5年余り前、文部科学省の専門職大学の設置を検討する会議で、世界トップレベルを目指す研究や教育を行うG(グローバル)型大学と、地域社会で役に立つ実務的な教育を行うL(ローカル)型とにはっきり分けた方がいいと提言したら大炎上。主に社会人文系の先生方から「全大学人の敵」というありがたい呼称をいただいた。しかしその後も大学経営が改善する兆しはなく、世界の中での日本の大学の地位低下も止まらない。
日本は「高学歴」社会ではない
そもそも日本の大学教育体系は、西洋文明を輸入しそれを全国津々浦々に伝搬して欧米にキャッチアップするために東大を頂点とする国立大学の体系が作られ、慶応義塾大学の祖である福沢諭吉翁が「学問のすゝめ」で実学の重要性を強調している通り、私立大学は実務学校を出発点にしている。
それがいつの間にか「教養教育」の名のもとに、大教室でうんちく学問を一方通行で教え、学生はろくろく授業を聞かずに4年間をバイトと課外活動で過ごすのが標準のモラトリアム学校に変質してしまった。
この仕組みは、実は新卒一括採用と終身年功制を基本とする日本的経営システムと相性が良かった。非流動的な組織システムでは、そこで求められるスキルの企業固有性が高く、白地の学生を一から教育するほうが効率的。だから、採用はつまるところ潜在能力採用。大学が入試の偏差値で序列化されているのは「合格歴(ごうかくれき)」で潜在力を大まかに区分する上では便利この上ない。日本は「高学歴(こうがくれき)」社会ではない。濁点場所違いなのだ…
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