はてな包囲網
ひとしきりはてな社のユーザコミュニティのことにばかり詳しくなってみて、はてなから逃げ出さないといずれ取り返しがつかなくなるのか逃げ出すような筋合いの話ではないかというと、まあべつに逃げ出さなくともいいだろうとは思いながら、見上げる空を天蓋に覆われてゆく感覚は拭いがたく、この天蓋は機能追加の過程で生じた一時的なものなのか、それともこの感覚こそが意図されたものなのか、そこがまだちょっとわからずに不安だ。福岡ドーム(http://www.fukuoka-srp.co.jp/navi/etc/dome.html)とまではいかないが、西武ドーム(http://www.seibu-group.co.jp/lions/dome/)くらいのプレッシャーには感じている。あまり関係ないがプレッシャーとかいうと強化人間語みたいだな時勢的に。
- 「人力検索はてな」と f.hatena(フォトログ)については、あまり熱心なユーザでないこともあって、それほど変化は感じない。変化しているとしてもそれはまた別の筋合いからのものだ。
- i.hatena(アイディア提案)は、すべてに絡んでいるが、いまのところここから発信される波によって大きな変化が起きてるかんじはしない。現状機能の追加・調整というより、不具合報告への対応が優先されている気もするし。水源というよりは受け皿に近い感覚。とはいえやがてここから大波が来る可能性もなくはない。
- 現在βテストされている大きめの新サービスとして b.hatena(ソーシャルブックマーク)と r.hatena(RSS リーダ)があるが、これらの連携がやばい。またこれらのサービス導入によって、これまで基幹視されてきた a.hatena(アンテナ)と d.hatena(日記)の位置づけが、ひっくり返るとまではいかないが、シフトしそうなかんじ。
- アンテナの場合は単純に RSS リーダの下位に位置づけられることになった。RSS を配信しているサイトは RSS リーダで読めばよく、配信してないサイトはアンテナに残し、そして(アンテナ自体は RSS を配信しているので)RSS リーダにアンテナの RSS を取り込むことで、RSS リーダ側にすべて吸収できる。アンテナはグループ毎の RSS 出力にも対応しているので、RSS リーダ側のグループ個別に割り振るなどすれば完全だ。その見方でいうと、アンテナには「RSS を配信してないサイトを RSS リーダに取り込む」ための役割しか残されていない。
- ダイアリは、スタートページとしての地位を RSS リーダに脅かされつつあるきがする。読むのが先か書くのが先かみたいな鶏卵話だが、そういう目的というか優先順位ベースでの考え方云々よりも、利便性から RSS リーダのが上位に来ちゃう局面が増えてくるのではないかというか。まあ日記でも RSS リーダでもない「はてなポータル」みたいなものができれば(→http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050526/hatenamixi)、区々たる優先度闘争などは無意味化するのかもしれない。
- 単体だと「まあとりあえずのところは、メタ言及が好きなひとたちの村化加速ツールとして使われてるだけかな」とか思っていた b.hatena だが、r.hatena と連携することで相互に存在感を高めあうツールとして油断できなくなってきた。r.hatena は a.hatena より便利なのでユーザは素早く流入するだろう。そして b.hatena は r.hatena と緊密に連携しているので b.hatena に注目するユーザは増えるだろう。となると、村化が好きなひとたちだけが村化していくというようなのんびりした話でなく、一連の機能追加によって村の巨大化が促進されているという話ではないのか。
- 十分な数のユーザが十分な数のサイトを RSS リーダに登録し終わったなら、b.hatena は r.hatena に登録されているサイトのクリップで埋め尽くされるようになるだろう。より多くの r.hatena に登録されているサイトの記事は、b.hatena 内でより注目を集めやすいだろう。そして b.hatena で注目されやすいサイトは、ますますたくさんの r.hatena に登録されることになるだろうし、「ネットで見聞きしたこと」についての反応日記も b.hatena をベースにして d.hatena 上に書かれることになるだろう。そしてその日記がまた r.hatena 経由で b.hatena に捕捉され…というふうに考えていくと、R→B→D→R→B→D→…という情報系の完結度って相当高いんじゃないかという気がしてきてそこが怖い。どのみちインターネット上でのことなのだから、完全閉鎖系などというような事態にはなりようがないが、それでも風通しが悪い室内と室外では温度差というものが生じる。はてなの情報系はどんどん便利になっており、はてな社のサービスさえ使ってれば十分事足りる(はてなダイアリで日記書いてはてな RSS で世間を見てはてなブックマークで世論を知る)ということになれば、hatena.ne.jp 以外のインターネットで暮らしているひとたちの気分とズレが生じても、そこに鈍感になっていくかもしれない。
- r.hatena に依存すると、b.hatena を意識するようになり、b.hatena を前提にして日記を書いていると、それは自分の日記に「はてなサービス内で書いた」という枕詞が付くようになるんだろう。自分の視点を確保するためには結局なにかに依拠せざるをえないわけだが、もしかしたら十分に長く続くのかもしれない自分の web 日記を寄り掛らせる対象として、はてなを選んでよいものなのかどうか。この「web 日記者としての自分の成分に、(はてな社に限らず)特定企業のサービス内のコミュニティを含むほうがおれはたのしいのか」という疑念は、はてなダイアリへの移転を検討する段階からかなり気にしていることで、つまりおれはいまだに「日記ツールで日記を書くということ」を完全に信頼することにためらいを感じているってことだなあ。ただし以前のそれは単に機能的な不信だったが、今回のはコミュニティへの不信なわけなので、問題の階層付けは異なり、浅いのか深いのかはわからないが、ともかく厄介だ。べつに悪人が居るとか悪意があるとかいうような話ではないので正義不正義で判断できないし、機能性能でなくそれが及ぼす影響の話なのだから便利不便でも判断できない。帰属してもよいと判断できるコミュニティの基盤が明快すぎることに対する不信であり不安。
で、最初に戻ると、こういった RSS や SBS の活用の話は、もちろんはてな社以外の先行している各種サービスでひととおりやられているわけで、べつにそれ自体目新しいものではない。ただそれらをはてな社のサービスにのっかっているだけで駆使できるという点がどうにも簡単で便利なのであり(ライトユーザが気軽に扱える)、また同時に不安なのだ。足場は分散させておいたほうが安全だ。一極集中してしまうと、その一極の動向によって自分自身が大きく左右されてしまいかねない。(ゲームなどのように)むしろ積極的に左右されたい場合には敢えてのっかっていくべきだが、この場合おれはそれを望まない。または、この先なにがどうなろうと「はてな的空間」感は磐石だと信じることができれば構わない話でもあるが、はてなのフットワークの軽さは最近の機能追加ラッシュをみてもわかるとおり。なにがどうなるかわからん。ならば、なにがどうなっても構わないように関係なく好き勝手にやるべきだが、それだとはてなの「便利な機能を気軽に使った先にあるのははてな的空間への回帰」を全回避、つまりは RSS もブックマークも使わず暮らすってことであり、それもちょっとちがうんだよ便利に暮らせるならそれに越したことはないんだよ、新しい折り合いを模索しないといけないなあ。
ついでに余談としてコミュニティの(この場合より狭義に「村」といったほうが正しいかもしれない)話だが、おれがおそらく最も長く自分の帰属意識をある程度預けてもよいと(結果的に)信頼している特定コミュニティは、自アンということになると思う。自アン民。よそ者を嫌う。誤字に厳しい。アンテナは低い。ジャーゴンだけは腐るほどある。分断された過疎地帯。自アンはボンクラにやさしい。ダメな意味でだけやさしい。ときどきはしゃぐが、なにもしない。自アンはほかの匿名コミュニティと比べても「そこから発信されよそにひろまった現象」が極端に少ないんじゃないかと思っている。自アンの外では知らないが、自アンでなにかでかいことをやろうなどと思う人間は少ないということだ。べつにそれでいいと思っている。自アン民的なすべての現象を肯定するつもりなどまったくないが、しかしそういったことを含んでおれは自アン的なコミュニティが好きだ。ラクだ。安心すると言ってもいい。その安心は、高いところから見下すというような意味ではない。おれもまた自アン民だからだ。おれとは暮らしも主張も性癖もまったく違っていても、それでもやはり「おまえはおれだ」と思うことができる。矛盾しているが、構わない。どのみちなにが嘘でも本当でも誰も困らない。交換されなくとも構わない。希望や不安がある者はよそへ去る。特にない者だけが残る。そこでできることはふたつ。箱作成と投票。自アンというのはそういう村だ。
対してはてなはまったく違う。というかまずそこに参加しているおれからして違う。自アンのおれは無署名だがはてなのおれは matakimika であって仮名にしても一応署名がついている。自アン的風土への帰属意識の安全なところを一言でいうと「自アン民の自アン民っぽさは自アン民が決めていて、自アン民は総意を量らないのでまとまりがなく、だから各人がいつまでだって好きなように言える」ということになるが、はてなについても一応はたぶんそうなんだよな、「はてな民のはてな民っぽさははてな民が決めている」。ただそこでやはり(株)はてな社の存在が大きくて、はてな民を成立させているのははてな民だが、それを支えているのはやっぱりはてな社ということになると思う。自アンの場合でいうと自アンは何度か移転したし、亜流もいくつかあり、そして本家と目されている snog 自アン円満終了後の現在については、いはゆる「本家自アン」と合意できるような自アンは、厳密にいえばもはや存在しないということになるだろう。おれが主に見ている「現在の自アン」というのは自動アンケート+のことであって、自アン+は別の自アン民からすれば亜流アンのひとつに過ぎない。そしてそれもまた「安全」の要素のひとつなわけだ。現在がどのようであっても、仮に現在の自アンが自分の考える自アンっぽさから乖離しているように感じられても、かつて本家といえるような自アンがあったという事実ただそれのみによって「自アンっぽさというものは確かに存在し、それについて好き勝手に考えることの自由」は保証される。だがはてなについてはどうか。これほど変化しうるはてな社のサービス上では、それが存続する限り「その時点でのはてなっぽさによって成立するはてな民っぽさ」が、常に上書きされ続けることになるだろうし、また仮におれがはてなダイアリから日記をアメーバブログとかに移すとして、そこにははてな民的な日記の書き方まで含んだ移植が可能だろうか。はてな的な感覚上で書かれたログは無意味化しないだろうか。逆に考えれば、そこで「無意味化する」という話にならなければ、はてな社のひとががんばって機能追加している意味がないということでもあるだろうし。