2013年 01月 10日
DV・児童虐待と何が違うのか? |
大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将の2年生男子が、部顧問教諭の体罰を要因に自宅で首を吊って自殺した事件は、日本の学校クラブ活動のどうしようもない病巣を白日の下に晒した。
この高校はインターハイ常連強豪校だったというが、加害教師は保健体育教員で18年間異動していない。自分も最近まで某県立高校のPTA役員を5年間やったので、公立高校の内部事情は理解できるつもりだが、王朝化して誰も意見できず、意志薄弱な管理職では口出しできない雰囲気になりがちな、その様子は想像がつく。
驚くのは、メデイアもネット上の議論でも、「行きすぎ」が問題であり、体罰はありうると肯定する声が未だに少なくないこと。今日の朝日の天声人語も「愛の鞭」を肯定しながらの及び腰で意味がよく分からなかったし、橋下大阪市長も、「30~40発は暴行だ」とコメントしたが「1発でもダメだ」とは言わない。
ならば5発はどうなのか、10発は???。
体罰は暴行、虐待であり、許されるはずがない。にもかかわらず、多く人が校門をくぐると、思考停止して暴力を肯定してしまう。そういう土壌が今回の悲劇の背景にある。
どんな暴力もいけない、という立場に立ちきることから始めなければ、何も変わらない。
そもそも、体罰を、教育とか指導とか言っているが、DVや児童虐待とまったく同じ構造だ。
教師、とりわけスポーツ強豪校の監督の力は絶対である。17歳の生徒に逆らうことなど許されない。完全に支配・被支配の関係性にあっただろうことは想像に難くない。その中で繰り返された執拗な暴力。副顧問などの他の教師、大人も見ているのに何も問題にされない。
生徒に顧問に手紙を出してコミュニケーションをとれというアドバイス(よけいに怒られると思って出していない)・・・。DVや児童虐待でもっともしてはいけない対処のしかたである。
このような中で被害生徒は「自分が悪いから殴られるんだ」と思い込むようになってしまったのかではないか。
「何も死ななくても、クラブを辞めればいいじゃないか」と他人には思えるが、勝利至上主義、狭い価値観の中で育ってきた17歳の生徒には部活動からドロップアウトする選択肢はなく、苦痛から逃れるには死を選ぶしかなかったのだろう。生きるモチベーションが消えたというべきか。
大阪市は「人権教育」が全国一盛んなはずだが、事件は学校現場にまったく人権感覚が欠如していることを物語っている。
児童の権利条約の精神が現場にあって、教師も生徒も対等な人間であり、子どもに等しく人権があるという思想が貫かれていれば、このようなことはおこりえない。この顧問はどうしようもなくても、周囲が何らかのストッパーになったはずだ。
改めてこの条約を実のあるものにしていく努力が大切になっていると実感する(高知県ではこの条約を具体化したこども条例が自民党により実質廃棄されてしまった!)。
付け加えたいのは、公務員には不正告発義務が課せられているわけで、暴行を加えた加害教師を厳罰に処すのは当然であるが、見て見ぬふりをした周囲の関係者(副顧問、管理職など)の責任も徹底追及することが、再発防止のためには欠かせない。
このような人権感覚欠如の中で育った生徒たちが、どういう大人になっていくのか。女性の集団暴行などの事件が有名私立大学の体育会で後を絶たないことと無関係ではないはずだ。
この高校はインターハイ常連強豪校だったというが、加害教師は保健体育教員で18年間異動していない。自分も最近まで某県立高校のPTA役員を5年間やったので、公立高校の内部事情は理解できるつもりだが、王朝化して誰も意見できず、意志薄弱な管理職では口出しできない雰囲気になりがちな、その様子は想像がつく。
驚くのは、メデイアもネット上の議論でも、「行きすぎ」が問題であり、体罰はありうると肯定する声が未だに少なくないこと。今日の朝日の天声人語も「愛の鞭」を肯定しながらの及び腰で意味がよく分からなかったし、橋下大阪市長も、「30~40発は暴行だ」とコメントしたが「1発でもダメだ」とは言わない。
ならば5発はどうなのか、10発は???。
体罰は暴行、虐待であり、許されるはずがない。にもかかわらず、多く人が校門をくぐると、思考停止して暴力を肯定してしまう。そういう土壌が今回の悲劇の背景にある。
どんな暴力もいけない、という立場に立ちきることから始めなければ、何も変わらない。
そもそも、体罰を、教育とか指導とか言っているが、DVや児童虐待とまったく同じ構造だ。
教師、とりわけスポーツ強豪校の監督の力は絶対である。17歳の生徒に逆らうことなど許されない。完全に支配・被支配の関係性にあっただろうことは想像に難くない。その中で繰り返された執拗な暴力。副顧問などの他の教師、大人も見ているのに何も問題にされない。
生徒に顧問に手紙を出してコミュニケーションをとれというアドバイス(よけいに怒られると思って出していない)・・・。DVや児童虐待でもっともしてはいけない対処のしかたである。
このような中で被害生徒は「自分が悪いから殴られるんだ」と思い込むようになってしまったのかではないか。
「何も死ななくても、クラブを辞めればいいじゃないか」と他人には思えるが、勝利至上主義、狭い価値観の中で育ってきた17歳の生徒には部活動からドロップアウトする選択肢はなく、苦痛から逃れるには死を選ぶしかなかったのだろう。生きるモチベーションが消えたというべきか。
大阪市は「人権教育」が全国一盛んなはずだが、事件は学校現場にまったく人権感覚が欠如していることを物語っている。
児童の権利条約の精神が現場にあって、教師も生徒も対等な人間であり、子どもに等しく人権があるという思想が貫かれていれば、このようなことはおこりえない。この顧問はどうしようもなくても、周囲が何らかのストッパーになったはずだ。
改めてこの条約を実のあるものにしていく努力が大切になっていると実感する(高知県ではこの条約を具体化したこども条例が自民党により実質廃棄されてしまった!)。
付け加えたいのは、公務員には不正告発義務が課せられているわけで、暴行を加えた加害教師を厳罰に処すのは当然であるが、見て見ぬふりをした周囲の関係者(副顧問、管理職など)の責任も徹底追及することが、再発防止のためには欠かせない。
このような人権感覚欠如の中で育った生徒たちが、どういう大人になっていくのか。女性の集団暴行などの事件が有名私立大学の体育会で後を絶たないことと無関係ではないはずだ。
by tosahiro-k
| 2013-01-10 22:48
| その他