1/14 エロ動画大好きな友達の本質的な強さ

今日は久しぶりに学校へ行った。学校に着くとクラスメイトなどから手術について心配されて嬉しかった。年明け以降、他人と話す機会はTwitterのスペースかDiscordでの通話など、比較的関心領域が自分に近い人としか話していなかったため、自分とは趣味がほとんど異なる人と話せたのが久しぶりで楽しかった。

特にクラスのエロ動画が大好きすぎて、あらゆる中国の違法サイトからハメ撮りや盗撮を集めまくっている友達の話には痺れた。

自分は性欲に対してむしろ嫌悪感を持っていて、性欲が行動の中心にならないようにポルノというある種の即物に頼り、1日中性的なことを考えないように努めている。しかし、その友達は自分の性欲に対して自明的で、性欲という理性ではどうにもできない領域に情熱を注ぐという姿勢が凄かった。あえて性欲から行動するという姿勢。性的なものから恋人を欲し、それを原動力とする。

人間は本質的にそういう側面はあるものだとは思うが、それを全面的に肯定してみせていることがその子の人間的な強さだと感じた。

 

放課後は仲の良い友達のコミュニティと帰ったが、手術のせいで歩くたびに尿管に痛みが走るため、友達と同じペースで歩くのが辛かった。

みんなと別れた後は地元の図書館で1時間ほど勉強をした。返却する本は家に忘れてしまった。

 

帰宅後は1日歩いたせいでだいぶ身体に痛みが残っていて、ベットで横になったままアニメを見ていた。アニメは『エルフェンリート』の最終回まで見ることができた。

とても面白く、楽しめたが、シナリオの中途半端さとヒロインの服のダサさが若干気になった。

似たような作品として『月姫』があるが、『月姫(特にアルクェイドルート)』はシナリオの首尾一貫さとキャラの魅力が勝ってるかなーと思った。しかし、『エルフェンリート』はあの時代のアニメ特有の不気味な雰囲気と未知のものが大量に人を殺していく1話は唯一無二の魅力を放っていると感じた。

明日はアニメばかりではなく、勉強も頑張りたい。

 

 

 

1/13 冬休み最終日

今日は9時に起床し、美容院行った。手術後、退院したとき以来、外に出れていなかったので、歩くのは辛かったが、久しぶりに外に出れて嬉しかった。

髪を切るだけでは勿体ない気がしたので、そのままレコード店や本屋へ寄り、お年玉で欲しかったCDや本を買った。CDはボアダムスの 山塚アイの別名義であるDJ 光光光(DJピカピカピカ)の唯一のアルバムの『PLANETARY NATURAL LOVE GUS WEBBIN' 1999999』を購入。ボアダムス関連作品はサブスクにほぼ存在しないため、見つけられて良かった。(代表作の『VISION CREATION NEWSUN』などは持ってないため、欲しいが本当に売ってるのか?)

本は以前から欲しかった二階堂奥歯『八本足の蝶』と後藤明生『狙い撃ち』を購入。二階堂奥歯はにゃるらが中島らもと並べて薦めていたのがきっかけだ。

 『八本足の蝶』は25歳で自殺した著者の日記が内容で、下手ながら一応日記をつけてる自分にシンパシーを勝手に感じてる。(?)

 

最近は東浩紀の『存在論的、郵便的』を読んでいたが、時間をかけて読むうちに段々と飽きてきてしまい、そのせいで読書意欲が下がっていたので、これを機に読書に熱を取り戻したい。

 

今日は手術で休んでた関係で実質冬休み最終日となった。私はこの冬で成長出来たのだろうか?振り返ってみて、分かりやすく成長した!と言えない気がするが、冬休み中に始めたこの日記は続けたい。書くたびに日記が義務となっていく感覚がしている。明日から初心に帰って書きたい。というか書けるようになりたい。

 

1/12 昼寝

午前10時30分頃に起床。Twitterを見ながら用意されていた菓子パンを食べる。手術後おしっこをしたときの痛みに悩まされてきたが、だいぶ改善してきて素直に嬉しい。まだ血尿が出るが。

 

昨日から見始めた『エルフェンリート』を5話まで見て、それから勉強をした。

『エルフェンリート』は1話が作画も展開も鮮烈だったために、それ以降は各話、エロシーンとグロシーンを確実に入れてくる、みたいなテンプレ感を感じてしまった。テンプレ展開は見ていて「安心」する効果があるが、『エルフェンリート』のようなシリアスなシナリオに反復されるエロ、グロシーンで安心してしまうのは微妙に思った。しかし、1話には「安心」のない、ゾクゾクするような出来だった。

 

勉強がひと段落したあと、疲れから昼寝をしてしまい、夜ご飯の時間まで寝てしまった。

まだ勉強が残っていたため、お気に入りのアニソンを聴きながら勉強をする。

そこでプレイリストの中から『負けヒロインが多すぎる!』のEDの1つである若山詩音が歌っている『CRAZY FOR YOU』を選んで聴いた。若山詩音は澄んで美しい声だった。

そのとき考えたのが、声の魅力だ。若山詩音のような声優もそうだが、普段話す友達の声にも、不意に綺麗だと思う瞬間がある。その瞬間は当たり前だと思って聞いていた他人の声に、なにか特別な価値が付与された感じがして嬉しい。

 

最近は批評の本をあまり読めていないのでそろそろ本格的に読みたいな、と漠然と思った。

1/11 BeReal.とエロい話

午前8時30分頃に目が覚め、起床。

朝の支度を一通り済ませ、『SHIROBAKO』の21〜24話を見終える。面白いアニメだった…。

今日は手術後で1番調子が良く、椅子に座って作業ができたため、積んでいた本を読んだ。(まだ東浩紀の『存在論的、郵便的』の2章後半を読んでいる。)

読書がひと段落つき、Kendrick lamerの『good kid, m.A.A.d city』を聴く。今年はhip-hopに詳しくなることが目標の1つのため、以前よりもhip-hop全体に興味が移っている感覚がして嬉しい。

 

1時過ぎ、久しぶりにBeReal.を上げる。BeReal.は決まった時間内に上げれば複数枚写真を投稿できるが、私は特に何回も上げるほど一般的に充実はしていないので、手術後の生存確認、のような感覚で投稿。

投稿を一通り確認しといると、友達の投稿には女子の足が写っていてた。制服のスカートの下の膝は少し赤くなっていて、モデルのように細い、というよりも運動をしているような健康的な足で、オシャレのために無理をしているような感じだった。

私は冬休み以降学校へ行っていないため、久しぶりに見る、見知ったスカートの下から見える足に妙なリアリティを感じた。

その足には冬休みにも腐るほど見たSNSの可愛い子(またはエロい子)の足にはない、現実感があった。

少しの間思案すると、自身の自覚していなかった女性を即物として扱ってしまうような態度が露出してくる。言い換えるならポルノのような、そんなミソジニー的なものが根付いてしまっていることに気持ち悪さを感じてしまった。

性欲(あえて言う)のような、理性では制御できない部分に対してどのように折り合いを付けていくかが、長い間自分の中での課題となり続けている。投稿1つでも、そうした課題は露出してしまう。BeReal.についても改めて考えて文章にしたい。

1/10 『SHIROBAKO』の感想

午前10時くらいに起床。本来なら学校で授業をしている時間だが、手術後なのもあり、まだ学校へ行っていない。実質、冬休みが伸びたような感覚だが、今クラスメイトや友達は私が寝ている間に真面目に勉強してるのだと思うと勉強をしなければ!という気持ちと罪悪感を感じる。これは真面目すぎるのか?

リビングへ降りると兄がテレビでポケモンをしていて(なんとダイパリメイク!)、朝ご飯を食べながらプレイ画面を見ていた。私は中学生の頃、本当に!ポケモンをやりまくっていたので、食べ終わってからは兄のプレイに色々アドバイスをしていた。

兄はガブリアスを使っていたのでガブリアスの種族値(ステータスのこと)は全ポケモンの中でもトップクラスに美しい、と言われている話やリメイクの前のダイパではバグで「なぞのばしょ」というところへ行けて、そこでアルセウスが手に入れられる話、ストーリー上で心霊現象が起きる「もりのようかん」に関した都市伝説など、まるで過去の出来事を自由連想して語るような、そんな過去の自分を思い出すいい機会になった。

 

ポケモンのキリが良くなり解散した後、自分の部屋で以前から見ていたアニメの『SHIROBAKO』の続きから見始める。

普段なら体力的にアニメはまとめて3、4話見たら限界が来てしまう、SNSに脳の報酬系が破壊された人間だけれど、『SHIROBAKO』は見るごとにキャラに愛着を感じてきて、一気に6話も見てしまった。

『SHIROBAKO』をジャンル分けすると、「お仕事系青春ドラマ」となっていて、見始めの頃はこの"お仕事"と"青春"との噛み合わなさに違和感を感じていた。しかし、本編を見ると、主人公グループのいわゆる"主役"ばかりに焦点を当たるのではなく、キャラデザが目立っていないキャラにも等しく焦点を当て続け、 一貫して"希望"や"将来"といったものを示唆する内容となっている。

私の気に入っている点は仕事をしているキャラに"希望"を描いているところである。

世間では「社畜」という言葉に代表されるように、社会人になるということはそれだけで人生の絶望と読み替えられていて、青春時代の10代が至高でそれ以外は10代の経験を反復させながら生きているに過ぎない、といった言論が平気で繰り返される。

しかし、『SHIROBAKO』では"希望"を持ちながら働いているキャラを包括して「お仕事系青春ドラマ」だと語っており、10代の学校生活以外の、「仕事」にも人生の"希望"はあるのだと言うことを見事に描く。

これは予想でしかないが、このP.A.WORKSが描く『SHIROBAKO』に代表される他の「お仕事シリーズ」にもそういった姿勢が一貫して描かれているのかな、と考えてしまった。

 

まあこんな悠長なこと言ってないで、みんなに遅れないように勉強をしないといけないのだが

1/7〜9 手術の話

1/7

この日は手術当日で、飲み物は水コップ1杯、朝ご飯は食べてはいけなかった。そのため、病院に着いて少しの間はお腹が空いていたが、点滴をし始めてからは収まった。

点滴をしているときの感覚は異質で、普通は口から水分を補給するが、点滴は血液そのものに直接水分を送る。されている間は身体が潤っていく感覚はするが、口だけは渇いている。その感覚が奇妙だった。

手術の開始時間は午後3時からの予定で、それまでゆっくりと『出会って4光年で合体』などを読んで過ごしていたが、午後2時ごろ看護師から手術開始が今から10分後に早まったと言われ、そのまま流され、手術室へ向かう。

手術室には大体7、8人の大人が居て、実際に目の前に大人がいると手術が現実味を帯びてきて、これからこの人数の大人に自分の身体を預けるのだと思うとかなり怖くなった。

手術室のベットに横になり、徐々に点滴の中の麻酔薬が効いてきて、意識が戻る頃には病室のベットに居た。目覚めてすぐは(多分麻酔の効果で)とても寒く、電気毛布をかけてもらったが、まだ麻酔が抜けきっていないため、電気毛布がかけられた感覚がしなく、ずっと寒かった。

看護師がいなくなり、1人で麻酔が抜けるのを待つ。そのときは腹痛と尿意があり、一刻も早くトイレに行きたかったが、麻酔が抜けるのに20分くらいかかり、ようやくトイレへ行った。

しかし、おしっこをしようとすると、手術で尿管が傷ついた関係でとても尿が尿管にとても沁み、満足におしっこをすることもできなかった。

それでも出すしかなく、気合で出し切ったが、それから何度も尿意は訪れ、そのたび苦しんだ。

(夜中、おしっこのために何度も起きなければいけなかったのが最悪だった。)

 

1/8

この日から退院できるらしく、明らかに濃度の濃い血尿が出ているのに、午前10時には退院した。

尿管にステントという長いストローのような管が入っているため、動くと違和感があり辛かったが、朝から流していた『ラヴィット!』が底抜けに明るく、凄く元気になった。

退院後、家までタクシーで帰り、家に着くと、大学が休みのため兄が居た。

家に帰ると、日が差し込むリビングで、変わらず猫が走り回り、兄が流行りのポップスを口ずさんでいるといういつも通りの日常があり、その日常の温かさに思わず泣きそうになった。

その後、兄がマックを買ってきてくれ、食べ終わった後は2人でスマブラをした。体調は決して優れてはいなかったが、兄と話していると気持ちが楽になったような気がした。

その後、ご飯を食べ、苦しみながらおしっこをして寝た。

 

1/9

今日は朝から1人で、昨日よりも全体的に良くなっているような感覚で、『SHIROBAKO』というアニメを見て過ごした。おしっこも変わらず血尿は出るが、痛みは少し減った。

こう書くと「早く学校行けよ!」と言われそうだが、尿管に管が入っているため、今のところ老人みたいな動きしかできないから許して欲しい。

明日はもっと調子を取り戻して勉強ができるようにしたい。

1/6 『響け!ユーフォニアム』とその思い出

今日は8時に目が覚めた。ご飯を食べ、一通りやる事を済ませ、昨日(といっても0時を過ぎていたので今日だが)の夜中は何もやる気が出ず、かと言って眠れそうにはなかったので、思い立って前観てとても好きだった『響け!ユーフォニアム』というアニメの3期の12話を見返した。

 

『響け!ユーフォニアム』は自分にとって大切な作品で(マジで大切な作品何個あるんだよ!って感じだけど)、1期を中3、2期を高1、3期を高2と一定の間隔で見続け、アニメ批評に興味を持つきっかけになった作品の1つである。

自分が敬愛して止まないけいおん!などの日常系とは違う、いわゆる"萌え"的なキャラデザインではないからこそ、ストーリー内のリアルな描写が際立ち、この作品を唯一無二にしている。

そんな『響け!ユーフォニアム』 の3期の12話は物語の佳境で、子供と大人の過渡期として描かれている。

3期の上手いな〜と思うところとして、主題に「子供と大人」を据えているが、その2つの属性を二項対立として配置するだけではなく、10代の子供たちは両方の属性を合わせ持つものだと描いているところだ。

例えば、主人公の黄前久美子。彼女は1期は思ったことを口に出してしまう、といった子供の要素が目立ったが2期を経て、3期では子供の要素は薄まり、逆に部長として部員をまとめる、といった大人の要素が強く描かれる。

そうした対立関係が臨界点に迎えるのが12話で、ラスト、今まで部長として部員を引っ張っていた久美子が親友と2人きりになった瞬間、大人として振る舞っていた反動なのか、悔しい!と素直でこれ以上ない感情を打ち明ける。

 

私は真面目な性格も相まって、人に会って話すとここで言う「大人」に分類されることが多い。テストだって毎回コツコツ勉強するし、身勝手な振る舞いで嫌われないように人前ではアニメや音楽の話もしない。しかし、周りを見渡せば、テストで少しでも楽をしようと教師を質問攻めしている人や好きなことを話し、それでいてクラスメイトに愛されているような人もいる。

そうした「子供」としての他者への憧れが存在しながらも「大人」として振る舞う自分がおり、そこに対する葛藤があったからこそ『響け!ユーフォニアム』が自分の中で大切な作品としてあり続けているのだと改めて見返して感じた。(まさにこれ私だ….状態)

 

明日は手術なので早く日記を書いた方がいいかな〜と思ったので、ほぼ昨日のエピソードになってしまった!

無事成功するといいな〜泣泣

 

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