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NHKの番組にあらわれた比嘉照夫氏の「EM」(有用微生物群、いわゆる「EM菌」) (2) 農業実践の例

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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NHKの番組にあらわれた比嘉照夫氏の「EM」(有用微生物群、いわゆる「EM菌」) [(1) 水質改善にならない泥だんご投入] からつづく話題である。「EM」または「EM菌」とは何かは、(1)の記事をみてほしい。

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結果として「EM」の宣伝に加担してしまったとおもわれる NHK の番組のふたつめは、NHK総合テレビのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の2024年11月27日 (水) の回である。題目は「一粒青々、己を込める -- 米農家 関智晴」だった。ウェブページは 2024-12-01 現在 NHKウェブサイトのつぎのところにある。

また、つぎの記事 (ディレクター 永井 宏美 さんの署名いり) がある。

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「プロフェッショナル」というシリーズは、いろいろな職業について、その技能をみがいて成果をあげている人を紹介するものだ。この回は、米をつくっている農家をとりあげた。今年は米の需要供給がうまくあわず米価がおおきく変動したこともあり、また長期的な食料事情の心配もあるから、職業のうちで食料生産にかかわる農業に注目がむかうのは当然だろう。そこで、食味コンクールで2014年から2021年までの8年のうち6回「金賞」をとっている人がとりあげられた。(「世界一」という表現をしていたが、日本でおこなわれているコンクールらしいので、日本市場での評価をもとめる農家のうちでの一位ということなのだろう。)

その人、新潟県 南魚沼 の 関 智晴 さんの農業は、おおまかにいうと有機農業だ。ただしそういう表現はしていなかった。「農薬をつかっていない」ことは強調されていた (ただし、19ヘクタールの田のうち約半分がそうだ、ということだった)。「化学肥料をつかっていない」とは言っていなかった (つかっているのかもしれない)。しかし、独自の肥料をつくっていることが強調されていた。草刈りなどの農業機器に、おそらく石油によるエンジンをもつものをつかっている場面はあった。ただしエンジンを背に負って歩くようなつかいかただった。(石油がなくなってもこのぐらいならば再生可能エネルギーによる蓄電でモーターをまわせるだろうとおもう。)

有機農業と持続可能な農業とは関係があるが同じではない。[2017-12-27 持続可能な農業・環境にやさしい農業と、有機農業との距離] に書いたが、ここでもすこしのべる。化石燃料は持続可能でないから、農業が持続可能であるためには有機農業に期待がかかる。しかし、有機農業は、いくらか農薬をつかう現代の慣行農業にくらべて、てまをかける必要がある。てまをかけたわりには収量は多くない。採算をとるためには、高く売る必要があり、有機農業は高級志向になる。そのような有機農業がふえても、世界人類の食料生産を持続可能にすることにはつながらないかもしれない。

関さんの米づくりは、あきらかに、食味と、農薬をつかっていないこととを高く評価する人にむけた高級品志向だ。

なお、関さんは、あえて田植えの時期をおくらせるという選択をした。判断の根拠は収量よりも質だったらしい。【それで思いだしたが、ちかごろ、江戸時代の食料事情についていくらかしらべていて、藩と農家とのあいだで、早稲か晩稲かの選好がくいちがっていたことを知った。収量重視か確実性重視かの対立らしい。ただし、江戸時代の例は品種の選択になるのだが、関さんのばあいは同じコシヒカリという品種を栽培するうえでの時期の選択だ。】

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関さんの肥料は、「微生物の活性液」に、カニの殻、魚粉、こんぶ、酒かす などを入れ、1年ほど発酵させてつくるのだという。この「活性液」は「おやじのときから代々伝わる」ものだそうだ。関さんは肥料にアミノ酸がふくまれていることを強調していた。アミノ酸は植物自身が合成できるので肥料の必須成分ではないが、なんらかの効果があるのかもしれない。とくに食味には影響がありそうだ。【現代日本では純粋なでんぷんに近い米がこのまれ、アミノ酸がおおいのはこのまれない と きいたおぼえがあるのだが、ちかごろはちがうのかもしれない。】

番組では「EM」ということばはでてこなかったので、この「活性液」が「EM」とおなじものかどうかはわからない。

ところが、関さんの名まえでウェブ検索してみると、「EM生活」という会社がやっている「EMマルシェ」というサイトに、「植村」という署名入りで、関さんを取材した記事がある。

これをみると、関さんが、父親の代から「EM」の利用者であることと、「EM生活」と友好的関係にあることはたしからしい。

ただし、これだけの情報をもとに、関さんを「EM陣営の人」あつかいするのは行きすぎだとおもう。関さんは「EM」の製品が関さんにとって有用だから買っているのであって、比嘉氏の思想に賛同はしていないのかもしれない。

番組中の関さんの回顧と「(1)」の記事の第1節でふれた 後藤 逸男 さんの論文を参考にしたわたしの想像だが、関さんの父親が有機農業をはじめ、それから「EM」を導入し、後藤さんが論じたような理由で、当初の数年は収穫がよかったが、その後に低迷した。そこを智晴さんがひきついで、創意くふうをくわえたのだとおもう。関 智晴 さんの実践は、「EM」のマニュアルどおりではないだろう。

したがって、NHKが関さんの実践を紹介することを、NHKが「EM」の宣伝をしているとまではいえないとおもう。しかし、「EM生活」社をはじめとする「EM」推進者が、NHKでほめられた関さんが「EM」の利用者でもあることを、「EM」の宣伝に利用できる。「EM」推進者は、「EM」が環境浄化に役だつといった「ニセ科学」 (科学的うらづけのないことを、うらづけがある科学的知見のように見せかけて、利益をえること。批判者がわからみた用語。) の活動もしているので、間接的にそれをも支援してしまうことにもなる。(ただし、「EM」は肥料資材としては (特別に優秀ではないが) 有用なのだから、その意味で有用だとのべるところまでは「ニセ科学」への加担とはいいがたい。) ふせぎにくいが、こまったことだ。

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なにがまずいかかんがえてみると、ドキュメンタリー番組が、ひとりの人物、あるいは ひとつの集団を主役にとりあげ、主役の行動や意見を肯定的に紹介するものになりがちなことだとおもう。NHKの番組でいえば、この「プロフェッショナル」のほか、「ザ プロファイラー」、「偉人の年収 How much?」などがそうだし、「プロジェクト X」はチームをとりあげるけれどもチーム内で利害は共有されている。

ドキュメンタリー番組は、主役をたててもよいけれども、他の視点からの主役の行動や意見への批判もふくめるべきなのだとおもう。「英雄たちの選択」は、英雄とみなした人をほめる態度が基本ではあるのだけれど、その人が実際にとらなかった選択肢のほうがもしかするとよかったのではないかという観点をいれるから、いくらかはその人の実際の行動への批判がふくまれる。せめてこの程度には、批判的検討をふくめることを、ドキュメンタリーづくりの標準にしてほしいとおもう。

- 3X [2024-12-02 追加] -
NHK のドキュメンタリー番組のうちでも、主役とみられる人に批判的な観点でつくられているものもあるが、衛星放送 (BS) であり、毎週ではないのであまりひろく知られていないかもしれない。「フランケンシュタインの誘惑」 だ。また「ダークサイドミステリー」も、ときどきそのような態度のことがある (まったくちがう態度のこともあるが)。そこでは、科学者や科学を応用したしごとをした人の行動が、おそらく当時の本人の価値観ではよい目的にむかっていたのだが、いま なるべく客観的にみると、人権侵害であったり、科学上の不正 (捏造など) であったり、その分野の専門家のおおくからみてまちがった説を主張しつづけていたりした、という話がでてくる。すくなくとも当時の本人と現代の批判者のふたつの観点があるし、当時の対立者の観点がしめされることもある。視聴者の記憶に、主役を批判する観点がのこるか、主役に同情する観点がのこるかは、おなじ番組をみた人のあいだでもまちまちだろう。このようなつくりは、ドキュメンタリー番組を見ようという意志がはっきりしている人にむけてはよいが、なんとなくテレビをつけている視聴者がおおいだろう総合テレビの番組では、部分的にきりとられたばあいの危険がすくなくなるようなくふうも必要かもしれない。