落ちこぼれの特権

いよいよ翌日の5月11日、文藝春秋社より『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』 が発売されます!!

これは、昨年『週刊文春』にて10回(前編5回、後編5回)にわたり短期集中連載された「日本テレビ『最強バラエティ』のDNA」を大幅に加筆修正及び再構成したものです。
80年代低迷していた日本テレビが、12年連続視聴率三冠王の絶対王者フジテレビを1994年に逆転するまでを当時、最前線で戦った当事者たちの証言を元に描いたノンフィクションです。
雑誌連載という形式上、どうしても文字数の関係で削らなければならなかったエピソードなどを追記したのはもちろん、連載時には果たせなかったライバルであるフジテレビ側にも追加取材を行い、新たな章を書いています。
さらにエピローグには、のちに日本テレビを揺るがした“あの事件”にも触れています。

日テレが苦手

正直言って、僕は日本テレビのバラエティが苦手でした。
『新春TV放談』では毎年バラエティ番組の人気ランキングが発表されます。
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こういうランキングでも日テレの強さは目立ちます。
が、僕は「テレビっ子」を自称しながら、ここに挙げられているような日テレの番組をほとんど見ていませんでした。
実際に見れば確実に面白いのだけど、なぜか積極的に見ようとしなかったのです。
それが「苦手」ということなんだと思います。

そんな僕に『週刊文春』から日テレについて書いてみませんか、という話をいただき、正直戸惑いました。
自分でいいのか? 大丈夫だろうか?って。

ちょうど同じ頃、「文春オンライン」の不定期連載「テレビっ子」シリーズが始まりました。
最初のゲストは、『新春TV放談』にも出ているヒャダインさん。
そのときに僕は、テレビっ子の好きな番組とは乖離があるんじゃないかということを聞いてみました。
するとヒャダインさんはこのように答えました。

ヒャダイン:そうなんですよね。でも一般的にはそういうことなんだなと思いました。マスはこっちが好きなんだなと。マスが好きなものを供給している日テレというのは大したものだなと思います ね。だからいい意味で日テレって物凄く〝下品〞なんですよね。みんなが欲しいものをリサー チして、なりふり構わず出すという。そこにプライドもへったくれもない。あの感じがランキ ングにも出ていて、逆にぼくは非常に好感が持てました。内容云々は抜きにして、ビジネスとしてちゃんとやっている。テレビの種火を消さないようにしてくれているじゃないかと思います。

「いい意味で下品」という言葉に合点がいき、「 テレビの種火を消さないようにしてくれている」という指摘にハッとしました。
確かにそうだ。
もうテレビはダメだ、などと言われている時代に、日本テレビはそれでも歯を食いしばって、 下品とも言われるくらいのサービス精神で、視聴者に見やすい番組を提供し続けている。世間 とテレビをギリギリでつなぎとめている。 それに気づいた時、やっぱり日本テレビについて書きたいと思いました。

「残念ながら……」

ところで、本書には僕の中で仮タイトルがありました。
それは『落ちこぼれの特権』。
なぜなら、本書の登場人物はみんな“落ちこぼれ”だったからです。

そもそも日本テレビ自体がそうでした。
日本初の民放テレビ局として黄金時代も経験していましたが、80年代は低迷。民放3位が定位置。ときには最下位がすぐ側ということも。要因は様々ですが、組織として落ちこぼれだった。
たとえば『電波少年』シリーズの土屋敏男さんは、失敗続きのため一時は制作者として失格の烙印を押された。
『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の小杉善信さんは、「番組を始めるとすぐつぶれる」と有名だった。
『マジカル頭脳パワー!!』の渡辺弘さんも、『スーパーJOCKEY』立ち上げの頃には、ビートたけしから、このままこの番組を続けていれば、自分がそれまで築いてきたものが崩れてしまうから「やめたい」とまで言われた。
『SHOW by ショーバイ!!』『マジカル』の五味一男も、とあるデータを見て、自分のこれまでの全人生を否定されるような経験をした。
社長である氏家齊一郎も、一時は日テレを“追放”される。経営者として落ちこぼれでした。

「テレビ関係者が集まるパーティに行くと、フジテレビの人たちが一番いい中央の席に自然と座っているんです。これに何の疑問も感じなかった自分に気づいた時に、悔しくて、情けなくて……」(小杉)

そんな落ちこぼれ集団が、いかに強大な敵であるフジテレビに立ち向かい、勝利したかを描きました。

僕はこれまで、直接取材をせずに、既に世に出た書籍、雑誌、ラジオ、テレビなどの発言を元にテレビに関する書籍を執筆してきました。
それはその距離感こそが〝テレビ〞だと思っていたからです。
だけど、今回は、そのスタイルを変え、当時、最前線で戦った多くの(元)日本テレ ビの社員の方々に取材しました。
単純に当時のことがあまり語られていないということが大きな理 由のひとつですが、それ以上に、今回焦点を当てたかったのが、テレビそのものではなく、それを裏で支えている人たちだったから。それを描くには、実際に生々しい証言を聞くしかない、と。

90年代半ば、フジテレビを逆転した時代の編成局長として日本テレビを指揮し、その後日本 テレビ社長にまで登りつめた萩原敏雄さんにも話を伺うことができました。
「超」がつく大物に緊張し ながらも、僕は単刀直入にフジテレビに勝てた要因は何かという質問をしました。
すると萩原さんは、「残念ながら……」と前置きして、本書で明かすある人物の名を挙げました。
「残念ながら……」
僕は、この一言に痺れた。
そして、これから書く本は、そういう本だ、という確信めいたものが生まれました。
つまり、この「残念ながら……」という一言には、“人間”が宿っていると思った。
愛憎、恩讐、葛藤……。
人間の思いが詰まっていた。
テレビは人間がつくっている。
その当 たり前の事実がくっきりと輪郭を持って迫ってきて震えた。
テレビ屋たちのそうした思いを描きたい、と。


第1部はこんなふうに始まります。

82年から12年にわたり三冠王
絶対王者に君臨したフジテレビ。
同じ頃、日本テレビは低迷。
3位が定位置だった。


「何が何でもトップを獲れ」


日本テレビ社長に就任した氏家齊一郎の大号令。
それに応えたのは“落ちこぼれ”だった
若きテレビ屋たちだった。


「逆襲」とは、敗れざりし者たちだけに許された特権である。


80年代末、「クイズプロジェクト」の名のもと集められた
小杉善信、渡辺弘、吉川圭三、
そして「1億円の新人」五味一男。
「失敗したら札幌に飛ばすぞ」
「お前を採るのに1億円かかっているんだ」
容赦なく浴びせられるプレッシャーの中、
立ち上げたのは『クイズ世界はSHOWby ショーバイ!!』
だが、視聴率はまったく振るわなかった。
「人生全否定感がありましたね。
でも一回、そうやって強烈に否定されると、
脳がナチュラルハイみたいな状態になる」


そんな彼らの前にひとつの光明があらわれた――。

そして第2部に登場するのは、異端の2人と知られざる功労者。

「クイズプロジェクト」の成功で
「知的エンターテイメント路線」が確立。
万年3位から抜け出し、フジテレビの背中が
微かに見え始めた日本テレビ。
だが、正攻法だけでは絶対王者フジテレビには届かない。


「オレは町外れの孤児院の院長みたいな感覚でした」


数々の番組で失敗を繰り返し、
ディレクター失格の烙印を押され
一時期、制作の現場を追われた土屋敏男。
そして、土屋と同じ班で下積みをした菅賢治。
この異端の2人が日本テレビのイメージを
劇的に変えていった。


その裏には、加藤光夫という
男の存在があった。
彼らを育て、日テレの風通しの良さを
つくった陰の功労者である。


「加藤光夫の三段重ね」


その知られざる功績とは何だったのか?

そして第3部以降、いよいよ決戦が始まる。

読売グループ、日本テレビに
奇妙に受け継がれる恩讐の“伝統”、
開局約40年の歴史が生んだ固定観念や絡み合う利権。
そんな“呪い”を断ち切るには
強烈なリーダーシップが必要だった。


社長に就任した氏家齊一郎が大号令を下す。


「お前らがやりたいこと明日から全部やれ」


彼の右腕・萩原敏雄に氏家は単刀直入に尋ねた。
「どうしたら日本テレビは視聴率でトップになれるか?」
「誰が何をやろうと、今のままでは絶対に取れません。
 徹底的な編成の構造改革が必要です」
「本当にこれをやれば勝つチャンスはあるのか?」
「チャンスはあります」
「よし、やろう!」


かつて「お前は日本テレビを潰す気か?」と一蹴された
萩原の大改革案を実行していく。
「山根でいいのか?」
「山根がいいんです」
異例の人事、改編率50%に迫る大改編……。
いよいよフジテレビの背中を捉える。
しかし、その目前、思わぬ“敵”が立ちはだかる。
それは皮肉にも、
「日テレ最大の武器」によるものだった――。

本書は、テレビの裏話のようなものが主題ではありません。
ひとつの一大プロジェクトに対し、名もなき者たちが組織の中で奮闘しながら巨大な壁に立ち向かい、乗り越えていく様を描いたものです。
それはテレビという世界に限らない、人間の物語です。
テレビのことに興味がない人でも、何らかの「仕事」をしている人には刺さる本だと思います!
よろしくお願いします!