まるとゲーム

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のことを書いてます。

オブラ・ディン号を調査した後の感想

時は1802年。200トン以上の交易品を積んだ商船「オブラ・ディン号」が、ロンドンから東方に向けて出港した。その6か月後、同船は予定されていた喜望峰への到達を果たさず、消息不明扱いとなった。

そして今日、1807年10月14日早朝のこと。オブラ・ディン号は突然、ファルマス港に姿を現す。帆は損傷し、船員の姿も見えない。これを受け、東インド会社ロンドン本社所属の保険調査官が、ただちにファルマス港に派遣された。同船内を直接調べ、損害査定書を作成するために――。

「Return of the Obra Dinn」は、探索と論理的推理で展開する、一人称視点の謎解きミステリーアドベンチャーゲームである。

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オブラ・ディン号の帰還のPS4版を、先週くらいにクリアした。今回はその感想や考察や想像を少し書く。

もともとは動画のつもりだった

と、その前にゲームとは少し関係ない話。

オイラは普段、実況プレイ動画を投稿して楽しんでいる。んでYoutubeでアクションゲーム以外の実況がしたいなーと思った時に、数年前に今作を購入していたことを思い出し、PS4本体の録画機能を使って実況プレイ動画を収録した。

一通り収録が終わって、自分の実況を確認した時に「これは投稿してもしょうがないんじゃないかな」と思った。観る人のことを一切考えていないプレイだったから。ビタッと探索を止めてブツブツ呟きながら考えている。ああっと大声を出したかと思えば走り回り、立ち止まっては突然べらべらと推理を話し始める。うーん。面白くない気がする。

カット編集すれば見やすい動画にはなるが、見やすいというのはつまり「今作のシナリオがよく分かる」というだけであり、それならば他人の攻略動画を見れば済むことだ。ならば尚の事、オイラが動画を投稿する意義はないのではないか。と。

そう思い、今作の実況は撮るには撮ったがお蔵入りにすることに決め、その旨をこのブログに認めたのが先週くらいの話だ。

 

数日後、そのブログを読んだ方からメッセージを頂いた。僭越ながら私がそのメッセージをまとめると「大好きなゲームだから動画にならないのは少し残念だが、楽しまれたなら嬉しい」とのことだった。

オイラは激しく後悔した。こんなことなら、どれだけ自分がつまらないと感じていても、動画にして投稿すれば良かったと。そしてこれからは、自分が実況プレイ動画として面白くないかも……と思ったものでも、きちんと投稿しようと。自分がオモシロイと思ったことと、他人がどう思うのかは全く別問題だと。驕り高ぶるな!と。

でだ。動画はもう削除してしまったのでどうすることも出来ないが、プレイした感想なら書くことが出来るので、それをポツポツ書いていこうと思う。こっちはあくまで自分のためにね。どうぞよろしく。

今から書くことは全てオイラの感想や考察や妄想の類であり、事実や真実とはあまり関係ないということを覚えていて欲しい。

海上の宴の様子。この頃はまだまだ平和だった。

オブラ・ディン号の描写

グレースケールと言えば良いのか、モノクロ調の点描写で表されるオブラディン号と、その乗組員たち。そのグラフィックが良かった。今までにない独特な良いものを見たな~という気持ちもあるけれども、そういう意味だけではない。

今作は昔の新聞の写真のような映像?なんだよな。だから自分が紙面上を3次元で動いているような錯覚に陥る。プレイ中に手を止めてスクリーンショットを撮ったりすると、その画像はそのまま英字新聞の一面を飾りそうだ。

ゲームがリアルになればなるほど、その世界で得られる感覚は現実に近づいてしまうけれども、今作のグラフィックがそうさせてくれない。あくまで創作物の中で凄惨な現場を調査できる。そのおかげでオイラは他人事として調査することが出来て、それが良かったなーって思う。だってめっちゃ血とか出てくるもんね。腕もぼりーんってなるし。それがリアルに描かれてたら、オイラプレイ出来ないもん。痛みを共感してしまうから。

雨粒の表現が点描写?に合っているなと思う

多岐にわたる死因

そう、オブラ・ディン号の中では色んな人が死んでいく。ありとあらゆる方法で死ぬ。主人公は保険調査官なので、彼らの死因に拘る。他殺ならばなおさらだが、不慮の事故であったとしても詳しく調べないといけない。そうじゃないと、誰にどれくらいお金を払えばいいか分からないもんね。

だもんで、死体を調査して死亡診断書を作る際、死体の名前と誰かに殺されたか、そして死因は何か。プレイヤーはそれを調査し予想して書物に書き込んでいくのだけれど、その死因の一覧が細かくて、初めて見た時に笑ってしまった。

だって船の中で起こる事件での死因なのに、感電死や身体切断、殺害(爪)や殺害(トゲ)という選択肢がある。マリオのやられ方じゃないかよ。

刺殺にしてもナイフなのか剣なのか槍なのか。殴殺にしてもそれは蹄なのか翼なのかヒレなのか。細かく見るんだよな。大砲に押しつぶされて死ぬ、というピンポイントすぎる死因が一覧に用意されてるのも面白いし。

翼で殴られて死んだ場合は蹄で殴られるより保険金が下がったり上がったりするんだろうか。当時はあったのかもしれないが、そんなに頻繁には起こらんべよ。などと、いろんなことを考えて笑ってしまった。

まぁ実際は上に書いた「感電死や身体切断、殺害(爪)や殺害(トゲ)」は選択肢として使用することになるんだけども。それがまたちょっと面白かった。

まだまだある死因一覧。細かすぎるぞ保険調査官。

ちょっと笑っちゃう

そうなのだ、今作はちょっとおもしろいんだ。いやゲームとしてインタレスティングなのは間違いないんだけど、そういう意味じゃなくて、ファニーなんだ。ちょいちょいウケるんだよ。例えば……銅鑼とか!

今作では、船内に残った白骨死体などの、本人の身体の一部に残った思念から、その死体が生者であった頃の風景を見ることが出来る。それらは全て、思念を残した者の”死ぬ直前の風景”だ。その様子からこの者が何に襲われたのかを判断する必要がある。

しかしそれは、死体の一部が残っていたらの話。出港したばかりのオブラ・ディン号には60名近くの人間が乗っていたそうだが、60人分の死体を船内に残したままで船が帰ってきたわけではない。

そのため主人公は、”思念を残した者の死ぬ間際の風景”の中にある死体やその一部から、思念を辿る。死体の記憶から別の死体の記憶へと、どんどん遡っていけるのだ。

元の世界から死体の記憶に飛ぶ!その記憶の中で別の死体を見つける!!その死体を調べる!!!すると元の世界に、別の死体の幻影が現れ、その死体を調べることが出来るようになる!!!!

今上で書いた「!!!」の部分で、作中でなぜか銅鑼が鳴るのだ。どわぁぁぁぁぁんと。そこでいっつも笑ってしまうのだ。だってさ、この船で色んな人が悲惨な死に方してて、それを調べて書き込むなんてかなりハードコアなゲーム内容だよ。シリアスな空気の中で、あの人は一体どうやって亡くなったんだろうとか考えている中で突然の、銅鑼!!!笑う。クリアするまでずっと銅鑼で笑っていたし、段々中華料理が食べたくなってきてしまった。エビチリとか。

 

音にまつわる面白い部分は他にもある。調査を進めていく中で「誰が、誰に、どうやって殺されたか」をピタリと3人分当てる度に、記録用の書物の最後のページに印が付けられていく。髑髏の周りに三本の線が引かれるのだけれど、その時のBGMもちょっとおもしろい。

普段なら笑わないんだけど、シリアスな空気の中で突然ドクロの周りに音に合わせて線書き始めるから笑ってしまう。この保険調査官はノリノリで「こいつがしんだ♪こいつもしんじゃっ♪たっ♪」って線引いてるんじゃないかと想像しながら調査をしていた。今作は音ハメが上手いんだよなー。

ここで流れるBGMがノリノリで好き。嬉しそうに死因を書き込むな。

魅力的な男たち

ファニーな部分はまだある。いや、インタレスティングでもあるか。さっきから話している方向性の面白さとは少しズレるんだが、オブラ・ディン号で亡くなった人たちの死に方や生き様が面白いんだ。実に興味深い。ここが今作の一番好きなところだ。

他人の生前の記憶を飛び回りながら調査を進めるので、こちらは一方的に船員や乗客と顔なじみになる。調査のために彼らの言動を何度も確認することで、オイラはだんだんと彼らに親近感を覚え始めたんだ。だもんでプレイしていると「あーこの人が!こんなことで!」とか「またこの人殺してる!」みたいな感じで、保険調査官とは違う目線で彼らを見つめることになってしまった。それが面白い。

 

例えばオイラはフィンリー・ドルトンの生き様が好きだ。不憫なのだ。

基本的に船員たちは、何かひどい目に遭ってそれが原因で死ぬ。雷が落ちて死んだり、槍で殴られて死んだりする。しかしフィンリーは、2回もひどい目に遭ってから死ぬのだ。一度目は槍に刺され、二度目は怪物に襲われ宙吊りにされて。

一度目は太ももにドスーンと槍が刺さる。太ももは太い血管が沢山通っているので、そのまま出血多量で死んでてもおかしくなかった。しかし彼は生き延びたのだ!すごい!

なのに怪物に足を掴まれて死んだ。なんて幸運で不運なんだろう。プレイ中そのことを知った時、シナリオ攻略と全然関係ないのにわざわざフィンリーが怪物に殺される直前の姿を見に行った。彼の最後の瞬間を見た時、笑い半分悲しみ半分の顔で「不憫…」と呟いた。

ふ、不憫ー!

エドワード・スプラットの死に方も個性的で良い。彼は船内でウンコをしながら死んだ。船のベランダのような場所でいきんでブリブリーっとやって、フゥアァと安堵と達成感混じりの声を漏らした直後に、怪物に絞め殺されて死ぬ。いきむ声も、尻から発せられる音も、締め上げられてメキメキと唸る身体の音も、すべて記憶の中で再生される。

そのためプレイしていた時のオイラは「ウンコしながら死んだぞ!?」とか「お前が海を汚すから海の神のバチが当たったんだ」などと考えてニヤニヤしていた。

そこから更に調査を進めると、どうやら船内にトイレらしきものを発見できた(本当にトイレなのかは分からない)。だもんでプレイ中「エドワードはトイレまで我慢できずにベランダでしたから天罰が下ったんだ」「お腹も下すし天罰も下った」などと一人で盛り上がってしまった。ごめんなエドワード。

記録用の手記の絵は全てエドワードが書いたもの。ありがとう。

生き様で言えば、殺戮のニット帽でお馴染みのヘンリー・ブレナンも好きかもしれない。おなじみと書いたがオイラが勝手にそう呼んでいるだけだ。

彼は船員の中でも終盤まで生き延びることになるんだが、プレイヤーは最序盤、だいたい2人目の死体としてブレナンのことを調べることになると思う。ニット帽を被っているのは彼だけなので、オイラはすぐに彼のことを覚えた。

色んな人の死因を調べる過程で、記憶を遡れば遡るほど、ブレナンの存在を確認することになる。そりゃそうだ、終盤まで生き延びたんだから。

問題なのは、遡った記憶の中に登場するブレナンが、分かっているだけで2人も人を殺めている、という点だ。

殺害人数は他の船員と比べると堂々の第2位である(1位は船長)。そして彼は、顔色ひとつ変えずにボカンと殴って1人殺し、ズドンと撃ってもう1人を殺している。

ボカンと殴って殺した後、耳に手を当て上司の「医療具を持って来い」との命令を聞こうとしているのが怖い。足元に2つの死体が転がっているのにだ。そして殺害への決断は上司の命令ではなく彼の独断だという点も見逃せない。

ズドンと撃った際は、船内で出現した罪人を処刑するために仕方なく撃っている。とはいえ、4人同時に罪人めがけて撃った弾の中で、唯一ブレナンの弾だけが罪人に当たって処刑が完了されたのだ。オイラは罪人の死因を記録用の書物に書き込む際に「ま…またニット帽が殺した…」と呟いてしまった。

オブラ・ディン号は色々あってたくさんの怪物の襲撃に遭う。襲われる度に多くの人間が命を落としていくのだが、ブレナンは怪物と戦闘をしつつも生き残っている。もちろん生き残ったのは他にもいるんだけれど「二人も殺したし怪物に襲われても生きているニット帽のコイツはなんなんだ……」と真剣に怖くなってしまった。ウケる。

足元にゴロゴロ死体が転がっていても冷静に指示を聞くニット帽。

他にも、航海士のアシスタントであるポール・モス。彼が乗客の一人であるエミリー・ジャクソンの部屋から一緒に出てきた所を、別の人間の記憶から確認している。そして彼は終盤でエミリーたちを脱出用の船で逃がそうとするが、別の船員に殺されてしまう。その一部始終を見たオイラは「この人エミリーにたぶらかされたんじゃないか…?!」と思ったりもした。

だって航海士のアシスタントなんだよ。だったら自分の部屋か航海士の部屋から出てくるのが筋だろう。なのに彼ったら、全然関係ないエミリーの部屋から出てきて、別の日にエミリーたちを連れて逃げようとしてるんだよ……これは完全にベッドの上で約束をしたのではないかな……デューク東郷みたいな顔して……

週刊誌にパパラッチされた人みたいになってる。

他にも態度のでかすぎるジェームズ・ウォレスとか、調子に乗って死んだトーマス・セフトンとか、魅力的な人間たちばかりいるので、彼らの生き様・死に様を見ているだけで楽しい。

いや人の死を嘲笑っているのではなくて、彼はこういう人だったのではないか、彼はこの人と仲良かったんだなぁ、この人こんなに頑張ったのに死んてしまって悲しいな……と思うことの方が多い。オイラが嘲笑ったのはエドワード・スプラットだけだ。

オイラはこの作品のファンコミュニティに属しているわけではないが、きっとファンの人達は彼らの様子を語り合ったりするのではないかな。がらんどうになったオブラ・ディン号の船内に残された、生前の彼らの様子を。

医者の助手なのに上司の前でふんぞり返ってるジェームズ。

ヘンリーからの感謝の印について

オブラ・ディン号がなぜ怪物に襲われたのか、そしてどうして沈没もせずに帰ってこれたのか。そこらへんの謎については語るつもりはない。なんて不幸な船だったんだろう、とは思うが。

オイラが最後に語りたいのは、ある男についてだ。

 

今作にはエンディングが何種類かあるようだが、オイラは無事、初見で一番いいエンディングにたどり着いた。つまり乗員ほぼ全ての身元と死因を特定し、記録用の書物のその時点での完成を成し遂げた。

未プレイの人に説明してなかったな。今作は「書物に記録をつけ」たり「生前の記憶を辿る」ことでシナリオは進む。この時に用いる書物とアイテムは、物語の最初に、ある男から届けられる。男の名はヘンリー・エバンズ。かつてオブラ・ディン号の乗組員であり、無事に脱出することが出来た、数少ない生き残りの一人だ。

 

今作の冒頭でヘンリーは主人公に「手記を完成させて欲しい」と頼み、書物とアイテムを贈った。病床に伏せる彼には、自分自身で完成させるのは困難だったから。イギリス東インド会社の保険請求課主任調査官としてオブラ・ディン号に「仕事」をしに来た主人公であるが、本来の任務とはまったく関係ない筋から、2つの贈り物を受け取っていたのだった。

その2つの道具により、オブラ・ディン号で何があったのかを詳しく知ることが出来た彼は、調査報告書をまとめ上げ、そして手記を完成させて帰港する。手記はヘンリーの元へ送った。

調査から1年後、主人公の自宅にヘンリーからの荷物が届く。包には手紙と、送り返したはずの手記、そして猿の手が入っていた。

 

包みを開けた主人公の手元には、手記と、手元に残しておいたアイテム――懐中時計。そしておそらく、正確には記せなかった二名の、死の瞬間まで遡るための「死体」である猿の手。

そう、オイラは先ほど「ほぼ全ての身元と」「その時点での完成を」と書いたが、実は乗組員の中では二名、死因が分からなかった人間がいた。名前までは容易に特定できたが、死の瞬間まで辿ることが出来ず、オブラ・ディン号を降りるまで正確な記録をつけることが出来なかった。

主人公は猿の手を媒介に、オブラ・ディン号の過去を覗き込む。幾多の危機に苛まれたあの船は、なぜ今になって無事に発見されたのか、彼らはどうやって死んだのか、それが明らかに……

なるんだが。オイラがここで語りたいのは、そこではない。

なぜヘンリーは手記を完成させたかったのか、どうしてヘンリーは猿の手を包んで主人公に送り届けたのか。その点についてだ。

ヘンリーからの贈り物一覧。動物の死骸を送り付けてくるなよ。

ヘンリーは、病気になってしまったので手記を完成させることができずコトの大まかなあらまししか書けなくなった、と手記の序文に書いている。しかしそこに対してオイラは異議がある。

彼はオブラ・ディン号の最後の生き残りではない。船長やあの殺戮のニット帽がまだ船内にいるのにも関わらず、彼は船から脱出した。ということは、船長らが死んかどうかの予想はつけられても、正確には記せないはずだ。たとえ健康な状態で手記を書き始めたとしても、その部分が抜けていては、それを完成とは言わないだろう。

手記の序文には「いずれこの日が来ることを見越し、同船が辿った数奇な運命の一部始終を、この手記にしたためた。」とある。数奇な運命の一部始終には、全てのことを正確に記すことが出来なかったのではないか。あくまでざっくりと、船が出て怪物が出て、人が沢山死んでオブラ・ディン号には誰もいなくなったかも、くらいしか書けなかったのではないかな。

 

おそらくお金などで報酬を支払われたのかもしれないが、主人公はその未完成の手記を完成させるべく調査した。いや違うか、調査に利用したと言ったほうが良いのかも。懐中時計と手記があれば調査は進めやすいからね。上司に頼まれたりもしたのかもしれない。

一部のページの空欄を残したままだが、それをヘンリーに送ると、今度は空欄を埋めるためにまた送り返されてきた。ヘンリーが言うにはこれが「感謝の印」だそうだ。

どうして感謝の印が、この手記と猿の手なのだろう。なぜ手記を完成させる方法(猿の手)を教えてくれたのだろう。

あの手記は、ヘンリーの思う追加報酬だ。しかしあの手記には宝の地図が記録されているわけではない。事の顛末を知ることで得をすることは一切ない。もしあの手記を完成させて本にでもすれば儲かるのかもしれないが、主人公は完成させた手記を戸棚にしまっただけであったし。

つまり手記に価値があるのではない。思い出のアルバムにもならないし。まして猿の手で願いを叶えてほしいのではなかろう。そして手記が完成されることで天国のヘンリーが浮かばれるわけでもない。

もしかしたらヘンリーは、完成させることそのものの悦びを味わってほしかったのではないか。主人公と、その向こう側にいるプレイヤーに。他人との秘密の共有と、そして知的好奇心を満たす快楽。それがヘンリーの望みであり、彼が他者に齎したかったものではないだろうか。

手記の序文。

もちろん想像でしかないのだけどね!

でもさ、自分の見たものを誰かに話したくなるでしょ。そして知らないことを知るのって楽しいでしょ。もし読みかけの小説の最後の章だけが糊でくっついて剥がれなかったとしたら、たとえその小説がつまらなくても、なんだか気になってくるでしょう。

あの時。送られてきた荷物を使って、最後に残った章の内容を全て確認し、手記を完成させた時。その瞬間オイラは、なんとなくそう思ったのさ。

猿の手に懐中時計を使おうと思った瞬間、オイラはすごくワクワクした。あの時船内では何が起こったのだろう、って。人が死ぬ瞬間の光景が見えてくる、どうせ碌な死に方じゃない。それが分かっているのにも関わらず、それを見ようとする気持ちで、胸の鼓動が高鳴ったのを覚えている。

それは当然、保険調査のためなんぞではない。つまり、保険調査官ではない自分。「オブラ・ディン号に何があったんだろう」と、ただ知りたいだけの自分が、あの手記を開き、そして猿の手によって見聞きしたことを記録する。その達成感で胸が一杯になり、オイラは満足した顔でエンディングのスタッフスクロールを眺めたんだ。

 

プレイし終わった後から考えると、ヘンリーが贈ってきた理由が何故かは分からないよなって思う。けれどプレイしていたあの瞬間は、たしかにそう感じた。いや、クリアすることでしかそれを感じることが出来なかったのだ、と言っても良い。

上で書いた話は、他人には理解してもらえないものだったかもしれない。論理的ではないからね。でも、それの何が悪いってのさ。へっへっへ。

ヘンリーは手記を完成させたかった。それは全てを知りたかったから。それが彼にとっていちばん大切なことだった。だからその行為を、知的好奇心を満たすという体験を「感謝の印」として贈った。彼が手記だけでも、猿の手だけでもなく、それらをセットで贈ってくれたのにはそういう理由があると、オイラは思っている。

月だけがすべてを見ていたのかもしれない。彼の心の内さえも。

終わりに

書いた書いた、これでオイラの「Return of the Obra Dinn」についての感想や考察や妄想は終わり。他にもエンディングがあるらしいんだけど、オイラは完成させたENDだけで充分満足したので、ここで終わりです。

こういう推理ゲームって、推理することそのものも楽しいんだけど、プレイが終わった後が一番楽しいと思うんだよな。プレイしている時はその作品を感じることは出来るけれど、プレイを終えてからようやく、その作品について考えることが出来るから。オイラが見聞きしたものだけで、あーでもないこーでもないと考えていると、ゲームをクリアしたのにも関わらずゲームを楽しむことが出来て、なんだか嬉しいんだよな。

今作を好きだとメッセージをくれた人、どうもありがとう!あなたとは違った考え方かもしれないけれど、オイラもこの作品が好きです。他におすすめしてくれた「未解決事件は終わらせないといけないから」は、そのうち動画として投稿するのでしばしお待ちを~

ではまた。

 

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ふだんはニコニコやYoutubeで動画投稿しています。興味があればプロフィールから覗いて下さい。趣味のことはこっちでも書いてます。