「リベラルは新時代の神になる」

ところがそんな傲慢なリベラル的正義の在り方に疑義を抱いた人たちによる宗教革命の炎が。


言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル
なんか話題になってたやつ。無料プレゼントされていたので拝見しました。
う~ん、まぁ、そうねえ。「自民党が韓国の統一教会に乗っ取られているとか」それこそ一昔前(ゴーマニズム宣言レベルの20年以上前?)の嫌韓ネトウヨとレッテルされていた人達そのまんまのことを2024年の『リベラル』な人たちが言っているのはものすっごく面白いよね。
いつのまにか中身入れ替わっちゃったのかな???
おわり。




以下余談。
ともあれ現在のリベラルがここまで嫌われている構図=カルト化した普遍的価値観についての自己分析というか自己総括のようなお話には、同じリベラルの端くれとしては同意できるところではあるかなぁ。
ただまぁものすごく皮肉な話だと思うのは、つまるところリベラルがそうした個人であることを捨て『誤謬なき正義』を求めていることが、元々リベラル思想誕生の切っ掛けの一つでもあった宗教が神を『絶対的正義』として位置づけていたことと結局似たような道をたどっているのは本当にユカイなお話だと思うんですよね。

無謬とは、間違いがない、という意味である。カルトの本質は無謬性にある。教祖が掲げた教義を、信者たちは決して疑ってはいけない。無謬性に完全服従し全身を預けることで、自分も間違いのない存在だというお墨付きを得る。絶対的な真実だから、それを批判する者は排除してよい。

 それぞれのカルトが、そうして無謬性の感覚をベースに否定しあい攻撃しあっているのが、この世の現状なのだろう。この状態はもはや民主的な世界ではない。

言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル

ここで著者は「カルト」として言い回して微妙に逃げていますけども、まぁその教義の無謬性ってキリストやイスラムなど伝統的宗教の性質そのものでしょう。
ただの神様の名前が変わっただけ。
そして、そうした神の絶対性と同じような形で『普遍的な価値観』だとリベラルを振りかざしてきた人たちは限界を迎えつつある。
結局はリベラルもそれ以外の愚民たちを救うことはできず、普遍性を証明できなかったというだけ。
これが宗教だったら「神は試練を与えるのだ」とか適当なこと言って逃げることができたのにね。




その一方で彼は著書の中でまぁとってもリベラルらしく日本人というアイデンティティーを馬鹿にしていますけども、

 長年の経済的停滞等で疲弊したところに、東日本大震災と原発事故が起こって自分を支えられなくなった日本のマジョリティーの人たちは、絶対に傷つかないアイデンティティーとして「日本人」という自己意識にすがるようになった。個人であることを捨て、「日本人」という集合的アイデンティティーに溶け込めば、居場所ができるから。それは依存症の一形態であるが、誰もが一斉に依存しているから自覚はない。日本社会がそうしてカルト化していく傾向を変えるためには、強権的な政権への批判だけでは不十分で、一人ひとりが自分の中にある依存性を見つめる必要がある――。

言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル

個人的にはそのとってもリベラルらしい見方には賛成できないんですよね。
その反動がアメリカでもヨーロッパでもそして日本でも同じ流れ起きつつあるように、ナショナリズムといった広義のパトリオティズムに自分がやや親和的というか同情的なのは、それが当事者である彼ら彼女らの直接的利益に関わっているのがよく分かるからなんですよ。
他の場所では生きられない――まさに「人はどんな都市でも生きられる」というリベラルとは真逆の思想――というポジションでは、本人の能力ではなく地縁によって生きているという(ある種謙虚な)価値観からすると当たり前の結論なんですよ。
自らが属する共同体が強力であればあるほど、本人が生きやすくなるのは当然でしょう。
故に『国家』を基本単位としている現代世界では、彼ら彼女らは『普通の()*1』弱者であればあるほど、どこでもラストリゾートとしての国家にすがるようになる。それは所謂民族宗教性別マイノリティの人たちがリベラルな社会を求める構造とまったくの相似した構造であります。
それは正しさの追求ではなく、当事者としての利益追求の帰結として。
こんなんじゃナショナリズムに逃げ込む人が居なくなるわけないよね。



だからといってリベラルがダメだとかクソとか言いたい訳じゃないんですよ。自分だって基本的ポジションはオプティミストなリベラルだと思っているし。
――ただ既存宗教の『神』がそうであったように、リベラルという普遍的()価値観は、一部の人達の救済となったけれども、そうではない異端すべてを救ってくれるわけではなかった、というだけ。
――かつての既存宗教がそうであったように、全ての人類を同じ神を信仰させることができなかった、というだけ。
新時代の神にはなれなかったリベラル。
いや、ある意味では旧時代の神と同じような限界にぶち当たったので新時代の神になったと言うことはできるかもしれないね。
「神(リベラル)は死んだ」……いやもう2024年の今では言ってる人一杯で今更か。


神になれなかったリベラルについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:まさにその『普通』の定義こそが現代社会の最重要テーマでもあるんですけど。普通の日本人ってなんだ?