12/30 年末!

今日はおばあちゃんが近くのイオンモールに連れて行ってもらって、そこで本や靴、服などたくさん買ってもらった!靴や服は恥ずかしいことにあまり詳しくないので、ついてきた兄に色々おすすめを教えてもらい、気に入ったものを購入した。

本は欲しかった中原昌也の新刊「偉大な作家生活には病院生活が必要だ」といつか読もう読もうと思うだけ買えていなかった村上春樹の「1973年のピンボール」を購入。

中原昌也の新しいエッセイが、それがもう本当に面白く!ジェットコースターみたいな情緒とそこに挟まれる映画や音楽の話が本当におかしくて、最高だった。(俗に言う)偉大な作家のエッセイは日常の出来事に対し、深く思弁してみせるのが良さの1つであると思っている。しかし、中原昌也は出来事に対し、特に考えずに「死ね!」と言ってしまう。特に好きな部分の引用すると

 

九月二五日(土)

好きで小説やってるんじゃねぇんだよ!文春から短編依頼きて「倉庫代(三万円)払えなくて切羽詰まっているから前借りさせて」ってお願いしたら無視。じゃあ仕事しねぇよ!ホント舐めてんなぁ!ウンザリ!

 

こんなのズルすぎる!感情が先走りして常識が機能していない。こんな調子で進んでいくから楽しくなってくる。最近で1番楽しい読書だった!(確実にタメにはなっていないが)

 

その後、従姉妹がいくら勉強していても頭が良くならないという相談を従姉妹の母親と私の母親が話していた。

私は初めは聞いているだけだったが、「いくらやってもできない」という感覚はかなり思うところがあり、勉強においての主体性の重要性(親の機嫌を取るための勉強ではなく、主体的に勉強をする)に関する持論をおもわず主張してしまった。

私はほぼ受験生であるから上から勉強について言える立場ではないが、できない人間にはできない人間なりの考えがあって、大人が子供に指図する上下関係ではなく、下の視点に合わせて(下という表現は悪いかもしれない)考えることも大事なのではないか、と思った。

佐々木敦がいつかツイートしてた福田和也が浅田彰などのニューアカ批判として行った文章を思い出した。

 

いつか昭和天皇が病気になった時、皇居前につめかけた大勢の人たちを浅田氏が「土人」みたいだ、といったことがあったけれど、こういう裁断も気持ちがいいだろう。知的な優越感を踏み台にして、人がとてもいえないような辛辣なことをいう。これはやっぱり「正しい」快楽ですな。この快楽はけして世間の気分をあえて逆なでするというスリルではない。愚かな世間を向うに回して、自分だけが「正しい」というナルシズムと頭を下げたり、あばれたりする人間のわけのわからなさを、知的に処理できる、裁断できるという自信。

 

この「上から目線」は自分にも耳が痛い話だけれど、寄り添う視点は自戒として心に留めておきたいな、と思った。

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