車中泊旅行歴25年で、上高地にも14度足を運び、その四季を知るクルマ旅専門家の、紅葉の涸沢トレッキングの忘備録です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
そこで見たのは、この世のものとは思えない景色だった。
はじめに。
この記事は、2007年10月に念願の紅葉に染まる「涸沢カール」を訪ねた際にしたためてあった日記を、2024年8月にリライトしている。
2007年8月、筆者は浪人生の息子と2人で、「上高地」から「涸沢」へ登った。
けして準備万端とは呼べない装備とスケジュールだったが、 パワー漲る若者に助けられつつ、遂に憧れの地に到着。
その圧倒的な景観は、この地が最も美しいと云われる秋への再チャレンジに、強い意欲をもたらせてくれた。
それからおよそ50日…
錦秋を迎えた3連休に、再び「涸沢」を目指して「上高地」へと向かった。
秋の「涸沢」に向けての準備
夏の経験をもとに、今度は綿密な計画を立てて、旅の準備を進めることにした。
大げさに聞こえるかもしれないが、普段から歩き慣れていなければ、往復30キロを超える山道をバテず疲れず進み続けることはけして容易ではない。
しかも今回のパートナーは息子ではなく家内。つまり筆者が途中まではカメラと三脚を加えると20キロを軽く上回る荷物を背負っての道中になる。
トレーニングメニューは、毎日1時間、本番と同じトレッキングシューズを履き、背中に10キロ程度のウエイトを入れたリュックを背負い、家の周辺を歩くのが基本。
もちろん、できる限りアップダウンの多いコースを選んだ。また、途中で約40段の階段を2段飛ばしで5往復。
これはきつかったが、本番でもっとも効果が感じられたメニューだった。
さらに週末は本当の山道に慣れる為に、近所の山にでかけ、日帰りトレッキングを3度敢行した。
この写真は「金剛山」に登った時の様子だが、ただ歩くだけではなく、ステッキやリュック、バーナーにレトルト食品など、実際に使用するギアの使用テストを兼ねるなど、短い準備期間を有効活用するよう心がけた。
今思えば、腰の重い家内がよく一緒にやってくれたものだ。彼女もきっと、体力に不安をいだいていたのだろう。
続いてキャンプ。
夏はバスターミナルから1キロも歩かない「小梨平」にテントを張ったので、さして問題にならなかったが、今度は「徳沢」まで片道6キロを担がなければならない。
そこで今回用に買い換え、買い足した新しいギアと、現地で食べる食品のテストをする為、上とは別の日に、キャンプを目的にロープウェイで「金剛山」に登り、「ちはや園地」にテントを張った。
これは今思えば、重要なプロセスだった。
実際にこのキャンプで、これまで使ってきた旧モデルのシュラフ(モンベル・スーパーバロウ#3)で2泊以上しようとすると、カメラをどうしてもリュックに収納できないことが判明。
そこでよりコンパクトな、ウルトラ・ライトの同品番に買い換えている。
いざ本番
深夜到着した2組の友人夫婦とともに、「道の駅 奥飛騨温泉郷上宝」から早朝5時過ぎに「あかんだな駐車場」に移動。
既に満員のバスに乗り込み、7時半頃に「上高地バスターミナル」に到着した。
この日の「上高地」は、青空が雲の隙間からところどころに見える程度で、ちょうど天候が回復していく途中のようだった。
バスターミナルから「河童橋」まで歩いて小休止。ここから約2時間かけて、6キロ先の「徳澤キャンプ場」を目指す。
もう何度も撮ってきた景色なので、そこまではカメラをバックに入れたまま行くことにした。
景色の開けた川原で食事休憩を挟み、「徳澤キャンプ場」に着いたのは昼前。
既に6割近く埋まったフリーサイトにテントを張り、女性陣はお昼寝タイム。我々は「横尾」まで明日の下見に出かけた。
翌朝3時過ぎ。周囲のざわめきで目が覚めた。そろそろ山屋達が「涸沢」に向けて出発準備を始める時間だ。
我々は6時に出発と決めていたが、おかげで早起きすることになり、夜明けを景色が開けた「新村橋」のあたりで迎えることになった。
この日は朝から最高のお天気。
前夜は放射冷却となり、寒さで目が覚めるほどの冷え込みに見舞われたが、おかげでかくも美しいモルゲンロートに遭遇。
これをより間近な「涸沢」で見るために、現地に泊まる猛者もたくさんいる。
「横尾」で朝食を済ませ、先乗りしているもう一組の友人カップルと合流し、いよいよ「涸沢」を目指して進む。
とはいえ、ほぼ中間地点の「本谷橋」までは景色もさほど変わらないので、筆者は道々の草木を撮りながら歩くことにする。
道中では、偶然にも和歌山の友人夫婦と鉢合わせ。パノラマコースから下山すると聞いていたので驚いた。
4泊で「西穂高」から上高地を経て「涸沢」に上がり、さらに「北穂高」を極めてきたというのだから、もうほとんどアスリートだ(笑)。
さて。
狭くなった「梓川」が見えてきたら、中間地点の「本谷橋」。
ここでゼリーなどの栄養補給食を食べて最後の難関に挑む。
夏はこの先の道で完全にグロッキーになったが、今回はさすがに違った。
トレーニングの成果なのか、体調なのか、それとも家内のおかげなのか…
いずれにしても、スイスイと山道を駆け上がり、最後まで誰にも抜かれることなくヒュッテに到着。これには自分達も驚いた。
涸沢の紅葉が例年に比べて遅れているのは分かっていたので、景色にそれほど期待はしていなかったが、途中からは真っ赤に染まったナナカマドも登場。
これなら「涸沢ヒュッテ」からの景色にも期待できそうだ。
そして…
おお~、日本にまだこんな景観が残っているのか!
少し大袈裟かもしれないが、「涸沢」の秋はまさにそんな思いを抱かせてくれるパノラマ絵巻だ。
夏は広角レンズを持参していなかったため縦アングルしか撮れなかったが、今回は35ミリフル画角で撮れるニコンの一眼レフに、18ミリの広角レンズを持参し、リベンジを果たした。
しかし2024年の今なら、i-phoneひとつで済む話(笑)。そう思うとずいぶん昔の出来事に思えてくる。
天気・自然のコンディション・自らのコンディション・そして経験…
多くの要因が合致して撮れる「涸沢の紅葉」だからこそ、筆者は価値があるように思う。その意味では、今回は本当にラッキーだった。ありがとう!
追伸
これで終わりのつもりだったが、「涸沢」まで来れると、最後の”アルピニストの領域”まで足を踏み込んでみたくなるのが、筆者の悪い癖(笑)。
そんなわけで、さらなるトレーニングを積んだ2009年9月、どうせなら穂高ではなく、誰もが知ってるあの山の頂きまで行っちゃえ~となった。
かくして、友人夫婦とともに再び「徳澤キャンプ場」にベーステントを張って、今度は標高3100メートルの「槍ヶ岳」にアタックする。
そして「槍ヶ岳山荘」に泊まって、無事に登頂を果たしてきた。
ただ、この時にはもう車中泊専門誌「カーネル」の連載が始まっていたので、忘備録を書く時間がなかった。
さすがに写真はあっても、「涸沢」のようなリアルな記憶は蘇ってこない。