俺のテン年代を象徴するゲーム 9 本
2020年になり、先の10年のゲームを振り返るのが話題になってたので、自分も書く。
RPGが多く、洋ゲー寄り。あくまで自分がこう思っているというだけで、なにかの総意というわけではないのに注意。
追記: 最初は 8本だったが、 Bloodborne を追加して 9本になった
ウィッチャー 3 ワイルドハント
Bethesda のゼロ年代の TES IV: Oblivion と Fallout3 という2つの傑作が、テン年代のオープンワールドを方向性を決定づけた。テン年代のオープンワールドからベストを一本選ぶなら、その続編の TES V: Skyrim も Fallout4 も、そしてもちろん任天堂のゼルダの伝説:BotW も素晴らしかったが、自分はウィッチャー 3 を選ぶ。
ウィッチャー 3 の最も優れている点は、長時間のプレーに耐えうる世界感の強度だ。中世ヨーロッパの戦乱の時代に人々を脅かす怪物が実在したら、そこに住む人達はどんなことを考え、どんな出来事が発生するだろうか?怪物狩りの専門家は、どのように獲物を追い詰めるだろうか。
プレイヤーは主人公のゲラルトを通じて、それを追探検する。ときには野生動物の専門家のように、ときには探偵のように、その足跡をたどり、 怪物が怪物になった由来と、その背景にある人々の情念を知ることになる。依頼主に怪物退治の顛末を報告し、場合によっては問い詰めて反省を促したり、賄賂を受け取って、事件そのものをなかったことにする。更には戦間期の王侯貴族の陰謀に巻き込まれる。
ゲームプレーの緩急のデザインも素晴らしく、やや制限されたファストトラベルと、錬金素材を採取しながら野山を歩き回り、野生のモンスターの巣を潰すのは、それだけで楽しい。アイテムを集めて自分が強くなっていく感覚と、そのために次に何をやるべきかの PDCA がプレーヤー自身で自然と考えられるようになっている。
日本語版のウィッチャー 3 の一番の魅力は翻訳で、常時皮肉っぽいゲラルトの魅力を最大限引き出すような翻訳と、ゲラルトを演じる山路さんの演技が素晴らしい。正直なところ、自分がベセスダの RPG にハマりきれないのは翻訳の問題があると思っていて、ゼニマックス・アジアの常時直訳調で別撮りと思われる感情の欠けた会話劇にうんざりしているところがある。それがなければ、もしかしたら Skyrim の方が上に来ていたかもしれない。
今ならほぼすべてのプラットフォームに移植されているので、ホワイトオーチャードで野生のグリフィンを狩る序盤のイベントは、是非体験してもらいたい。
Bloodborne
ソウルシリーズ、ソウルライクのうちソウルの名を冠さない Bloodborne は、しかし確かにソウルシリーズでありつつ、明確に差別化された傑作だった。
ヴィクトクリア朝時代のロンドンを舞台に、ヴァンパイアハンターをモチーフにして、獣達やクトゥルフ神話から飛び出てきたと思えない怪異に挑む。
初見のステージを物理カット率100%の盾を構えながら恐る恐る一歩ずつ進むダークソウルシリーズと違い、Bloodborne は意図的に盾や防御的なアクションすべてが弱めに設計されている。代わりに、全体的にアクションがスピーディで、殴られたら即座に殴り返すと体力の一部が回復するというシステムが採用されており、プレイヤーは文字通り、「血に狂って踊る」ことを要求される。
人間の衝動性、暴力性を象徴する「獣性」、ラブクラフトの宇宙的恐怖、知ってはいけないことを知ってしまう「啓蒙」を対比しつつ、その両方をシナリオと密接に絡めて、ゲーム体験に昇華する手際が見事だった。DLCの、大聖堂やら病院やら時計塔やらを通り抜けた先の最終ステージが「漁村」だったときは、もはや隠す気がないラブクラフト感に笑ってしまったが。
ダークソウル3 はゼロ年代末のデモンズソウルの正当進化として役目を果たしたが、Bloodborne は確かにソウルシリーズでありながら確実にソウルシリーズから差別化された作品であり、よりスピード感とアクションを高めた Sekiro という後継作もあるが、個人的にフロム・ソフトウェアに期待しているのは Bloodborne 的なゴシックホラーで、エルデンリングのあとでも良いので、何卒。
Divinity Original Sin
日本ではメジャーではない言葉だが、JRPG との対比の一つに、WRPG(Western RPG, 欧米の RPG) という分類がある。さらにその狭義として、D&D を元にしたバルダーズゲートと、そのフォロワーを指すことがある。ダークファンタジー、アイソメトリック(斜め見下ろし), ターン制ではない RTS 的な戦闘システムといったものが共通している。
一部で熱狂的なファンを獲得したバルダーズゲートだが、ジャンルとしてはその後徐々に縮小していた。そこに再びスポットライトを当てたのが、Larian Studios の Divinity Original Sin だ。
同スタジオのよりバルダーズゲートの戦闘システムに近い Pillars of Eternity シリーズも良い出来なのだが、 Divinity Original Sin の一番面白いところは、伝統的な RTS ではなく XCOM シリーズの Action Point 性を採用したところにある。剣と魔法の世界で、かつハックアンドスラッシュ的な成分の強い XCOM という言い方もできるかもしれない。(それはたぶん XCOM ではないが)
Divinity Original Sin は英語圏で高評価を得て、続編も発売されている。元は Steam で発売された本作だが、Divinity Original Sin: Enhanced Edition と Divinity Original Sin 2: Definitive Edition はローカライズされていて、PS4 で 1 と 2, switch で 2 を日本語でプレーできる。テキスト量が膨大で翻訳の質もまちまちなので残念ながら日本ではあまり売れていないようだが、骨太な RPG をやりたいという方は、是非手にとってもらいたい。
Faster Than Light
https://store.steampowered.com/app/212680/FTL_Faster_Than_Light/?l=japanese
ゲームの本質的な面白さとはなんだろうか。グラフィックがキレイなこと、要素が多いこと、色々あるが、FTL の出した答えは「コアとなるメカニクスがいかに美しいか」だと思う。
今手に入るもののうち、砲台は何を採用すべきか、船のリアクター出力をどこまで優先するか。船員はどんな種族に砲座を担当させるか。船体の体力と相談して、どれだけ危険なルートを通ってリスクを負うか。敵の白兵戦にはどう対応するか。今足りない人員を補充するのにどの星系に向かうか。
FTL のグラフィックは自分の宇宙船と敵の宇宙船が映ってるだけで必要最小限だが、必要な情報はすべて収まっている、という点で美しい。
FTL のミニマルさとランダム性は、「ローグライク」を再定義したように思う。今の Steam でローグライクを名乗るゲームは、なんらかの形で必ず FTL に影響を受けているような気さえする。
Slay the Spire
これ以前にもデッキ構築型のダンジョン RPG はあったが、少なくともこれをメジャーにしたのは Slay the Spire に間違いない。このゲームの完成度は凄まじく、このフォロワーだけでデッキ構築型ローグライクというジャンルの隆盛を生んでいる。
プレーヤーは山札からカードを引き、エナジー(マナ)の分だけ手札からアクションを行使できる。敵の行動は予告されており、防御やデバフで被害を最小限にしながらそのターンの被害を最小限にしつつダメージを与えなければならない。敵に勝つと、ランダムに選ばれた3枚からカードを一枚取得でき、それが自分の山札に入る。これを繰り返して、3 ステージあとのボスを倒す、というのがゲームの目的だ。
要は、ドミニオンのデッキ構築を軸に、シングルプレイのために敵のアクションを開示した非対称ゲームなのだが、適度なインフレ感とバランス調整の妙で、先発ながら未だにこれを超える体験のフォロワーは存在しない。
今なら Nintendo Switch でも買えるぞ!
Factorio
プログラマなら怠惰を求めて日々の作業の自動化に勤勉になるべきである。プログラマでなくともこれを体験できるのが、Factorio だと思う。
Factorio のゲーム紹介をパッと見た感じは Minecraft の工業化 MOD を彷彿とさせるが、その本質は各生産物の自動化のための生産ライン構築、そして組み上げたラインのそのボトルネックの特定と改善のイテレーションにある。
Factorio をプレーしたプレイヤーは、「作ったライン(プログラム)の遅い箇所を特定して修正する」を自然と行うようになる。プレーが進むと、リファクタリングのためのバッファを持った設計と、障害に強い冗長化までも行おうとする。これは日々プログラマがやっていることに近い。
逆に、プログラマがこれをやると反応が2つに分かれる。「仕事の楽しい部分だけやれて楽しい」か、「なぜ仕事でやってることをゲームでもやらないといけないんだ」、この2つ。
以前、これをマルチプレーでやったことがあるが、「全体としては忙しいつもりなのに最適な人材配置になっていないので改善が追いつかない」とか「局所的に最適化しすぎて別のボトルネックを生んでる」という、まるで仕事でみたような光景を何度も目にした。これは全体を俯瞰できる優秀なリーダーがいると解決できるので、そういう意味でも体験するといいと思う。
自動化の快感を味あわせてくれる傑作。このトレイラーにビビッときたら購入
Path of Exile
2010 年代はハクスラ不毛の年だった。とにかく不毛だった。期待された Diablo 3 は呪われた子だった。Diablo 3 の公式 RMT はゲーム体験を大幅にショートカットすることでスポイルし、公式 RMT が廃止されて以降も、結局エンドコンテンツのセット装備によるビルドの少なさはハクスラ廃人達を遠ざけた。 思うに、 Diablo3 はカジュアルすぎたのだと思う。一部の人々は Diablo2 に帰っていき、一部は Titan Quest や GrimDawn といったシングルプレイの模倣に流れた。
ハクスラやローグライクという言葉のうち、ランダム性の高いトレジャーハントという成分だけを抽出されてローグライクという言葉が拡張されたが、俺達がやりたいのは結局、 Diablo2 だった。しかし Diablo2 も人が減り、耐用年数が過ぎようとしている。
このハクスラ冬の時代の「避難所」として選ばれたゲームの一つが、 Path of Exile だ。このニュージーランド産のやたらと画面が暗いこのゲームは、Diablo 3 よりも Diablo 2 にプレー体験が近く、大量のモンスターを自分が考えた最強のビルドでなぎ倒す体験はやはり爽快で、これを求めていた、という感がある。
ビルドシステムも奥深く、特徴的なのは FF10 のスフィア盤を彷彿とさせる巨大なスキルツリーだろう。ここでパッシブスキルを獲得し、アイテムに嵌め込んだスキルジェムのアクティブスキルを発動する。アイテムにはベースの品質、レアリティ、ランダムなマジックアイテムとしての prefix, affix, スキルスロット、スロットのリンクがあり、リンクするスロットにスキルジェムとサポートジェムを嵌め込んで、様々な効果を付与する、といったもの。
とはいえ、ハクスラの常として、同じキャラをやるのは、最終的に同じボタンを同じ順序で押すことになるので飽きてしまう。これらの対策として常設のリーグとは別に、Diablo2 のラダーシステムと同じくシーズン性を採用しており、およそ3ヶ月毎にキャラクターが常設リーグに移動させられ、全員が対等な条件で次のリーグが始まる。シーズンごとに前のシーズンの流行を反映して、ゲームバランスが再調整される。
ハクスラもののゲームの悪い癖として、異なる難易度で同じゲームを何周もさせられるといった点があるが、このゲームではそれも改善されていて、一周終わるとエンドコンテンツに突入する。そのため作業感も可能な限り廃されている。
日本語化はないが、ハクスラのシナリオなんて大して重要ではないので、 Diablo 2 が恋しい人、Diablo 3 が物足りなかった人にプレーしてもらいたい。(中国語対応は終わっているので、マルチバイト対応は終わっているはずなので、ずっと待っているのだが…)
スプラトゥーン
自分のスプラトゥーンとの戦いは、酔いとの戦いだった。
TPS とはいえ、シューター慣れしていない自分には、スプラトゥーンのゲームスピードは速すぎた。まず WiiU のジャイロ操作をオフにして、エイムが比較的不要なローラーでゲームに慣れ、B+で行き詰まりを感じた頃に ジャイロ操作を有効にしてシューターを訓練して S まで上がり、その後プライベートな部屋で友人たちに立ち回りを詰められ甘い動きを反省して、そうしてようやく S+まで上がった。
ゲームシーンが固まっていない初期にやれたのが良かったのだと思う。自分は元々シングルプレイのゲームばかりやるタイプで、対人ゲームはあまりやらないのだが、スプラトゥーンはそういう人間を受け入れる間口の広さがあったように思う。
一番の問題は、S+ に辿り着くまでに 1400 時間掛かったこと。
ペルソナ 5
自分が中学生の頃、FF10 をリアルタイムでやったときには、こんなゲームが PS2 でいっぱい出るものだと思っていた。残念ながら、PS2 の RPG は、FF10がピークだった。
JRPG は死んだ。少なくともゼロ年代末には一度死んでいる。オープンワールド全盛期に自由度が低い JRPG は批判のやり玉になりやすく、その批判はFF13で頂点に達した。
グラフィックも時代遅れだった。リアル志向な欧米のゲームと違い、漫画的演出に端を発するJRPGは次世代機の進化と噛み合わなくなった。むしろリアルな体と漫画的な演出のちぐはぐさが強調されてしまう結果になり、その不調和はPS2後期のゼノサーガや、PS3のスターオーシャン5 でピークに達していたと思う。
過激なオープンワールドのムーブメントも一周し、そういった人々が冷静になった頃に出たJPRGがペルソナ5だった。ペルソナ5は、ティーン・エイジャーの大人への反発をメインテーマに据えた、JRPGらしいJRPGだが、ターン制、漫画的演出といったJRPG特有の古臭いと思われていた要素を消し去るのではなく、より洗練させることで、次のステージに達した。
https://www.famitsu.com/news/201711/13145540.html
ただし文句はあって、完全版であるところの P5R が、DLC でもなく追加差分がほとんどない状態でフルプライスで購入させられたのは、お布施にしても限度があると思う。アトラスは完全版商法が常態化しているが、せめて DLC にしてくれないと納得感がない。
おわり
みんなも自分だけのn本を書いてほしい