大企業のぶらさがり社員に対して一貫して厳しいid:essaさんが下記のようなことを書かれているが、これはかなり正しい。
社会にとって有用な価値を創造してそれで稼ぐ企業が本当の一流企業である。そういう意味での「(本物の)一流企業の(本物の)正社員」というのは、本当は既にもの凄い狭き門になっているけど、既に入っている人が残っているから目立たないだけなのだ。
私は幸いなことに「(本物の)一流企業の(本物の)一流社員」と仕事をする機会を頂いている。そういう方々は一流大企業の資本力、技術力などの各種のビジネスインフラと自分自身の知見、経験、スキルを卓越した思考力とハードワークによって組み合わせ、お客様、ひいては社会全体に高い価値を提供している。
では「(本物の)一流企業」にはそういう社員ばかりかといったらid:essaさんの指摘通り、決してそんなことはないし、むしろそういう「(本物の)一流社員」は少数であるのが現実*1。ただ、大企業で一流の仕事をするというのは、それはそれで、大企業ならではの阻害要因がありかなり大変なもの。どんな障害を乗り越えることが求められるのか私の思うところを書いてみたい。
まず、大企業の中に、社会にとって価値を生み出す仕事ばかりがあるわけではない。第一線の事業部門を支えるバックオフィス部門もあれば、事業部門の中にはバックオフィス機能があったりする。一流の企業であれば、実力さえ備えていれば、機が熟したら前線の仕事をするチャンスを手にすることができるが、どんなに短くとも2〜3年というレンジでまずは自分の希望を通すに足る自らの実力を証明しなければならない。本当は優秀な人でもその過程で普通のぶらさがり社員に埋没してしまうという例を私は何度か見てきた。バックオフィス部門の中には筋金入りのぶら下がり社員が多く、また性質が悪いことにそれを自覚していない人が多い。そういう無自覚なぶら下がり社員に接していると、優秀な人でも「そういうもんだ」と勘違いしてしまい、全体の中に埋没してしまうものだ。「朱にまじわれば赤くなる」というが環境というものは本当に恐ろしいものだと思う。
また、そのチャンスをえたとしても本当に一流の社会的価値を創出する仕事をできる人はかなり少ない。もちろん何事かなすために一番大事なのは本人のやる気や能力だが、大企業というのは一流の仕事をやり抜くためにはプラスアルファでタイヤを10個くらい引っ張って猛進する「泥臭い馬力」が求められるもの。タイヤの例をあげれば下記の通り。
- 本業以外に上場企業ならではの多大な事務手続きに相当の時間をとられる
- 成果の恩恵にあずかろうと「レビューをしてやる」と称して、口だけはさむ人の対応に相当な時間をとられる
- (これは外資系固有だが)偉い外国人の方から進捗のレビューを受け、"What can I do for you?"などの充てにならない支援申し出を断るのに時間をとられる
そして、意識的に会社にぶら下がっている人が座っているタイヤをプラス2〜3個引っ張っていかなければならない。「10個のタイヤを引っ張りながら、沿道の同じ会社の人間の声援を一身に受けながらダート道を猛烈に突っ走る」という状況に不公平感を強く覚えたりすると、足は鉛のように重くなり、あっという間に失速してしまうので、横は見ないで前だけをみて突き進まなければならない。
全てのタイヤを取り除くことは不可能であるが、一流の社員のために如何にタイヤを削減し、道を舗装してあげるかが、正にマネージメントの力量ということができる。そして残念ながら、一流のマネージメントというのも一流の会社の中にさえ、それ程いなく、ひどいケースではマネージメント自身がちゃっかりタイヤに乗っているケースだってある。こういうケースにますます足取りは重くなる・・・。
一流企業の一流社員といえど、資本力や組織力といった追い風にのり、舗装された道路を颯爽と走っているだけではなく、激しい向かい風の中、意外と泥だらけになりながら走っているのだ。「有用な価値」というのは一流大企業からさっくり生み出されるものではなく、そういう人たちの努力の結実なのである。