またもやアメリカを救ってしまったオバマ

オバマ「またオレなんかやっちゃいました?」(何もやってない)




シリア反政府勢力が勝利宣言……数時間後にダマスカス入りしたBBC記者が見た喜びと不安の表情 - BBCニュース
シリア反政府勢力の代表、首都で演説 大統領は逃亡 - BBCニュース
ということでまさかの超展開でアサド政権が崩壊してしまったそうで。

アサド政権への攻勢を主導したHTSのアル・ジョラニ代表はその後、政権打倒後に初めてシリア国営テレビで声明を出し、もはや後戻りはできないとして、「未来は私たちのものだ」と宣言した。

シリアの首相は、シリア国民が選んだ指導陣なら協力すると表明した。

国連のゲイル・ペデルセン・シリア担当特使は8日、「シリアの歴史における重要な分岐点」だとコメントした。14年間の内戦で「絶え間ない苦難と、言葉にならない喪失」を経験してきたシリアの国民は、「暗い一章を通じて深い傷を負ってきたが、私たちは今日、慎重に希望を抱きながら、平和と融和と尊厳と、すべてのシリア人を包摂する新しい章が始まるのを期待している」と特使は述べた。

シリア反政府勢力の代表、首都で演説 大統領は逃亡 - BBCニュース

それこそ15年近くダラダラ内戦を続けていたそれが10日程で一気に動くとは思わなかったよねえ。最近はウクライナ情勢が激しく動いていた一方で、それとは正反対に『IS』以降ここ数年は戦線も凍結されていたのに。終わるのは一瞬なんだなあ。
一方で今後についてはウクライナ同様、真摯な専門家であればあるほど「よくわからない」と答えるしかないのがいかに「ザ・カオスな現代世界!」という感じではありますけど。

トルコに拠点を置く「サイダナヤ刑務所の拘束者と行方不明者の協会(ADMSP)」は、2022年の報告書で、内戦開始以来この刑務所が「事実上の死の収容所」と化したと主張していた。

報告書によると、2011年から2018年の間に、3万人以上が刑務所で処刑されたか、拷問、医療の欠如、または飢餓によって死亡したと推定されている。

また、2018年から2021年の間に少なくとも拘束者500人が処刑されたと、釈放された元収容者の証言を引用している。

シリアの刑務所で秘密の地下監獄見つからず 病院には拷問された遺体とHTS - BBCニュース

まぁこれから更にアサド独裁政権時代のについてのどんどこヤバいネタが出てくるとは思いますけども、ガチでマジの「わるいどくさいしゃ」が同時代に生きていた時*1に、善良を自称する私たち一市民たちは「ヒトラーアベを打倒や!」という面白愉快爆笑ネタを無邪気に吹聴していたのだった……、というのがよくわかって人間の喜劇じみた醜さをしみじみ感じてしまうところではありますよね。きっと80年前の人達も本物のヒトラーを海の向こうに見ながら同じことやってたんだろうね。



さておき、本題というか今回のシリアの件で個人的に思ったのが、オバマが『上手く』シリアを見捨てたおかげでアメリカは救われたなあ、という点なんですよね。
つまり、あの時オバマはシリア国民を見捨てたが、アメリカは救うことができた。
子ブッシュが見捨てなかったアフガニスタンやイラクと違って、オバマはシリアを完璧に見捨てたことで、そのアメリカが担うべき責任から一切逃げることに成功している。
今なお続くアメリカの根深いPTSD - maukitiの日記
10年前の当日記ではシリアを見捨てたオバマについて批判的というか同情的というか諦観的に書いていますけども、

過去の失敗を教訓とする美徳とは、過去の失敗に囚われ動けなくなる恐怖と表裏一体でもある。どちらに転ぶかはそんなのぶっちゃけ結果論でしかない。それはアメリカだけでなく、日本やドイツを見ても一緒でしょう。
その意味で言えば、小手先の変更はともかくとしても、オバマ政権である限り根本的にはアメリカの対シリア政策が急に変わることはまずないのではないかと。そしてアメリカが動かないということは、そのまま国際社会から放置されるシリアという意味でもある。
いやぁ政治ってめんどくさいよね。

今なお続くアメリカの根深いPTSD - maukitiの日記

かくして見事にオバマ―トランプ―バイデンとアメリカの歴代政権のシリア政策が何も変わらないまま10年見捨てられ続け、アメリカの直接関与がないところでシリア内戦は事実上終結した。
まぁこれから第二ラウンドがあるかもしれないし、結果としてシリア国民は余計に10年苦しむことになったものの、しかしシリア国民だけでなくアメリカが割と救われたのも間違いないと思うんですよね。当時のオバマが考えていたように、まさにシリアの泥沼から一早く見切りをつけて見捨てたことで。
あのアフガニスタンやイラクと比較してもアメリカの政策としては大成功と言えるんじゃないかな。
だって今後のシリアの混乱に一切責任を持たなくてよくなったんだから。まさにこのオバマ以来のシリア政策によって、アメリカの平和が実現することになった。オバマに感謝だな。



あるいはルトワック先生が言うように、「外部介入」や「押し付けられた停戦」と違いきちんと最後まで戦い切ったことで、よりよいシリアの未来が待っているかもしれない。待っていないかもしれない。
どちらにしても、『世界の警察官』のいない2024年らしい風景ではありますよね。
シリアの未来が少しでも明るいものでありますように。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:いやまぁ北の将軍様が真横に居て何を言ってるんだというマジレスはできるんですけど。

「リベラルは新時代の神になる」

ところがそんな傲慢なリベラル的正義の在り方に疑義を抱いた人たちによる宗教革命の炎が。


言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル
なんか話題になってたやつ。無料プレゼントされていたので拝見しました。
う~ん、まぁ、そうねえ。「自民党が韓国の統一教会に乗っ取られているとか」それこそ一昔前(ゴーマニズム宣言レベルの20年以上前?)の嫌韓ネトウヨとレッテルされていた人達そのまんまのことを2024年の『リベラル』な人たちが言っているのはものすっごく面白いよね。
いつのまにか中身入れ替わっちゃったのかな???
おわり。




以下余談。
ともあれ現在のリベラルがここまで嫌われている構図=カルト化した普遍的価値観についての自己分析というか自己総括のようなお話には、同じリベラルの端くれとしては同意できるところではあるかなぁ。
ただまぁものすごく皮肉な話だと思うのは、つまるところリベラルがそうした個人であることを捨て『誤謬なき正義』を求めていることが、元々リベラル思想誕生の切っ掛けの一つでもあった宗教が神を『絶対的正義』として位置づけていたことと結局似たような道をたどっているのは本当にユカイなお話だと思うんですよね。

無謬とは、間違いがない、という意味である。カルトの本質は無謬性にある。教祖が掲げた教義を、信者たちは決して疑ってはいけない。無謬性に完全服従し全身を預けることで、自分も間違いのない存在だというお墨付きを得る。絶対的な真実だから、それを批判する者は排除してよい。

 それぞれのカルトが、そうして無謬性の感覚をベースに否定しあい攻撃しあっているのが、この世の現状なのだろう。この状態はもはや民主的な世界ではない。

言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル

ここで著者は「カルト」として言い回して微妙に逃げていますけども、まぁその教義の無謬性ってキリストやイスラムなど伝統的宗教の性質そのものでしょう。
ただの神様の名前が変わっただけ。
そして、そうした神の絶対性と同じような形で『普遍的な価値観』だとリベラルを振りかざしてきた人たちは限界を迎えつつある。
結局はリベラルもそれ以外の愚民たちを救うことはできず、普遍性を証明できなかったというだけ。
これが宗教だったら「神は試練を与えるのだ」とか適当なこと言って逃げることができたのにね。




その一方で彼は著書の中でまぁとってもリベラルらしく日本人というアイデンティティーを馬鹿にしていますけども、

 長年の経済的停滞等で疲弊したところに、東日本大震災と原発事故が起こって自分を支えられなくなった日本のマジョリティーの人たちは、絶対に傷つかないアイデンティティーとして「日本人」という自己意識にすがるようになった。個人であることを捨て、「日本人」という集合的アイデンティティーに溶け込めば、居場所ができるから。それは依存症の一形態であるが、誰もが一斉に依存しているから自覚はない。日本社会がそうしてカルト化していく傾向を変えるためには、強権的な政権への批判だけでは不十分で、一人ひとりが自分の中にある依存性を見つめる必要がある――。

言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル

個人的にはそのとってもリベラルらしい見方には賛成できないんですよね。
その反動がアメリカでもヨーロッパでもそして日本でも同じ流れ起きつつあるように、ナショナリズムといった広義のパトリオティズムに自分がやや親和的というか同情的なのは、それが当事者である彼ら彼女らの直接的利益に関わっているのがよく分かるからなんですよ。
他の場所では生きられない――まさに「人はどんな都市でも生きられる」というリベラルとは真逆の思想――というポジションでは、本人の能力ではなく地縁によって生きているという(ある種謙虚な)価値観からすると当たり前の結論なんですよ。
自らが属する共同体が強力であればあるほど、本人が生きやすくなるのは当然でしょう。
故に『国家』を基本単位としている現代世界では、彼ら彼女らは『普通の()*1』弱者であればあるほど、どこでもラストリゾートとしての国家にすがるようになる。それは所謂民族宗教性別マイノリティの人たちがリベラルな社会を求める構造とまったくの相似した構造であります。
それは正しさの追求ではなく、当事者としての利益追求の帰結として。
こんなんじゃナショナリズムに逃げ込む人が居なくなるわけないよね。



だからといってリベラルがダメだとかクソとか言いたい訳じゃないんですよ。自分だって基本的ポジションはオプティミストなリベラルだと思っているし。
――ただ既存宗教の『神』がそうであったように、リベラルという普遍的()価値観は、一部の人達の救済となったけれども、そうではない異端すべてを救ってくれるわけではなかった、というだけ。
――かつての既存宗教がそうであったように、全ての人類を同じ神を信仰させることができなかった、というだけ。
新時代の神にはなれなかったリベラル。
いや、ある意味では旧時代の神と同じような限界にぶち当たったので新時代の神になったと言うことはできるかもしれないね。
「神(リベラル)は死んだ」……いやもう2024年の今では言ってる人一杯で今更か。


神になれなかったリベラルについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:まさにその『普通』の定義こそが現代社会の最重要テーマでもあるんですけど。普通の日本人ってなんだ?

自力救済禁止の原則は衰退しました

自分以外他に誰も助けてくれないからね。しかたないね。


ロシアへの越境攻撃、ゼレンスキー氏が認める 戦争を「侵略者の領内に押し込んでいる」 - BBCニュース
ということでウクライナで大きな動きがあったそうで。

ゼレンスキー氏は10日の演説で、ウクライナの「戦士たち」に感謝するとともに、ロシア国内での作戦についてウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官と協議したことを明らかにした。

そして、「ウクライナは正義を取り戻せると、そして侵略者に必要な圧力を確かにかけられると、証明している」と付け加えた。

複数報道によると、ウクライナ軍は国境から10キロ以上離れた地点に到達し、町の一つを占拠しようとしている。2022年にロシアの全面侵攻が始まって以来、ウクライナがこれほどロシア領内で前進するのはこれが初めて。

ロシアへの越境攻撃、ゼレンスキー氏が認める 戦争を「侵略者の領内に押し込んでいる」 - BBCニュース

戦況全体に与える影響そのものという意味では大きな動きとまではいえないものの、しかしここでゼレンスキー大統領が語っている「ウクライナは正義を取り戻す」という所は歴史的に重要な発言だよなぁとは思うんですよね。
――つまり、彼らは他の誰でもなく自分の力で『正義』を取り戻すと宣言しているだけでなく、その為の行動を実際に起こしている。
ザ・自力救済。


個人的に、本邦でも未だにしつこく言われ続けている「ウクライナ見捨てろ」論にどうしても賛同できない大きな理由がここにあるんですよねえ。それはウクライナが可哀想だからとかいうプリミティブな感情ではなくて、『被害者』を救済してあげることができければ近代法の基本原則である『法の支配』の実質的な終焉を迎えてしまうから。その先にあるのは、パワーを持つ者たちによる恣意的な自己救済が乱発される世界であります。
でもまぁそりゃそうだよね、法が助けてくれないのであれば自力で救済するしかない。
弱体化したお上が正義を為してくれないのであれば、自分たちの力でそれを実現するしかない。
あっ! それ進研日本戦国時代幕開けゼミで見たところだ!


面白いというか皮肉というか、しみじみ『時代』だなぁと思うのは、マクロな国際関係だけでなく同じようなタイミングでミクロな個人的生活でも自己責任論といった言葉が流行って久しい所でしょう。あの言葉が恐ろしいのは、何も様々な要因から失敗し這い上がれない持たざる者である弱者を嘲笑するという点だけでなく、逆側の持つ者たちにとっては自分たちに都合のいい『救済()』を行うことが可能になってしまう所にあるんですよ。
今回のウクライナはロシアと比べればまだ恣意的と呼べるほどの一線を越えてはないかもしれない。ではパレスチナのテロに対して行ったイスラエルの自力救済は? アルメニアに不当に占拠されていたナゴルノ・カラバフを暴力で取り戻したアゼルバイジャンの自力救済は*1?
そもそもロシア自身も自力救済すると言ってウクライナに侵攻したんですけど?


いやまぁマジレスすると国際法にそもそもそんな能力ないと言ってしまうと身も蓋もないんですが、しかしこれまで(子ブッシュ~オバマ政権あたりまで)はそうした幻想が国際関係においてある程度まで共有されていたのも概ね事実であるわけで。
第二次大戦以後、核兵器という暴力が一部強者たちに独占されたことと東西ブロック化による副次的な結果として世界全体で自力救済禁止が実現されていたものの、ところがソ連崩壊とアメリカの世界の警察官辞任により徐々にその原則は効力を失いつつある。


本邦でも素朴に信じられていた「悪いことをしたら国際社会が許しませんよ!」という幻想はぶち壊されてしまった。
クリミアを奪われても、本格的な軍事侵攻をされても、国際社会は救済してくれなかったのである。

「ウクライナは正義を取り戻せると、そして侵略者に必要な圧力を確かにかけられると、証明している」

ロシアへの越境攻撃、ゼレンスキー氏が認める 戦争を「侵略者の領内に押し込んでいる」 - BBCニュース

かくして自力救済するに至ったウクライナ。


多くの問題を抱えながらも、少なくとも国家間の紛争解決を目指していた国際連盟の時代よりも更に前、
自力救済についてなんの制限もなかった100年前の時代に帰りつつある私たち。
核兵器の無い私たち日本のような軍事的弱者にとっては悪夢のような時代かもしれませんが、一方で核兵器を持っているアメリカ*2やロシアや中国のような強者たちにとっては都合のいい形で自分を『救済()』しやすい時代でもあります。
自力救済ホーダイの時代へ。
現在進行形で私たちが目にしているような――まさにロシアやウクライナやイスラエルやアゼルバイジャンのように――各国それぞれ自力救済する野放図な世界へ。


100年ぶりに帰って来たリヴァイアサンな世界では一体どんな光景が見られるんでしょうね?
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:これは両者を入れ替えてもまったく同様に成立する。

*2:今私たちが目にしている野放図な『自力救済()』の最初の例とも言えるのが、あのイラク戦争でもあったわけで。

令和版ここがヘンだよ日本人

最近はおかげさまでノーストレスな日々を送っておりましたが、先日の株価暴落でワイ君のNISA無事死亡――ではなく某Vtuberが卒業ということで久しぶりに心的ストレスを感じたので現実逃避日記復活。



【独自】米・英など5か国の駐日大使が長崎平和祈念式典「欠席意向」 長崎市の“イスラエル不招待”を受け | TBS NEWS DIG
ということで『ヒロシマ』『ナガサキ』の時期になりましたが、今年は一騒動あったそうで。

あさって、長崎市が「原爆の日」に開く平和祈念式典に、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6か国の駐日大使が一斉に欠席する意向を示していることがわかりました。

長崎市がパレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを式典に招かなかったことがその理由だということで、アメリカ政府関係者はJNNの取材に対し、「この件を政治問題化したくない」としています。

これに先立つ先月19日には、日本を除くG7の駐日大使が連名で長崎市長に対し、「式典にイスラエルを招かないことはロシアなどと同列に扱うようなものだ」と懸念を伝え、招待するよう呼びかけていたということです。

【独自】米・英など5か国の駐日大使が長崎平和祈念式典「欠席意向」 長崎市の“イスラエル不招待”を受け | TBS NEWS DIG

うーん、まぁ、そうねえ。
個人的には今回の件って普段はあまり見られない、おそらくは全く当人たちは意識していない『日本独自論』が浮き彫りになったケースとしてすごく面白いと思うんですよね。
普段は名誉白人ばりに欧米世界との価値観の一体性を高らかに謡いあげている我々日本人ではありますが、ふとした瞬間に我ら日本人が信じてやまない(別にそれがニセモノだと言いたい訳では絶対にない)『幻想』『神話』に基づく優先順位が、実は欧米世界とのそれとの微妙に乖離していることが明らかになってしまう。


それはまるで、アメリカのリベラルが「アメリカこそが光り輝く丘の上の町である」と信じているように、
あるいは中国が「台湾は一体でありマルクス主義こそが中華文明の未来である」と信じているように、
あるいはロシアが「ウクライナがロシアの一部であることは歴史的真実である」と信じているように、
あるいはヨーロッパが「我々の普遍的価値観こそが歴史の正しい側にある」と信じているように、
それらを普段はちょっとバカにし笑っていながらも、しかし一方で総体としての日本人は未だに、核兵器は純粋に悪であり、そしていかなる形でも戦争は悪である、と素朴にその優先順位を信じている。


――ところが今回は少なくともアメリカ・イギリス・フランス・イタリア・オーストラリア・カナダといった欧米世界仲間は、そうした私たちの『幻想』や『神話』を共有してくれていないことが明らかになってしまった。
彼ら彼女らにとってはロシアとイスラエルには明確に引くべき一線がある、と確信している。むしろ何で日本は『それ』を分かっておらんのだと逆に責められているレベルであります。
……いや、でも、ロシアとイスラエルがやっていることは実質的に同じなのであってぇ……と別の世界観の我々がその正しさを言っても、それを押し通すだけのパワーが無い以上誰も分かってくれないのであります。




個人的にはそうした矛盾を見て見ぬフリを続けながら握手を続けるべきだとは思いますけど、まぁ今回の長崎のように正しさを追及することも選択肢の一つだし、やってもいいとは思うんですよね。
それこそ中国やロシアのような暴力的なやり方で自身の幻想を実現させようとするよりは100倍マシでしょう。


ただそれは、別の世界観の人たちから反発を受ける、あるいはそのズレっぷりが白日の下に示されてしまうことも覚悟すべきであります。
アメリカやヨーロッパの傲慢な態度、あるいは中国やロシアの振る舞いの原因と同じ地平、つまり各国の歴史や文化を背景とした根本的な世界観の違いであります。
世界の彼ら彼女らは実際に現代の国際関係がそうなっているように、そこまで言うほど「核なき世界に賛成」や「全ての戦争に反対」しているわけではない、という身もふたもない事実が明らかになってしまったという点でやっぱり今回の件はネガティブな影響の方が大きいと思いますが。かといって言わなかったらそれはそれでどん詰まりなジレンマ。
ともあれ今回の件で明らかになったのは、それが正しいとか正しくないとかじゃないんですよ――むしろ現代世界において、変わっているのは我々日本人の方なのだ、ということが明らかになってしまった、というだけ。
令和版『ここがヘンだよ日本人』という感じ。




私たちが信じている幻想や神話の正しさはどれくらい?
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

『ユニコーンオーバーロード』クリアした

初見expertでクリア時間は90時間くらい。




ということで割と評判になってますが、面白いゲームだったのでおススメです。
小隊編成ゲーは昔からオウガバトルやらスパロボやらで割とあるんですが、行動設定まで詳しく出来るのはあんまりなくて古くて新しいゲームでありました。
主に相手を選ぶ攻撃設定はともかく、支援スキルの設定が「同時発動制限=一度の介入タイミングで一人しか発動できない」のせいでクッソ複雑になっていて、如何にしてバフを効率よくアタッカーに乗せる=小隊編成をするかというゲームなのも良かったです。その他に個人的理由で評価高いのは、ちゃんとサブクエをやっておけばフリーマップで経験値稼ぎをしなくても良いバランス調整なところかなあ。某△ストラテジーはそれが苦痛すぎでした。



ただファイアーエムブレムじゃありませんけど、やっぱりSRPGにありがちな騎馬ゲーではあったかなぁと。
これには概ね二点あって、一つはマップクリア報酬で一番大きなボーナスがクリア秒数という点。目先の経験値よりも金・勲章・名声を稼ぐ方が中長期的に自軍を強くしやすい。なので速攻クリアを目指してとにかく騎馬でダッシュして敵を排除しつつ敵本拠地に突っ込むという戦略が最適解になりがちなところ。歩行や飛行と比べて明らかに移動が速すぎる。かといって本体の戦闘能力も低くないし、なんなら一部インチキ(チャージ踏み倒し全体攻撃等)を除けば騎馬隊は明らかに低コストで高火力が出せるっていうね。でも敵飛行だけはかんべんな。なので騎馬ばっかでも詰む程度にはバランス取れてる。
そうした速攻戦略に関連して、特にexpertだと顕著なんですが上記のように速攻を狙うと当然ブレイブポイントの産出が足りな過ぎて、自軍スキルを使っての搦め手をすることもできず、結局騎馬リーダーでまっすぐ突っ込むのが正解というオチに。ぶっちゃけ多くの場面でスキル一回使うよりそのポイントでもう一部隊出した方がつよい。例外は挑発とギミック破壊位かなあ。
速攻要員としては飛行ユニットも地形を無視できる点で必要十分な速さがあるんですが、中盤以降敵弓兵のマップスキルによって一発で落ちちゃうのが辛すぎる。戦闘中の攻撃なら編成次第でどうにでも回避できるしフラウちゃんはさいかわで自軍エースだったんですけども、マップ上でアローレイン撃たれて落ちるのは……。


ともあれ、多少の不満点はあれどここ数年で見ても最も面白かったゲームなのは間違いないです。もう墓地にいるはずのオウガバトルおじさんの居場所はここにあったんや……。
ぶっちゃけゲームとしては「ぼくがかんがえた最強の編成」をアレコレ考えて(プレイ時間の半分くらいはその時間)、上手く機能するのを何度か見届けたら後はひたすら敵小隊を踏み潰していくのを眺めるだけのゲームではあるんですけども、でもそれがたのしいんだよねえ。偶に相性負けしてる戦闘予測を見て、なんでやねんと慌てて戦闘を確認しに行ったり。
ともあれまぁそういうゲームなので、味方の装備やスキルや行動や編成シナジーをチマチマ考えるのが好きな人は大満足のゲームでした。 
 

令和でも「井戸に毒を投げ込む不逞外国人」を再発見する人たち

ザ・魔女狩り



能登の被災地で「マイクロバスに乗った中国人窃盗団」というデマが拡散中。情報源の消防団長は「誤情報だった」と認める。 - Togetter
ということで正月早々大きな地震があったそうで。地震とは切っても切れないわが国ではありますが、まさかの元旦直撃なのは精神的ダメージが一段上になっている感はあるよね。

2024年1月3日頃から、能登半島中部の志賀町で「中国人窃盗団がマイクロバスで被災地を回って窃盗をしている」というデマが拡散しました。
最終的には情報提供したとされる消防団長当人が中国人窃盗団の存在を否定して、誤情報だと確定しました。
しかし、その後も「マイクロバスに乗った中国人窃盗団」 というデマが拡散され続けています。

今回のデマは情報源がはっきりしていて誤情報だとの確認も早かったですが、東日本大震災の時には同じような内容のデマが情報源不明のまま拡散し、中国語話者の殺害を掲げた自警団も被災地にやって来る危険な事態になりました。
今回は被災地の内部から出て来たデマでしたが、このデマがどこから出てどのように拡散したのか記録しておきます。

能登の被災地で「マイクロバスに乗った中国人窃盗団」というデマが拡散中。情報源の消防団長は「誤情報だった」と認める。 - Togetter

で、こんなオモ白ユカイな自体がまた起きていたそうで。


でもまぁ仕方ないよね。この前も草津でレイプ犯がいると聞いてその流言飛語に飛びついた人たちがいたことを考えると、なにも今回だけの例外的なバカだと断定できないのが悲しい人間のSaGaであります。
もちろんこうした件をもって「だからニホンジンは~」といつもの中世ジャップランドなレッテル貼りに勤しむこともできなくはないですが、僕はやっぱりダニエル・デフォーがペスト流行の混乱期について指摘していたような、それこそ人類が『出版』をテクノロジーツリーで解放した瞬間から始まった流言飛語の拡散が大衆に混乱の種をもたらすことの歴史を思い出してしまうかなあ。
17世紀からニンゲンって進歩してないのね。
……たかが300年ちょっとじゃそんなものか。


ともあれ、個人的にも好きなので当日記でも以前から『地獄への道は善意で舗装されている』な警句をよく引用したりしていますけども、今回の件もその典型でしょう。
ネット上の「救助隊を日本が拒否」言説は「公平性欠く」 台湾の外交部が声明 - 産経ニュース
一方でこうした左右からの政権批判という名のデマが噴出したりしていますけども、これはどう見ても震災をいつものように『ザ・政争の具』にしているだけであって、上記とは微妙に違う構図であります。
――つまりそんな震災を政争の具にするようなマジの不逞の輩と違って、震災やコロナなど社会の危機の際に颯爽()と登場する彼ら彼女らは何かの切っ掛けによって、その『善』によって一線を越えても構わないと考えるようになってしまった。
これこそが面白いというか、ふとニンゲンのサガについて考えるに値するテーマだとは思うんですよね。


普段は正義を素朴に愛していた一般市民が、あるタイミングによってまるで独裁者のように「目的の為なら手段は何でもいい」とばかりにあっさり一線を越えてしまう。
それまでは一応は余所者を受け入れ推定無罪を前提に文明人らしく振舞っていた人たちが、何かの契機にいきなり思い付きで行動することは悪ではなくなり、専門家による検証作業など必要としなくなってしまう。
目的の為ならば、多少手段に問題があってもいいし、誰かを犠牲にしたっていいのだ、なんて。


かつての時代では、せいぜい村の中の魔女を磔にして火あぶりにするだけで済んでいたそれが、大衆紙の登場、そしてコロナの騒動でも明らかになったようにSNS全盛期によって誰もが「暴走する独裁者」な振る舞いをできるようになってしまった。
普段はちょっと理解しがたい独裁者の暴走ですけども、そう考えると独裁者がとっても身近に感じられるようになるし、実はドラえもんに出してもらうまでもなく誰もが『どくさいスイッチ』を持っていたなんて2024年ってすごいね! 
いや、原作のどくさいスイッチと違って、別に『セカンドレイプの町・草津』と相手を磔にしても、その評判を元に戻すことは今更できないのだから欠陥商品なのでは???


欠陥品のどくさいスイッチで正義を執行しようとする人たちについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

謝辞

今年もありがとうございました。



ということでまったく日記が書けなかった一年が終わってしまいました。尚も見に来てくれる方には感謝しかありません。ありがとうございました。
言い訳すると、仕事の忙しさ……はそうでもなかったんですが、少し前から計画していた人生最後にするつもりの引っ越しがドタバタしていたのが原因です。それも今月頭にようやく終わったので、来年こそはどうにかこうにかなんやかんやしていきたいと前向きに検討しているところではあります。


時間とやる気の問題はともかくとして、それ以外にはこれまでも少ない日記を書いてきた際に言及してきたんですが、現代の国際関係ネタについてはウクライナ問題があまりにもクリティカル過ぎて、正直もう何をネタに日記を書いてもその先にはウクライナ問題の未解決が横たわっていて同じ結論になってしまうんですよねえ。
フクヤマの『歴史の終わり』に衝撃を受けて興味を持つようになった自分にとっては、そうしたリベラルな国際秩序を支える国連や国際条約などの国際関係についてこの日記でも10年以上(!?)アレコレ書いていたのは一体何だったのかと、やっぱり色々と考えさせられてしまう2023年ではありました。
これまでもユーゴスラビアや9・11やイラク戦争やイスラム国や中国台頭などありましたけど、どうにかこうにか延命させてきたそれがマジのガチで終わってしまった。ように見える。
もうそれは戦争の衝撃ではなく、戦争が日常になってしまった。
マジで歴史の終わりを終わらせてどうするんや……。
まぁその巻き添えで私たちの戦後日本の平和主義も同じようにガチで終わろうとしているのは笑えないお話なんですけど。結局のところそれを終わらせたのは、ネトウヨや自民党やヒトラーアベではなくゼレンスキーとプーチンだったというオチはちょっと笑えるんですけど。


ともあれ、2024年はもう少し日記ペースを取り戻したいと思っているので、未だに見ていてくれるありがたい皆さまにはお付き合いいただければ幸いであります。
来年もよろしくお願いいたします。