コンサートの構成、MC内容まで、アップフロントはつんくのやりたいようにやらせた。
■LOVEマシーンの大ヒット以降
タイアップなどでの制約が増えた。
ハロプロのグループが増えたので、つんくがレコーディングからコンサートまでの全てに関わることが不可能になってきた。
メンバーが忙しくなりレコーディングに時間を取れなくなったので雰囲気が出ていればOKテイクとする。
ピッチ調整などの細かい作業のため当時珍しかった「Pro Tools」導入。試行錯誤の連続。
つんく自身、雑誌連載やTVドラマ出演など、音楽以外の仕事が増えた。
頭が冴えて眠くならないので睡眠導入剤で就寝。
モーニング娘。4期メンバーまではつんく選考。5期以降はオーディション委員会設立。7期以降は選曲を含めつんくが全てを決定するわけではなくなった。
ただし、サウンド制作での妥協は一切しない。
■2004年以降
かつてのブームが一段落したが、つんくの忙しさはさほど変わらず。
同じマンションにスタッフが住んでいて電話一本で食べ物が届けられる(部屋を出る暇があるなら曲を書けとのこと)。
点滴などで疲労回復していたが、これでは良くないということで、生活を夜型から昼型(13時には仕事が始められる生活)へ。
気づいたら喉に違和感。

 サウンド制作とは直接の関連はないが、つんくは、ハロプロメンバーを精神的に育てることも使命=プロデューサーの仕事だと感じていた。モーニング娘。初期の頃のように直接の歌唱指導こそなくなったようだが、ことあるごとにメンバーへの「だめ出し」を行っていた。メンバーが雑誌のインタビューなどで、つんくからこんなことを指摘されたということを度々答えていた。また、これはメールでのやり取りだと思われるが、つんくはメンバーに対して、生活習慣から「卒業」についてまで、幅広く相談に乗っていた。これらの一部はメンバーのブログなどでも確認出来た。
 つんくの本についての話題に戻す。喉の違和感があり、ポリープの手術を行い、それでも違和感が残っていて、結果的に癌になった。この本にも書いてあるが、全ての歌手が喉頭癌になる訳ではない。しかしつんくは、仮歌や歌唱指導など、歌うことと同時に、上記のような多くの作業も行い続けた。これは本には書かれていないが、休養も取らず、ステロイドなどの薬品を使い続け、その疲労が、一番酷使していた喉に「来た」のだとしたら…
 シャ乱Qの活動で多忙を極めていた頃につんくは、注射などの治療で回復することを覚えた。また、喉の不調を治すためにステロイド吸入器を用いていた。健康のためと称してビタミンなどのサプリメントも飲んでいた。交際から結婚までの期間につんくは、これまでの薬漬けの生活を捨てるべく、自然食にこだわり出した。ハロプロ楽曲の歌詞に「ごはん」などの食べ物が出てくるようになった。結婚してもしばらくは、仕事第一で家庭を顧みない生活だったが、次第に、妻との時間を大切にするように心境が変化していった。かつてのつんくは、女子供に媚びないのがロックだと言っていたけれど、現在では、ジョンレノンとオノヨーコに習い、妻や子供、家族まるごとの俺の生き方もロックなのだと、変わった。
 それが早ければ、以前のような激務から開放されていれば、もしかしたら声を失うことはなかったのかもしれない。つんくが「こんなはずではなかった」と繰り返しているのは、そのような思いがあるからだ。
 この本には、病気について、シャ乱Qについて、そして、モーニング娘。について、つんく自身がどう関わってきたのかが書かれている。あのASAYANのオーディション企画が始まってからつんくは、シャ乱Qよりもモーニング娘。に関わる比重が高くなっていた。ハロプロ全体についても書かれているが、そのほとんどはモーニング娘。についてだ。さらに言えば、この本には、℃-uteやスマイレージなど、現在でも活躍する(つんくプロデュースとしてデビューした)ハロプロのグループについて、一切書かれていない。つんくにとってのハロプロとは、モーニング娘。に始まり、モーニング娘。で終わった。それは、医者から止められてもモーニング娘。のニューヨーク公演のために飛行機に乗ったことからも分かる。
 2014年9月、喉頭癌の完全寛解を発表したつんくだったが、喉の調子は明らかにおかしいし声も変だったという。しかしつんくは、10月5日に行われるモーニング娘。のニューヨーク公演のために渡航の準備をしていた。家族を連れて何泊かの予定だった。10月15日には新曲『TIKI BUN』が発売される。これが最後のつんくプロデュースのモーニング娘。シングルとなった。公表されていないが、この時点でつんくはモーニング娘。のプロデュースから離れることを決めているはずだ。
 喉の癌が再発したのは、モーニング娘。のニューヨーク公演の直前だった。主治医からの電話があり、癌が見つかったので今すぐ帰国して手術をしろという内容だった。しかしつんくは、この公演を見届けるのが自分のやるべきことだとして、公演後に帰国した。
 つんくにとってモーニング娘。は特別な存在だった。命を懸けていたと言っていいだろう。

お知らせ

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