僕は、「意識が高い学生」にNOと言う。或いは「若者」の時代の閉塞感について #maspla



先週末、ロフトプラスワンで行われた「マスタープラン」という、平均から充分はみ出す程度に「意識が高い」学生達が、自分たちの世代についてディスカッションするイベントを、こたつに潜ってUstreamで文句をつけながらみていた。彼らは「意識が高い学生」を自認し、また事態をどうにかしようという行動力も十分あるように見える人間達だった。比較的情強でもある点が、多くの他の学生イベントと異なっていたぐらいか。


詳しくはTwitter #maspla を見てもらえれば、なんとなくわかると思う。彼らの意識の高まりと、一般的に言えば上滑り気味のそれが。


僕はそのイベントに、どうしようもない断絶と絶望を感じた。振り返って、僕には、彼らのような起業マインドも自己啓発力もない。ただ少しばかりアーリーアダプターであり、未熟なスクリプトキディであり、彼らが成したいと思っている技術について少し通じているかもしれないが、その力を彼らのために振るうことはけしてないだろう。そう感じさせられる距離が、間違い無くそこにあった。


その理由について少し述べてみたい。やや抽象的になるが、当人達なら僕の言わんとしていることがわかってもらえると信じている。

 彼らのロールモデルステロタイプ


意識が高いこと。


おそらく起業とは、なにがしかの天才たちが才能の投機先を求めて行うものであって、決して起業そのものが目的ではない。意識が高い学生の実践するロールモデルは、しかし「意識が高い学生」のステロタイプから何らはみ出さず、彼らが言うほどの興奮を、世界に、僕にもたらさない。

リクルート式に無個性な彼らは、例えば日本を一周する。ロールモデルに追従する彼らは、結果はどうであれ、最初の人間が当初に持っていたマインドを共有してはいまい。彼らは、その計算高さを隠そうともしない。
僕はMagnetPressというサークルでフリーペーパーをつくっていたのだが(おそらくマスプラ出席者の少しばかりはこのサークルを知っているだろう)、それは単純にコンテンツを作りたいという衝動から発したものであり、マスメディアのロールモデルがあったからではない。


彼らはそのクラスタに閉じており、外部の「意識が低い」人と交わることはないし、「表舞台に上がる人間の意識が低いはずない」という逃げ口上も用意している。壇上で堂々とそれを語られたせいで、僕はただ、僕がある程度「卑怯」である以上に、どうしようもなく彼らが「卑怯」に感じてしまったのだ。

インターネットのある種の愚かさを引き受けること

彼らの用意したフィールド、論壇、コンテキスト、それらが一体どれだけ僕らに味方することがあろうか。

仮に、僕が第二回マスプラに呼ばれたとして、だ*1。カメラ映えもせず、頭の回転も遅く口が回らない、怠惰を隠しもせず押し通す僕を毛嫌いするだろう。二度と呼ばれることもないだろう。それがわからないほど、僕は、「意識が低い」僕らは、愚かではない。


表舞台に立つ人間が偉いのではない。壇上の人間は選ばれた人間ではない。
彼らはアジテーターとしていくらか優れた人間かもしれない。だがその無配慮な選民意識は、凡百な僕らを逆撫でする。恐らく僕らが、意図的に見落とされているものだとわかるから。


彼らは、ウェブのある種の愚かさを引き受けないとならない。そうしないと、僕が彼らに心情的に歩み寄ることは出来ない。それと同じぐらい、僕はその意識の高さを引き受けないとなるまいが… 。自省を込めてね。

俺達はウェブでもっとうまくやれる

クラスタの外で、妥協点を見出しながら論点を戦わせるのは、途方もなく「だるい」。
しかし世界を変える意思をもって行われる論争は、絶対に内に閉じてはならないだろう。

そこで起こるのは炎上ではない。正当な権利に基づいた問題提起である。そして俺達はその権利に基づいて、もっとうまくやれるはずだ。


ウェブはその精神をもって平等である。僕は声なきもの達の味方であり、ウェブがその主戦場である。僕は故あってはてなでブログを書いているが、或いはこの文章は増田で書かれるべきだった。


あなたたちもウェブで声高に叫ぶ権利があり、僕はその権利を行使する。そしてこの問に答える権利も、答えない権利もある。それはあなたたちの精神の自由によって担保されている。僕にはすこしばかりの味方がいるが、それと同じぐらいに敵がいる点で、あなたたちと同じだ。


僕はインターネットで蓄えた少しの言霊によって、クソッたれな某えがみのようにある程度狙って炎上を起こすことはできる。ただ誤解して欲しくないのは、その目的は問題提起であり、彼らのような焦土戦ではないことだ。そして、このくそったれな僕ら若者の現状を変えたい、閉塞感を打ち破りたいという意思は、これもまた、あなたたちと同様だということだ。

ウェブ時代の新しいロールモデル


これを読んだ人は、僕はとても意識が高く真面目な学生のように思うかもしれない。しかしそれは、ある面では正しくても、決して事実ではない。僕はどこまでも平均的に愚劣であり、怠惰である。およそ他の人間と同様に、己の才能を他に省みられることなく投機している。しかしだからこそ、だからこそ!彼らを批判する権利を持ちうるだろう。


僕ら双方が、ひねくれた嫉妬の連鎖から抜け出さない限り、僕らの世代は次のフィールド進めないだろう。お膳立てされた意思、用意されたロールモデル…。それらを投げ出して、新しいロールモデルを創出しろ。欺瞞を捨てインターネットの愚かしさを味方にしろ。古臭いリクルート式のそれはもう沢山だ。そこで僕達は、もしかしたら手を取れるかもしれない。


僕達はインターネットという、15年前には決して考えられなかった遊び場を持っている。しかも、それは児戯ではなく、世界を変えることが出来る。
TwitterFacebook、俺たちが使えるフィールドはいくらでもあり、仲間も敵も同じぐらいにいる。そして僕達がそうなってほしいように、権利に基づいてその力を行使し、この閉塞感を打ち破ることができるかもしれない。


そして、もしかしたら、リビアやエジプトのように、僕達の小さな革命を起こすことができるかもしれないのだ。


僕はウェブに生くるもの、ウェブによって育てられた人間である。
あなたたちがその選民意識を捨てるとき、少しばかり手を貸せるかもしれない人間だ。僕らはまた、あなた達の行動力を充分に羨んでもいるのだから。

*1:そんなことは絶対にないと断言するが