『一日一生』 by 酒井雄哉(天台宗大阿闍梨)

2025年、明けましておめでとうございます。

今年も、コツコツと綴り続けます。

読み溜まった本の中から、新年の一冊は、

 

『一日一生』
酒井雄哉(さかい・ゆうさい、天台宗大阿闍梨)
朝日新聞出版
2008年10月30日 第1刷発行
2024年5月10日 第37刷発行

 

本屋さんの新書のコーナーで平積みされていたのが目に入った。
帯には、
”NHK「あさイチ」で村木厚子さん(元厚労事務次官)が紹介!
「この本に救われました」
故酒井雄哉・ 大阿闍梨 の言葉
本書を読めば、その言葉に込めた思いがわかる。
シリーズ累計40万部突破!”
とある。

なんとなく手が伸びて、年末年始の買い込みに他の数冊 と一緒に購入した。

 

2008年が初版とのこと。村木さんが大阪地方検察庁特別捜査部の検察官に逮捕されたのは、2009年のこと。まったくの冤罪。冤罪どころか担当検察官が証拠を改ざんしていた事実が明らかとなり、検察側が有罪となった事件。その村木さんが「救われた」という本。

 

著者の酒井雄哉さんは、 比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。 1926年、 大阪府 生まれ。 太平洋戦争時、予科練へ志願し特攻隊基地・ 鹿屋で終戦。 職を転々とするがうまくいかず 縁があって 小寺文頴師に師事し、 40歳で得度。 約7年かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の2度満行。その後も国内や世界各地を巡礼した。 2013年9月死去。

 

表紙裏の袖には、
”「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」
「仏さんは、なんもかんもお見通しかもしれないよ」
酒井雄哉・ 大阿闍梨 の慈雨の言葉。
なぜ生きるのか。どう生きるべきか。
苦しみや死をどう受け止めたら良いのか。
人生に迷い悩む全ての人に。”
とある。

 

目次
第一章 一日一生
第二章 道
第三章 行
第四章 命
第五章 調和

 

感想。
一気読み。
慈雨の言葉とは、本当にその通り。

 

目次には、さらに細かなタイトルがついている。
第一章なら、
・一日が一生、と思って生きる
・身の丈にあったことを毎日くるくる 繰り返す
・仏さんは、 人生を見通している
・・・
などなど・・・。

口語調で、まさに大阿闍梨が語っているかのように書かれているので、しんしんと心にしみてくる。

お寺の家に生まれたわけでもなく、戦争でも死に損ない、結婚すれば奥さんは2か月で実家に戻って自殺、職を点々、、、、そうしているうちに比叡山にたどり着く。
なんて、壮絶な人生。

 

その日その日、やれること、やるべきことをコツコツとかさねていけばいいのだ、と、「救われる」感じがちょっとわかる。

 

素敵な言葉を覚書。
・ 「人からすごいと思われなくたっていいんだよ」
 山を歩いていたら、「行をしたからすごい」ということでもない、と思うようになった。 いくらどんな行を何回やっても何もつかむことがなかったら何の意味もない。 それだったら、たった1日でもいい、 深いところを味わいながら 丁寧に歩いてみる方がいいかもしれない、と。


・ 「人生の出会いはある日突然やってくる」
奥さんを亡くした後、時々比叡山を訪ねるようになっていた。そして、あるとき東京からきた弟を比叡山に案内していたら、新日回峰行の中で最も厳しい行である「堂入り」を終えた阿闍梨に出会う。その時初めて、千日回峰という言葉に出会い、とんでもなく大きな襲撃をうけた。山をおりてからも、ずっと頭から離れなかった。圧倒的な何かが思わずひれ伏してしまうような出会いの瞬間だった。

 

・「 衣を染める 朝露もいつしか 琵琶湖に注ぐ」
千日回峰行で木や草をかきわけながら歩いているとき、朝露で着物がずぶ濡れになるし、汚れてしまう。嫌だなぁと思っていた。この草がなければいいのにと思った。でも、ある蒸して暑い日、 喉が渇いて清水をのんだ。 チョロチョロチョロ・・・・って 湧き水が流れているところに、 笹の葉や 木を置いてせき止め、 たまった水を飲んだ。そして、 このちょろちょろした水が 川になって、 琵琶湖に注いで、人々の豊かな水源になっている。 この水は、草木についていた露なのだと気が付いた。雑草がなくなると、川も湖も、地下水もなくなってしまう。 雑草がなくなってしまったら、 砂漠になってしまうのだ。そう気が付いた。
そしたら、 朝露でぬれることが嫌じゃなくなった。

 

・「 息を吸って、吐く。 呼吸の大切さ」
歩いて歩いて苦しくなった時、呼吸と共に歩くとつらくなくなった。

 

・「 人は自然の中で生き、 生かされている」
一人で山中を礼拝してあるいていても、寂しいとか言う事はなかった。動物、花、緑。梅雨がきて、緑が濃くなって、夏が来て、月日が流れると空気がひんやりしてきて。人間だって自然の一部ということ。
自然の中に身を置いてみると、一人ではないんだなぁ、と思う。


このところ、「自然」のパワーに関する言葉をよく目にする。どうやら、私にとって2025年のテーマの一つは「自然に生かされる」になりそうだ。

 

宇宙の始まり、自然の始まり、生物の始まり、

たまたま、私の人生も56年前に始まった。

壮大な時の流れの中で、偶然にも今の時代に生きていることを感謝しよう。

 

今年も一年、「一日一生」で、時間を大切にやっていこう。

良い一年になりますように!

良い一年にしよう!

 

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