みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

ちゃんと自分を見てもらえない寂しさ

誰だって誰かに嫌われたくないし、好きな人には同じように好きでいて欲しい。好きな人にはちゃんと自分のことを見ていてほしい。でもそれはなかなか難しい。結構な人が「ちゃんと自分を見てもらえない」って寂しさを抱えてる。

好かれるように相手に同調する、相手の言うことを全部肯定する。そういうのはコミュニケーションを円滑に進めるために必要。でも、それだけじゃいつまでたっても寂しいままだ。

その寂しさを埋めるためには、やっぱり先に自分自身がちゃんと相手をみないといけない。相手の上辺の行動じゃなくて、何を考えて、どう思って、何を感じているか見るように気を付けるといい。相手の態度や言動を短絡的に捉えないで、その裏側の気持ちを考える。

そういうことをすると結果的に相手が自分のどこを見てるか分かり、相手に対して過剰に合わせる必要はなくなるし、自分を飾らないで自然に振舞うことができる。この自然に振舞うというのが大切。

嫌われるのを恐れるあまり上辺的な部分を出し過ぎると、その上辺的な部分に惹かれた人たちが集まってきてしまう。本当は、はじめから飾らなければ素の状態に好意を持つ人しか集まらない。でもそれでは人間関係が成り立たないから多少の潤滑は必要。

相手をちゃんと見たら、相手が自分を尊重してくれた分だけ、相手の気持もちゃんと尊重してあげること。これをしないとただの依存になっちゃうし、依存している限りいつまでたっても寂しさは解消されない。


心に寂しさがある人は、よく何でも優しかったり何でも自分のいうとおりにしてくれる相手にハマってしまう。けど、そういう人が本当にやさしいことは稀で相応の見返りを得ようとしているだけ。

やさしくすることは簡単だけどそれじゃ本人のためにならないなら厳しく接することもある。これが本当に優しさってやつだ。

これがお互いにできれば、相当に成熟した関係なるんじゃないかな。