研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

2023年6月スウェーデン出張メモ

6月7日から15日にかけて、久々に長めの出張でスウェーデンに滞在し、いくつかの場所を訪れた。

当初、研究報告は後半の学会報告での1度だけの予定だったが、結局、インフォーマルなものとはいえ、スウェーデン財務省とウプサラ大学住宅都市研究所でも30分ほどの短い研究報告を行った。

それ以外にも、久々の比較的長めの滞在ということで、博士課程時代の指導教官や友人や知り合いなどに多く会い、充実した出張だった。自分が博士号を取得したウプサラ大学や後述するメインイベントの学会の他に、博士課程時代の同期や後輩が働くストックホルム大学のSOFI(The Swedish Institute for Social Research)やスウェーデン財務省を訪問することができ、またスウェーデンで働く日本人の医師・データサイエンティスト・経済学者の方々とも久々に対面で会い、さまざまな話をすることができた。

以下、研究報告をしたところについて、簡単に忘備録を残しておく。

スウェーデン財務省

スウェーデン財務省は、大学院博士課程時代の知り合いが働いていたツテで訪れることになり、当初は立ち話くらいのつもりだったが、不定期でセミナーを開催しているらしく、そこで報告することとなった。

スウェーデン財務省のオフィスは日本の財務省とは全く異なる環境であった。歴史的建造物の中にオフィスがあることは共通しているが、中はモダンな造りになっており、日本の大企業や官庁のような大部屋文化もないため、個室もしくは数人によるシェアという感じで、スウェーデンの大学キャンパスと似たような雰囲気を感じた。そして自動昇降式のスタンディングデスクを使っていた。

スウェーデン財務省でのセミナーでは、先方(or 知り合い)の希望で、保育所入所が家事・育児分担に与える影響についての研究を報告した。財務省の歳入担当部署の人たち(ただし全員が経済学修士号か博士号を取得)が中心だったが、いろいろと質問やフィードバックをもらうことができた。この論文は第一稿の完成が伸び伸びになっているので、早く完成させなければならない。

ウプサラ大学住宅都市研究所

ウプサラ大学住宅都市研究所(IBF, Institute for Housing and Urban Research)は、私の指導教官と副指導教官が現在も在籍し、私が博士課程時に在籍していた研究所である(経済学部の博士課程だが、給与はここから出ていた)。当時、私はほとんど在宅で研究をしており、セミナーも経済学部のほうは出席していたものの、住宅都市研究所のセミナーにはまったく参加しておらず、また当時は、住宅都市研究所では経済学的な研究プロジェクトはあまり行われていなかった。

だがいまは、指導教官らがウプサラ市から研究資金を獲得し、だいぶ研究プロジェクト体制がしっかりしている印象であった。訪れた当日は、主に大学院生による研究報告ワークショップがあったので、そこに混ぜてもらって30分ほど報告させてもらった。

IBFでのセミナーでは、戦前の高橋是清による拡張財政が自殺抑止に与えた影響についての研究を報告した。戦前日本における「自殺」という現象が、どのくらい当時の欧米あるいは現代社会の自殺と比較可能なのかという趣旨の質問を当初に受けたことが印象的だった。あとは、スウェーデン人が歴史的な個票データでゴリゴリ似たような研究を進める前に、早く論文を完成させなければならない。

FISS:Foundation for International Studies on Social Security

出張後半は、Sigtunaというストックホルムとウプサラの真ん中くらいにある湖畔の町で開催されるFISS(Foundation for International Studies on Social Security)という社会保障・社会政策系の小さな学会に参加した。

この学会は、規模が小さく継続的な参加者が多いため、アットホームな雰囲気にもかかわらず、ヨーロッパの社会政策系の一流研究者も多く集まる良い学会だと思う(ただし私自身はまだ2度目の参加)。だが日本人参加者は少なく(今回は私を入れて2名)、もったいないと思う。経済学者も参加しているが、社会学系や福祉国家系の社会政策学者が多く、この領域の研究動向やネットワークを知るにはよいところだと思う。スウェーデンからはストックホルム大のSOFIの社会学者・社会政策学者が多く参加していた。

FISSでのセッションでは、コロナ禍が失業手当と生活保護の利用に与えた影響を分析したショートペーパーを報告した。ショートペーパーなので報告時間が余るのではないかと心配したが、案外いろいろと話すことがあり、質問やコメントもけっこう貰うことができた。この論文も、ショートペーパーなのに完成が遅れており、早く仕上げなければならない。

ストックホルム(間違えて23kgのスーツケースを持って登った崖の上から)

ストックホルムの夜景(安宿の船ホテルの甲板から)

シグトゥーナ(Sigtuna)の教会の廃墟(今回一番印象に残った建物)

シグトゥーナ(Sigtuna)の湖(レンタルチャリから撮影)

ウプサラ大聖堂と小川の横のレストラン

ストックホルム市街1(平日の17時か18時くらい)

ストックホルム市街2(平日の17時か18時くらい)











 

「介護保険制度における福祉用具貸与・販売のあり方検討会」での発言(第1回~第6回)

厚生労働省の「介護保険制度における福祉用具貸与・販売種目のあり方検討会」の構成員をしている。

とりあえず忘備録として、議事要旨から自分の発言部分だけメモしておく。適宜、リンクなどを追加したい。

 

(2022.11.14 第5回と第6回分を追加)

 

【第1回】

この回では、2021年度の財務省建議における福祉用具の「貸与から販売」の議論および2022年度の財政審での議論における福祉用具の「貸与のみのケースにおける介護報酬引下げ」の議論について発言した。

○安藤委員
 よろしくお願いします。
 私からは2点あります。1点目は昨年度の財政審の建議における「貸与から販売」という議論について、2点目は今年度の財政審の指摘に出てきた「貸与のみのケースにおける介護報酬引下げ」の話についてです。
 まず1点目ですが、介護保険を考えるときは、「介護ニーズに応じて発生する介護費用に対する保険」という視点も重要だと考えております。つまり、金銭的・経済的なリスクに対する公的保険でもあるという視点です。その観点からすると、貸与から販売になることによって、要介護者あるいは家族の経済的な負担がどのぐらい変わるのか、どのぐらい重くなり得るのかということに関しての議論や、その議論のベースとなる情報が必要だと考えます。今の時点では、このような議論や情報があまりありません。ケアマネへのアンケートなどはありますが、実際の世帯の金銭的・経済的負担がどうなり得るのかがわかりません。そもそも、貸与から販売をどういう形で行うかという具体的議論はまだ行われていないこともありますが、この金銭的・経済的負担に関しての情報がないとなかなか議論がしづらいと思います。
 なぜこういう議論が重要かというと、例えば、もし貸与から販売になることによって自己負担増となる世帯が増えた場合、低所得世帯や、自己負担割合のボーダーを少し超えたあたりの、所得に対して相対的に自己負担が高い世帯などの福祉用具利用の抑制が懸念されるからです。また、ある程度所得がある世帯にしても、年金生活者でそこまで所得が高くない中で、介護のためのいろいろな追加支出が必要となっている世帯もあります。したがって、たとえ福祉用具を購入できる場合でも、それが高額な場合は、他の消費を減らす形で生活を切り詰める可能性もあります。この場合、たとえ結果的に福祉用具に適切にアクセスできた場合でも、それはそれで介護保険の一つの目的である金銭的・経済的リスクへの対応という側面が弱まっていることになります。この辺りをきちんと検証する必要があると思います。
 先ほど健保連の幸野さんが給付と負担ということをおっしゃっていましたし、私も財政学の研究者としてそういう議論はよく分かります。一方で、現実の負担というのは介護保険の中だけで完結するものではありません。例えば負担が被保険者から要介護者世帯に移るという形になる可能性もあるわけです。仮に販売に移行することによって要介護者世帯の自己負担が重くなった場合、介護保険の給付や税・保険料としては抑制が可能になったとしても、その代わり、要介護者世帯の自己負担が高くなることになります。また、福祉用具でそういう可能性があるかはわかりませんが、例えば福祉用具に対応した民間介護保険が出てきて、その市場が拡大し、世帯としては民間保険料をより払うようになる可能性もあります。これらの場合、社会全体で見れば負担水準はあまり変わらないということになる可能性もあります。このように、公的介護保険だけでなく、社会全体を含めて給付と負担を考えていく必要もあると思います。
 次に2点目ですが、福祉用具だけの場合に報酬を引き下げるというアイデアはあり得るとも思うのですが、一つ考えられるのは、「福祉用具ではなく居宅サービスにしよう」とか「福祉用具だけではなくて居宅サービスもつけよう」という形のインセンティブが、利用者のニーズとは関係ないところで生じる可能性があることです。それが利用者にとってよいかどうかはともかく、介護報酬による誘導が働いてしまう可能性があります。そして、そういうことが起こると、数年後に財政審にそれを指摘され、また変更を検討しなければならない、みたいな話になってしまう可能性もあります。介護報酬の段差をつけるという話はもちろんありうると思いますが、目先の介護報酬引下げで財政負担を下げようとする場合も、それが利用者さんやケアマネさんや介護事業所による全体のケアパッケージづくりにどういう影響を与えるか、意図せざる結果を生まないかということも重要な論点ではないかと思いました。
 以上2点です。

 

【第2回】

この回では、第一に、貸与と購入における自己負担のあり方の違いについて発言した。ここでは、購入の場合の分割払いという選択肢もあり(実際にそのような運用がなされている)、その点について言及すべきであった。

第二に、前回でも言及した財政審の「貸与と購入の費用比較」の資料について、発言した。「この議論の本質的な部分は、貸与か販売かではなく、福祉用具貸与のみの利用の場合にケアマネや相談員を入れるかどうか」という趣旨の発言をした。

○安藤構成員 
 私は、5の「経済的負担」に関して2つコメントがあります。第一に、1点目の「長期利用者の場合には貸与より購入の方が安くすむ」について、一括払いか分割払いか、つまり一括で購入するか貸与で少しずつ払うかという違いがあります。一括購入の場合、一時点で払わなければならないお金が多いので、例えば年金生活者では使用控え・購入控えの可能性も考えられると思います。同じ支払い金額でも、1回で10万円払うのと3年かけて10万払うのは違うので、そこは注意が必要と思います。
 第二に、2点目の「経済的な負担の観点から貸与・購入の選択を可能にする」に関しては、これは「3.福祉用具の使用に関するモニタリング・メンテナンス等」や「4.介護支援専門員による支援」とも関わってくると思いますが、この論点の本質は、少なくとも財政審の「貸与と購入の費用比較」の資料を見る限り、貸与か販売かというよりも、むしろケアマネや福祉用具専門相談員ありかなしかということだと思います。財政審の費用比較においてあれだけコストが違うのは、結局その部分であり、もし貸与でも販売でもケアマネジメントに係る費用を同じようにつけるのであれば、財政審あるいは財務省としては、むしろこの議論をする意味はないということになる可能性もあるかと思います。つまり、この議論の本質的な部分は、貸与か販売かではなく、福祉用具貸与のみの利用の場合にケアマネや相談員を入れるかどうかというところなのかもしれません。
 その観点からすると、今の制度では、何らかの介護や支援が必要な人が福祉用具の貸与サービスだけを使う場合に、それでもケアマネや福祉用具の相談員から一定の人的サポートを受けられるというメリットがあることを認識する必要があります。この人的サポートがなくなった場合、例えば本人や家族の経済的・身体的・精神的負担の増加にもつながる可能性もあります。その部分を無視して、単純に介護保険の目に見えるコストだけで、「ここに無駄があって、この無駄を削減しても誰も困らない」という形の議論に誘導するのはやや印象操作だと思います。
 ですので、福祉用具のみを利用している要支援者・要介護者にも一定程度の人的サポートがあるという今の仕組みがあり、かつ国も孤独・孤立対策を別途進めている状況で、貸与から販売へのシフトという名の下で、ケアが必要な人に対する孤立・孤独対策という側面も有していたケアサービスを削るという流れにはなってほしくはないと思います。以上です。

 

【第3回】

この回では、第一に、参考資料として提示された「自己負担シミュレーション」が非常に理解が難しい資料であり、これに基づいた議論は困難では、という発言をした。

第二に、財政審から新しく出てきた資料に関連して、「福祉用具単独の場合に介護報酬を下げる」というアイデアのデメリットについて発言した。

○安藤構成員
 私は論点5について1点、論点4について1点コメントがあります。
 まず論点5です。今回、自己負担に関して,参考資料1-2で、16ページから19ページにかけてシミュレーションを出していただいています。正直、これをどう見たらいいのかよく分かりません。自己負担はどうなるという大事な問題を議論するときに、いろいろデータがない中、苦労されたというのは分かるのですが、これに基づいて議論を深めるというのは正直厳しい、というのが率直な感想です。
 ですので、利用の仕方が貸与から購入に変わるときに利用者の自己負担はどうなるのかという議論をする準備は、正直、まだほとんどできていない状態ではないかというのが、少なくともこのシミュレーションを見た感想です。実際、本日この場でこのシミュレーションの議論がこれまで出てこないというのが、これをどう見たらいいのか分からないということを反映しているのではないかと感じました。
 次に論点4です。これは貸与か購入かという議論に合致する論点なのか分からないですが、居宅介護支援費をどうするかという議論で、例えば財政審の新しい資料を見ても、報酬引下げという話が出てきています。
 前回指摘したように、報酬の段差をつけると、事務的な負担もありますし、ケアマネに、ニーズとは関係ないところで、他のサービスもつけて報酬算定を変えようというインセンティブを与える可能性があります。あるいは、そもそも福祉用具単独の人の場合に報酬が低くなるのであれば、うちはそういうのはやめようというケアマネがでてきて、ケアマネにアクセスしやすい人としづらい人が出てくる、という事態が生じる可能性もあります。例えば、居宅介護サービスについて、人が家に来るのは嫌だけれども貸与だけ使いたい人がいたとしても、この人は貸与だけなのか、ならば報酬が下がるからやめておこう、ということが生じる可能性もあります。それをどう考えるかは、この検討会の範疇かは分かりませんが、必要だと思いました。
 また財政審の資料にあるように、福祉用具貸与のみのケアプランは6.1%です。この6.1%について報酬単価を下げるといっても、大して下げられないでしょうから、そうすると財政抑制効果としても大したことにならない可能性もあります。にもかかわらず、事務負担がやたらと増えたり、ケアマネや事業所に変なインセンティブを与えたりするのはどうでしょうか。ちょっとした抑制・削減のために、いろいろなところに余波が生じることにならないか、と懸念します。

 

【第4回】

この回は、「同一種目の福祉用具の複数利用・多数利用」について、一律に上限設定をするという案は望ましくない、という指摘をした。

私は福祉用具利用そのものについては詳しくなく、それについての踏み込んだ発言はこれまで控えてきた。だが、提示された統計データの解釈として正しいとは思えない議論が出てきたため、急遽発言することにした。

この件については、訪問診療に携わる友人の医師から、福祉用具の上限設定という方向性に危機感を感じるという趣旨のSNSでの医師や介護業界の人々のやり取りを紹介してもらうなど、個人的なレベルで反響と学びがあった。

○安藤構成員
 よろしくお願いします。私は2の(1)と(2)について、1点だけコメントします。
 これまで何人かの方が議論されていますが、手すりやスロープの数の上限を設定することに関しては、私は慎重に考えるべきだと思います。
なぜかというと、参考資料1の14ページにデータが載っていますが、例えば手すりであれば11個以上貸与は7,402人で0.6%、スロープであれば11個以上貸与は235人で0.1%と記載されているわけですが、そもそも、利用者数が少ないイコール無駄遣いというわけでは当然ないわけですし、レアなニーズがあってそうなっていると解釈できます。手すりであれば、特に退院初期は動線上にたくさんつけなければならないとか、スロープであれば、家の事情でがたがたしているところが多くて結果的にこうなったというケースもあるはずです。そこを一律に、10個以下にしましょう、としてしまうと、例えば11個以上必要な人にとっては非常に不便な事態を招く可能性もあり、あと1個2個あればというところで不合理にもサービス提供がちゃんとできないという残念なことも起こり得るわけですし、保険としての機能も果たせないということにもなります。
 また財政的に考えても、例えば福祉用具12個、13個を10個に利用抑制しましたといっても、対象となる人数もそんなに多くなく、大きな財政的インパクトもないわけです。そんなに大きな財政抑制効果もないのに、ニーズを抑制する形で事前に上限設定して利用を抑制しようという発想は慎重に考えるべきだと思います。
 ではどうしたらいいのかというと、これもいろいろなお話がありましたが、モニタリングなどの事後チェックは必要に応じてきちんとしていくことはやはり重要だと思います。本来、ケアマネ、PT・OT、リハの専門家、福祉用具の相談員など、いろいろな人がチームを組んで効果的で適切な福祉用具活用を模索するというもう少しポジティブな話をどんどんしていくべきで、その先に、事後的なモニタリングもしっかりして不適切事例を抑制するという議論があるのが筋かと思います。ですので、事前に数を一律に制限するという発想は、財政的な観点からも保険給付の効果という観点からもあまり筋がよい話ではないというのが私の意見です。
 以上です。

 

【第5回】

 

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○安藤構成員
 よろしくお願いします。
 私からも3点あります。
 1点目は、13ページ目の「福祉用具貸与における同一種目の複数個支給等について」の2つ目の丸ポツについてです。こちらは私の発言を基に書いていただいていると思うのですが、よく分からない書きぶりになっているので修正が必要だと思います。まず、「一方、同一種目で複数個支給されているケースは全体の割合でいうと僅かであり」とありますが、複数個というのは2個からであり、その割合は「僅か」ではないです。私の趣旨としては、より多く支給されているケースです。ですので、「複数個支給されているケース」というのは、「多く支給されているケース」のような形に変更していただきたいです。
 またその次の文章で、「一律な規制により特殊なニーズに対応できなくなり」とありますが、趣旨としては、「全体の割合でいうと僅かであり、僅かであるということは、特殊なニーズに対応しているケースが多いと考えられる」ということです。つまり、「全体の割合でいうと僅かであり、それらは特殊なニーズに対応しているケースと考えられ、一律の規制によってそのようなニーズに対応できなくなってしまう」ということです。そういう書きぶりに変えていただきたいです。
 またこの文章において、「不測な自体」とありますが、まず、「自体」はタイプミスです。さらに、不測というよりも、むしろ測れるわけです。突然予想していなかったことが起こるというわけではなく、むしろはっきりと予想される形で、利用者にとって事態の悪化を招く可能性があるということです。ですので、そこは「不測」という言葉でごまかすのでなくて、「こういうことをすると、利用者にとって事態の悪化が起こり得る」という書き方に変更していただきたいです。以上が1点目です。
 2点目は、17ページの「選択制を可能とする場合の貸与・販売の考え方」についてです。そもそもこの箇所全体が踏み込み過ぎではないかという意見が出ていて、私もそこは同意するのですが、1点、こういう議論をするにしても、私が指摘してきたけれども、ここに書かれていないことがあります。それは、そもそも貸与から販売にしたときに、自己負担がどうなるかが見えないということです。これが見えないと議論が難しく、まずそこをちゃんと検証することが第一歩だと思うので、そういう文言を入れていただきたいと思います。自己負担がどうなるかについてのわかりやすい検証があってはじめて、貸与から販売へということについて検討できると思います。いまの文言だと、「本検討会での検討の結果、歩行補助つえや固定用スロープなどの貸与・販売の選択制を始めるべきと考えられる」とも読めます。そもそもこういう具体的な議論はできていないということをごまかすべきではないというので、そこはきちんと入れていただきたいです。
 そもそも負担について、これまでは議論していなくて、議論しなければいけないというところで止まっているということをきちんと示さないと、「本検討会では、きちんと議論して、それを踏まえてこういう提案をするのだ」と読まれかねないと思いました。
 3点目は、18ページの「見直しの内容」の「複数個支給における考え方の整理」というところです。ここも同じような意見がありましたが、そんなに議論もしていないのに、いきなりこれが来ると、やや唐突ですし、かつ「複数個支給」となると「2個以上」なので、果たしてそういう議論をしたのかなと。せめて「適切な支給量についての考え方の整理」といった形の書きぶりにしたほうがいいと思います。ここは少し誘導的な感じがしてしまいます。「複数個支給における考え方の整理」と言うと、メッセージとしては、複数個つまり2個以上というのはどうなのだという意見があり、それを考えなければいけない、というふうに読め、かつ、それを検討会としても共有していると見えてしまいます。もう少し一般的・中立的に、適切な支給量についての考え方の整理が必要だ、という表現にしていただきたいと思いました。
 以上です。

【第6回】

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○安藤構成員
 よろしくお願いします。
 私は2点あります。1点目は、小野木構成員が指摘していただいた部分と同じですが、資料2の7ページ「(慎重な検討を求めるもの)」の1つ目のポツです。同じ趣旨なのですが、ケアマネジャー分を除いて貸与と販売を考えるということについて、どういう表現にすべきかというのはこの段階で分からないところがありますが、きちんと入れていただきたいと思いました。
 それに関連して、「経済的負担が少ない」とありますが、経済的負担というのは誰の負担なのか、つまり、本人か、国か、自治体か、この文章では分からないと思いました。趣旨としては経済的・財政的負担と書いて問題ないと思います。なので、本人にとっての、というのもあるかもしれないですが、国や自治体の財政面から見ても、この会議が立ち上がった一つのきっかけでもある財政審の資料での指摘にもケアマネ分の費用の話が入っていたわけですが、そうではなく純粋に販売か貸与かということを考えると、経済的・財政的負担がどうなるかは、分からないままだと思います。ですので、そういうことをここの部分に盛り込んでいただきたいと思いました。
 これと同じところですけれども、資料3のページ2のほうでも同じ文言が入っているのですが、ここも個人的には経済的というのに加えて財政的というのも入れていただきたいと思います。これが1点目です。
 2点目は、資料2の14ページの一番下「同一種目の複数個支給等について」のところです。趣旨としては私が念頭に置いていたのとちょっと違うようにも捉えられるかなと思ったので、細かいところなのですが、少し文言を修正していただきたいところがあります。「一方、同一種目で多く支給されているケースは全体の割合では僅かであり、特殊なニーズに対応しているケースと考えられ」とあるのですけれども、「特殊なニーズに対応しているケースも含むと考えられ」としていただきたい。その1個上の丸ポツだと「極端に多い」となっていて、下のところでは「極端に」というのは除かれているわけなので、複数個で多く支給されているというのが全部特殊なニーズで、非常に特殊な、ニッチなものなのだという印象を受けるので、「そういったものも含むと考えられる」と変えていただきたい。
 あとは、これは日本語の問題ですけれども、その後に「一律な規制によって利用者の必要なニーズに対応できなくなってしまい」と書かれていますが、ニーズというのは「必要」という意味なので、同じ言葉が2つ続いているので、「必要な」というのを削除していいのではないかと思います。
 この点に関しては資料3のP4の一番下が対応しているところですけれども、ここは要約になっていて、この要約も趣旨が誤解されかねないので、変更していただきたいです。資料3の4ページの最後の丸ポツの2行目「複数個支給で満たすことができる特殊なニーズへの対応が困難になる可能性に懸念を示す」と書かれているのですが、これだと複数個支給で満たすものというのは全部特殊なニーズだという解釈も成り立ってしまうので、ここは「特殊な」という言葉を削除していただきたいと思います。
 以上になります。

 

○安藤構成員
 この点は、私も前回あまりきちんと考えていられなかったのですけれども、全体の経緯から見ますと、今回の参考資料1の8ページにある財政審の資料「ケアマネジメントの利用者負担の導入等」というところで、貸与から販売という話と、そこで考慮されているケアマネに関わる給付費というのが当初ごっちゃになっていて、結局、この話は何回かこの会議の中でも議論が出たと思うのですが、そこについての言及がないなと思いました。ではどうやって反映すべきなのかということを少し考えていたところです。小野木構成員から似たようなことに関して御指摘があったので、私も、というところで、そこは今からできる概念整理を少ししていただけるとありがたいと思います。

 

○安藤構成員
 その点に関して、1点だけですけれども、おっしゃるとおり、シミュレーションするというのは大変ですが、少なくとも財政審資料、つまり参考資料1のP8のこの部分に関しては、そもそも貸与と販売という議論とケアマネに係る給付費という議論が一緒くたになっており、そこは分けなければいけないというのは、シミュレーションとは関係なく議論できる話だと思います。ここは後出しというか、前回のドラフトできちんと見つけられていなかったのですが、ちょっと整理していただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

令和3年度 厚生労働省のEBPM推進に係る有識者検証会

委員を務めた「令和3年度 厚生労働省のEBPM推進に係る有識者検証会」のリンクをメモしておきます。

令和3年度 厚生労働省のEBPM推進に係る有識者検証会

 

最終的なとりまとめ報告書(全体版)はこちらになります。

「厚生労働省のEBPM推進に係る有識者検証会 検証結果取りまとめ」

 

個人的見解としては、「ロジックモデル」の活用の有用性には疑問を抱いていますが、いいっぱなしになるのもよくないので、その点については、また機会があれば追記したいです。

コロナ禍の失業と自殺やセーフティネット利用の関係を分析した英語論文が刊行されました。

コロナ禍の失業と自殺やセーフティネット利用の関係を分析した英語論文が本日刊行され、プレスリリースも出してもらいました。

www.rikkyo.ac.jp

www.teikyo-u.ac.jp

  • プレスリリースのPDF版はこちらです。

論文はこちらです。

Ando M, Furuichi M (2022) The association of COVID-19 employment shocks with suicide and safety net use: An early-stage investigation. PLOS ONE 17(3): e0264829. 

doi.org

 

 

アメリカのインフレ論争の動画メモ

アメリカ経済についてのインフレについてのBendheim Center for FinanceのセミナーとPIIEのセミナー動画をいくつかメモしました。Summers, Krugman, Furmanらのセミナーや対談が中心です。

  • A Conversation with Lawrence H. Summers and Paul Krugman
    (2021/02/13)

youtu.be

  • Jason Furman on what the Federal Reserve should do now(2021/11/19 )

youtu.be

 

  • Why did (almost) nobody see inflation coming and what’s next?(2022/01/14)

youtu.be

 

  • US inflation: Outlook and policy responses(2022/01/20)

youtu.be

 

  • Inflation Debate between Paul R. Krugman and Lawrence H. Summers - Part II
    (2022/01/22)

youtu.be

ハラスメントをめぐる社会通念

最近ツイッターで生じている事案について、短い意見書を書きました。

その後も、歴史学者の與那覇潤氏が

具体的には、公開された呉座氏の過去の発言を「誤読」ないし「意図的に歪曲」して、同氏が一人の女性研究者を中傷したのみならず、全面的な「性差別主義者」「レイシスト」であったかのような風説が流布されている。こうしたことは、呉座氏が北村氏に対して行っていた揶揄と同様かそれ以上に、許されてはならない。

と主張するなど、余波は続いています。

與那覇氏の「同等かそれ以上に、許されてはならない」という表現は、「それ以上に許されてはならない」という価値判断を反映していると推察できます。ですので、この言葉から、與那覇氏が「何をより深刻な問題と認識しているのか」を理解することができます。

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本件についての私の意見は、不十分とは言え、上の意見書に書いたとおりなので、ここでは繰り返しません。

ただ、私がこの一連の事案について考える中で、何度か想起した漫画があるので、その漫画について簡単に紹介したいと思います。

それは、現在ウェブ連載が続いているペス山ポピーさんの『女の体をゆるすまで』という連載漫画です。ちょうど最近、第15話が最近公開されました。

この漫画の第5話で、裁判における社会通念の役割についての話が出てきます。残念ながら今はもう無料では読めませんが、62円でPaypayなどの電子マネーでもすぐに購入できます。

その中で、7年前に著者が受けたセクハラについて、相談相手の弁護士との、以下のようなやりとりがでてきます。

「7年前に私が受けたこのセクハラって…もし訴えたらどうなってたんでしょうか。」

「7年前の出来事で、7年前の当時訴えたらということですよね。」

「はい。」

「勝てなかったと思います。」

「あー...やっぱり。」

「ただし、」

「今だったら勝てるんじゃないですかね!」

(出典:ペス山ポピー(2020)『女の体をゆるすまで』5巻より)

そして、「この7年間で何が違うのか」という質問に対して、「社会通念が変わった」ということや、「社会通念が裁判においてなぜ重要なのか」について、弁護士が説明していきます。

7年前の社会では「社会通念」として許されていたことが、今は許されない。そのようにして、社会のありようは変わっていくし、裁判の結果も変わっていくのか、と、たいへん勉強になる回でした。

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今回の事案についても、私は同様に考えています。「何が許されないか」についての社会通念は、日々変わっていきます。今回の一連の事案も、「何が許されないか」や「何がより問題視されるか」という「社会通念上のボーダー」を巡って、思想闘争が生じていると解釈することもできます。

そして私は、今回の事案に関する「社会通念上のボーダー」を変える必要があると考えています。もちろん、日本社会全体の社会通念をがらりと変えることなど私にできるわけもないですし、それを願うべきでもないでしょう。

そこで、「SNS上の(男性)研究者による情報発信」という、私自身、おそらくすでに最古参の当事者であるテーマに的を絞って、冒頭の意見を表明しました。

(もちろんこれは、意見書の共同執筆者の川口氏とは独立した、あくまで私個人の現状認識および問題意識です。)

なお、上の記事で與那覇氏が懸念していることや、ツイッター上の少なくない男性研究者による類似の懸念に、まったく理がないとは思いません。それについてどういう形で議論をするべきかについては、不十分ではありますが、意見書にも少し書いたので、ここでは繰り返しません。

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最後に、今回の一連の事案に関して、私が目に付く範囲とはいえ、研究者がより重要と感じる「懸念」や「不安」に、そしてその背景にある「社会通念」に、顕著なジェンダー差があると感じました。

当たり前といえば当たり前のことですが、これはなぜなのか、これまではどうだったのか、そしてこれからどうなるのか、という事実解明的な視点は、実証系の社会科学研究者として忘れないようにしたいと思います。

 

規範倫理学と徳倫理学/コロナ禍の医療提供体制とワクチン接種

メモ1.規範倫理学と徳倫理学

ロールズ以降の「規範倫理学の再興」については多少は勉強したつもりですが、「徳倫理学の再興」ということはまったく認知していなかったので、勉強しがいがありそうです。

 

メモ2.コロナ禍の医療提供体制とワクチン接種
最近、コロナ禍における日本の医療提供体制の脆弱さやワクチン接種の遅れについての批判が多く出てきています。私もその懸念を共有しつつ、「なぜそうなっているのか」について理解しなければならないと感じています。

熱心にフォローや検証はしていませんが、医療提供体制については、日本の病院や診療所の成り立ちやあり方を考えると、「上手くいっていない」背景はなんとなくは理解できます。一方で、ワクチン接種の遅れの理由については、まったくよくわかっていません。

両者について、ジャーナリズムによる良質な調査報道や専門家による実証的な検証記事が出るのを待っています。

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